(7)
「行かない」
そう言うと、「そっか」と女子が残念そうな顔で目の前から立ち去っていく。
体育祭後の打ち上げに、カラオケに誘われたのだ。今までそんなことはなかったから、面食らった。
誘われる意味がまったくわからないわけではないけれど、わからないふりをして断った。
このところ、こういうことが増えだして、その度にうんざりする。髪を切ってからだと二件。眼鏡を替えてからは、すでに三件目だ。
(……薫には、見られなかったよな?)
祝福でもされようものならば、瑛太の中で色々な物が死にそうだ。
そんなことを思いながら周囲を見回し、人影がないことにホッとしたときだった。
「ニノミヤ」
ぎくりとして目を見開くと、校舎の影から今田が現れる。
「今田、か。部活は?」
彼女は確か吹奏楽部だった。放課後は薫と同じく練習があるはず。
「ちょっと薫のことで話あってさ」
今田の顔は陰っている。彼女は少しためらった後、口を開く。
「……中学の時さ。あんた、いじめられてたじゃん?」
瑛太は首を傾げる。いじめられていたかと言われると、違うような気がする。からかわれることはあったけれども、瑛太がさほど相手にしなかったからだ。
瑛太は、嫌いな人間とわざわざ付き合う必要を感じていなかった。
大人は『みんなで仲良くしなさい』などと勝手なことを言うが、自分たちも好き嫌いで人付き合いをしているというのに、こどもがしてはいけないという理由を見つけられなかったのだ。
「じゃあ、あんたが薫を好きだってからかわれたこと覚えてる? あのころからだよね。薫がムキになって幼馴染だって言い出したのは」
瑛太は頷く。その時の薫のことは覚えている。薫は必死で否定した。瑛太の気持ちなのに、瑛太の代わりに勝手に否定してくれた。瑛太を守るために。
互いに互いのことを好きだけど、そういうんじゃないと。家族愛であって、恋にはなりえないと。
そして瑛太も、薫の言い分を否定しなかった。
その頃は、周囲で恋愛関係になる男女もほとんどいなかったから、幼馴染という、友情とは異なる特別な関係に、優越感と居心地の良さを感じていたのだ。
それに、否定すれば薫の方がいじりの対象になるのなど、こどもの目にも明らかだった。否定などできるわけがなかった。
「薫さ、自分で自分に呪いをかけてるようなもんだよ。幼馴染だってずっと言い続けてたから、そこから抜け出せなくなってるんじゃないのかな」
今田が柄にもなくスピリチュアルなことを言い出すが、案外そのとおりかもしれない、と瑛太は思った。だとしたら、瑛太はどうすればいいのだろう。
今田はくるりと瑛太に背を向けると言った。
「もうそろそろ、一歩踏み出してもいいんじゃないの? 薫が地味にモテるって知らないわけじゃないよね? あんたが今のまんまだと、別の王子様が先に呪いを解いちゃうよ?」
*
その週の日曜日のことだった。
明け方に大雨がふり、体育祭は翌日に順延になる。小雨が降りしきる中、ハルさんの家には瑛太のおじいちゃん――二ノ宮神社の神主、二ノ宮修司が神主さんの恰好をして現れた。
昔からお世話になっているのと、薫の祖父母が近くに住んでいないこともあって、自分の祖父のように思っている。
瑛太には厳しいけれど、薫には優しい。穏やかな中に凛とした空気を持つ、素敵な人だ。
その後ろには瑛太と薫が、同じく神職の衣装に身を包んで立っている。
袴自体は弓道で身につけるので慣れているのだけれども、緋色の袴というのはなんとなくコスプレをしているかのようで気恥ずかしい。
そして隣に立つ長身の瑛太も同じく袴を身に着けている。下っ端なので白い着物に浅葱の袴だけ。バイト中はいつもこの格好らしいが、薫は見たことがなかったため、最初面食らってしまった。
背筋がピンと伸びていて、別人のよう。
替えたばかりの眼鏡が、彼の持つ硬質な印象を強めて、袴とあいまってシャープな和風のイケメンになってしまっている。
イケていないという認識を改めなければならないのではないかと思った。
「瑛太さあ……弓道部入ったら? 袴、似合ってるし、素直にかっこいい」
思わず口に出すと、瑛太が僅かに困ったような顔をしたあと、短く言った。
「めんどくさいし、部活は金がかかるばっかりだろ」
「弓は貸してくれるよ? まあ弓掛と矢は買わないとダメだけど」
「じゃあ論外だ」
瑛太はさっさと話題を打ち切ると、おじいちゃんに続いて庭に入り、社の周りを片付け始める。草を刈り、社の周囲を掃除する。
白木の棒で社を囲んでしまうと、注連縄を張る。
用意してもらっていた米、酒、塩、水を神饌としてお供えして、準備は終わり。
ふと見ると、周囲には近所の人が野次馬に来ていて、人垣ができている。その中には、中野さんとその友人だろう。女子が数人が私服で傘を手に瑛太の様子を見守っていて、薫は思わず顔をしかめそうになる。
ヒソヒソとささやきあっているけれど、あれは瑛太の外見について言っているのだろうと思うと、心がざわざわとした。
なんだか見ていられなくて目をそらすと、二十代くらいの青年がスーツを着て心配そうに立っている。見かけない顔だと思って、ハッとした。
(あ、この人……)
「あの人が相続人だろうな。話、聞きたいけど……さすがに終わってからがいいか」
瑛太が薫の考えていることをそのまま口にし、薫は頷いた。
おじいちゃんが開式の辞を粛々と述べ、厳かな空気が漂った。続けて「頭をお下げください」と声が響き、薫も静かに頭を下げる。
(修祓の儀、だ)
ここに来る前に軽くリハーサルをさせてもらっている。そのときに瑛太に色々と教えてもらった。
大幣を使ってその場を祓い清めるのだ。大幣は白い紙をつなぎ合わせてできたもので、カサリカサリという独特の音が響き渡った。
そして降神の儀。おじいちゃんが二拝の後、祝詞を上げる。
「掛けまくも畏き屋船久久遅神、屋船豊受姫神、この神籬に天振りませと恐み恐みも白す」
屋船久久遅神と屋船豊受姫神。
(どちらの神も家屋の守り神って言ってたかな)
前もって瑛太からうんちくを聞いていた薫はなるほどと思いながらも、神様の種類というのはどれだけあるのだろうと半眼になった。
もし瑛太の中のカミサマがそういった神であれば、そこまで行き着く気がしない。
今は比較的有名な神様ばかりを調べているけれども、信じたい神様というのは、人によって、そして時と場合によって違う気がするのだ。
健康になりたい人。お金持ちになりたい人。有名になりたい人。それぞれが同じ神に祈るのだろうか。
(祈る目的によって、神様って役割が変わるのかな……?)
