024「わたし、笑ってるよ?」
「おーい」
昨日よりも何倍も優しい声で起こされた。
「ふぁい……」
昨日は昼に起きておいて、よく寝るなと自分でも感じる。
「……もう夕方?!」
昨日起こされた時間を思い出し、飛び起きる。自分から皆を誘っておいて寝坊をかましたのだろうか。
「まだ朝だ」
落ち着いた緑弥の声に安心する。
「……どうして緑弥さん、ここに?」
昼からお芋パーティーの約束はしていたが、今はまだ朝。昨日のように何か約束を忘れていただろうか。
「今日はパーティーすんだろ? 俺が全部作ってもいいんだが、聖女も一緒に作るか?」
「!」
「と言っても、危ない事は出来ないがな」
「する!」
つまりは、料理を手伝っても良いという事だろう。料理は滅多に手伝う事がなかった為出来るかわからないが、簡単なものしかさせるつもりはないと言っているし、私でも出来るような事だろう。
楽しみだったパーティーがより一層楽しみになった。
「お芋って何が作れるの?」
ベッドから起き上がり、クローゼットへ向かいながら聞く。
「何でも出来るぞ。お菓子も作れるし料理も作れる」
「お菓子も!?」
見つけた1枚の菜の花色のワンピースを引き抜いてベッドまで持っていく。
「じゃあ、ポテトチップスは?」
「出来るぞ」
「大学芋!」
「出来る」
「サラダは?」
「出来る」
「えっと、じゃあ後は……」
「いいから着替えろ」
「はぁい」
今着ている服を脱ぎワンピースを着る。
「何か、芋を着てるみたいだな」
「正解!」
私が今日この色のワンピースを選んだ理由は、芋の色と似ているから。
「緑弥さん、髪結んで!」
私は紫色のリボンを2つ取り出した。
「ふはっ、完全にさつまいもじゃねえか!」
「可愛いでしょ!」
緑弥は慣れた手つきで髪の毛をハーフアップにする。そしてハーフアップした髪を左右に分け、それぞれサイドでお団子にした。
「すごぉい! お団子だ!」
両サイドに出来上がったお団子にさつまいも色のリボンをつけていく。
「どうしてここの皆は髪の毛するの上手なの?」
「普通だろ?」
「普通じゃないよ! 私出来ないもん!」
「まぁ、まだ小さいからなぁ」
また小さいと言われてしまった。
「じゃあ行くぞ」
「ほれ、これ付けるから後ろ向け」
「?」
調理場に着いた所で、緑弥の言葉に従い後ろを向いた。感覚的には頭に帽子をかぶされた感覚。
「何つけてるの?」
「三角巾。料理には鉄則だろ?」
「じゃあエプロンもつけるの?」
「当然!」
緑弥は当然のように私サイズのエプロンと三角巾を用意していた。
「もしかして彩月さんが作ってくれたの?」
「ああ、昨夜頼んでおいた」
「彩月さん仕事が早いねぇ」
しみじみとそう感じる。昨夜頼んで今朝には出来ていた。早すぎて彩月がきちんと寝ているのか心配になる。
そして昨日お願いしたという事は、緑弥も私が作るという事を事前に計画して伝えておいてくれたのだろう。
「よし準備出来たな。始めるぞ」
「はい!」
石鹸で手を洗って準備完了だ。
「まずは何を作るの?」
「何が食いたい?」
「何でも良いの?」
「試しに言ってみろ」
私が食べたいもの。芋を使ったもので食べたいものといえば。
「お芋のタルト」
「いいな。ついでにクッキーも作るか」
「作る!」
緑弥に頼めば何だって作れそうだ。
「じゃあ、まずは芋を柔らかくする」
「はぁい!」
緑弥は私が掘った大きなさつまいもを取り出した。
「お前包丁使えるか?」
「うん!」
使い方は知っている。問題があるとすればこの小さな体で使えるかという事だ。
「じゃあ、こっち来い。」
緑弥が指さした方には踏み台と低めの台があった。その前の上にまな板と包丁が置かれた。
「後で潰すからどのサイズでもいい。芋を小さく切ってくれ」
「はい!」
台の上にのり、包丁を持つ。包丁を右手で持ち左手で芋を支える。確か左手は猫の手というように丸めて持つのがよかったはずだ。
「……ふんっ!」
今は思ったよりも硬く力が要った。硬かったけど力任せに振り下ろしては指を怪我する事は間違いない。ゆっくりと切り込みを入れていく。
