第1話 追い出し部屋ダンジョン
15年前、世界中にダンジョンが出現した。
その奥で待っていたのは通常兵器の効かない凶悪なモンスターと、そして不思議な力を宿した財宝の数々だった。
かつてダンジョンの最深部に到達した唯一の男、最奥者、藤原我門は言う。
「俺はアンダー・アースに到達した。あそこはあらゆる願いが叶う楽園だ」
命知らずの人間たちが、富と名誉を求めて一斉にダンジョンを目指し始めた。
かくして、社会の構造は大きく変貌を遂げたのである。
◇
魔法省管轄、代々木ダンジョン地下2階。
石畳の汚れを俺はデッキブラシで徹底的にこすり落としていた。
探索をすれば、ダンジョンは汚れる。
探索者がモンスターを討伐すれば、辺りにはモンスターの肉片が散らばるし、通路はあっという間に血まみれだ。
食事をすればゴミも出るし、それを持ち帰るような余裕はない。
綺麗に使うマナーの良い探索者だとしても、衣類などから発生する埃は避けようがない。
そして、ダンジョンに汚れは禁物だ。
汚れはやがて穢れに変わり、穢れはいつか呪いに変わる。
呪いに満ちたダンジョンは通常ダンジョンとは比べものにならないほど危険なのだ。
時にはS級認定を受けたギルドすら攻略できず、ダンジョンの封印を余儀なくされるケースもあるぐらいだ。
だからこそ、早い内に呪いの元を絶つ。
徹底的に汚れを落とし、洗い流せばいいのだ。
「……あれ?」
魔法洗浄機から水が出ない。
この銃の形をした魔導具は地上にある水場に置かれた水の転移石とつながっていて、水が供給される仕組みだ。
「んー、こりゃ水場に置いた水の転移石になんかあったな」
機械と同じで魔導具が動かなく理由は様々あるが、長年の経験から大体のことはわかるようになった。
「捜し物はこれかな、掃除屋のおっさん?」
背中から声をかけられ、俺は振り向いた。
そこにいたのは俺の上司、室長の谷口である。
彼はその手に、水の転移石を持っていた。
「室長……あの、それは水場に置いといてもらわないと仕事ができないんで」
「今日からこいつは使用禁止だ。血税なんでなぁ」
魔法省はダンジョンや魔法に関する公的機関だ。
勿論、税金で運営されている。備品や装備の購入も税金だ。
「禁止……? しかし、それじゃどうやって……」
ポイッと谷口が放り投げたバケツが床を転がった。
「拾えよ。掃除屋なら、バケツがありゃ十分だろ」
「バケツ一個でっ? いくらなんでも無茶ですっ。水場はダンジョンの外ですよ。往復で10分はかかりますっ!」
「だから、掃除屋が言い訳してんなよ。今日中にできなきゃ、クビだ」
悪態をつくように谷口が言う。
相手は上司だ。
どんな無茶な命令でも、やる以外の選択肢はない。
「やってはみますが……私は別に掃除屋というわけではないので……」
「掃除ぐらいしか能のない無能主任のくせに、いっちょ前に口答えをかよ? 学はねえ、人望はねえ、スキルはねえ、おまけに若くもねえ。なんなら、できんだよ、お前はよ! あ?」
完全にパワハラだが、これ以上言い返せば長くなるだけだ。
パワハラ窓口もあるにはあるが、そこの最高責任者が谷口になっている時点で魔法省がどう対応するつもりなのかはお察しだろう。
「……すみません」
「ったく、空気読めよ、おっさん。このダンジョンは追い出し部屋なの。15年も居座りやがって。おっと、冗談だぜ、冗談。通報すんなよ、揉み消すのが面倒くせえ」
言い捨てて、谷口は去っていった。
はあ、と溜息をつき、俺はバケツを持った。
◇
夜。
俺はダンジョンの床にバケツを下ろす。
時刻は20時をちょうど過ぎたところだ。
「10分ぐらい休憩するか」
「あれ? 白石主任だー」
声をかけてきたのは魔法省の制服を着た女の子だ。
茶髪をサイドテールにしており、背は低い。
顔立ちも幼いが、勿論、魔法省の職員なので成人している。
水家真子である。
「なにしてるのー?」
人懐っこく彼女は俺の顔を覗き込んでくる。
「残業でな。今は休憩中。水家さんは?」
「うーん、ちょっとダンジョンで困ったことがあって、考え中」
腕を組んで考えた次の瞬間、彼女は「あ」と閃いた。
「白石主任、あれ見せてくださいよ。槍のやつ。だめ? 休憩したい?」
「ん? まあ、見たいっていうなら」
俺は床に置いてあった槍を拾う。
「どれにするんだ?」
「あれでお願いします。血が古くて、絶対とれそうにないやつ」
水家は壁を指さす。
魔物の血が固まって時間が立っているので、黒く高質化している。
呪いの温床だ。
「それじゃ、軽く」
僅かに腰を落とし、槍を構える。
そうして、槍を閃かせた。
突き出す腕がロケットのように急加速し、柄が鞭のようにしなる、
穂先が無数に分裂し、獲物を狙う虎の牙のように壁を穿つ。
否、穿ったのは壁についた血である。
普通の清掃用具では決して落とせないその汚れを、槍で強引に削り落としているのだ。
