10 『後日談』
不思議な倦怠感から浮上し、緩慢に早綾は目を覚ます。
最初に目にしたのは石造りの天井だ。見覚えはない。まずしっかりした天井が存在する時点で、早綾たちの拠点ではない。
上半身を僅かばかり起こし、ぼやけた視界のまま辺りを見回す。
全体的にシンプルな部屋だった。一人用の部屋らしく、調度品も極端に少ない。早綾が横になる寝台以外は机と椅子が一脚ずつあるくらいだ。馴染み深い物体は、寝台に立てかけられている魔剣だけだった。
寝台の側にある小窓からは、明るい日が差し込んできている。時刻はもしや昼間ほどなのかもしれない。
やはり場所の思い当たりない。疑問符しか付かず、口を突いて出た。
「ここは──」
「此処は医療施設の一室だ。何にせよ迷宮外に違いない、安心しろ」
返答は期待した馴染みの声ではなかった。
寝台の横に設置された椅子に腰かけているのは、不遜な様子の青年である。黒の長鍔の中折れ帽を被った、濃藍の髪を伸ばす冷徹そうな顔立ちの男だ。寝転がる早綾を見下ろす檸檬色の瞳は、鷹を思い起こさせる鋭さを秘めていた。
服装は帽子を含め黒づくめであり、黒コートを羽織っている。傍目から見ても暑苦しい格好だ。
しかしながら彼自身は平気そうな表情をしている。不思議だ。
──ど、どなただろう。
そんな青年に対し「何故ここにいるのか」という素朴な疑問がよぎる。
どうしたって青年の服装は、医療関係者のそれに見えない。それに早綾の知り合いでもない。
考えてばかりでは答えも出ない。疑問を恐る恐るぶつけてみる。
「ええ、と……あなたは……?」
「ああ名乗るのが遅れたな。俺の名前はクルヴァン・アルスフォート」
「クルヴァン、さん。……ですか」
早綾が確認するように呟くと、クルヴァンという名前の青年は笑った。いきなり噴き出した彼に、早綾はビクリと怯えた様子を見せると「……気にするな」と笑いを噛み殺していた。
格好含め色々とおかしな人である。
ただ悪人には見えず、早綾も必要以上に臆病にならずに済んでいた。
「俺はお前たちを迷宮から拾ってきたんだ。俺が此処に座ってる理由も、半分が其の義理だ」
「あ、ありがとう、ございます。あっ、たち……そ、そうです! エトナとイルル……えっと、僕の近くにいた灰色の髪の女の子とオレンジの髪の小さい女の子は──」
「他の部屋だ。案ずるな、二人とも死んではいない。……片割れが煩いぐらい喚いていたがな」
良かった、と早綾はほっと息を吐く。アトラ=ナクアとの戦闘は苛烈なものだった。半歩先に死の闇が空いた状況下で、誰一人欠けることなかった幸運。それに与れたことを心底感謝した。
そんなときに、ふと気付く。早綾は蒼白に顔色を急変させた。あまりに違和感がなかったために、今に至るまで思考の端をよぎりすらしなかったのだ。
斬り落とされた右腕の部分に、鋼色の『腕』が引きついていた。
「は、はぇ!? な、なにこれ」
「義手だ。……お前の右腕が消えていたから回収出来なかった。だから勝手ながら俺が、義手を作成するよう頼んだ」
義手の代金は俺が持ったから身構えることはない、とクルヴァンは続ける。
「此処に代理魔術師の腕利きがいて助かった。見たところ安物にしては、なかなか精密に動くようだぞ」
言われて、早綾はもう一度自分の右腕へと視線を落とす。確認の意を込めて、右手をぐーぱーと開閉する。以前の感覚とさほど変わらず、挙動の遅れも感じない。メタリックな光沢さえなければ、きっと生来の右腕だと信じて疑わなかっただろう。
