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黒いモノクロな世界と白いカラフルな世界 長文版  作者: ちぇしゃ


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26/26

025「毎日できることをしたいの」

 目を開けると、太陽が一番上にあった。夕方ではないようだが今日もしっかりと寝坊した様だ。


「……」


 正直皆と顔合わせ辛い。昨日の私はどうかしていた。あんなに感情を出すなんて久しぶりだった。おかげで私の心にこびりついていた恐怖も解けた気がする。


 私はこの世界にいられる。私がこの世界にいたいと望む限りはこの世界にいられる。神様は私の味方だ。


 確証はないそれを心臓に刻み込む。


 けれど私がこの世界にいたくないと望めば私はこの世界から消えるのだろう。自分がそのような事を思うかは分からないが、私があの世界にいたくないと望んでしまったからこそ、今この世界にいるのだろう。


 黒い世界はいつだって、白と灰色と黒しかない。他にもたくさんの色があったような気がするが、私が思い出せるのはその3色だけだ。

 でもこの白い世界は色で溢れている。人の顔にも髪にも目にも建物にも花にも生き物にも色がある。言葉や感情にだって色がある。

 こんなにも全てのものに色がありふれた世界はきっとここだけだ。

  

 窓を開けて空を見ると、躑躅色と真赭のトンボが、仲良く空高く飛んでいた。


「今日も寒いね……」


 だんだんと冷たくなる空気に、少し体が震えた。もうしばらく経てば外に出るのも難しいほど寒くなるのだろう。

布団が手放せない時期になりそうだ。キッチンから飴の瓶を取り出し、一粒口に入れる。


「今日は何をしようか」


 何をしても良いのだ。私がしたい事をしてもいい。私は聖女だから。ここにいるだけで良い。ここにいられるなら、好きに生きていい。

 

「お絵かき、しよう」


 スケッチブックと色鉛筆を取り出し、窓辺に向かう。


「トンボさん、いなくなっちゃった」


 けれども覚えている。水色の空を飛ぶトンボの羽は、秘色。親トンボの体は躑躅色。子トンボの体は真赭。目は浅緋。

 それらを全て色鉛筆で表現する技術は私にはないけれど、私の記憶には残っている。すぐに忘れたりなんかしない。


「空は水色」


 白と黄緑と水色を混ぜた空を作る。


「今日の空はいつもより少し薄いね」


 寒くなってきた時期でトンボも飛びやすいのだろう。きっともうすぐしたら寒くて飛ばなくなってしまう。

 

「でも雲はない」


 きっと今日は雨も降らない。


「体はピンクと赤」


 きっとあの小さなトンボは、大きくなったら親トンボと同じような色になるのだろう。もしくはもう一匹の親トンボと同じ色をしているのかもしれない。それか2匹のトンボの色を絵の具と同じように中和してあの色になったのかもしれない。色というのは不思議だ。親の色がそのまま遺伝する訳ではないのだから。青い目や金色の髪をした親から黒目や黒髪の子どもが生まれる事もある。


「目は白と赤……」


 茜色ではないトンボはそういう種類なのだろう。

  

「でーきた」


 輝く空には太陽のみが滞在している。鳥も雲もいない。恐らく太陽の光に疲れてどこかで休んでいるのだろう。


 口の中の飴はすっかりなくなった。




 


 書き終わったスケッチブックを片付けた所でふと鏡が目に入った。

 

「……」


 鏡の前にある椅子にそっと座る。映っているのは、黒い眉上の前髪と腰まである長い髪を垂れ流している少女だ。普段と何ら変わりはない。


「……」


 そっと口角を上げてみる。


「……ほんとだ」


 驚くほど上がらずに横棒のように顔に添えられている唇。両端が下に下がる事はあれど上に上がる事はない。


「全然、笑えてないじゃん……」


 楽しい事を思い出しても、笑い声は出るのに口角が上がらない。


「どうやって笑うんだっけ」


 長い間笑うという経験をしてこなかった。笑い方が分からない。


「人形みたい」


 自分ではない誰かの意思によって動かされる退屈な人形。まるでそれを鏡越しで見ているかのようだった。どうせ人形ならば笑った状態で顔を作ってくれれば良かったのに。




 