「すっごっ!」
水家は感動のあまり目を輝かせる。
一面が黒く染まっていた血の汚れは、一瞬にして綺麗に削り落とされていた。
「やっぱ、すごいですね、白石主任の槍っ! だって、これ、これだけ血を綺麗に落としたのに、壁が1ミリも削れてないもんっ! どうなってるのっ!?」
「いや、ほんとはな。こういう血の汚れは浄化銀を使うのな。でも、この部署、おかしいぐらい予算がないんだ。確か2年目だったか。浄化銀が三分の一に減らされて、それで必死で槍で削り取ってる内に段々上手になってきてな」
うんうん、と水家は興味深そうにうなずいている。
「でも水家お前、研修後の配属は新魔法推進課だろ?」
「うん! 昨日、室長補佐になった! これで主任より上だね!」
悪ガキのような笑みで水家が自慢する。
「すみません、水家さん。ため口きいてしまいました」
「あっはっは、嘘、嘘、あたしにとって白石主任は一生上司です」
両拳を握って、水家は人懐っこく笑った。
「出世頭の研修担当になれて俺も役得だ」
水家が俺のチームにいたのは研修期間の三ヶ月ぐらいだが、それでも彼女が出世するのは自分のことのように嬉しい。
「話しを戻すと、新魔法推進課は出世コースなんだから、こんな地道な清掃覚えなくていいと思うぞ。浄化銀も使えるだろ」
「うーん、使えるんだけど、ダンジョンの呪い問題って結局コストが大きいから、それをどうにかできたらって思ったんだ。白石主任がいっぱいいれば解決だし」
「まあ、コストはゼロだ。でも、ここまでできるようになるのには15年かかるぞ。お前ならすぐかもしれんけどな」
「うぅんー。あたしも今ならちょっとぐらいできそうかなって思ったんだけど、今見てもわけわかんないぐらいすごかった!」
なぜかそれが誇らしいといったように水家が笑う。
「そういえば、白石主任はなんの残業なのー?」
「ああ、あれ」
と、ダンジョンの曲がり角を指さす。
水家はとことこと歩いていき、それを見た。
「え、なにこれ? バケツ、こんなにどうしたんですかっ!?」
その通路に置いてあるのは、水が入ったバケツの山だ。
「コストカットで水の転移石までいかれてな。仕方ないから、バケツだ。とりあえず、ここに水をためて、一気に掃除しようと思ってな」
「あいつですか? 谷口室長ですよね?」
目を三角にしながら、水家は言う。
「まあな」
「ひどいっ! こんなのあり得ないっ! パワハラですよ、パワハラッ! あたし、抗議してきますよっ!」
「ありがとな。でも、俺はいいんだよ。お前は出世コースなんだから、大人しくしてろ」
「でも……」
「水家に言ったっけな。死んだ俺の親父がな、自分のことは自分で責任持てってよく言っててな。だから、こんな年まで主任止まりの、俺の自業自得だ」
彼女はなにか言いたげだったが、俺の意思を尊重してくれたのか、黙って俯いた。
「頑張り続けてりゃ、いつか誰かが認めてくれる。これも親父の受け売りだけどな。だから、無茶な仕事でも全力でやるんだ」
「すごく白石主任らしいですね」
水家は柔らかく笑った。
「よし。やるか。朝までに終わらせないとな」
「じゃあ、あたし、なにか手伝いましょうか?」
「いやあ、うちは縦割りだからなぁ。お前の手を借りたら、お前のところの女帝がうるさい」
「え? 真城魔法官が? だって、白石室長の元部下ですよね?」
「嫌われてるんだよなぁ。親睦を深めようとした親父ギャグが寒かったのかなぁ」
「そんなことないと思うんだけどなぁ……」
「じゃ、近くの部署でバケツ借りるところ知らないか? うちのは全部使ってしまってな」
「あ、はい! それならわかりますっ! 案内しますねっ!」
◇
「よいしょ」
俺は槍を肩に担ぐようにして、その上に水を入れたバケツを100個積み重ねている。
「すっごっ! なんでそんなに持てるんですかっ?」
感激したように水家は目を輝かせる。
「魔法浄水器が壊れたことは何度かある。修理に出しても、なかなか直らんからな。自分でどうにかせんと仕事にならん」
「それも、パワハラなんじゃ……」
と、水家は呟いている。
「じゃ、残りを片付けてくる。助かった」
「はいっ。頑張ってくださいねっ!」
「おう」
手を軽く上げて、俺はバケツを担いだままダンジョンへ向かった。
◇
明け方。
俺は最後のバケツを使い、ダンジョンの汚れを思いっきり水で洗い流した。
ダンジョンの床や壁は特殊な魔石でできている部分があり、一定以上の水が流されるとそれを吸収し、地中に排出してくれる。
それで汚れも一緒に流れていくのだ。
「終わった……!」
俺はその場に倒れ込み、仰向けになった。
このまま寝ても問題がないぐらい、ダンジョンは綺麗に清掃されている。
理不尽な仕事だったが、これでしばらくは谷口も大人しくなるだろう。
今はやり遂げた達成感が心地よかった。




