006「こんなにたくさんの素敵なお洋服をありがとうございます」
朝、目が覚めると視界に飛び込んできたのは大量の布だった。
「な、なにこれ」
布と言っても、その辺りにばらまかれている訳ではない。物干し竿のような長い棒が部屋の端から端にかけられ、そこにズラリと綺麗な洋服がかかっている。では、何故それを洋服といわず布と表現したのかといえば、それがあまりにも大量だったからだ。
ここは服屋だっただろうかと行った事もない服屋へと思いを馳せる。
加えて、私が思っている洋服とは、多少のレースやフリルがついていたとしてもシンプルでかつ動きやすいものだった。しかし、ここにあるものは、フリルやレースどころではない。これはもう洋服ではなく、アクセサリーと言っても過言ではない。この洋服にはキラキラと輝く何かが縫い付けられているからだ。これがただのスパンコールであれば、私の心はどれだけ穏やかだっただろう。ただし、これがスパンコールでない事は一目に分かるほど輝いていた。
「なんでこんなにたくさん、ここに?」
寝起きに見るものとしてはあまりにも酷いのではないだろうか。勿論この洋服を否定している訳ではなく、ただ、信じられないだけだ。
この中から1着だけ選べば良いのだろうか。まさか、ここにあるもの全て私のものという事はないだろう。そして更に恐ろしいのは、霙と白鴎が端の方で更に箱から服を引っ張り出し、ハンガーにかけている光景だ。まだあるのか、と遠い目をしそうになった。
「あの、」
今度こそ話しかけるという意図をもって、大きな声で霙と白鴎の方に向かって話しかける。
「ああ、起きたんだね」
手に持っていた服を掛け終わった白鴎が、私の方にやってくる。ただし、箱はまだ大量にある。
「おはようございます。あのこの服は」
「おはよう。この服? 彩月が作ったやつだよ」
「え?」
彩月が作ったやつという言葉に疑問を抱きながら首を傾げる。彩月からの洋服はすでにもらっている。おかげで洋服を着まわせるようになっていた。
「えっと、どうして」
数えるのも恐ろしいこの服達。この中から一着を選ぶという希望を胸に抱きながら、全てが自分のものだという図々しい思いを端に捨てる。
「聖女様は服をたった数枚しか持っていないだろう? 普段着ならいくらあっても困る事はない」
この話し方からすると、何やら恐ろしい方向へと話が向かっていきそうな気がした。
「……もしかして、これ全部?」
「勿論だ」
恐ろしい考えを口に出してみたけれど、霙から返ってきたのは当然とでもいうような肯定だった。
「……」
あまりの事に思わず絶句してしまう。この洋服全てだとすると、それは私が最後に向こうで持っていた洋服の数よりも多いかもしれない。「かもしれない」というよりも、間違いなく多い。これほどまでに沢山の服を着ようと思えば一体どれ程かかるのだろうか。
しかし、それほどまでに時間が経ってしまったら、私の体のサイズも変わり、この洋服達も着る事が出来なくなってしまう。洋服はボロボロになるまでは着る事が出来る。それにもかかわらず、この量の洋服というのは本当にもったいないとしか言いようがない。
ベッドから降り、霙や白鴎の元に行く。
「……」
2人の傍に行くまでに大量の洋服を目にする事が出来たが、ざっと見た所、ただひとつも同じ洋服は無かったように思う。一体彩月は何者なのだろうかと言いたくなるほど種類が豊富だ。この短時間でこんなにも沢山のデザインが出来るものなのだろうか。いや、デザインならまだしも、それを作るとなるといったいどれほどの時間がかかったのだろうか。採寸をしてから数日しか経っていないにも関わらず、たくさんの洋服を作ったという事は、彩月の腕がそれほどまでに良いという事だろうか。それとも彩月以外の服飾士が他にもいるという事だろうか。将又、そういった機械があるのだろうか。私ではどの考えが正しいのかは分からないが、とりあえず、「すごい」という事だけ分かった。
「靴もあるぞ」
「リボンとかもあるね」