「入るぞ」


 鏡とにらめっこしていると、ノックもなしに南葵が入ってきた。


「どうしたの?」

「飯」


 南葵の手にはお盆が乗っていた。


「ご飯食べる!」


 ご飯が目の前にあると分かった途端、気にしてなかったお腹の虫が鳴り始める。


「昨日あんだけ食ったのによく入るな。燃費悪そうだな」

「それ、この間お兄ちゃんにも言われた」


 机の上に南葵がお盆を置いてくれる。鏡の前の椅子から飛び降りご飯の前に座ると、南葵が蓋を外してくれる。


「おにぎり!」


 蓋の中から出てきたのはお子様ランチのようなプレートだ。おにぎりにスパゲッティ、グラタンに小さなハンバーグとエビフライ。三角の白米に包まれているのは一体何だろうか。中身は食べてからのお楽しみだ。


「いっただきまぁす!」


 真っ白な白米をのりと一緒に齧ると、中から出てきたのはとろりとした卵だった。


「南葵! 中に卵入ってる! とろっとしてる! 卵ご飯みたい!」 

「それうまいよな。俺も好きだ」

「おいしー!」


 南葵は自分が食べる訳でもないのに私が食べているそばに座り私が食べるのを見守ってくれていた。それをいい事に私は食べながら驚いた事や感想を次々と南葵に伝えていく。南葵は嫌な顔する事もなくただ私が食べるのを眺めていた。


「そういえば今日、霙さんと白鴎さんと緑弥さんは?」


 普段であれば、私の食事は霙や白鴎が持ってくる。時折緑弥が直接持ってくるが、なぜ今日は南葵が持ってきたのだろうか。


「皆、城に行ってる」

「お仕事?」

「ああ」


 だから今日は誰もいないのか。起こしに来る霙も白鴎も今日は来なかった。

 

「霙さんと白鴎さんは起こしには来たぞ」 

「そうなの?」

「ああ、まあ起きなかったがな」

「……」


 どうやら私は霙と白鴎が起こしに来たにも関わらずそれを無視して眠り続ける神経の図太さを持っているようだ。

 

「飯食ってしまえ」

「うん」


 今日はスープがなくて良かった。もしスープがあれば私の長い髪はスープに浸かっていた事だろう。この長い髪を切ってしまいたいと思う事はよくあるが、これは私が私である証であった為、本当に切る事はないだろう。けれども今はもう切ってもいいのかもしれない。


「ごちそぉさまでした!」

「ん」


 南葵は、私の部屋に備え付けられていたキッチンで食器を洗う。キッチンは存在していたが、この私の部屋のキッチンは全くと言っていい程活用されていない為、そこで食器を洗うというのに違和感がある。何よりこの部屋に洗剤があった事にも驚いた。


「お片付けありがとぉ」

「どういたしまして」


 本来ならば自分で片付けをしたい所だが、まだ私の背では届かないだろう。

 

「この後の予定は?」


 食器を片付け終えた南葵は、手を拭きながらこちらへと歩いてくる。


 

「ない!」


 暇すぎて暇と遊ぼうかと思っていた所だ。


「なら、散歩がてら俺の仕事場についてくるか?」

「……」


 ここは素直に「行く!」と答えるのが正解なのだろう。けれども考えても見てほしい。彼は方向音痴なのだ。行き慣れた筈の自身の研究室ですら、「場所が変わった」と言って辿り着けないのだ。


