表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/39

第12話 怖かったですよ

 静かだった。

 昨日まで、ずっと頭の奥で響いていた声が。

 今は、聞こえない。


「……あれ」


 エリシアは、ゆっくりと目を開けた。


 暗い部屋。

 砕けた床。

 崩れた壁。


 昨夜の痕跡が、そのまま残っている。


 それでも。

 身体を蝕んでいた痛みが、ほんの少しだけ薄れていた。


 震える手で、自分の腕へ触れる。

 黒い紋様は消えていない。


 だが。

 昨日より、侵食が止まっていた。


「どうして……」


 掠れた声。


 その時だった。

 胸の奥へ、微かな温もりが残っていることに気づく。


 まるで。

 誰かに抱き締められた後みたいな。


 安心する熱だった。

 理由は分からない。


 でも。

 怖かったはずなのに。

 今は少しだけ、息ができる。


「……カイ先生?」


 小さな呟きが、暗い部屋へ溶けていった。


 ◇


 医務棟。


 治療を終えたレオンは、ベッドへ腰掛けていた。

 腕には包帯。

 肩にも浅い裂傷がある。


 だが。

 痛みより、昨夜の光景の方が頭から離れなかった。


 黒い怪物。

 圧倒的な恐怖。


 そして。

 一歩も引かず立っていた男。


「……なんなんだよ、あの人」


 小さく呟く。

 結局、昨日も助けられた。

 自分は、また守られる側だった。

 悔しさが残る。


 でも同時に。

 怪物へ向かっていった瞬間。


 カイトは、自分を止めなかった。


 あの一瞬だけ。

 灰色の瞳が、こちらを見ていた。


 ――行くのか。


 まるで、そう問われた気がした。


「……くそ」


 拳を握る。


 怖かった。

 本当に。

 それでも。

 逃げたくなかった。

 逃げたら、たぶん一生後悔すると思った。


 その時。

 医務室の扉が開く。


 ルーメリアだった。


「怪我は」


「軽傷」


 レオンは短く答える。

 ルーメリアは、小さく息を吐いた。


「そうですか」


 それだけ言って。

 窓の外を見る。


 東区画。

 まだ黒煙が上がっていた。


「……なぁ」


 レオンが口を開く。


「お前、怖くなかったのかよ」


 沈黙。

 数秒。

 ルーメリアは静かに答えた。


「怖かったですよ」


「……見えなかったけどな」


「見せる必要がありませんから」


 淡々とした声。


 でも。

 その横顔は、少しだけ疲れて見えた。


「でも」


 ルーメリアは、小さく続ける。


「あなたは、怖いのに前へ出た」


 レオンが顔を上げる。

 銀色の瞳が、真っ直ぐこちらを見ていた。


「普通は、止まります」


「……馬鹿なだけだろ」


 レオンが視線を逸らす。

 ルーメリアは、少しだけ黙ったあと。


「似たような人が」


 小さく呟く。


「昔、居た気がします」


 その声は。

 誰へ向けたものでもなかった。


 ◇


 学園の廊下。


 カイトは、一人で歩いていた。

 昨夜の戦闘跡が、まだ至るところに残っている。


 砕けた壁。

 黒く焼けた床。

 漂う瘴気。


 その景色が。

 嫌でも、昔を思い出させた。


 燃える街。

 崩れていく防壁。

 黒い魔力。

 泣き叫ぶ声。


『助けて!!』


 伸ばされた手。

 届かなかった声。

 助けられなかった人間の顔。


「……っ」


 カイトは足を止める。

 無意識に、拳を握っていた。


 昨夜の怪物。

 あれは、昔見たものに似ていた。

 終わったと思っていた。


 全部、終わらせたはずだった。

 なのに。


「……またか」


 掠れた声が落ちる。


「レイヴン教官」


 声。

 振り向く。

 グランベルが立っていた。

 白い法衣。

 穏やかな笑み。


 だが。

 その目だけが、妙に静かだった。


「昨夜は、ご苦労様でした」


「……別に」


 短く返す。

 グランベルは気にした様子もなく続けた。


「浸食獣を討伐したそうですね」


 その瞬間。

 カイトの目が、僅かに細まる。


「……浸食獣?」


「教会側の呼称です」


 穏やかな声。


「魔力汚染によって発生した異常個体ですよ」


「……そうか」


 短い返事。


 だが。

 カイトは、グランベルから視線を外さなかった。


「何か、気になることでも?」


「いや」


 沈黙。

 数秒。


 先に口を開いたのは、グランベルだった。


「核を破壊したそうですね」


 その声だけ。

 ほんの少し低かった。


「……偶然だ」


「それにしては、随分早い」


 穏やかな笑み。


 なのに。

 空気だけが、冷たかった。


 数秒。

 沈黙。

 やがてカイトは、小さく踵を返す。


「……失礼する」


「ええ。お疲れでしょうし」


 グランベルは柔らかく微笑んだ。

 カイトの姿が、廊下の奥へ消えていく。


 その笑みが。

 ふっと薄れた。


 ◇


 静かな礼拝堂。

 誰もいないはずの暗闇へ向け。

 グランベルは、静かに頭を下げる。


「……想定より、早く破壊されました」


 沈黙。

 やがて。


『誤差の範囲だ』


 低い声が落ちた。

 感情の薄い声。


「ですが、レイヴン教官は――」


『問題ない』


 短い声。

 暗闇の奥。

 気配だけが、静かに笑った気がした。

 グランベルは、何も答えない。

 ただ静かに、頭を垂れていた。


ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

もしこの物語を少しでも気に入って頂けたら、

評価や感想を頂けると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