霙や白鴎の近くにある箱の中身をのぞき込んでみると、そこには大量のリボンが敷き詰められていた。そしてまた別の箱を覗き見ると、綺麗な靴が何足も入っていた。恐らくリボンは髪に結ぶものだろう。靴に関してはヒールが1足もなかった事から、私の年齢・体格をよく分かっている。以前ならばヒールを履く事が出来たかもしれないが、今のこの体では絶対無理だ。どちらかというとブーツのような靴が多い。今が寒い季節だからだろうか。
1着ずつ確認するのは大変だが、それでも好奇心は抑えられない。霙と白鴎がいる方向から反対側の方へ順番に洋服を見ていく。彩月が採寸の時に言っていたように、みーのようにふわふわした生地の洋服もあった。洋服というよりも着ぐるみと言っていいかもしれない。元の年齢では恥ずかしくて着る事も出来なかっただろうが、今ならば小さいし着る事も可能だ。むしろ今しか着る事は出来ないだろう。スパンコールだったら良いなと望んでいたキラキラが付いた洋服は、間違いなく宝石のようだった。望むべくはこれが本物ではなく、偽物だという事だ。普段ならば本物を探し求める所だが、今回ばかりは偽物がいい。本物がこんなに無造作に洋服についているなんて怖すぎる。洋服は全体的に白が多いような気はするが、それでもカラフルだ。
内心ワクワクする気持ちを抑える事は出来ない。恐れ多いと思いつつも、自分のものという目の前の洋服たちを見て感動しない訳ではない。今、目の前にある素敵な洋服たちは『私のもの』なのだ。他の誰のものでもない。他の誰とも共有しない。正真正銘、私だけのものなのだ。
「聖女様、起きたのですね。おはようございます」
彩月が腕に大きな箱を抱えながら部屋の中に入ってくる。恐らくだけれど、あの中にもまた私の為のものが入っているのだろう。正直もう十分という気持ちが湧かないでもないが、彩月の楽しそうな顔を見ると何も言えなくなってしまう。
「おはようございます。こんなにたくさんの素敵なお洋服をありがとうございます」
ものすごく今更なのだけれど、この部屋に荷物を持ち込んだりハンガーにかけてくれている間もずっと爆睡をかましていたという事だろうか。多少の物音を立てれば今までは起きていたというのに、ここまで気付かないなんて私は一体どれほど深い眠りに落ちていたのだろうか。
「どういたしまして」
こんなに沢山の洋服は恐れ多いけれど、せっかく私のために作ってくれたものを拒否するなんて事は物凄く失礼にあたるのではないか。そう思って、私は喜んで受け取る事にする。私が受け取らなければ、この洋服達はどうなってしまうのだろうか。そう考えるととても恐ろしい。それに、今見ただけでもこの洋服の中に首元がぎゅっと詰まっているものはない。ネックレスだって、チョーカーだってない。彩月は私の言葉を覚えていてくれたのだ。
それがどれほど嬉しく心強いか、きっと彩月は分からないだろう。
「今回はたったこれだけしか作れませんでしたが、まだまだたくさんデザインをしていますから作ってきますね」
彩月の言葉に数カ所疑問を抱く点もあったが、気にしない方が良いと思う。どうやら私と彩月の数に対しての知識には大きな差異があるようだ。
「この洋服はいかがですか?」
彩月が手に持っていた箱を開けて見せてくれた洋服は、採寸をした時にデザインを描いてくれていた洋服だ。全体的に真っ白だけれど、差し色に所々緑が使われている。ワンピースのスカートは膝上までになっており、どうやら一緒に、靴下と靴もついてきているみたいだ。
「かわいい」
デザイン通り、首元はぎゅっと詰まっているものではなく、綿がふわふわと敷き詰められている。どう表現したらよいのか、うまく伝える事が難しいけれど、それでも圧迫感はなさそうだ。
「早速ですが、着てみてもらえますか」
「はい」
霙が近くに来てくれていたので、霙に向かって両腕を伸ばすといつも通り服を脱ぐのを手伝ってくれる。そして、彩月が用意してくれていた新しい洋服も頭からかぶるような形だったので、そのまま両手を上げて服の中に頭を突っ込む。
「ぷはっ」
