5話 王子の疑念
「谷底は深く、捜索および救助活動は実質不可能です」
現実を突きつける騎士の無慈悲な言葉に、
イレーネは両手で顔を覆って、膝から崩れ落ちた。
「わ、私のせいですわ!」
「イレーネ…」
傍らのヴォルグは片膝をつき、泣き崩れるイレーネをそっと支えた。
「私が側にいながら、アマリエを助けられなかった…!!すべて私の責任ですわ!」
――イレーネの説明ではこうだ。
『別方向から複数体のアンデッドが駐屯地へ向かっている』と伝令から報告を受け、咄嗟にアマリエと動ける数名の騎士たちを連れて現場へ向かった。
そして交戦中、アマリエが立っていた足場が突然崩れ、彼女はそのまま深い谷底へ落ちた―と。
ヴォルグが知らせを受けたのは、前線から駐屯地へ戻る途中のこと。
戻り次第状況を確認し、ただちに騎士たちへ救助を命じた。
谷底に落ちたアマリエの生存は――誰も見ても絶望的。
それでも、現場を確認しないわけにはいかない。
運よく、岩壁や木に引っかかって生存している可能性も――わずかに残っている。
本来ならヴォルグ自身が赴くところだが、
第一王子である彼を危険な場所に連れて行くのは論外だと、騎士たち総出で止めに入った。
案の定、救助に向かった騎士たちはほどなくして引き返してきた。
――谷下を覗いただけで「捜索は不可能」と判断したのだ。
これ以上、騎士を危険に晒すわけにはいかず、アマリエの救助活動は早々に打ち切られた。
「イレーネのせいではない。……仕方がないことだったんだ」
ヴォルグは、優しく諭すように告げた。
「君は少し休んだ方がいい」
泣き崩れるイレーネを女神官に託し、ヴォルグは騎士を一人を連れてテントを出た。
だが彼の足は、自分のテントとは逆の方向へ向かっていた。
「殿下!?」
騎士は驚き、慌ててその背を追う。
◇ ◇ ◇
「ここか…」
辿り着いたのは、アマリエが転落したとされる谷の縁だった。
ヴォルグは、一部崩れた地面へと歩み寄る。
「殿下!そこは地盤が脆く危険です!! どうかお下がりください!」
「…わかっている」
素っ気なく答えたものの、ヴォルグは忠告をほとんど無視して、崖ぎりぎりまで近づく。
人々から“神々の爪痕”と恐れられるその谷は、底の見えない深淵の闇だった。
すると黒ずんだシミが視界の端に映り、ヴォルグはしゃがみ込む。
「殿下!」
叫びかけた騎士を、片手で制する。
「大丈夫だ」
岩肌を手袋越しの指で、そっと撫でる。
(ほぼ乾いているが、これは血だ。
それに、ここには…微かな魔力の残滓もある)
手袋には赤黒い汚れが付いた。
戦闘があった以上、魔法の痕跡が残っていること自体は不思議ではない。
ヴォルグは懐から丸い縁の眼鏡を取り出した。
魔法の消費魔力を数値化する既製品の魔道具だが、研究者であるヴォルグは制御基盤を改造し、“魔力痕を色として可視化する機能”を独自に組み込んでいた。
「分析」
唱えると、眼鏡越しに淡い光がふわりと浮かび上がる。
通常なら、痕跡は短時で風化するが、ここにはまだ魔力がわずかに滞留していた。
(光魔法…中級程度の治癒魔法だな)
属性を問わず、ヴォルグは一般的な魔法の平均消費量はすべて頭に入っている。術者に魔法を使わせて計測したデータもある。
――この魔道具の信用性には自信があった。
(ここで誰かが負傷し、治癒が施された…ということか)
ヴォルグは、さらに視線を走らせると――眼鏡越しに新たな痕跡を見つけた。
(これは、地の魔法。………地割れの痕跡?)
ヴォルグの表情に、険しさが宿る。
(こんな脆い地盤で地割れを使えば……足場が崩れるのは当然だ)
そして、イレーネの言葉が蘇る。
『運悪く足場が崩れて…アマリエはアンデットと共に谷底へ落ちて…』
運悪く――
その言葉が急に不自然に聞こえた。
そもそもアンデッドが現れた“方角”がおかしい。
はぐれた個体の可能性を考えて、周辺に部隊を複数配置したにも関わらず、どの部隊からも“はぐれたアンデッド”の報告はなかった。
もちろん、別の場所に門扉が出現した可能性も、一応は考えられる。
だが、門扉の発生時の強烈な魔力反応を――全員が見落とすはずがない。
(やはり…おかしい)
イレーネに再度確認したくても、今の彼女は取り乱して話にならない。
(…仕方ない。まずは同行していた者たちから話を聞くべきだな)
「殿下、そろそろ…」
「ああ」
痺れを切らした騎士に促されて、ヴォルグはようやく立ち上がる。
踵を返しつつ、一度だけ深い谷を振り返り、静かに黙礼した。
そして踵を返し、その場を後にした。
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