17)捨て身の敵
本日は2話同時に投稿いたしました。こちらは2話目です。
雑魚魔獣がひしめき合う崖の下。
ちょろちょろと細い川が流れている岩場で、数多の小型魔獣どもが喰らい合っている。
狭い場所に逃げ込むようにして集まった、ありとあらゆる異形のものたちが共食いをし合うおぞましい有様だった。
魔獣の匂い、体液の匂い、饐えたような匂いが谷間となったこの辺りに充満している。
少女たちは魔獣どものあまりの多さに顔色を失っている。
「や、や、嫌っ! あ、あんな、あんなのっ!」
叫びだした少女に護衛の騎士が声を荒げた。
「しっ。魔獣どもを声が呼び込んでしまうっ」
騎士の案じた矢先、魔獣が飛びつくように現れ、驚いた少女が悲鳴を上げた。
レナは速やかに騒ぐ少女たちの元に近づき、防音結界を張った。
周囲では騎士たちがすぐさま臨戦態勢に入った。
「あのさ、騒がないでよ。あんなの、ただの雑魚どもなんだから。魔獣が人間の声につられて来ちゃうでしょ」
マレーネが文句を吐きながら炎撃を飛ばし、レナも光魔法を放った。
騎士や狩人たちも応戦している。
騒いだのは水浅黄色のワンピースに黒のズボンを穿いた少女だった。仲間の少女が「ミネーシャ、落ち着いて」と宥めているが聞かないようだ。
ユージンにまとい付いていたアリサは、少し離れたところで恐る恐る周りを窺っている。その様子もどこか他人事のようで違和感があった。
「しょうがないじゃないっ! 酷いわっ」
ミネーシャと呼ばれた少女は泣き出してしまった。
その隣では仲間の少女が気まずそうに「ごめんなさい」と謝っている。彼女はコレットという名らしいが、ミネーシャが騒いだために近づいた魔獣に驚いて悲鳴を上げただけで、マレーネも彼女に文句を言ったわけではない。
残りひとりの少女は、騒ぐミネーシャを困惑した目で見詰めている。貴族令嬢らしく品の良い少女だった。
「もう、早くやりましょ、さっさと終わらせたいわ」
マレーネの声が疲れている。
「ええ、そうね」
レナは気を取り直し、どこで詠唱するのかと思いながら周りを見回した。
「副隊長、もう少し近寄って詠唱しましょうか。それとも、少し崖を登った方がいいのかしら」
「ねぇ、崖の中腹くらいから詠唱を浴びせてやりましょう」
副隊長が答える前にマレーネが提案すると、
「えぇえっ!」
ミネーシャが悲痛な叫びをあげた。
コレットも、声こそあげなかったが顔色を失っている。彼女たちには魔獣の群れに近寄るとか、崖を登るなど無理だろう。そんなことはレナもマレーネも判っている。
アリサは不機嫌に押し黙っている。
残るひとりの少女は、唇を噛み締めているのがわかる。
四人は四人とも、魔獣の森の過酷さを今、思い知っているのだろう。
「あー、わかってるって、四人はそこに居てよ。私とレナだけで行くからさ。気にしないでそこで詠唱してなよ」
マレーネは苦笑して手をひらひらとふった。
レナとマレーネが「じゃ、行こっか」と頷き合っていると、
「私はもう少しあの群れに近づいて詠唱しますわ」
今まで黙っていた少女が一歩前に歩み出た。
ほぅと、副団長が感心した声を漏らし、騎士らも驚いて見ている。
「エステル様!」
ミネーシャが心配そうに泣きそうな目で名を呼ぶ。
「エステル?」
マレーネが小さく呟いたことにレナは気付いた。どうやら、あの凜とした令嬢は有名なひとらしい。
「とりあえず、行く?」
レナはマレーネの耳元に囁き、
「うん、行きましょ!」
マレーネは微笑んで頷くと、団長に「ばっちり詠唱してくるわよ~、打ち合わせ通りにお願いねっ!」と色っぽく片目をつぶり、レナとふたりで走り出した。
岩場を鹿のように飛び、あっという間に崖の中腹に突き出た丁度良い岩の出っ張りに着地する。
レナは、すぅっと息を吸い込むと、朗々と祝詞を詠唱し始めた。
雑魚クラスの魔獣に聞かせる祝詞は短い。初級程度のものだ。それを繰り返し繰り返し詠唱する。発音やアクセントなどに気をつけて完璧な形で。それが祝詞の詠唱の大事な点だ。あとは、声に魔力を乗せるようにする。