「南葵、辿り着けるの?」

「当然だろ? 俺は毎日研究室に行っているからな」

「そうなの?」

「ああ。ここからだとだいたい1時間ぐらいだな」

「……」


 それは迷ったあげくの1時間という事だろうか、それとも迷わないで行った時の1時間だろうか。前者ならば1時間歩けばたどり着くという事になる。けれども後者だった場合一体どれほどの時間がかかるのだろうか。考えるだけで恐ろしい。


「ちなみにその研究室ってどこにあるの?」


 迷わずに歩いて1時間だった場合は、この建物の中にはその研究室はないのかもしれない。いくらこの建物が広いとはいえ1時間も歩き続けなければならないほど遠い訳でもないだろう。


「この建物の中に決まっているだろう」


 そんなに自信満々で言う事ではないと思う。という事は迷ったあげくの1時間という事だろう。1時間でたどり着けるという事に喜べばいいのか悲しめばいいのか。


「ちなみにその研究室ってこの建物のどのあたりにあるの?」

「……どのあたりにあると言われてもなぁ。強いて言えば医務室の近くにある」

「!」

 

 これはいい情報聞けた。大体の場所が分かっているならば私がそこまで案内する事も可能だ。むしろ案内させて欲しい。


「南葵、私医務室の場所わかるよ!」

「本当か?」


 方向音痴の南葵に疑われるのはものすごく心外だ。自分は決して方向に優秀ではないけれど、南葵ほどの方向音痴ではないと自負している。


「績さんの所でしょ? 大丈夫!」


 ちなみに、言ってから気づいたのだが、本当に大丈夫ではないのは、医務室の隣という事自体が間違いだった場合だ。方向音痴だけでなく何をどう間違えたか自分の研究室を績の医務室の近くと間違って認識していなければ良いのだが。さすがにこれは疑いすぎだろうか。

 

「じゃあ、行こうか」

「南葵! 歩く方向が反対!」


 私を信用してくれたのか分からないが、漸く南葵が足を進め始めたかと思えば、進んだ方向はまさかの真逆。いや予想通りと言うべきだろうか。確かにこれならば1時間でたどり着ける方が奇跡というものだろう。今は医務室が近くにあるという南葵の記憶を頼りに進むしかない。





 


「…………」


 疲れた。この散歩の感想はそれに限る。子どもでありながらも、子を持つ母親の心情を理解した。


「南葵、違う。そっちじゃない」

「南葵、何で来た方に戻るの?」

「南葵、何で門の方に出るの」


 最終的には

 

「………………南葵、お願いだから私と手を繋いで私の後をついてきて」


 こう言わざるを得なかった。


 探すのを諦めた。そういった神楽の言動をこの短期間で理解してしまった。


 南葵は神楽よりも少し年下だろうけれど、私よりも年上だ。方向音痴な所は仕方ないとしても、自分が方向音痴という事を理解して慎重に進んでほしい。間違った方に自信を持って進まないでほしい。

 南葵は、私の疲れを察したのか、何も言わずに私の手を取った。


「……」


 南葵が静かになった事で、少し反省した。私自身が、これを散歩と思って歩くのを楽しめれば良かった。南葵自身も言っていたではないか。「散歩に行こう」と。研究室への用事のついでかもしれないが、この迷子を楽しむべきだったのだ。否定してばかりなのも違う気がする。


「……研究室への用事が終わったら、お散歩したい」


 私の罪悪感に気が付いたのか、南葵は私の頭をひと撫でした。 






 


「あっ、あーー!」


 績の医務室に着く前に、他の部屋と違う表札を見つけた。それは、以前緑弥と医務室に向かっていた時に何となく見つけた表札だ。他のシンプルな表札と違い、シャボン玉のような淡いカラフルな表札。以前はよく分からないまま通り過ぎた。けれども今なら分かる。分かりすぎる。


「どうした?」

「あった! あったよ、南葵の研究室!」

「え、あ……、本当だ」


 南葵は目を丸くして研究室を眺めた。この表札は誰がつけたものかはわからないが、迷子になっている南葵が近くまで来たら自分の部屋を見つけられるようにつけたものだろう。

  