「……ふぅ、」
まず1回切れた。これを何度も何度も繰り返して小さくしていかなければならない。大変だけれどとても楽しい。料理が出来るというのは、とても幸せな事だ。料理が出来るというのは料理をする為の道具がある。そして調理をする為の材料がある。裕福な証だ。
「よー、いしょっ、」
端まで綺麗に輪切りに出来た所で緑弥に声をかける。
「緑弥さん切れたよ!」
全てを切り終わった所で、きちんと包丁置き緑弥の方へと振り込む。
「おお、思ったより早かったな」
「…………」
緑弥の方を向くと、私の倍以上の芋を切り終わり、さらに何か作る用の食材の計量まで終えていた。
「……緑弥さんすごいねぇ」
「慣れてるからな」
料理人はすごい。同時進行でいくつもの料理を作る為、見通す力や同時進行をする力がなければやっていけない。
「これを混ぜてくれ」
緑弥は私に大きなボウルとヘラを渡した。そして緑弥は大きな鍋にさつまいもを入れぐつぐつと煮始めた。渡されたものでボウルの中を混ぜていくが、予想よりも重たくて難しい。大人数の料理を作るというのは本当に大変だ。毎日これをしている緑弥に尊敬を覚える。けれども今日の分の料理は緑弥にとっては大人数のうちに入らないだろう。普段から何十人分という料理を作っているのだから。
ボウルの中はほとんど粉しかなかったように見えていたが下の方に牛乳や卵のような液体も入っていた為、少しずつ混ざり始める。
「んーしょ」
緑弥は私が料理になれていない事を分かってる為、急いで作ろうとは思わないらしい。溢さないように丁寧にする方が良いだろう。混ぜる時には時折切るように混ぜた方がいいという風に聞くけれどそれがよくわからない。緑弥も混ぜ方については特に何も言っていない為、とりあえず混ざれば良いだろう。
「出来た!」
正直最後の方は混ぜるのが難しくて手で混ぜたくもなったがとりあえず混ぜる事が出来た。私の目には粉も残っていないように見える。
「いいじゃん」
緑弥からも合格をもらえた。
「じゃあ、ここに生地を置いてこれで伸ばしてくれ」
私が使っている台の上にシートを敷いて、棒を渡した。
「これで伸ばしたらいいの?」
「ああ」
まるで、粘土でもしているかのようだ。自分よりもずっと長い棒を使って生地を伸ばしていく。
「緑弥さん出来たよ!」
「んー、もうちょい薄く伸ばしてくれ」
「はぁい!」
普段食べているクッキーを思い出しながら生地を伸ばしていく。確かに今のままだと自分の小指分ぐらいの太さはあったから大分厚かったかもしれない。この間食べたクッキーの薄さは確かこれくらい。
「緑弥さんこれくらい?」
「ああ」
私が伸ばした生地を銀色の型にはめていく。
「これがタルトの型?」
「ああ」
生地を型に合わせながら綺麗に押し当てていくと、もうすでに美味しそうだった。緑弥はこれをオーブンに持っていき、中に入れた。
「お芋は入れないの?」
「ああ、まずは1回生地だけ焼くんだ」
「へぇー」
お菓子というのは奥が深い。1つ覚えても色々な事を覚えないと一つの料理を作りきる事が出来ない。
「この余った生地はどうするの?」
先ほどタルト型にはめた生地は少し余っている。
「これをクッキーにするんだ」
「え、これがクッキーになるの?」
「なる。材料は一緒だからな」
クッキーとタルトの材料が一緒だなんて知らなかった。お菓子ってやはり奥が深い。
「ほれ、型」
「楽しいやつだ!」
「ふはっ、そりゃよかった。分厚さはさっきと一緒でいいからどんどん型をとっていってくれ」
「はぁい!」
今度こそ本当に粘土をしているようだ。緑弥に渡されたお花とリボンと星の形の型を抜いていく。昨日の朝に、というよりは夜中に綺麗な星を見たから、少しだけ星を多めに抜いていく。
やはりタルト生地はクッキーより生地が固いのか、少しだけ抜きにくい。けれどもきっとサクサクして美味しいのだろう。
「今日のパーティーがもっと楽しみになってきた!」
自分の作ったもの誰かに食べてもらうというのはとても緊張する。今回は緑弥がほぼしてくれたと言っても過言ではない為、私が緊張する必要はないのだが、緑弥は普段からこのような気持ちを味わいながら料理をしてるのかと思うと尊敬の域に値する。