溢れる魔力が声を震わせ、力を与える。
マレーネも唱和する。
魔力を帯びた祝詞は崖下の谷間に響き渡り、びりびりと空気を震わせた。
魔獣どもの群れに響めきが起こる。
しばらくして、崖下の一画からも祝詞の詠唱が厳かに聞こえてくる。
エステルの声だろう。
エステルの護衛に数人の騎士が付いているのが見える。
気がつくと、レナとマレーネの周りにも遠巻きに守るように男たちが囲っている。有り難い。
レナは気持ち良く詠唱しながら心中で感謝した。
ユージンとアロイスの姿も見えた。
崖下と崖の中腹と、双方向から浄化の祝詞を浴びせかけられた雑魚魔獣どもは呻き声を上げ始めた。苦しいのだろう。
魔獣どもとは逆に、人間たちは癒やされ魔力が漲る心地がした。
おどろおどろしい魔獣の群れと穢れた瘴気が浄められていく。奈落のような魔獣の森に天使の歌声がそよそよと流れる。
雑魚どもが頽れ始めた。
ぱたりと、棒が倒れるように地面に倒れ伏すものも居れば、萎びたように崩れていくものもいる。
ふらふらと千鳥足で揺れながら逃げようとしているものもいる。
うまくいっている。
レナはさらに声を響かせた。
エステルの声も、マレーネの声も伸びやかだ。
気持ち良い。祝詞の詠唱が気持ちいいなんて初めて思った。これぞ祝詞の醍醐味。幾らでも詠える気がした。
三人の声が溢れ、合わさり、魔獣が昇天していく。
と、そのとき、どこからか「カラオケ」が聞こえてきた。
レナは詠唱しながら思わず声の方をみた。
「カラオケ」は、おそらく前世の言葉だ。前世っぽい。よくぞ思い出した。
この祝詞は変すぎた。そもそも祝詞の詠唱じゃない。
歌っているのはアリサだった。つまり、アリサは前世の記憶持ちということか。いや、そうとは限らない。単に「祝詞の詠唱の基本をまるきり無視して今風に歌っちゃっただけ」かもしれない。
そんな風に祝詞の詠唱をする者がいるなど信じられない。祝詞を学ぶときは「発音も音程も息継ぎもなにもかもすべてにおいて正確に」としつこいくらい教師に言われるのだから。
萎れかけた魔獣どもの群れが、わさわさし始める。
アリサの俗世風の祝詞、というか歌は、祝詞の詠唱を打ち消す効果があったのか。
そういえば、アシュは「祝詞の詠唱は古代の聖者が『お祓い』の真理を解き明かして後世に残したものだから、その『音』を忠実に再現することが大切で、自己流は駄目なんだ」と言っていた。カラオケにしてしまうなんて一番やってはいけないことだ。それでなくとも祝詞の言葉そのものにもそれなりの力があるのだから、その力の悪用だ。
「ちょっと、マズいんじゃない? 祝詞の詠唱の効果がぶった切られてるわ」
マレーネが思わず詠唱を止めて魔獣の群れの辺りを見渡す。
「私もそう思う。即刻止めてもらおう」
ふたりが言葉を交わしたときには、すでに副団長がなにかアリサに声をかけてるのが見える。
距離があるので言葉は聞こえないが、止めろと言ってくれたのだろう。
アリサはとりあえず、下手な歌を止めてくれたようだ。
ほっとして、再度、詠唱を始めようとしたとき、「キャァアァ」と少女の声が響いた。
エステルのところで魔獣の動きがあったのが遠目でわかった。
「あっ、魔獣ども復活しちゃったかっ」
マレーネが悔しそうに小さく叫んだ。
エステルは魔獣のほど近くで詠唱していた。魔獣が復活した余波を受けたのかもしれない。
「ふたりともっ! 詠唱を頼むっ!」
小隊長の叫ぶ声。
マレーネが「レナっ、やるよっ」とレナを振り返った。
レナはすぐさま、さらに声を張り上げて詠唱を再開した。
焦らないで慎重に、正しい詠唱をすることが一番効果があるのだから。
必死に息を整え、目を閉じ詠唱する。
魔獣どもの唸り声、騎士たちが剣を振るい雑魚どもを切り裂く音、目を閉じても聞こえる闘いの音。
気になりながらも、懸命に詠唱した。戦友である騎士たちのためにも。
魔力を籠め、さらに声をあげた。
闘う音が聞こえなくなった。
魔獣どもがまた萎れ始めたのだろう。
エステルが、か細い声で詠唱し始めたのが聞こえる。