洋服を着てみると思った以上に首元の締め付けがなく、着ていて居心地の悪さも感じない。寧ろ、首元に何もないように感じる。
「大丈夫そうですか?」
「はい」
首元がふわふわして暖かい。まるでマフラーでも巻いているかのようだ。
軽く首元を引っ張ってみるけれど首後ろが引っ張られるような感覚もない。加えて、靴下と靴を履いた所で、着替えが終了した。
「それでは、せっかく着替えたので、今日のお洋服はこれで決まりでよろしいですか?」
「はい」
私の洋服が決まった事で、今度は白鴎が私の手を引き、鏡の前まで連れていく。
「かわいい洋服を着たんだから可愛い髪型にしないとね」
なるほど。白鴎の考え方は素敵だ。
「今日はどんな髪型にしようかな。彩月、何か希望はある?」
「……そうだな。編み込みからのツインテールだな」
「了解」
なんだか最近2つ結びが多いような気がする。髪型に全くこだわりはないから全然構わないのだけれど。白鴎がまず私の髪の毛を櫛でといていく。ここに来てからというもの、私の髪質はものすごく変わったように思う。まだこの世界に来てたった数日だというのに、私の髪の毛は真っ直ぐなストレートに戻った。まるで魔法のようだった。水の成分か、シャンプーなどの性能なのか分からないけれど、どちらにしろ、綺麗な髪になるなど、思ってもみなかった。綺麗になってからというもの、髪をくくってもらうという事がとても楽しみに思えてきた。
髪を櫛でとかれるというのはとても気持ちがよい事だと思う。髪の毛がサラサラだと絡まる事もないから、もっと気持ちがいい。思わず頭が後ろに倒れてしまいそうな程気持ちよかった。
「聖女様の髪は綺麗だね」
「……ありがとうございます」
髪が綺麗になったのは、この世界に来てからだから、厳密に言えば、私のお世話をしてくれている2人のおかげのような気がする。そう思うと、今の言葉を素直に受け取る事が出来ない。というよりも、私がお礼を言うべきのような気がしてきた。
「はい、出来たよ」
日に日に白鴎の私の髪の毛を結ぶスピードが速くなってきている気がする。もともと器用だったのもあるのだろうけれど、私の髪の毛を結ぶ事に慣れてきているみたいだ。
私の長い髪の毛がツインテールになっている為、少し首を振るとその髪まで左右に揺れる。自分の動きに合わせて髪が遅れて付いてくるのが不思議だった。
「あとはこれですが」
彩月が箱を私に渡す。大きさの割には、思ったより重くない。1人で簡単に持つ事は出来るけれど、抱えたままだとどうしても蓋が開きにくい。
「これは?」
「ぜひ、開けてみてください」
とりあえず箱を床に置く。戸惑いつつもその箱を開けていく。蓋を開けるのは少し固かったけれど、彩月に手伝ってくれそうな雰囲気がなかったので頑張って自分で開けてみる。
「ふぅ」
やっと開いた。カポっという心地よい音が響き、箱の蓋が開く。中から出てきたのはこれまた大量の布だった。
「?」
どうしてこれをわざわざ私が開けるように促したのだろうか。洋服ならもう既にたくさん出ている。それとも、この洋服は他の洋服と比べて特別なものだったのだろうか。チラリと彩月を見ると頷きが返ってきたので、箱の中の洋服を1つ手に取ってみる。私が最初に手に取ったのは、白と緑色の服だった。
「……!」
その洋服を手にとってみて、すぐに気付く。その洋服は私が着るにはあまりにも小さすぎる。私の頭ぐらいの大きさしかない。では、誰が着るのか。考えられる選択肢は、1つしかなかった。
「みーのお洋服、ですか?」
これしかないだろう。彩月を見ると満足そうな頷きが返ってきたので、間違いない。
「これ、みーに着せてもいいんですか?」
「ええ、勿論」
なんという事だろう。彩月は私の服だけではなく、みーの服も作ってくれていた。私が今着ている洋服と全く同じ作りだ。あまりにも細かすぎてどうやって作ったのか分からないほどだ。短時間でこんなにたくさんの洋服を作るというのは、彩月にしか出来ない事なのだろう。
「あの、ありがとうございます」