クルヴァンに聞いた限りでは、義手は筋力ではなく魔力で動くようだ。ただ魔力だからと特別に意識はしなくて良いらしい。体内を循環する魔力を無意識下で扱い、脳の指示通りに動かせる。安物と彼は嘯いたものの、実際のところ高価な機器なのは確かだろう。魔力で動作を行う、通称魔導具は富裕層や貴族階級の者しか手が出せないのは常識だ。
右腕を喪失して日常生活を送るのは困難である。そのため無断で義手製作の依頼を行ったクルヴァンに、迷惑なんて思うはずもない。
早綾は感謝あまって申し訳なさに苛まれるまである。
──そっか。僕の腕、もうないんだ。
義手のおかげで不便はない。けれども寂寥感と恐怖は去来する。闇の中で何処からか振るわれた大斧に、右肩を断ち切られた鮮烈な記憶。あのときの恐怖は今ですら、歯の根も合わぬほど震えてしまう。複雑な心地を抱きながら、場に暫しの沈黙が降りた。
さて、とクルヴァンが時間を見計らったように話を切り出す。
「俺の用事はこれで半分だ。もう半分の大事な忠告をしておこう
そう言うと、クルヴァンはじろりと視線を寝台を隔てて向こうの──立てかけられた魔剣へと動かす。
一種侮蔑の色に染まる黄色は、再び早綾へと向いたときには消えていた。
「一つは、お前の持つ剣についてだ」
「……この剣、ご存知、なんですか」
「忘れもしない。するものか。其の名称は魔剣『オルドニクス』。俺の知る限りでは、大層な色男が携えていた魔剣だ」
「オルド、ニクス」
掛け布団の上に魔剣を引き寄せる。教えられた名前を呟きながら、剣身を優しく撫でた。その通り──今ですら妖気を漂わせる魔剣は、首肯するように日光を反射する。
それが何故だか愛しくて、目尻を下げてもうひと撫でした。指先を伝う金属の冷たさが心地良い。
穏やかな表情に緩む早綾を他所に、クルヴァンは鍔の陰に顔を隠した。
「此奴の特性は『呪い』の吸収だ」
「の、『呪い』……?」
「そうだ。お前達が迷宮で出会した蜘蛛──お前はアトラ=ナクアと呼んでいたが──そいつの前脚の二対は鋏角の役割を果たす。鋏角から注入されるのは毒でなく『茨の呪い』だ。身体の表面に茨の模様が浮かび上がるのを目にしただろう。あれは対象者の行動を拘束する呪いだった」
なるほど、と早綾は思い返す。道理でエトナやイルルが身体を重たそうにしていた訳だ。早綾自身も『茨の呪い』に苦しめられたはずだがが、他の怪我が酷すぎて苦しめられた自覚がなかった。微妙な気持ちの早綾は、クルヴァンの解説に大人しく耳を傾ける。
ちなみに『呪い』とは、状態異常を引き起こす魔術、という形容が最も馴染みやすいかもしれない。呪いにかかった者は物理的な威力ではなく、麻痺や火傷等の現象に襲われる。それら呪いは「術者が事前に仕掛けた物」もしくは「生態の特徴として持ち合わせている物」の二つに大別される。
クルヴァンは身体をやや後ろに倒しながら説明を続けた。
「設定された条件に抵触すれば痺れ、拘束、火傷等々を与える。しかし通常の治療法では完治しない。わざわざ『解呪』しなければならぬ七面倒な代物。其れが『呪い』だ。アトラ=ナクアによる黒脚の刺突は『茨の呪い』を感染させる、生物固有の性質……大別される二種の後者に当たる」
呪いの大概は、罠として用いられることが多い。たとえば第一層の至る所に潜む罠も、呪いの類いが頻繁に使われている。他、矢先に呪いを付与して毒代わりに使ったり、禁じられた魔導書を開く狼藉者への罠として仕掛けられていたりするようだ。
魔剣オルド二クスはその呪いを吸収し、なおかつ吸収した呪いを敵に付与できる。
アトラ=ナクア戦を思い返す。気力だけで行動していたため記憶が曖昧だが、最後に決め手となった茨の模様。早綾に刻まれた模様が消失し、切っ先が黒脚に触れた途端アトラ=ナクアに模様が展開された──あの出来事こそが呪いの吸収、付与の実例だったのである。