怯えているのか声は細いが、発音や発声は正しい。
なんて健気なんだろう。
レナは心からエールを送る。
戦闘能力の乏しい彼女が、魔獣のほど近くで詠唱するのは怖いはずだ。いくら護られているとはいえ。
ふと、身近に動きがあった。
不自然な人の動きに気づき、レナは閉じていた目を開けた。
人の動きというより、魔力の動きだ。魔法を発動させながら動くという、おそらく身体強化魔法を使っている。魔獣も動くときに魔力を使うが、まがまがしいので違いがわかる。人間であろう。
だが、その動きと場所が変だ。
騎士と協会隊の皆は、とっくに配置についていた。
近づくその人物は、待機場所の方角から来ているようだ。見届け役の魔導士や、詠唱をしていない少女らが待機している場所からだ。
速い。不自然に速い。
正体不明すぎて胸騒ぎがする。
不審な「それ」が、風のように近づいて来る。
レナとマレーネの居るところは、もとよりゴツゴツとした崖の中腹で魔獣は少なかった。空を飛ぶ魔獣はふたりが詠唱を始めると余所へ飛んでいった。他の魔獣も近寄ろうとはしなかった。
護衛の騎士や協会隊の皆は、万が一のために遠巻きに見守ってくれている。だから、マレーネとレナは集中して詠唱することができた。
そんな静かだった周りに動きがあれば当然、気付く。
レナは詠唱しながら、人の魔力が動いたところを視線で探した。
最初に反応したのはアロイスだった。
「殿下っ!」
アロイスの剣が主を護るように動くが、ほど近くにいた仲間のはずの魔道士がアロイスに雷を放った。
レナは咄嗟に魔道士の目に光魔法をお見舞いし、雷を避けたアロイスは間髪を入れず魔道士の首元を切り裂いた。
レナとアロイスがすぐさまユージンに視線を戻すと、小柄な人間が身を翻して襲いかかっていた。
マレーネは詠唱を止めて、王子たちのほうへ岩を飛び降りた。
レナはマレーネを追いながら、その不審者の動きを目にした。
護衛の騎士、協会隊のみなも目撃した。
まさか、あれが暗殺者とは。
小柄で華奢なその暗殺者は、アロイスの剣を掻い潜り、狂気じみた目をぎらつかせてユージンに細い剣を振りかざした。
動きが速い。
目で追うことすら困難なほど。まるで獣だ。
動体視力の優れた戦士たちが息をのむ間もなく見詰めていた。
暗殺者の剣が、なぜかユージンの身体を滑った。
まるで、見えない盾に剣が弾かれたかのように。
暗殺者の顔が驚愕に歪んだ。
わずかの怯み。
そのほんのわずかの怯みを、強者の護衛は見逃さなかった。アロイスは、敵の剣を打ち払う。
キーンと耳をつんざく音をさせて細い剣が宙を舞う。
その剣が鈍く黒く光っているのをレナは見た。
「ど、毒」
剣には毒が塗ってあった。
レナの背中を怖気が走り抜けた。マディーヌ王国の暗殺集団は毒をあつかうのではなかったか。
アロイスはさらに袈裟懸けに暗殺者の体を切り裂き、足を横薙ぎにした。
暗殺者は傷ついた足で決死のバックステップで退け、腰帯から取り出したナイフで、自分の喉を突き刺した。
血しぶきが舞った。
皆がまだ呆然としている間にマレーネが突風のごときひと飛びで暗殺者の元に駆け付け、自害した暗殺者の喉に布を巻いたが、命が尽きるのを止めることはできそうもなかった。
暗殺者が少女のように小柄な青年だったこと、それから、詠唱係の少女の着ていたはずのワンピースが茂みに脱ぎ捨てられていたことは、すぐに判明した。
毒が塗られていた剣は、見たこともない灰色だった。魔鉱を錐のごとく鋭く鍛えた暗殺用のごく細い暗器だ。
ただひたすら、毒を標的に与えるためのものだろう。
毒が僅かでも皮膚に食い込めば良い。
致命傷は要らない、必要なのは僅かな傷だった。防御の魔導具をも貫く鋭さだけが、暗器には与えられていた。
捨て身の敵の武器は、一欠片の隙もないものだったが、王子は無傷だった。
詠唱による雑魚魔獣の始末は八割ほどは成功した、と同行した魔導士隊の魔導士は報告した。
お読みいただきありがとうございました。
明日も、夜20時に投稿する予定です。