「緑弥さんはいつもこんなすごい事をやっているの?」
「まあ俺はこれが仕事っていうのもあるけど単純に料理が好きなんだよな」
「すごいね」
「すごくなんかねえよ。聖女様が俺の作った料理好きって言ってくれるだろ? ああいうのが嬉しいんだ。むしろああいう顔を見るたびに次はどんなのを作ろうかって楽しくなる」
つまり緑弥は人が喜ぶ顔を見る為に料理をしているという事だ。自分が作る事が好きで、人が喜ぶ顔を見るのが好き。こういうのを向いているというのだろう。きっとそれは自分が作るのが好きというだけでは成り立たない。
自分がこうしたいという自己主張だけで成り立たないのが社会だ。自分の一方通行の思いだけでは人間関係は成り立たない。だから私は失敗した。だから私はうまくいかなかった。
だから、私は――――――――
愛してもらえなかった
「クッキー出来たか?」
緑弥の声に手元のクッキーの型を全て抜き終わった事に気づいた。
「出来た!」
「そんじゃあ次はこの芋を潰してくれ」
「うん!」
柔らかくなっているお芋を棒で潰していく。
「皮は取らなくて良かったの?」
「とっても良いんだが、彩り的にあったほうがいいんだ」
「なるほど……」
プロの料理人ともなると、ただ作るだけでなく、彩りまで考えるのか。流石としか言いようがない。
料理はただ切って混ぜるだけではない。様々な工程があって面白い。分量を少し間違えると失敗する事もあると聞くけれど、理科の勉強をしているみたいで、どきどきする。学校にでも行っているかのようだ。
「出来た!」
それでも料理はしんどい。こんなに良い匂いに耐えながら作りきらないといけないなんて。緑弥をちらりと見るけれど、こちらは向いていない。つまみ食いをするならば今だろう。
「…………ぁむ」
ほんの小さな一口だけ、そう思いながら潰したい芋を口に入れると濃厚な甘みが口の中に幸せをもたらした。
「……おいし」
「つまみ食いは美味いだろ」
「!」
いつのまにか背後に緑弥が立っていた。隠れてつまみ食いをしていた事に罪悪感を感じ、口元を押さえたまま目をそらす。
「いいんだよ。つまみ食いは料理人の特権だ」
そう言って緑弥は私と同じように、さつまいもを少し手に取り口の中に入れた。
「……あまっ!」
緑弥は驚いたように目を丸くした。
「なあ、これ潰す以外に何か入れたか?」
「え、ううん。私は潰しただけ」
「……だよなぁ」
何か失敗しただろうか。私が掘った芋は、何か変な味がしたのだろうか。
「何かダメだった……?」
「ん? あぁ、いや。逆だ」
「逆?」
「本来ならここに砂糖やら、バターやら、なんやら入れて芋を甘くしていくんだが、今回はその必要がないぐらいしっかり甘みがついていてうまいんだ」
「それっていい事?」
「当然。食品本来の良さを出すのが料理だからな」
「……格好良い!」
「まぁな」
緑弥が元の作業に戻ったので私はもう少し芋を潰すという大義名分をかざしつつつまみ食いに戻る事にした。
「タルト焼けたぞ」
「えっ、見たい!」
私は混ぜただけだが、タルトの出来栄えはどんなものだろうか。
「ふわぁ!!」
透明な湯気が立つタルトは、今まだサクサクとは言い難いだろうがふわりとした生地が食欲をそそる。
「これにさっき潰した芋を入れます」
「やる!」
「ん」
先ほどの芋が入っているボウルを傾けながら焼きたてのタルトの中に入れていく。ボールは少し重たい為後ろで緑弥が支えてくれていた。重たいボールをタルトの上に落としてタルトが壊れるだなんて笑えない。
「全部入れていいの?」
「全部は入らないと思う。入るだけ入れよう」
「分かった! おしまいって言ってね!」
「おう」
潰した芋を半分ほど入れたあたりでタルトはいっぱいになった。
「これをどうするの?」
「もう1回焼く」
芋を乗せたタルトはクッキーとともに、再びオーブンの中へと消えていった。
「あと何かする事ある?」
「あるぞ。今潰した芋を丸めてくれ。スイートポテトが出来る」