まぁ呪い専門魔術師……つまり呪術師なんかからは毛嫌いされる剣だな、とクルヴァンはぼやくように締め括った。
「俺の知る其の魔剣の特性は以上だ──長話で退屈だったか?」
「あの、いえ、そんな」
悪戯っぽく聞くクルヴァンに見られ、早綾は謙遜して曖昧な笑みを浮かべる。正直なところ詰め込まれすぎて、聞き流した箇所も多々あった。早綾の地頭はよろしくない。『呪いを吸収する魔剣』という、ざっとした理解はできていたが、あとはうろ覚えである。
視線を泳がせる早綾に「案の定か」と嘆息したクルヴァン。
「尤も、お前は忘れても問題ない。……丁度、喧しいお前の仲間が来るようだ。俺も御暇するとしよう」
黒の鍔を抑えながらクルヴァンは、大儀そうに椅子から腰を上げて扉へと向かう。かつんかつん、とこれまた黒塗りのブーツを鳴らして早綾に背を向けた。コートを翻し、どこに収納していたのか漆黒の光沢を見せる杖を片手に持つ。
そんな彼の背中に、堪えきれず早綾は言葉を投げかけた。
「あの! その、何から何までありがとうございます……けど、一つだけ、一つだけ聞いても良いですか?」
「何だ」
早綾から顔を背けたまま、素っ気ない態度で立ち止まる。
当初からずっと脳内に在留した根本的な疑問。意を決して早綾はそれを口にした。
「貴方は、何者なんですか?」
そう、根本的な疑問だ。迷宮で気絶した早綾たちを介抱し、医療機関へ送り届け、見るからに高価そうな魔剣にも手を出さず、義手の金額も彼が支払った──などと、薄汚い迷宮都市の現状を鑑みれば実に異常だった。早綾の知る限り、熱血さんを代表とする善良な人間など極僅かのはずだ。いや、そんな人々も魔が差してもおかしくない状況だった。それにも関わらず、まるで聖人君主のような親切ぶりは異様でしかない。
加えて、魔剣オルド二クスを熟知しているのも気にかかる。
誰もが知る著名な剣ではないはずだ。エトナや奪取しかけたカドゥケスなる冒険者も知らなかった。
更に怪訝な点はもう一つ、迷宮内でのアトラ=ナクアとの戦闘、アトラ=ナクアの生態を詳細に知り過ぎていることだ。
戦闘中は周囲に闇が閉ざしており、誰の気配も感じられなかった。人がいたはずがない。
あの化け物は危険性や初見だったことを考えて、新種モンスターに違いない……けれどもクルヴァンは化け物の鋏角などの情報を所持していた。それらは何故なのか。
怪しむべき箇所は数多くある。ただの通りすがりの冒険者で片付けるには不可解すぎた。
クルヴァンはその問いに、数秒の間をおいて返した。──口許は見えないが、笑っている気がする。
「……俺が至れり尽くせりに面倒を見たのは、単純な話だ。褒美だよ、素晴らしい戦いを見物させて貰った礼だ。他の奴らがどう思おうが、俺はお前の──否、お前たちの『先』に夢を見た。前途有望な『英雄』の幼子、俺はお前を評価する。唾棄すべき魔剣を手にしていたとしても、お前の輝きに曇りはないはずだ」
そのとき不意に頭に電流が走った。クルヴァンの声音を、確かどこかで聞いた覚えがある。
ああ、そうだった。アトラ=ナクアを打倒した後、拍手を送った青年の声がまさに──。
「俺が何者か? 答えは明瞭だ。今はお前たちが迷宮と呼ぶ洞穴の『第一階層主』。其れが、俺だ」
※※※※※※※※※※
「サーヤ! 無事ですか……!? あの男からおかしなことをされませんでしたか!?」
「エ、エトナ……今の人」
唖然とクルヴァンを見送った早綾の下に駆け込んできたのは、身体のあらゆる箇所に包帯を巻いた少女──エトナ・ボルカチオだった。右眼も包帯の白で隠れており、所々赤い染みが認められるも意外に壮健そうである。クルヴァンが他仲間二人も保護したのは事実と分かって、知らず肩の力が抜けた。
