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ギレイの旅  作者: 千夜
7章
199/561

覗き魔

 獅子が仕事に行くと言って出てから1時間も経つ前に、儀礼は二度寝することをあきらめた。

いつもなら、儀礼は確実に獅子に叩き起こされている。

いつの間にか、儀礼の体内時計も起きる時間だと認識してしまったらしかった。

「あー、眠いのに寝れないなんて、最悪だ」

眉間にしわを作って儀礼は前髪をかきあげる。何かと忙しい日々が続き髪を切る暇などなかった。

数ヶ月ほったらかしの髪は目に入るほどの長さになっていた。

「やばい、切らなきゃ。そうか、これのせいか」

一人で納得したように呟き、儀礼はハサミと洗面用具一式を持って部屋を出た。


 儀礼たちが泊まっているのは安い宿だ。

ぜいたくをするつもりもないので、寝泊りができればそれで十分だった。

その宿は一階に食堂と風呂があり、そのどちらもが一般に開放されていて、泊り客以外にも大勢が利用していた。

洗面所を兼ねているので、早朝から使えるその風呂場が見える場所まで来て、儀礼はまた渋面を作った。

風呂場の前の廊下に、がらの悪い男が数人立っているのだ。

それは、儀礼が昨夜そこに寝かしつけたはずの男達だった。

(とっくに帰ったと思ったのに)

儀礼は引き返そうかと足を止める。

昨夜は、怪しい男共が廊下に転がった状態で、武器も持てない風呂に入るのに気がひけて、儀礼は諦めて寝ることにしたのだ。


 男たちは当たり前の様に女湯の扉を開け、中を確かめ、誰もいないなどと言っている。

男たちの行動に気付いているはずの宿の主は、脂汗をかいて見て見ぬ振り。

儀礼はポケットの中の薬瓶に麻酔薬が残っていることを確かめた。

早朝の宿はいつにも増して静かだった。


「来たな。ここで待ってりゃ来ると思ってたぜ」

儀礼が引き返す前に、男の一人が儀礼に気付いて言った。

頬に木の板の模様がついている。待っていたと言うより、今までここで眠っていたようだ。

「ボスがお前に会いたいって言ってんだよ。別に付き合えとか言ってるわけじゃないんだ、何も怖いことなんてないだろ、会うだけなんだから」

その中では年長者らしい男が胡散臭い笑顔で儀礼に言う。たばこを持った腕を組み、女湯の扉の前を塞いで。

洗面道具を抱えてはいるが、もちろん、儀礼はそちら側には用はない。


 この男、一昨日は「兄貴分があなたに会いたがってるんだ」と、そう言った。

昨日は、「俺達のリーダーがあんたと話したいって言ってんだ。ちょぉっと来て話しするだけでいいから」と、そう言って両日とも儀礼の腕を無理やり引こうとしたので、彼らにはその度にぐっすり眠ってもらっていた。

最近麻酔薬の減りが速い、と儀礼はポケットの中でその瓶を転がす。

 そして、今日は『ボス』ときた。がらが悪い上に怪しさ満点だ。

その男が目配せすれば、残りの男たちが警戒したように儀礼の腕をポケットから引っ張り出して取り押さえる。

さすがに二日もやれば学習するらしい。


 一本の腕をそれぞれ二人の男につかまれた状態で、儀礼はまとめ役らしい男を見る。

儀礼はちゃんと何度も言った。

「僕は『男』です」

「だから、付き合えとかそんなこと言ってないだろ。」

にやにやと笑いながら、確かめるように男は儀礼の顔に手を伸ばした。

たばこの灰が儀礼の肩に落ちる。

伸びた儀礼の髪に触れる男の手からは、タバコの臭いに隠れ、かすかに血と薬品の臭いがした。


 ポケットの中がだめ、手が使えない。それでも儀礼は口元を緩める。

「お断りします」

そう言って、儀礼は第三のスイッチ、靴に仕掛けたボタンを踏み込んだ。

 プシューーッ!