そんなことをぼんやり考えていると、おじいちゃんが二拝二拍手一礼をして降神の儀が終わる。
献饌の儀で、神様にお食事をお供えすると、再び祝詞があげられる。次は清祓いの儀。社の四隅を大幣でお祓いを済ませるのを見て、薫は気を引き締めた。
(次、出番だ)
薫はお盆に載せた玉串を持ち、おじいちゃんの横に待機する。
説明を受けた相続人の青年が、玉串を手に取って祭壇の前に設えられた机のようなものに、切り口を祭壇側に向けたままそっとお供えする。
そして二拝二拍手一拝が済むと、瑛太が神饌を下げ、おじいちゃんが祝詞を唱え、昇神の儀を行う。
「掛けまくも畏き屋船久久遅神、屋船豊受姫神、本つ御座に還りませと恐み恐みも白す」
最後に神饌であるお酒や水を皆で頂いて、閉式だった。棟上げなどではここで神饌のお餅を撒いたりするらしいけれど、今回は解体なので違うらしい。
厳かな式が済むと、緊張が緩む。薫の出番は少なかったけれど、なんとかこなすことができたようだった。
相続人の青年も安心したのか、小さくため息をついている。おじいちゃんにお礼を言い終わるのを見計らい、瑛太が声をかけた。
「あの、少しいいですか」
「あぁ、お孫さんですか……なにか?」
「ハルさんのこと――というより、先程お祓いした社のことでお聞きしたいのですけれど」
青年は困ったようにこめかみをかいた。
「すまないね。父方の親戚とは聞いているけれど、僕はハルさんのことはまるで知らないんだ。昔駆け落ちして家を出たらしくて、父の実家とは疎遠だったそうで。相続の話も寝耳に水で」
「お売りになるのは相続税の関係ですか?」
瑛太が尋ねると、青年はわずかに眉を上げて意外そうにする。
「君、高校生くらい? 詳しいね。これだけの土地だからね。売らないと税金払えなかったし、却って損した気もするよ。まさか遺産相続して借金抱えそうになるとか思いもしなかった」
瑛太が頷くのを横目に、薫は小さくため息を吐いた。
(お金のことだから、詳しいのかなあ……)
なんにしても本当にものしりだと思う。
「あの、ハルさんの遺品なんですけど、処分されますか?」
「ああ」
青年は母屋に目を向ける。
「もし、気になるものがあったらなんでも持っていっていいよ」
「本当ですか!?」
薫は目を見開く。
「ほとんどゴミだったから、それこそ一緒にお祓いしてい貰えばよかったかもしれないと思っていたんだ。遺品って何か念がこもってそうだろう? 処分に困ってたからこちらも助かる」
「ありがとうございます」
「でも何に使うんだい?」
「社に何を祀ってあったかが、どうしても知りたかったんです」
「へえ。若いのに変わった趣味だね」
青年が瑛太に名刺を渡す。そこには名古屋の住所と名前。梅田護と書かれていた。
ハルさんの遺品をワゴンの後ろに積み込み終わると、瑛太のおじいちゃんが車を出そうとする。
遺品はひとまず神社の倉庫で管理して、必要がなければお焚きあげすることにしたのだ。
だが、瑛太は「もうちょっとだけ待って」と庭に舞い戻る。
目に焼き付けるように社を見つめる瑛太をみて、薫は少し泣きそうになる。
「もうここには戻れない」
瑛太が不安なのは当たり前だ。手がかりが一つなくなってしまうのだから。
「もらって帰ったらダメ? なんでも持っていっていいって言ってたし」
「置き場がないから。でも――そうだな。一つくらいなら取って置けるか」
瑛太は木の切れ端を一つ掴むと、「行こう」と顔を上げる。