大人って、重いなぁ
――おっとっと、思わず心の黒アルバムを広げちゃったぜ。
クノイチは頭を振って、ガードレールから飛び降りる。太陽はかんかんに照りつけ、むしむしした暑さが地面からむあっと湧き出ている。――六月でもうこんなにあちぃんだから、夏休みになったら百度はいっちまうね。なーんて思ってるところで、ちゃーんす。
クノイチはこちらに向かって歩いてくる二人の女子をロックオンする。二人同時にロックオンなんて、おれってスゲー、と自画自賛するクノイチ。
接近してくるにつれ、二人の女子が中学生ぐらいとわかってくる。頭の中でキメ台詞を乏しい語彙力の限りを尽くして構築する。――ぎひひ、カンペキすぎるぜ。今だーっ。
「ヘイヘイ、オネーチャンたち、おれが泊まってるホテルに遊びに来ないかい? ゴージャスで有名人御用達、キングサイズのベッドもあるぜい」
――泊まるとこはどこだってホテルだよきっと。ベッドだっておれの体の大きさじゃキングサイズなのだ。有名人は……おっぱい大きいし春日井ちゃんならきっと何かで有名だと思うよ。
「はぁ?」「なーにこの子ーっ。ぎゃははははっ!」
酷いリアクションを頂戴してしまった。一人は呆れ、もう一人はクノイチの言葉で笑いその姿を見てまた笑う。呆れてるほうの女子が「阿呆」とこの暑さも吹き飛ぶほどの冷ややかさでもって言い放ち、二人はクノイチを通りすぎていく。
――あ、あはははー。まあいつものこといつものこといつものこと。いーつーもーのーこーとぅ……俺って、阿呆? 大人じゃなくて、阿呆?
クノイチは何かがポキリと折れたような音を聞く。それは頭の中で残響となってクノイチの骨に響くように広がっていく。――どうして……駄目なんだろ。
「おはー、クノイチ」
後ろから声をかけられ振り向くと、滝川がいる。手を団扇代わりにぱたぱたしている。
「おははははは……」
――おははははー。もういーやーだーよー。
「どうしたんクノイチ、ナンパしくったぐらいで気落とすなって。何度もナンパしていくうちにきっと成功するよ」
――みーらーれーてーとぅわー。
頭をぽんぽんと優しく叩かれる。少し、気分が落ち着いてくる。――そうだよな、きっとそのうち成功する……かな。
「うん……そうだな。うん、そうだそうだ」
「そうだそうだそうなのだ」
――だよな。おれまだ十一歳だし、これからまたたくさんのオネーチャンたちに声かけりゃいいさっ。
「うん、俺もよくわかんないけどそう思うのだ」
――うっし、じゃあ場所変えてみよっ。商店街のほうにでも行ってみっか。いやあそこはおばちゃんが多いなぁ。駅のほうならもしかしたら! やべーちょっと楽しくなってきた! おれが大人になる日も近いぞっ。
「大人はスゲーよなー。ナンパなんか簡単に成功させちゃうんだもん」
クノイチが何気なくそう言うと、滝川はそれをあっさりと否定する。
「んー、それは違うぞクノイチ。大人だからってナンパが上手いとは限らないよ」
「えっ――」
「大人の中にだってナンパの上手いヤツもいれば下手なヤツだっているよ。ナンパすらしたこともないヤツだっているよん」
――なんだそれ。じゃあ大人になるにはどうしたらいいんだ? 鉄平と銅平は大人じゃないってこと? でもナンパして成功すれば大人なんじゃないの? あれれれ? ……もう、わけわかんね。
「……じゃあ、大人って何?」
「クノイチ?」
「大人って何なの? ねえクリスタル姉、教えてよっ!」
――知りたい。大人になる方法を。
クノイチはまるで滝川の中にその方法があるかの如く、滝川を見つめる。視界がプールの中みたいにぷるぷるしてくる。
水面の向こう側の滝川は、よくわからないけど黙考したまま石化状態である。春日井といい滝川といい、大人はよく石になるよな、とクノイチは思ったり。でも滝川の石化状態はなかなか元に戻らない。目の焦点が合っていなさそうな眼球が、思い出したようにぱちりと瞬きをする程度だ。
「クリスタル姉、大人ってどうすりゃなれるの!」
クノイチが叫ぶと、滝川の石化状態が解ける。
「……わかんないっちゃ」
滝川は苦笑いしながら言う。
「えっ!? だってクリスタル姉、大人なんだろ!?」
「たぶん」
「えーなんだよそれー、意味わかんねー」
「あたしだって意味わかんねーよ」
「なんだそりゃ」
「まあ、わかったら教えてやるぜい」
――なんだそれ? どうやって大人になるかわからないのにどうして大人になっちゃってんだよー。ていうかそもそもクリスタル姉は大人なのかなぁ……。
色々な考えが去来するけど、ひとまず大人になる方法を教えてもらえる約束をしたんだから、よしとしよー、とクノイチは納得、することにする。――本当はあんまりナットクしてないけどな!
「……約束だぞ」
「女に二言はない」
――それって男じゃなかったっけ?
「はぁ……」
「いっちょまえに溜息なんかついて、一億年早いぞ少年」
「クリスタル姉のせいだ」
「あたしのことはクリステルと呼びな」
「クリステル姉のせいだ」
――クリスタルのほうがいいと思うけどなぁ。
「もう、しゃあないなー」
滝川は「やれやれ」と言いながら、ズボンのお尻のポケットから茶色い革の本を取り出す。――何の本だろ。
「クノイチ、お前にこれを授けよう」
滝川がそれをクノイチに差し出す。わけもわからずそれを受け取ると、思いのほか重いことに、クノイチはびっくりする。
「お? ……こ、これは!?」
「ふふふ、驚いたか」
「これ、何?」
「……」
滝川が言うには、それは手帳というもので、大人はみんな使っているという。かなり高いんだぞ、とあとから付け加えていた。――そういえばクラスの女子が手帳使って予定とか日記を書いてたなぁ。でもこれは女子が使ってんのとは全然違う。
クノイチは手帳の重さからそう判断する。女子が使っているのはキャラクターの絵だとかピンクや黄色のテカテカした感じだけど、滝川がくれたものは馬を撫でているようなさわり心地で、まるで手帳そのものが生きているみたいだ。
クノイチは思った。――大人って、重いなぁ。