今度こそ彩月にお礼を言い、ベッドに寝かせていたみーの元へと駆け寄る。まだ何もまとっていないみーに私とおそろいの洋服を着せる事に迷いはなかった。
「かんわいい!」
みーに洋服を着せ、そのみーを抱きかかえて彩月の方に向かっていくと、完全に仕事モードが終わってしまったのか、素に戻った彩月が両手を広げて私を抱きしめる。ドキリとしたけれど、特に痛くもなかったから、なすがままに身を任せる。ただ少し苦しい。けれど、息が出来ないほどではないから動かずにじっとそのままでいる。
どうやら彩月は私とみーの姿に満足してくれたみたいだ。服を作ったのに、似合わなかった、なんという事態が起こらなくて安心した。
「はぁ、可愛すぎる。もって帰りたい」
もう少し抱きしめられているものかと思ったけれど、霙と白鴎に頭を叩かれた彩月はあっさりと私の事を放した。
持って帰るとは一体どこにだろうか。彩月の家かそれとも仕事場か。どちらにしろ、多分、持って帰られたら困る。
「持って帰ったらもっと想像力が湧くと思うのに」
なるほど、と理由に納得した。日中なら良いよ、暇だからと許可を出しそうになった。
それから完全に仕事モードが終わった彩月と少し話をしたり、私の姿を見ながらデザインを書いたりして、彩月は帰っていった。
「この服達は霙と白鴎がクローゼットに入れておくので、また明日から好きなものを着てください」
と言い残して。私も手伝いますと言いたい所だけど、邪魔にしかならないから大人しくソファに座って待っている事にした。元々ハンガーにかけていた事から、すぐに終わりそうだ。靴も丁寧に並べていてくれるし、リボンだって、種類ごとに分けて箱に入れ直してくれた。
私はというと、何もしていないのに、なんだか疲れてしまった。冷静になると普通の洋服ならまだしも、こんなドレスのような洋服がたくさんあるのだから一体どれほどのお金が注ぎ込まれているのだろうか。考えるだけでも恐ろしい。日本ではこんな洋服は1着持っていれば十分だ。いや、1着も持っていない人の方が多いのではないだろうか。
「洋服の片付けは後でするとして、先にご飯だな」
窓の外を見ると、太陽はすっかり真上まで来ていた。服の片付けは終わってるようには見えるけれど、霙の言葉からするとまだ終わっていないのかもしれない。
「ん、じゃあ、もらってくるよ」
「頼む」
たまには自分でご飯を取り行ってみたい。調理場という所に興味がある。でも、きっと邪魔になるだろう。
いつか、この先もし仮に出会う場面があるようならば、料理を作ってくれている人にも挨拶したい。確か緑弥という名前だった気がする。
「あ、そうそう」
出ていこうとした白鴎が急に止まって振り向く。
「?」
何か言い忘れた事でもあったのかな?
「今日は一緒にご飯食べてもいい?」
「!」
白鴎の言葉が私の頭の中で何度も巡る。不思議と手が震え、心臓が速まった。
一緒に食べる。それはとても
「素敵な事!」
2人が私と一緒にご飯食べるなど、初めての事だった。昨日は一緒にクッキーを食べてくれたけれど、今回はご飯だ。長い時間一緒にいてくれる。
「本当に、一緒ですか? 2人も食べてくれるの?」
「ああ」
霙からも、確信の言葉を引き出す事が出来た。
「じゃ、今度こそ行ってくるね」
白鴎は今度こそ振り返ってドアを出ていった。
どうしよう。落ち着かない。誰かと一緒にご飯なんて本当に久しぶりだ。楽しみなのだけれど、なんだか緊張してきた。嬉しいはずなのに、少し怖い。
なんだか今日は一段と天気がいい。
「おまたせ」
白鴎が3人分の料理を持ってきてくれた。いつもは私1人分だから、トレイで持ってくる事が出来ていたけれど、今回は3人分という事で、ワゴンで持ってきた。
「……」
それにしても、ワゴンに乗っている食事量があからさまに多いような気がする。私基準でいくと、10人前以上あるのではなかろうか。一緒に食べるのは霙と白鴎だけだと思っていたのだが。