「すごいね! お芋の可能性は無限大だ!」
「まだまだこんなもんじゃねえぞ、芋の魅力は」
「おぉ!」
緑弥の言葉通り食べやすいサイズに芋を丸めていく。食べやすいと言っても私と緑弥たちとでは大きさが全く違うだろう。けれど私が食べやすいサイズにしておけば他の皆も絶対に一口で食べる事が出来る。
「丸めたらこいつをハケで塗ってくれ」
緑弥は私に小さなお皿と刷毛を渡した。恐らく皿の中には卵が入っている。卵を塗る意味は全くわからないが意味があってするのだろう。
「出来たぞ」
緑弥の声かけで急いでオーブンまで向かう。熱いのは分かりきっているからオーブンに触るような真似は絶対にしない。オーブンから出てきたタルトは芋にもしっかり焦げ目がついており、タルトもサクサクとした見た目になっていた。
間違いなく美味しい事を分かりきっている。けれどもこの完成形を味見しようと思えば必ずバレてしまう。
「すてき!!」
だから味見は我慢して、皆と一緒に食べるのを楽しもうと思う。
横にあるクッキーは味見をしてもバレないと思うから、緑弥の目が届いていないうちにこっそりと食べようと思う。
結果。クッキーはいつも食べているクッキーよりサクサクとしており、美味しかった。そして味見をした事はすぐに気づかれてしまった。
今丸めているスイートポテトを焼いて私の仕事は終了となった。そして本当に恐ろしいのが、私が今この料理をしていた間に緑弥は一人でイモグラタン、ポテトチップス、芋餅、大学芋、ポテト、さつまいもの炒め物など、芋をふんだんに使ったおかずまで仕上げていた。
緑弥の手際に比べれば、私のお手伝いなどたかが知れていると実感してしまった。
昼下がりの午後。中庭に8人の男性と1人の少女が集まった。
「本日は、お集まりいただきありがとぉございます!」
来てくれた人に感謝の気持ちを述べる。よく時間内に南葵がたどり着けたものだと感心するが、南葵の腕をがっしりつかんだまま登場した神楽を見れば状況が把握出来た。遅れないように神楽が南葵を迎えに行ってくれたのだろう。
神楽には後で改めてお礼を言おう。
「たまにはこういうのもいいな」
「そうだね」
寒い時期になる為、本来ならば部屋の中でするのが良いのだと思うが、季節の風を味わうという事で、敢えて外で開催している。それに今日は暖かい。焚き火もしているし寒くて震えるという事はないだろう。
「黎翔は仕事の都合がついたのですか?」
「鶴羽に押し付けた」
「ご愁傷様です……」
今ここにいる全員が一緒に集まる場面を初めて見た。背が高い人が8人も集まると、広いはずの中庭に圧迫感が生まれた。けれどその圧迫感は嫌な圧迫感ではない。むしろ高い壁に守られているような安心感もある。
「つーか、お前何でエプロン着てんだ?」
南葵の手を離した神楽が私の服を指さしながら問いかける。
不思議な事に、エプロンを脱ごうとしたら緑弥にそのままでいいと言われてしまった。何故だろうか。
「さっきまで緑弥さんとお料理してたの!」
「つー事は今ここにある料理の中にはお前が作ったものもあるって事か?」
「うん! あれとこれを作ったの!」
「…………大丈夫なのか?」
「失礼ねっ! 私は混ぜたりこねたり切ったりしただけだもん! 分量計ったりしたのはちゃんと緑弥さんだもん!」
「じゃあ大丈夫だな」
「……むぅ!」
けれど私は神楽の優しさを知っていた。憎まれ口を叩いたとしても、神楽は指差した料理を一番に手に取ってくれた。
「タルトか」
神楽はそう言ってタルトを大きな一口で齧った。
「ふぅん。うめぇじゃん」
「!」
神楽の口角が少し上がったのを見た。緑弥の言っていた理由が分かってきた。自分の作った料理を褒めてもらえると嬉しい。自分の作った料理を喜んでもらえると嬉しい。
笑顔が見れて嬉しい。
「なら、私も頂こう」
「私も」
彩月も霙もタルトに手を伸ばしてくれた。そうして漏れる嬉しい感想に私は何故だか泣きそうになった。黎翔は無言だが、頷きながらタルトを食べていた。
白鴎と績はクッキーが気に入ったようで、私が型抜きをしたクッキーをずっとつまんでいた。