 

『ナギの研究室』


  

「ナギって、南葵の事だったんだね」 


 静かな波を思い浮かべる名前は、不思議と心に入り込む。


「どうぞ」


 南葵の部屋には、いかにも研究室というようなフラスコ瓶も魔女のような大釜もありふれる植物も、何もなかった。あるのはひたすら積み重ねられた書籍。


「南葵は本が好きなの?」

「まぁ、これでも研究者だからな」


 研究者というものは、これほどまでに本を読まなければならないのか。紺青に勝色、鉄紺に藤納戸。部屋の至る所に渋い色の背表紙が積み重ねられているせいで、部屋が不思議と暗く感じる。けれども空気は優しい。


「……聖女のご本ばっかり」


 積み重ねられている本の題名は眺めればゆっくりとだが読み取る事が出来る。

 『聖女の奇跡』『聖女の歴史』『浄化された土地』

 聖女に直接関係はあるのか分からないものもあるが、南葵は聖女について調べていたから、きっと何かしらの関連があるのだろう。


 部屋をぐるりと見渡した時に目に入った『方向音痴の特性』『道に迷わない方法』という題名の本は見なかった事にした。


「少し書類を片付けるからそこに座っていろ」


 南葵が指差した端にある椅子に座ると、先ほどよりも全体がよく見渡せる。 


 南葵は私よりもずっと年上なのだろう。けれども私と同じような見た目年齢をしておきながら大人のように研究室を持つという事に違和感がある。恐らく見た目は子どものままだが、中身は私の想像がつかないほど大人なのだろう。


「南葵って、自分の方向音痴、嫌にならないの?」

「……そうだなぁ。前は嫌だったけど、そのお陰で良い事もあったから、今はそこまで嫌じゃない。寧ろ、感謝すらしている」

「……そっかぁ」


 南葵が自分の方向音痴に嫌気をさしていないのならば、彼自身道に迷ったとしてもそれほど気になる事ではないのだろう。むしろ道に迷う事を楽しんでいる雰囲気すらある。


「聖女って、今まで何人くらいいたの?」

「この国は聖女様が初めて。太陽の国も今いる聖女様が初めて。地の国と水の国は2人。魔の国は……、1人だけだ」

「へぇ。思ったより少ないんだ」

「だから、聖女は特別なんだ」


 そこでふと、疑問が湧く。初めて会った時、霙は私があの場所に現れたのは「言い伝え通りだ」と言っていた。という事は、あの場に現れた聖女がいるという事ではないのか。

 

「どうした?」 

「……何でもない」


 考えても私には分からない。霙に直接聞くのが良いだろう。


 研究室の物を勝手に触るのは憚られるが、本ならば良いだろう。目の前の机の一番上に積み重ねられている本を手に取る。『聖女様の導く未来』という、いかにも堅苦しそうなタイトルの表紙をめくる。そこには、タイトルと大きな島のようなものが描かれていた。


「おち、た。……し、まは、セイジョサマの、ち、こら?……からに、よて。ちにお……、りたた?」


 大きな島の下の方に描かれているサブタイトルのようなものは、読めるが意味は理解出来ない。何かの物語のあらすじのようなものだろうか。この世界の人間でない私には、聖女について書かれている書籍がフィクションなのか、ノンフィクションなのか、分からない。


 聖女についてわかる事は少ないと言っていた。だからこそ私も何をすべきかわからない。大体私はいたって普通の人間であるつもりだ。そのような私が聖女としての特別な力を持っているとは限らない。この世界にいるだけでこの世界を救っているだなんて到底信じがたい話だ。 


「どうして聖女はこの世界にいるだけで国を救えるの?」

「……」


 南葵は書類を積み重ねていた手を止め私を見る。恐らくこれだけ聖女について調べている南葵ならば聖女の役割や力についても私以上に知っているだろう。きっと今私以上に私が分からない人はいない。