他の人も一緒に食べるなど聞いてない。績や彩月ならまだ良い。けれども、これを食べ切ろうと思えば、知らない人も来るという事だ。絶対耐えられないし、緊張しすぎて食事など入る訳がない。
いやでも、まだ希望はある。きっと、ご飯にかぶせている蓋のようなものが大きいだけで、きっと中に入っているご飯は、少ないのだろう。だから、これはきっと間違いなく3人分だ。
それでも念のため聞いてみる。
「あの、ここでご飯食べるのって2人だけですよね?」
「ああ、そうだ」
確信の言葉は得られた。だが、3人前にしては多すぎる。先程の自身の希望を思い返して、そして、否定した。
2人が一緒に食事を机の上に置き、被せてあった蓋を取る。まず、蓋を取ったのは私の目の前にあったご飯だ。どうやら今日の私のメニューはグラタンのようだ。しかもバゲットとサラダまでついている。なんだかほっこりするメニューだ。
「!」
美味しそうと涎を垂らしそうになっていた所で、霙と白鴎はそれぞれ彼ら自身のものだろうという食事の蓋を取った。あまりにも、大きな蓋を。
中身は私と同じメニューだ。同じ。彼らはこれを食べきる事が出来るのだろうか。むしろこれが数人分と言われた方がよっぽど納得できる。やはり蓋だけが大きくて、料理が少ないなんて事はあり得なかったのだ。だが、そちらの方がよっぽど信憑性はある。だってこんな量1人でお腹の中に収められるはずがないから。
丸いテーブルに3人で3方向から座る。
「じゃあ、食べようか」
白鴎はそんな私の驚きにも気付かずスプーンを手に取った。
「いただきます」
私も2人にならってスプーンを手に持つ。
「もし足りなければ言ってくれ。おかわりならいくらでもある」
「あ、ありがとうございます」
とてもありがたい言葉だ。だがしかし、私にはおかわりをするようなお腹の容量はない。ないけど、したくなってくる。
「そう言えば」
1口目のグラタンを口に入れた所で、霙が思い出したように呟く。
「一応伝えておく。近々聖女様の披露会が開かれる」
「披露会?」
「ああ、国民に聖女様が現れた事を知らせる為に開く」
へー、としか言いようがない。正直言うと、そういうの苦手。やりたくないと駄々をこねる訳にはいかないし。2人がやらなければいけないというなら、私は従う。
「それって私、何かしないといけないんですか? 長々と言葉を言ったりとか……」
「いや、聖女様はその場にいてくれるだけでいい。言葉は必要ないが、手を振ったりはしてもらうかもな」
「なるほど」
それなら大丈夫だろう。正直に言うと、知らない人の前に出るのはすごく嫌だけれども、手を振るだけならば、私にもこなせるかもしれない。
でも、どうして披露会なんてするのだろう。聖女様ってそんなに重要な存在なのだろうか。私なんかの存在を知らせたってなんの得にもならないというのに。むしろゴロゴロしてるだけの私がこんなに贅沢な暮らしをさせてもらってるという事に、不満を覚えるのではないだろうか。私の生活はあまりにも贅沢だ。
「外国からも大勢来賓を招く事になっている」
外国と言う言葉に心臓が高鳴るけれど、すぐにここはもとの世界ではないのだと心を落ち着かせる。披露会。それまでこの夢は持続され続けるのだろうか。
「披露会は一日を通して行うから、聖女様を疲れさせちゃうかもしれないけれど」
白鴎が申し訳なさそうに私に伝える。それは仕方のない事だ。外国からわざわざ来てくれたのに、たった数時間で終わるのは失礼と言うものだろう。
「どんな事をしますか?」
績と白鴎は視線を合わせ、今度は績が口を開いた。
「まずは、バルコニーからの挨拶。そして、街での打鐘。最後に食事会だな」
これをこなそうと思えば、確かに一日はかかるだろう。
「街には大通りを馬車で行く。その為、多少時間がかかる。国民が聖女様の姿は見られる機会は少ない。聖女様に我慢を強いる事にはなるかもしれないが、国民のためを思って、どうか頼む」
私には縁も所縁もない国民。この国にだって、強い思い入れはない。だけれど。
目の前の績や白鴎を見る。二人にとってこの国は、今まで育ってきた場所。そして、きっと。これからも守っていくべき所だ。
