第108話
「ミツ!」
呼ばれてハッと我に返る。りっちゃんがバンバンと机を叩いていた。
「もうっ、じれったい! あたしが代わりに誘おうか!?」
「イヤ! りっちゃんそれは勘弁してください!」
私の手からスマホを捥ぎ取ろうとするりっちゃんを押し留めスマホを遠ざける。
──夏休みに入って数日。りっちゃんにより私と來未ちゃんは近くのカフェに招集されていた。いい加減久重先輩との仲を改善しましょう──というか、進めましょうと。
ノースリーブで惜しげなく肌を出したりっちゃんは、その白い腕を組んでふんぞり返る。
「だって先輩に全然動きないじゃん。もう夏休みに入って5日だよ、5日! 明後日は花火だよ!? まだ誘わないとかさすがに久重先輩ヘタレ過ぎるわ…」
「ほ、ほら、久重先輩も部活があるわけだし…」
「好きな女の子にLINEする暇くらいあるでしょ」
「好きと決まったわけじゃ…」
「ここまで来て好きじゃなかったって言ったらそれは引くわ…」
りっちゃんから呆れた溜息が零れた。多分私も当事者でなければ同じ感想を抱くだろうから何も返せない。來未ちゃんに助けを求めるけれど、素知らぬ顔でクリームソーダのアイスを食べている。
「夏休みの間に付き合えばいーのに。そうすればイベント網羅できるよ? カップルの醍醐味なんて夏に凝縮されてるようなもんなんだから」
「りっちゃんも彼氏作ってから言えば」
「來未ちゃん正論はダメ! ていうか、彼氏は部活?」
「うん。ほとんど毎日だから夜時々会うくらいかな」
昨日は飲み会だったから会ってないけど、と言われれば、凪砂くんが頭に過る。
「…來未ちゃん、因みにその飲み会というのは…サッカー部の?」
「うん。サッカー部はいつも飲み会に欠席いないらしいし、漏れなく全員参加してると思うよ」
その説明が、凪砂くんと久重先輩が同じ宴会に出席していたことを教えてくれる。なんだかとても複雑な気分になった。
「昨日飲み会だったってことは今日休みとかじゃないの?」
「休みだよ」
「えっ…会わなくて良かった? ていうか呼び出して大丈夫だった?」
「大丈夫。飲み会はいつも潰されるから次の日はゆっくりしたいんだって」
潰される…つまりその直前は意識が朦朧として理性も緩んでるはず。冷房が効きすぎているわけでもないのに冷汗が流れた。
「じゃあ今連絡しても久重先輩も潰れてるのか…」
「久重先輩ってお酒強いっけ?」
「フツーじゃない? そんなに飲んでるのは見ないけど」
凪砂くんは、5日前のことを久重先輩に話したりしてないだろうか。凪砂くんを信用していない、というよりは、純粋にお酒の威力が気になる。
『…ごめん。今の忘れて』
──あの夜、私が言葉を失っている間に、凪砂くんは勝手に弁明を始めてしまった。
『なんでもない。ちょっと気が動転してた』
凪砂くんらしくない、繋ぎにすらならない言い訳。
『帰るわ。んじゃ』
待ってと言ったところで答えが用意できるわけでもない。饒舌になってたのは一時的なものに過ぎなかったのか、あまり言葉を発さずに凪砂くんは出て行った。茫然としている私を一瞥して、ちょっときまり悪そうに俯いて、「ごめん」ともう一言呟いて。
以来、凪砂くんからは放置されている。飲みの誘いはおろか、返事の催促すらない。部活の練習で忙しいことを言い訳にできないほど不自然で中途な告白。
でも、忘れてってことは、取消し──遡及的無効。あの告白は、なかったことにされたのだろうか。