「……それを知ってどうするんだ」

「……え?」


 予想外の返答に言葉が詰まる。


 南葵の表情にあるのは怒りではなく、恐れや不安、そして期待と悲しみ。入り混じる感情が南葵の無表情を作り出している。


「……知って、」


 知ってどうするのだろうか。例えば自分の中に不思議な力があったとして、私はそれをどうするだろうか。信じられるのか、それとも信じられないか。

 自分の体の中で起こる不思議な事を知りたいと思うのはおかしい事だろうか。それに、今まで、誰も教えてくれなかった。

 

「……あのね今までの話の中で、聖女は浄化の力があるって分かったの。あと、私がいるだけでこの国は平和になるって言ってたから、きっと私がいる事でこの世界の何かを浄化出来ているんだなっていうのわかったの」 


 披露会の時も街で大きな鐘を鳴らした。あの時、浄化の鐘を鳴らすと言った。


「あの時、初めて空気にも色があるって分かった」


 真っ白な空気が、私を包み込み、国中に広がった。


「あれが浄化だって言うなら、私はもう一度あの鐘を鳴らしたい」


 叶う事ならば、この国の為に毎日だって鳴らしたい。国中にひびきわたる音に乗せて、祈りを込めた浄化の力を国中に届ける。


「でも、多分それは無理だから」


 あの鐘を鳴らすのは頻繁には無理だ。根拠は全くないけれど、私の力が足りない。あの時は、あの鐘自身が私を手伝ってくれたように思う。けれど私一人の力だけではあの鐘を、国中に響き渡らせるように鳴らす事は不可能だ。


「だから毎日出来る事をしたいの」


 大きな力での浄化は、私の中の何かを消費している気がする。それ自体に全く問題はないのだけれど、それで倒れてしまっては元も子もない。しばらく浄化が出来なくなってしまう。


 そもそも私は『何を』浄化しているのかという肝心な所は何も知らないのだ。それがわからないのに私は何も出来ない。


「……やはりお前も聖女なんだな」

「……え?」


 南葵の言葉の意図が分からず繰り返し尋ねるが、結局答えてはくれなかった。


「どうして聖女はこの国にいるだけでこの国を救えるか、だったな」

「うん」


 南葵は少し考えた後に私の顔を見て言葉を続けた。


「聖女は何かを浄化してるというのは知ってると言っていたな」

「うん」

「聖女が浄化しているのはこの世界全体に溢れる瘴気というものだ」

「……瘴気?」


 聞きなれない言葉に首を傾ける。


「瘴気って何?」


 イメージとしては黒い煙のようなものだ。見た目からしても誰かを取り巻くような怖いもの。たったそれだけのイメージしか私の中にはない。けれどもこの世界にきて、私がイメージする瘴気というものを目にした覚えはない。


「瘴気というのはこの世界に住む者の体から生み出されるものだ」

「……?」


 この目の前の白い人達から黒い物が生み出されるというものに全くイメージがつかない。


「どうやったら黒いモヤモヤしたのが人の体から作れるの?」

「黒いモヤモヤ?…………ああ、聖女様は瘴気というものにそのようなイメージを持っているのか。それが聖女様の世界でのイメージされた瘴気というものなのか」


 南葵は興味深そうに何かを紙に書き留めると、すぐに手を止めた。


「瘴気というのはいわば二酸化炭素のようなものだ。この世界の者は酸素の他に、神気というものを皮膚から取り込んでいる。その神気を体の中で瘴気に変えて体から吐き出しているんだ」

「それって、皆そうなの?」

「この世界のものはそうだ」


 この世界の人と私が元いた世界では、そもそもの体の作りが違うのだろう。このような不思議な話を信じがたいが、私はこの人達が目の前で飛ぶ姿を目にしている。これ以上自分の元いた世界と違う所が出てきても、そうそう驚かないだろう。