全部を自分が作った訳ではないけれど、少しでも自分が携わった料理を褒めてもらえると嬉しいものだ。
「さつまいもって美味しいねぇ。そのうち食べられなくなるのが悲しいの」
「年中食べれるぞ?」
「そうなの?」
「ああ、貯蔵庫に保存しておけば食べれる。保存しておけば甘みも増すからな。……今も十分甘いが」
これで、食べたい時にさつまいもが食べられる。そう思えばこの先ももっと楽しくなる。
皆が他の料理を楽しみ始めた頃、私もさつまいも料理を楽しもうかとフォークに手を伸ばす。
「…………」
私はしばらくして漸く南葵が無言でスイートポテトを見つめている事に気がついた。何が持っているスイートポテトを見るとすでにかじった跡がある事から、一口かじって何かしらの違和感があったのだろう。
「……南葵、どうしたんですか?」
神楽も気がついたようで南葵に問いかける。
「……いや、」
南葵は分からないとでも言うように首を傾げる。
「……俺、今まで緑弥の作ったスイートポテト食った事があったよな」
「ああ。芋は毎年採れるからな」
「…………あの時と作り方変えたか?」
今回あのスイートポテトを作ったのは私だ。私が芋を切って、緑弥が芋を茹でて、私が芋を潰して丸めた。
「作り方は変えてねえが、今回は味付けはしてねぇぞ。普段は砂糖やバターを入れるんだが、今回は芋の甘みが十分あったからな」
「………………そうか」
それでも南葵は腑に落ちないと言った表情でスイートポテトを見つめ続ける。
「どうしたんだ、南葵」
「…………」
「言ってくれ」
「……いや、スイートポテトがどうこうという訳じゃない」
言うか言わないか迷っているような表情で南葵は一度目を閉じた。
「ただ、……」
ゆっくりと目を開けた南葵が漸く口を開いた。
「昔の、あの人が作ってくれたやつに味がよく似てる」
「……あの人?」
私にはあの人の正体が分からなかったが、緑弥にはなんとなく分かっているようだった。そして私も分からないが、なんとなくであるが、察してしまった。昨日南葵が私を見て誰かを思い出していた。恐らくその人だろう。
「あの人はさつまいも本来の甘みを出していると言っていた。自分は計量が苦手だとも……。でも、この料理だけは、何度も練習して作ったんだって……。こんな簡単な料理を練習って何だよって思ったけど、でも、あの一度以来、何度スイートポテトを食べてもあの味には辿り付けなかった。…………けど、このスイートポテトはあの味にそっくりだ」
「……そうか」
寂しそうな顔してる人に対してどのような声をかけていいのかわからない。励ます言葉も一緒に悲しむ言葉もきっと彼は求めていない。
「…………あのね、私、一人で作れるようになりたいの。最初は一人じゃ作れないから緑弥さんに一緒にしてもらわないといけないけど。でね、たくさん作って練習したいから、もし作ったら………………、南葵も食べてくれる?」
「…………」
これが私に出来る精一杯だ。
「いくらでも食べるよ。……ちゃんと食べれるもの持ってきてよ」
南葵の返しに頬を膨らます。
「お兄ちゃんみたいな意地悪言わなくて良いのに!」
「…………ちょっと待って。なんで神楽はお兄ちゃんなのに俺は呼び捨てなんだよ」
「なんとなく!」
元の元気な南葵に戻った。いつのまにか聞き耳を立てていた他の皆も表情が心配から安堵に変わったのがわかった。
「これ、美味しい!」
さつまいものグラタンというのは初めて食べたが、柔らかなとろけるチーズと相まって、より一層さつまいもがホクホクしている。ベーコンが入っているのも文句のつけようがない。
「緑弥さん、これまた作って!」
「おう。つーか、作り方教えてやるよ。簡単だから」
「約束だよ!」
「ああ」
腹の容量は大きくなったとはいえ、それでも入るのは少量だ。1種類だけを沢山食べるなんて、もったいない事はしない。どれも必ず一口は味見をする。さつまいも料理ばかりならばこのテーブルでいつか味に飽きるだろうと感じていたが、そんな事は全くなかった。緑弥のセンスが良いのだ。テーブルを甘いものだけにしない。しょっぱいものもテーブルに置く事で、甘い料理としょっぱい料理を交互に食べる事を楽しめる。
