騎士は静寂に暁染めゆく 2
こつこつと心地よいリズムの靴音を耳にして、黒騎士団副団長ハロルド・オーウェインは書類の束から顔を離した。
「こんな時間に誰だ?」
サインをしたためていたペンを机に置き、使い込まれた椅子の足を鳴らして立ち上がる。
王国騎士団の本部にある、黒騎士団長用の執務部屋には彼一人しかいない。
未だ姿をみせない、巡回を早めに切り上げて書類の整理を一緒にするはずだった上司……つまりはリーディアかとも思ったが、彼にしては少し靴音の感覚が長いような気がした。
時刻は通常の勤務時間帯をすぎており、たいした用の無い団員達はそれぞれの家か本部の敷地内にある寮へと戻っているはずだ。
となれば、余程の事情を抱えた人物の足音であることは確かだろう。ハロルドは足音の主を出迎えるために扉へと足を向ける。
「邪魔をするが、よいか?」
怪訝な表情を浮かべたまま、ハロルドがドアノブに手をかけるのとほぼ同時に、扉の向こうから声が掛かる。
「れ、エイリアス総副団長?
お待ちください、今あけますから」
予想していなかった人物の到来に慌てながら、ハロルドは鉄製のノブを捻った。
「すまんな」
そこに立っていたのは、灰色の髪をうなじで一つにまとめた壮年。
とても背の高い男で、髪と同じ色合いの瞳は軽く見上げなければならない位置に収まっている。
「話があるのだが、入ってもいいだろうか?」
針のように細く伸びた長身をさらに強調する、赤騎士団の裾の長い赤い制服を纏ったエイリアス・レラゼは、眠そうに細められた目をハロルドに向ける。
「どうぞ」
騎士団を束ねる総副団長からの頼みを断るほどの理由を持ち合わせてはいないハロルドは、素直に頷いてエイリアスを部屋に招きいれた。
「どうしたんですか、こんな時間に?」
後ろ手に扉を閉め、ハロルドは軽く首をかしげた。
総副団長じきじきに足を運ぶほどの事件があっただろうかと、早朝の会議の内容をできうる限り脳内で再生する。
「リーディアは、まだ戻っていないのか?」
金色の髪に一房混じる赤いメッシュを、クセなのか指先でいじりながら考えをめぐらせているハロルドに尋ねる。
「今日は書類の整理をすると言ってましたし、そろそろ帰ってくると思いますが?」
「そうか。こういった時に限って、二人そろっていないとはな」
「一体、どうしたんですか?」
やれやれと肩をすくめたエイリアスは、騎士服の長い裾を翻してカーテンのかかった窓辺へと移動してゆく。
「昨夜逮捕された、不法出国者の件でな」
「ああ、あれですか」
外部からの人の出入りが多いクロスは、外周を囲む城壁の内側にさらに壁があり、そこで入出国の審査を行っている。
審査を行っているのは騎士団ではないのだが、審査官の護衛を受け持っているということもあり、審査に引っかかった者の処分をもまわされている。
エイリアスの言う不法出国者もその中の一人であり、偽造された許可証を持っていたのがばれて捕まったのだ。
「先程、尋問が終わってな。とんでもないことがわかった」
「とんでもない……ですか?」
緊張を促す台詞も、気だるげな雰囲気の口調のままで言われてしまえば、聞いている方がたまったものではない。
ハロルドは緩むもうとする己の緊張感を必死に押し留め、話の先を促すように口を開いた。
「けっこう、早く口を割りましたね」
「アルゼインの尋問に、耐えられる人間はそうはいまい。
まぁ、それでも半日口を閉ざしていたのだから、口は堅いほうだったのだろうがな。今は、素直にあいつの言うことを聞いている。
可愛いものだな、髭面ではあるが」
実際見てもいないのに、容易に想像できる光景にハロルドは肩をすくめる。
アルゼイン・クライウォン。王国騎士団の最高指導者である彼は、その地位に相応しく厳しく鋭い人格者だ。
個性的な部下を数多く相手しているということもあって、一対での口のやり取りでは引けをとらない。
「……で、とんでもないこととは一体?」
「魔具の違法売買だ」
「ま、魔具ですか!」
「ああ。もっと限定して言えば、魔道具の類ではあるがな」
冷静そのものの表情で頷き返すエイリアスを、ハロルドは呆けた顔で見上げた。
魔具とは、魔道具と魔法具と呼ばれる物の総称だ。
その中の一つである魔道具は、原則的に魔法士と呼ばれる者でしか扱えない魔法を、そうでない者にも使えるようにした道具をさす。
その種類は、電灯やコンロといった物から殺傷能力をも有する魔剣や魔法を発動させる書物など多岐にわたるが、どれも扱い方によっては大きな被害をもたらす物であるために、その売買は厳しい法の下で行わなければならない。
「ああ。
前々から目をつけてはいたのだが、巧妙な手口を使うやつでな。
今の今まで、上手くはぐらかされてしまっていたのだが……」
やれやれと息をつき、エイリアスは呆然としているハロルドの視線を受け止めながら、星がちらつき始めた夜空へと視線を向けた。
「粗悪なつくりの偽造許可証と大金を使って出国しようとしていたところを発見し、不法入国の疑いでもって検挙したのだ」
「国外逃亡、ですか?」
緊張に掠れたハロルドの声を耳に入れ、エイリアスは頷く。
「よほど慌てていたのだろうな。
まともな出国許可証はおろか、用意した偽造許可証も粗悪な代物だった」
「何故、そんなに慌てて――」
と、言いかけて。
「?」
近づいてくる荒々しい足音に、ハロルドが視線を扉へと向けたのとほぼ同時に、勢い良く音を立てて扉が開いた。
「それはだな!」
「く、クライウォン総団長?」
「……なんだ。来たのか、アルゼイン」
夜景に反射する窓ガラスに背を預け、エイリアスは気だるさと鋭さが見え隠れする視線を向ける。
「扱っていた魔具が何者かに盗まれたからだ!