そして、その為に私は。
「がんばり、ます」
彼らは、私を「利用」せざるを得ないのだろう。この国を守る為に。そして、守護者として、私を守る為に。
聖女様というのはとても重要な存在らしい。
思えば私はまだ本当に小さな子どものような姿だし、1人で勝手に外に行く事も出来ないし、そんな勇気もない。そう思えば、他の人と触れ合う事がないのにも納得は出来る。
私がそういうと白鴎はなぜかチラリと窓の方を見た。なんだろうかと思って私も外を見てみるけれど、そこには青々と広がった空しか見えなかった。
「ごめん、なんでもない。それよりもニンジン食べないの?」
白鴎に言われて自分のサラダを見る。話に夢中になっていて食事に手をつけていなかった。
「食べます!」
白鴎が私のサラダの方にフォークを伸ばしたので、思わずサラダのお皿を引き寄せる。そんな私を見て白鴎はクスクスと笑ってフォークを引っ込めたので、私の事をからかっているのだと分かる。白鴎は、実は少し意地悪な人なのだろうか。けれども、優しい事を知っているから大丈夫。
グラタンはまだ熱々で、口に入れると火傷しそうになったけど、私が息を吹きかけていると、霙と白鴎は面白そうに笑っていた。
今日の食事は今まで以上に時間が短く感じた。不思議な事に、おかわりもしたくなった。サラダに入っていた、苦手なトマトも何とか食べられた。
食事の時間が終わるのが、とても寂しかった。
空には、雲1つない。
食事を終え、今日もまた1人でおままごとで遊んでいると、績が入ってきた。
「こんにちは、聖女様」
「こんにちは!」
どうしたんだろう。績が来るなんて珍しい。私は今怪我をした訳でもないし。績はニコニコしていて、なんだか楽しそうだ。裏のある笑顔じゃなくて、なんだかふわふわしている笑顔。怖くない笑顔、とでも言えばいいのかな。績はニコニコと笑いながら、そのまま私の目の前に座った。
「績さん?」
よく見ると、績は大きな手提げを肩にかけている。大きな荷物を持って一体何をしに来たのだろうか。そんな事よりも。
「あのね、今日、霙さんと白鴎さんと一緒にご飯食べました!」
これは大事な事。私にとっては最近でいちばん嬉しくて楽しかった事。
「ああ、そう言えばそろそろ食事をする日でしたね」
「?」
績は私が2人と一緒にご飯を食べると知っていたという事だろうか。霙達が伝えたのだろうか。
「一緒の食事は楽しかったですか?」
「はい!」
楽しかった。他にも沢山言いたい事はあるけれど、一番の感情と言えばそれだろう。績は、それは聞くためだけにここに来てくれたのだろうか。
「ふふ、私はこの間の聖女様とお話したものを持ってきたんですよ」
「お話?」
私は績と何か大事な話をしていただろうか。績との話を思い返せば、自動的に採血の注射針を思い出し、思考を止めた。
「これです」
「!」
績は、持っていた大きな手提げからスケッチブックと色鉛筆を取り出した。
「これ!」
「ええ。聖女様が欲しがっていたものですよ」
私が両手でやっと抱えられるくらいの大きなスケッチブック。色鉛筆はまだ誰も使っていない新品だ。鉛筆削りも付いている。
「……覚えていて、くれたんですか?」
「当然です。聖女様の事ですからね」
嬉しい。私のものだ。私の声を聞いて、私の為に、私の為だけに用意してくれたもの。
「ありがとうございます」
本当に嬉しい。おままごとセットと同じくらい嬉しい。早く今もらったお絵かきセットでお絵かきがしたいけれども、今はおままごとで遊んでいた途中だ。これもまだ遊びたい。
どうしようかと視線をさ迷わせていると績に笑われてしまった。
「それでは、おままごとセットでご飯を作って、それを絵に描くのはどうですか?」
「!」
なるほど、と頷くそれなら両方一緒に遊べる。
「そうします!」
さっそく皿の上に大好きなものを載せる。おにぎりと、卵焼きと、小さく丸いハンバーグも乗せて。トマトは避けて。キュウリとニンジンは忘れられない。
「よし」