 彼は二酸化炭素のようなものと言っていたけれど、私はどうしてもその瘴気というものに良いイメージを抱く事が出来ない。いつだってその言葉は悪いものに使われる。


「瘴気を体に取り込んだらどうなるの?」

「そもそも瘴気は体に取り込む事が出来ない。二酸化炭素と同じで我々の体は瘴気を受け付けていない。出来るのは聖女様だけだ」 


 南葵の話からすると、私はどうやら植物のような役割らしい。


「じゃあ空気の中に瘴気がいっぱいになったらどうなるの?」

「簡単に言うと生きていけなくなるな」

「えっ?」 


 想像以上に深刻な事態に陥ってしまうようだ。では神気というのはいわゆる酸素のような役割だろう。酸素を取り込めなければ呼吸が出来ず死ぬ。それと同じように神気を取り込まなければそのうち体に何かしらの不調が起きて生きていけなくなるという事だろう。


「この国は前まで聖女がいなかったんだよね? 大丈夫だったの?」

「他国に聖女様がいた為、多少良い影響があったようだ。けれども聖女様が今回この国にきてくださったという事は、この国がそれほど限界だったのだろう。聖女様が現れるのは、危険信号を出した国だけだ」

「ふぅん?」


 つまり私はたまたまこの国に落ちてきただけではなく、落ちるべくしてこの国に来たのだろう。


 私がこの国にいるだけで、この国が救われるというのはそういう事だ。私自身何もしている感覚はないが、私が来てすでに良い影響が起きていると言っていた為、私がいる事は無駄ではないとわかった。

 

 少しずつでもこの国が豊かになるように私にも何かが出来れば良いのだが。


「じゃあ私は何をしたらいいの」 

「何をとは?」 

「いるだけでいいって言ってたけど、私はこの国の為に何かがしたい。どうやったらもっと役に立てるの?」


 私自身が今この国で何をしているかという事がわかったとしても全く実感はない。私には役に立っているという実感が欲しい。この国の為に何かしているという証拠が欲しい。

 ただ遊んで笑うだけではなく、ありがとうと言われたい。


 ああ、けれども。


 私がこの国の為にこの世界に連れてこられたのならば、瘴気を全て浄化してしまえば私の役割は終わる。私はこの世界での存在意義を失うのだろうか。そのような考えが頭によぎったが、すぐに首を横に振った。南葵はこの世界の人から瘴気が生み出されると言っていた。つまりはこの世界のものが生きている限りは私の役割も他の聖女の役割も終わる事はない。


「他の…………」


 他の聖女はそれをよしとしているのだろうか。私はこの世界にとどまり続ける事を望んでいる。けれども他の聖女はどうなのだろうか。元の世界に帰りたいと望んだ事はないのだろうか。


「……正直、聖女様のどのような行動が浄化を促しているのか分からない。聖女様の体から神気が生み出されている事も最近漸く分かった事だ」

「そうなの?」

「ああ。太陽の聖女様の知識で判明した事だ」

「太陽の聖女様に会った事があるの?」

「いや、ない。だが聖女様についての研究グループがあり、そこに在籍しているものからの情報だ」 

 

 研究グループなどというものがあるのか。他国とも通じているとなると、とても大きな組織である可能性がある。南葵と同じように聖女と近しい存在がその研究をしているのだろう。


「そしてもう一つ分かっているのが、太陽の聖女様が歌った時に浄化がされるという事だ。けれどもそれは偶然かは分からないが一度しか成功していない。何か条件があるのか、それすらもわからない」

「歌……」


 この世界に来てから私も歌った事がある。その時に浄化が起こったかどうかは分からない。私の体にも何も変化がなかった。というよりも浄化を行ったら、私の体に何か変化があるのだろうか。いきものが息をするように私が体は浄化を行っているという事だが、その実感すらないのだから、たとえ無意識に何かしらの行動が浄化につながったとしても気づかない可能性がある。どうすればその浄化に気がつけるのだろうか。