やつはそれが暴走して自分に足が着く前に、逃げおおせようと必死だったようだな!」
「うわっ!」
勢い良く開かれた扉の向こうから断り無く流し込まれる怒声に、ハロルドは悲鳴を上げた。
上気した白い肌に怒りを立ち上らせる男、騎士団を統轄する総団長アルゼイン・クライウォンは、慌てて背筋を正し敬礼をするハロルドを水色の両眼で一瞥して、すぐに窓辺に立つエイリアスに視線を向けた。
「エイリアス!
話の途中でフラフラといなくなったと思えば、こんなところで油をうりおって!
暇なら貴様も、奴がばらした取引相手から魔具を確保して来んか!」
「それについては、動ける団員に既に通知してあるではないか。
今現在、頭を抱えなければならない問題は、行方のつかめていない魔具のことだろう?」
「そんな事は貴様にわざわざ言われんでも、わかっている!
それと――」
部屋中に響き渡る怒声に敬礼したまま凍りつくハロルドを通り過ぎ、平然とした様子を崩さないエイリアスに茶色の髪を猫のように逆立てて詰め寄るアルゼインは、沸騰した思考に荒く息をつきながら、さらに叫ぶ。
「私は、話の途中で席を外した理由を聞いきたいのだが!」
直属の部下である総副団長エイリアス・レラゼの飄々とした灰色の両眼を睨み上げ、アルゼインは呻く。
「どいつもこいつも毎度の事ながら勝手に動き回って、かけんでもいい迷惑をかけてくれる!」
「我が騎士団始まって以来の問題児の素行を確かめに来たまでだ」
詰め寄った勢いのまま胸倉を掴み上げるアルゼインの青い瞳を見下ろし、エイリアスは淡々と言った。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だが?」
生まれでてから二十年をもって成人とみなすこの王国で、立派な成人として既に認められている二人をさして「問題児」と示すエイリアスにハロルドは苦笑をこぼした。
……が、アルゼインにちらりと睨まれすぐに表情を引き締める。
「いわゆる、ジンクスというやつか?」
「――は? 寝ぼけているのか?」
「俺がそんなやわな男だと思われているとは、心外だな」
ふっと、細い目をさらに狭めて軽く微笑み、硬直しているアルゼインの手を外す。
「類は友を呼ぶと、先人たちは我らに偉大なる言葉を残してくれたものだ……」
「寝ぼけているんだろう? そうだろう?
素直にそうだと言え! 一週間ぐらいは、暇をくれてやってもいいさ! 休め!」
ぎりぎりと奥歯を噛んで、アルゼインは年上の部下に唾を飛ばす。
「そういきり立つな、アルゼイン。総団長とあろうものが、見苦しい」
「誰のせいだとっ……むぐ」
喉を嗄れさせてまで怒鳴り続けるアルゼインの口を、滑らかな生地の手袋に包まれた掌でふさぎ、続ける。
「問題児は問題をひきつける。
つまりは、そういうことだ。なあ、ハロルド?」
「はあ?」
同意を求めるような視線にとりあえず頷くが、彼の言葉の全てをハロルドは理解することもできず。
まるで「裏切ったな」とでも言っていそうなアルゼインの眼光に、苦笑をかえしつつ内心で冷や汗を滲ませるばかりだ。
「この時間になっても戻っていないところをみると、リーディアはディルにつかまって飲みにでも連れまわされているのだろうな。
グランドでいくら三食ありつけると言っても、さすがにアルコールの類までは取れまい」
「だからどうした?」
視線に絡む白髪交じりの前髪を払いのけながら、エイリアスは呆然と見上げてくるアルゼインの視線に答えるよう、すこし硬い声音で言った。
「ディルの代わりに目を通していた分隊の報告書に、興味深いものが一つあってな」
「興味深いものだと?」
不満げな表情を読み取って、やれやれとエイリアスは肩をすくめる。
「推測でしかないがな」
「前置きはいい。言ってみろ」
厳しい表情を貼り付けたまま催促するように顎をしゃくるアルゼインに、エイリアスは含んだ笑みを浮かべて言った。
「魔具が盗まれたという時期と前後して、奴の店の周辺の酒場で奇妙な事件が起こっている」
緊張に凍る空気の中、淡々と言い放つエイリアスの背後には青白く輝く月が一つ浮かび、広大な王国の輪郭を淡く照らし出している。
「嫌な予感がしてきたぞ」
予測……というよりは条件反射的に浮かんでくる予感に、アルゼインは頭を抱えた。
「まあ、つまり厄介ごとは追わずとも向こうからやってくるという事だ」
どこか確信めいたその笑みは、不吉以外の何ものでもない。