そんなエトナはまじまじと早綾の至る所を見た上で、溜息しながら「良かったです……」と零して。
「……ええ。私は早綾たちが倒れた直後、クルヴァンに迷宮で出会っています。真に信じがたいですが、彼の『第一階層主』は虚言ではなさそうです……階層主なんてモノ、以前までの迷宮に存在しないとか、私たちを見逃した理由はとか、色々と言いたいことはありますが……アレが迷宮側の者なのは間違いありません」
苦虫を噛み潰した顔でエトナは、先刻のクルヴァンの発言を肯定した。
階層主。文字通りの意味ならばクルヴァンは第一層を統べる存在、ということだ。早綾はてっきりアトラ=ナクアが第一層で最も強大なモンスターだと認識していた。あれほどのモンスター以上の存在が、第一層を跋扈していると考えたくなかったからだが。
そう思うと、先ほどまでのクルヴァンとの対談の時間が恐ろしくなってくる早綾だった。
「階層主の出現以外にも、外は物凄いことになってますよ。私たちが戦闘した大蜘蛛の化け物のような強力モンスターが迷宮に溢れ返ったようで……迷宮都市は大混乱です。あの日、迷宮に潜っていた冒険者は私たちを除き全滅。後にギルドが救助隊として腕利きの冒険者を編成、突入しても生き残りはゼロ。──あの日から迷宮都市の常識は崩壊しました。おかげで迷宮内の特産物も取れず、商人たちが素足で駆け回ってましたね」
訥々としたエトナの言う『迷宮都市の変貌』に早綾は顔を蒼白に変えていく。
アトラ=ナクアを打倒したら大事になるだろう……とは薄っすら考えていたが、現実は容易にその想像を超えてきた。迷宮都市の産業も、安定志向の冒険者も、最深部を目指す冒険者も、迷宮に関する全てに大混乱を与える出来事に発展していたとは、夢にも思わなかった。
現実味が非常に薄い。こうも日常が脆くも破壊されるものだとは、にわかに信じがたかった。
「これから忙しくなりますよ。サーヤが目覚めたら、と招待状も送られてきました」
「えっ……誰から?」
「迷宮都市の領主様です。何でも、迷宮から帰還した貴重な生き残りとして話が聞きたいそうです」
これまた早綾の思考が空白に。
迷宮都市は都市国家の部類に入る。勿論、都市に領主は付き物で、それは例外だらけの迷宮都市にも言えることだった。民主主義は迷宮都市で導入されておらず、迷宮都市の舵取りを行うのは領主の仕事だ。つまり国のトップに呼び出されている──そう考えると早綾からすれば驚天動地のことだった。
目まぐるしい取り巻く現状の変化に、早綾はただただ放心するばかりである。
「……では、これからの話はこれで終わりです。私からは、ひとつだけ」
一度、両手を叩いてエトナは双眸を瞑った。目をぐるぐる回す早綾のためだろう。これ以上とやかく話されると早綾が処理し切れず、倒れてしまうと判断したに違いない。……何もそこまで旧型機械みたいな脳内構造ではないとは言え、助かったのは事実だった。今はとにかく、ひと呼吸おいて頭の整理をしたい。
早綾は息を吐いてから「ひとつだけ」と言ったエトナに向き直る。
目を合わせたエトナは、傷付いて包帯と擦り傷だらけの顔を緩ませて──。
「──よく頑張りましたね、サーヤ」
「…………うん。ありがとう。エトナ」
おまけを次に一話書きますが、とりあえずこれで第一章完結です! ありがとうございました!
あれヤンデレは……という方! ヤンデレ要素等々は次のおまけ回と二章からになります。ごめんなさい!
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