やはり料理は奥が深い。
全ての料理が空になった頃、みんなで片付けを始めた。
「緑弥さん、お皿はここ?」
「ああ、重ねておいてくれ」
「はぁい!」
使ったお皿を一箇所に重ねる。他の皆も片付けを手伝ってくれていた為、すぐに終わりそうだ。むしろ小さい私がうろうろしたら足手まといになりそう。
「聖女様、このお皿もお願いして宜しいですか?」
「うん!」
椅子を片付けている績に快く返事をして皿を受け取る。
「皿はここでいいの?」
南葵が空になった皿を持ってこちらに歩いてくる。
「ああ、良い」
「分かった」
私が重ねた皿の上にさらに皿を重ねる。
「あそこにもお皿!」
片付け忘れたお皿を見つけて駆けより、皿を持ってからは歩いて戻る。
「…………楽しそうだね」
もう少しで積み重ねた皿の元まで届くという所で、南葵から私に話しかけた。
「楽しいよ!」
自分に出来るという事があるなら楽しい。些細な事だとしても、自己満足だとしても楽しいのだ。
「聖女様は、今日1日ずっと楽しそうだった」
「うん、楽しかった!」
皆でパーティーをする事を楽しめない訳が無い。たとえ周りの人が私に付き合ってくれただけだとしても、私は楽しかった。料理だって経験させてもらえた。自分の料理を食べて喜んでくれた。楽しくない訳がないのだ。
「……じゃあ、なんで、笑わないんだ?」
「…………え?」
その瞬間、私だけではなく、近くにいた緑弥や績の表情まで固まったのが分かった。
「わたし、笑ってるよ?」
心に黒い物が渦巻く。まわりに回って、腹にぐるりと渦巻いている。
何を言っているのだろうか。今日私はずっと笑っている。だから楽しい事が沢山あった。ずっと笑っていた。ずっと、
「笑えてないよ」
意味が分からない。私は楽しい。幸せ。嬉しい。そういう気持ちを表情で表しているはずだ。何故それが伝わらないのか。
「笑ってる!」
「……だから」
私は笑えている。笑えていないはずがない。なぜ私の気持ちを否定するのか。動揺から手に持っていた皿が床に落ち割れる。
「笑えてないはずないよ!」
私の大きな声に、霙や白鴎、黎翔、彩月、神楽まで近寄ってきた。やめたいのに、大きな声なんて出したくない。でも止め方がわからない。
「ねぇ、霙さん。私ここに来てから、ずぅっと笑ってたよね?」
「…………」
苦い顔をした霙は、一度口を開きかけて、ゆっくりと結んだ。何故、霙は何も言ってくれないのだろうか。何故、私と目を合わせてくれないのか。
「……ねぇ、白鴎さん、初めてココア飲んだ時、美味しすぎて笑ったよね?」
「…………」
白鴎も私をじっと見るだけで、何も言わない。いつもの優しい表情ではない。
誰も、私の望む答えをくれない。
誰も、私を見てくれない。
「績さんがみぃをくれた時だって、」
私は、私だけのものが出来て、友だちが出来て、嬉しかった。
「彩月さんの作ってくれた服を着た時だって」
私の言葉を聞いて、私の為だけの、私の洋服を作ってくれた。
「緑弥さんのご飯を食べた時だって」
腹いっぱい食事が出来る事の幸せを知った。
「お兄ちゃんがデザインしてくれた部屋を見た時だって」
優しくて、温かみのある家具が、私を受け入れてくれた。
「黎翔様と一緒に寝た時だって」
暗闇の中に、一人ではない事。近くに誰かがいるという喜びを知った。
私はずっと、嬉しかった。
笑ってた。
そう思うのに言葉が出ない。だって、誰からも、優しい笑顔が、返ってこない。
皆が私の言葉を否定する。
「確かに聖女は喜んでいた」
黎翔の言葉に同意の意が見られ、声を上げようとするも、次の言葉に、再び口を噤む。
「だが、笑顔を見せた事は一度もない」
「……っ!」
それは、何故か。
嬉しいと、笑うものだ。
嬉しくなくても、笑うものだ。
両頬の筋肉を少し上に上げる。そうすれば、「笑顔」が作れる。
私はその仕組みを知っている。だからこそ、私は。
笑顔を作る。
「わらっ、って……、たよ」
何故、私は笑えないのか。