美味しそうなプレートが出来た所で、早速スケッチブックを開き、色鉛筆の蓋を開ける。スケッチブックはたくさん描くページがあるけれど、今日は記念すべき一ページ目だ。
角度はどうしようか。真正面から書こうか、それとも斜めからにしようか。さんざん考えた挙句。今日の所は正面から描こう、と決めた。
最初は黒色の色鉛筆かな。それで全体の絵を描いてから色塗り。
黒の色鉛筆を持ってまずは大きな灰色がかっている皿を描く。光が反射している事を考えたら、もっと白色が強いかもしれない。
「それでは、気に入っていただけたようですので、私はこれで」
「え、あ!」
績がまだ居てくれている事をすっかり忘れて夢中になってしまった。ハッとして慌てて色鉛筆を置く。
「ごめんなさい。績さん、本当に嬉しかったです。ありがとうございました」
「こんなに喜んで貰えるなんて、贈った甲斐があるというものです」
だって、本当に嬉しかったんだもの。何より私の言葉を覚えてくれていたという事がとても嬉しい。
「それではこれで失礼しますね」
「はい、本当にありがとうございました」
私がお礼を言うと、績は微笑みながら1つ頷いて、扉の外に出ていった。この世界の人はどうしてこんなにも優しくて温かい人達ばかりなんだろう。私はここで一生分の幸せを使い果たす事が出来そうだ。
色鉛筆の苦手な所は書いたら消しにくい所だ。今回は消しゴムのようなものを貰っていないから消す事は不可能だ。だから間違えたら何とかごまかすしかない。
いま、無性に鉛筆が欲しい気分だ。
まずは大きな皿を描く。皿は真ん丸なようでいて、横から見ると、楕円のような形だ。
「……こうかな」
本物と見比べても問題ないのではないだろうか。次は上に乗っている食材を順番に描いていこう。まずは奥の方にあるおにぎり。白がないかわりに薄い肌色で輪郭を描く。ただの三角だけれど、まあいいだろう。次は卵焼きとハンバーグ。卵焼きは黄色い長四角。ハンバーグは茶色。ぐるぐると丸いハンバーグを描く。
「まぁるいまぁるいはんばあぐぅ」
あとはキュウリとニンジン。キュウリは緑、それとも黄緑だろうか。どちらでも良い。一番取りやすい所に緑があるから、緑で描こう。キュウリは切ってあり円い形。三角と円となれば、後は四角が欲しい所だけど、そこは卵焼きが補ってくれるだろう。人参も切ってあるから円い形。色とりどりのお弁当だ。
次は何をしようか。取り敢えず一番手前にあるニンジンとキュウリから色をつけようか。一番好きなニンジンから。
ニンジンは外は綺麗なオレンジだけれど、真ん中は黄色い。最初は黄色で薄く塗って、上から中心を裂けて濃い黄色を重ねる。
ニンジンの色とは程遠い。私には絵の才能がなかった。
だけど、ものすごく、楽しい。
自分が好きなように色を塗れるのは、何だか楽しい。
次は薄いオレンジ色で全体を塗ってみる。少しだけ、ニンジンらしくなった。今度描く時にはきっと今日よりも上手になっているはずだ。更に上から濃いオレンジ色を重ねるともう完璧ニンジン。という事にしておこう。
ニンジンが終わったのならば次はキュウリだ。全体的に、断面は薄い緑だ。端の輪郭部分は紛れもない緑色だ。真ん中に薄い緑を重ねながら、輪郭の濃い緑に色を塗っていく。遠くから見たらキュウリの断面と分からない事もないだろう。
ハンバーグと卵焼き。これは実際に食べた時に美味しかったという理由で入れたが、色を塗るのはとてつもなく難しい。
最初は卵焼きにしよう。全体に薄く黄色。焦げている所を茶色で薄くなぞろう。白身は白いからそこだけ残して黄色をぬっていく。巻き目の所に茶色で線を引っ張っていくと、卵焼きだときっと分かるだろう。
今は全体的に薄く色を塗っただけだ。今度は濃く色を塗っていく。
けれども、今日はなんだか疲れた。後は明日にしよう。
きっと、私は今日貰ったものを忘れないだろう。例え、元の世界に帰る時が来ようと、どこか遠くに行く事になろうと、私はきっと、それをいつまでも――――。
相変わらず空は青かった。