「どうやったら浄化したって気づけるんだろうね……」


 何の変化もない自身の手を見つめる。


 私のそのつぶやきが聞こえたのか、南葵はキラリと目を光らせた。


「その通りだ。そしてその研究グループで開発されたのがこの腕輪だ。まあ、俺は研究が専門だからそれほど手は加えていないが」


 そういって南葵が取り出してきたのは白くて細いリングだ。一箇所に花びらが4枚の可愛らしい花が彫られている。研究グループは本を見て研究するだけだと思っていたけれど、開発もしているのか。


「可愛いね、この花は?」

「この花は俺たちの象徴だ。聖女の花という」

「聖女の花?」


 今まで聞いた事がないような名前の花はこの世界特有のものだろうか。けれどもこの小さな可愛らしい花は、もし青色をしているならば名前を知っているかもしれない。

 

「初めてこの世界に来られた聖女様が気に入っておられた花だ。当時まだ花に名前がついていなかった事から、そう名付けられた」


 まだ名前のついていない花だからこそ出来た事だ。元々名前のあるものに、本人の意図したものとは異なる名前をつける事は冒涜だ。

 

「で、この腕輪だが」


 斜めに向かってそれかけていた話の筋を南葵が正した。


「聖女様の体から溢れる神気の気を感じ取る為のものだ」

「へー、そんなのあるんだ」


 南葵からリングを受け取り、左手につける。違和感は何も無いが、私が触れた瞬間、花は微かに青色に光った。まるでオオイヌノフグリのように。

 

「やはり、光ったか」 


 南葵は安心したように頷いた。


「光らないって思ってたの?」


 私の中に聖女の力がある事を疑っていたという事だろうか。それは仕方がない。私自身も信じきれていないから。


「いや、そうではない。今まで聖女様がつけた事がなかったから本当に光るか半信半疑だっただけだ」

「……」

 

 つまり私は実験体1号とでも言うべきだろうか。


「違和感はないか?」

「ない」

「そうか」


 南葵はため息をつくと、リングに添えられている花をまじまじと見つめる。


「やはり聖女様の体からは神気が出ているんだな」


 南葵は再びどこからかメモを取り出すと、何かをメモし始めた。恐らく腕輪の効能や光り方などを書き留めているのだろう。


「今日はこれを渡すつもりだったの?」

「ん? いや。聖女様が体から神気を出している事を分かりきっていたから、特に必要はなかった。ただ太陽の聖女様のように自分の力の使い方を考えた時にあった方が分かりやすいだろう」


 もともと渡すつもりではなかったが、私の話を聞いてこれが必要と判断しプレゼントをしてくれたという事か。


「ありがと」


 私がお礼を言うと、私とそこまで変わらない大きさの手で私の頭をなでた。

 私はこの腕輪をよく見て、光るタイミングをみよう。


 

 

  

 


 改めて椅子に座り直し2人でため息をつく。 

 

「ココア、飲むか?」

「飲む!」


 どうやら南葵はココアまで用意してくれるようだ。普段は夜に飲むから昼からココアなんて贅沢だ。

 南葵は慣れた手つきでココアを戸棚から取り出す。ここにココアが常備してあるという事は南葵も日常的にココアを飲んでいるという事だろう。ココアの入っている入れ物を開けた途端、香ってくるココアの匂いに安らぐ。温めたミルクも、かき混ぜる音も、どれも心地良い。先ほどまで部屋で眠っていたというのに、また眠りに誘われている。

 