「だって、ここは毎日幸せで……、」
両手を頬へと運び、その筋肉を解す。
「ご飯もあって、寝る所も、服だって」
まるで役に立たない、自らの意思に反するその頬を叱咤するかのように、より一層力を込める。
「欲しいもの、全部、……全部あるの」
恵まれている。幸せだ。満たされている。
「幸せじゃないと……、」
両頬を支える手が、微かに震えるのを感じる。
「ちょっと落ち着け」
神楽の声だって、私には届かない。
「落ち着いてる! だって、本当に楽しいの! 楽しいから、笑えてないはずないの! 幸せじゃないとだめなの!」
そうでなければ、私は。
「私はっ!」
ここに、いる意味がなくなってしまう。
「…………何故だ」
南葵の静かな言葉に、心臓の高鳴りが静まる。きっと、私は。
「だって……、私が、楽しくないと、帰されちゃうっ……」
ここにいたい。ここから、消えたくない。
「誰に帰されるんだ」
「神、さま……」
「何故?」
何故。
「だって、私、聖女だから……。聖女は、この国を幸せにする為にここに来たんでしょう? 私が、幸せだったら、この国も幸せになるの。でも、私が幸せじゃなかったら、この国も幸せじゃなくなる……。私の事、いらなくなっちゃう……っ!」
心の奥にこびりついた恐怖は、南葵のせいでこぼれ落ちた。言わないように、大事に閉まっておいたのに。どうして出会ったばかりの彼が、土足で踏み込んで来るのだろう。私は、彼が私の中に入る事を許可していない。
「南葵だって、私が要らなくなったら、捨てるでしょ!」
「捨てない」
「なんで?! その時になったらわからないよ!」
「絶対に捨てない」
「…………何で、言い切れるの」
私は私が愛していた人に捨てられた。大好きだと言われていたのに不要だと分かると捨てられた。
そこからの黒い世界は私を疲弊させるには十分だった。もう、戻りたくない。いい子でいないと、要る子でいないと、愛される子でいないと、捨てられる。
あぁ、けれど。笑えていないと言われた時点で私は欠陥品だ。ポツリと、今まで降った事がない雨粒がこぼれ落ちる。
「泣くな」
泣いていないよ。私は欠陥品だから、よっぽどの事がなければ涙は出ない。
「無理に笑う必要はない」
けれど、笑わなければ、感情が無くて気持ち悪いと言われる。
「私たちは何があっても捨てない」
「…………じゃあ、私が聖女じゃなくなったら?」
彼らが大切にしているのは聖女である私だ。私に聖女という価値がなくなれば、一層必要とされなくなる。
ああ、どうして今日の私はこうも悲観的なのか。こういう自分は好きではないのに止められない。
「そうなれば、私の子になれば良い」
「え?」
予想外の黎翔の言葉に、黎翔の顔を見つめる。
「そうすれば、聖女でなくとも共にいられる」
「……聖女じゃなかったら、私に価値なんてないよ」
「ならば、我々はもとより価値のない人間になるな」
「……っ!」
その様なつもりはなくとも、自分を貶める発言は、彼らを貶める発言になった。
「でも、みんなは空を飛べる」
「空なら、俺が飛ばせてやる」
「……私、大っきくない」
「背は自ずと成長するものですから」
「…………聖女の力なんてないよ」
「いるだけで助かっているが、力が消えたとしても、お前である事に変わりはないだろう」
本当に酷いのは私だ。誰かの言葉で自分を満たそうとしている。「聖女の力だな」「いてくれて助かった」「ありがとう」
この言葉を聞く為だけに、問いかける。自分に力があるうちは、捨てられない。安心する。そういう心を見透かされないように、必死に謙遜で隠す。慰めでコーティングして、自分の気持ちを守っていたのだ。
「……はぁ、お前は聖女なんだぞ。この国で一番偉いんだ。もし捨てられそうになったら、『私がこの国を捨ててやる』くらいの心持ちで居れば良いんだよ」
「でも、そしたらこの国が困るでしょ……」
「なら、この国がその程度だったって事だ」
国王がいるこの場で、南葵は、余りにも大胆な事を言う。けれども、南葵よ言葉に黎翔も頷いている事から、異論はないのだろう。
「俺たちは何があっても、捨てない」
周りを見渡すと、真剣な目をした8人の顔。
「私は、今まで…………」
私は今まで何を見てきたのか。どのような時間を過ごしてきたのか。彼らが本当に私を裏切ると思うのか。
「思わない……」
彼らが私を捨てるとは思えない。だからこそ
「怖い……」
私自身の全てを預けて、捨てられるのが、怖い。
「捨てられるのが、怖い……」
柔らかい雨が、少し激しくなる。
「だぁから、」
「だって!」
呆れたような声を出す南葵の言葉を遮る。
「……だって、私は、そうだった」
「……は?」
「私は、捨てられたの! だからここにいるの!」
私は一度捨てられた。あそこに私の居場所がなかった。だからこそ今ここにいる。
「それって」
呟くような績の声に耳を傾ける。
「いえ、それは……、そこだと聖女様が幸せになれないから、ここに連れてきてくれたのでは?」
「……?」
「つまり、神は聖女様の幸せを望んでいるのでしょう? 聖女様が幸せになる為にここに連れてきてくれたのなら、聖女様はここで幸せになれるという事では無いでしょうか?」
「……」
績の言葉に目が丸くなる。
「私は、聖女様が聖女だろうと、そうでなかろうと、どうでもいい。けれど、聖女がここにいない事の方が困る。まだまだ貴方に着せたい服は沢山ある」
「俺も食わせたい飯は山ほどあるな」
「……我々が聖女を裏切る事は無い。そう言っても、まだ1ヶ月近くしか一緒に過ごしていない我々を完全に信じるというのは無理があると理解している」
私がこの世界に落ちてきた時に、初めて出会ったのが霙だ。知らない手を握る事に緊張したのを今でも覚えている。けれども差し伸べてくれた手が暖かかった事も覚えている。
「私たちは聖女様の事をほんの少ししか知らない。聖女様に会ったのは初めてだから、どこまで踏み込んでいいのかも分からない。聖女様に対してどこまで聞いてもいいのか分からない。だから、これから教えて」
白鴎の優しさも知っている。初めて会った時に会わせてくれた優しい目を今でも覚えている。
「けれど、この者たちが貴方を裏切る事は無い事を覚えていて欲しい」
完全に信じられるかと聞かれると否だ。けれども
「皆と、ずっと一緒にいたいっ!」
私の行動原理はこれだ。
「当たり前だ」
霙の言葉に、自然と肩の力が抜けるのが分かった。白鴎が、私の濡れた頬を拭う。
「雨か涙が分かんないね」
「……泣いてないもん」
「そうだね」
皆はいつだって優しかった。
分かっていたのに。
「……皆、聖女様の表情を気にはされていました。」
近くに来ていた績の言葉に耳を傾ける。
「けれども、それを本人に言うのはつらい過去を思い出す可能性があるという理由で口を噤んでいました」
だから、今の今まで誰にもその事を言われた事がなかったのか。
「けれど、南葵の考えは違ったようですね」
「……もっと時間が経って、聖女が自分で気づいてしまった時の方が、本人が傷つくだろ」
南葵に言われた言葉を反芻して、納得する。ある日誰かに髪を結んでもらっていたとして、笑っているはずの自分の表情が全くと言っていいほど口角が上がっていなかったら。今までの自分の表情を全て信じられなくなる。今まで笑顔を向けてきたはずの人々を見て罪悪感に苛まれる。人と接するのが怖くなる。
今この場で南葵が言ってくれた事で、私が人と接する事を恐れる事も笑顔が作れない恐怖に苛まれる事もなくなった。出会ったばかりで私の気持ちに土足で踏み込ん出来た南葵は私以上に私の事を知っていたようだ。
空を見上げると、少しずつ空からの雫が収まってきた。
「私ね、見てみたい物があるの」
「俺さ、見てみたいものがあったんだ」
私と南葵の言葉が重なる。
「空にかかる、橋。とっても綺麗なんだって」
「それ、虹の事だろう。俺が見たいのもそれだ」
「色んな色で、人の目には七色に映るけど、本当は数え切れないほどの光で満ちているの」
「雨上がりの空を照らす、空の架け橋」
『聖女は生きていなければならない』
南葵は空から降り注ぐ雫を目にして、不覚にもその言葉の意図を理解してしまった。