 温かいものをコップに注ぐ時の特有の音が響く。まるで子守歌のように奏でる音に目を閉じて耳を澄ませる。


「……眠いのか?」


 ココアを入れた南葵が近くまで来ていた事に全く気がつかなかった。


「ううん、平気」


 両手で暖かいカップを受け取る。白い湯気に視界が覆われる。


「ココアって、ほっとするからすき」


 まるでチョコレートのように優しく口の中でとろける。


「どうしたの?」


 南葵に目を向けると、少しだけ目を開いて私を見つめていた。


「……いや、昔、似たような事を言った人がいた」








 

 

 南葵は思い返すように目を閉じて振り返った。


『私、ココアって大好き! とってもほっとするの』


 近いようでずっと遠い過去。あの人と過ごした期間はたった数日だというのに褪せる事なく記憶にとどまり続ける。それは一体何故か。

 

 





 



 南葵はしばらく目を閉じていたが、やがてゆっくりと目を開き、口を開いた。 

 

「昔、好いた人がいた」


 私に話しかけるというよりは、過去を振り返って物語をなぞっているかのようだ。彼は私を見ているようで、きっと別の人を思い返している。ただ私を見ているのは、その人が私に似ているから。それだけだろう。


「お前によく似ていた」


 一昨日も私と間違えられた。それだけ彼の愛情が彼女に向いているのだろう。彼の言葉はいつだって過去形だ。一昨日と今日の言葉を察するに彼女は今、彼の近くにはいないのだろう。永らく彼に会っていないに違いない。だからこそ彼はあれほどまでに取り乱したのだろう。


「お前ほど小さくはなかったがな」

「一言余計です」


 きっと彼は私と彼女を重ねているのだろう。なぜ彼女はいなくなったのだろうか。私と似ているという事は、彼女も私と同じようにこの世界へやってきた日本人なのだろうか。


 優しく切ない表情の南葵に目が奪われる。


「俺はずっとあの人を探している」


 宙を掴む姿は、まるで捕まえたくても捕まえられない迷子のようだ。

 何故私にこのような話をしてくれるのだろうか。私が彼女と似ているからだろうか。 


「『私から祝福をあげる。これがあなたにとって吉でありますように』。俺の聖女はそう言って消えた」


 『聖女』


 南葵はそういった。恐らく無意識だろうが、確かにそう言ったのだ。彼は聖女を好いていた。それがどの国にいた聖女なのか、詳しく尋ねるつもりはない。彼女が今彼の近くにいない。それが全てなのだから。


 まるで、天使や女神にあったかのような優しい表情をする南葵は、本当に彼女を好いていたのだろう。

 

 窓際にはいつの間にか飾られていた勿忘草が揺れていた。 






 南葵の用事も終わり、私の案内で散歩をしつつ部屋まで戻ってきた。南葵の案内で散歩をしても良いのだけれど、夕方までに部屋に帰れる保証がなかった。


 南葵とともに私の部屋でまったりしていると、扉の方から勇ましいノック音が聞こえてきた。

 

「お邪魔するよ」


 私たちの了承も待たずに、両手に大きな荷物を抱えて入ってきたのは彩月だ。


「彩月さんどうしたの?」


 荷物の中身はどうやら布のようだ。箱から飛び出している鮮やかな空色は今日の空を思い出させる。


「洋服だ」

「お洋服? もういっぱいあるよ?」


 毎日違う洋服を着ても全てを着る事が出来ないのではないかと思うような数の洋服たちがすでにクローゼットにかかっている。


「あれは秋用。これは冬用。もう少ししたら寒くなってくるから」


 そう言って広げた洋服は、ワンピースである事に変わりはないが生地が厚い。今まではレースがふんだんに使われていたが、今回持ってきてくれた服はファーが至る所に使われている。少し触るだけでも暖かさが体に伝わってくる。


「ありがと!」


 優しさをもらう事を忌避してはいけない。それは誰も幸せにならない。


 私が聖女である為に、私は謙虚でありつつも、『受け入れる』必要がある。


「南葵、私がんばるね」


 寒い季節が、もうそこまで来ている。 


  






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