儀礼の白衣から白い霧が噴き出す。白く染まった範囲は狭く、儀礼の周囲半径1m程。薬量節約のため、男たちの距離を近づける必要があった。

そして、今日も見事に男たちは床に倒れた。


「いやぁ、助かったよ。今日もありがとう」

一部始終を、離れた位置で隠れて見ていた宿の主が言った。

この主には部屋を取るときに冒険者ライセンスを見せたので、儀礼が男であると知っている。

女湯を覗く男たちが、儀礼に用があって来ているとは思っていないようだった。

なので主は、連日女湯を覗くがらの悪い男たちを倒し、儀礼が営業妨害から救ってくれたと思っているらしい。

その程度の誤解なら解かなくてもいい、と、儀礼は今日も一人頷いた。


 ところが、範囲を狭めたはずの麻酔薬を間違って吸ってしまったようで、儀礼の背後に女性が一人倒れていた。

儀礼が管理局で見かけたことのある女性だった。

三日前にこの町について、儀礼は研究室を借り、基本朝から夜まで管理局にいる。

この女性は、管理局の食堂でよく隣り合ったり、廊下でしょっちゅうすれ違ったりしたのだ。

肩で切りそろえられた黒い髪、緑がかった青い瞳。本当によく会ったので儀礼は覚えた。

女性なのでさすがに、この男たちと一緒に公共の場に放置するわけにはいかない。

かと言って、意識のない女性を自分の部屋に連れて行くのは問題な気がした。

迷った末、儀礼は病院にでも連れて行こうと、その女性を抱き上げた。

小柄なためか、女性はそれほど重くは感じない。しかし、儀礼は持って来ていた自分の洗面用具を落としそうだった。


 儀礼が悩んでいると、ざわめく声が始まり、すぐに大勢の泥まみれの客がやってきた。

「うわ、ここも混みそうだな」

頭から土を被ったような格好の男が入り口でお金を払いながら言うのが聞こえた。

「南の風呂屋もいっぱいだったよ」

人ごみになり始めたその風呂場前の廊下で誰かが言った。

儀礼は何が起こったのかわからず、女性を抱えたまま、泥まみれの客たちに道を譲る。

「うわ、なんだこの男たち。踏んじまった」

「邪魔だな、酔っ払って寝てんじゃないか?」

人ごみの足元はよく見えないが、酔っ払いと勘違いされたようなので、放っておこうと儀礼はまた、一人頷く。

その大勢の客の後ろから、獅子が宿へと入ってくるのが見えた。

その隣りには、『砂神の勇者』。男とは間違えることのない、少女の姿。

儀礼は目を見開く。


「どうしたの?」

不思議な組み合わせ。近付いてきた二人に、儀礼は目を大きく瞬いて問いかける。

「土砂災害だ」

クリームが答える。

「雨、降ったっけ??」

眉根を寄せ、儀礼は首を傾げる。

「魔法によるものだ」

クリームの言葉に、今度は納得したように儀礼は頷く。

「人災かぁ。」

困ったように儀礼は苦笑した。

「片付け、手伝うか?」

外を示して、笑うようにクリームが問えば、儀礼は苦い笑みを、爽やかな笑みへと変える。

「僕、この人運ばないといけないから、できない」

「どうしたんだ?」

儀礼がにっこりと笑えば、その腕で眠る女性を覗き込むようにして、今度は獅子が口を開いた。

「間違って、麻酔吸っちゃって」

少し視線を揺らして儀礼は答える。

「ほんと、絶対、わざとじゃないから」

獅子の睨むような視線に、儀礼は慌てて弁明する。


「これじゃ風呂は無理だよな。混んでるし。獅子、僕の荷物部屋に持ってってくれる? 僕、この人連れてかないと。後で空いたころに、南の風呂屋ってとこ行ってみようよ。」

儀礼が言えば、獅子は儀礼が手に持っていた荷物を預かる。そして、

「一人で行け」

さりげなく護衛を確保しようとする儀礼を、からかうように獅子は笑った。

「後でな」

そう言うと、獅子は儀礼の荷物を持って部屋のある2階へと階段を上がっていった。


「あっ! と、忘れてた……」

女性を抱えて歩き出そうとした儀礼は思い出したように足を止めた。

「クリーム少し時間ある?」

「何だ?」

儀礼の問いに、警戒したような硬い声でクリームは答えた。

「あのさ、あの辺に男の人たちが寝てるんだけど人がいっぱいいるから邪魔になってるんだ。片してもらえないかな」

風呂に入るために並んでいる人ごみの足元を指差して儀礼は言った。


「ああ。わかった」

安心したように息を吐き、次いで、クリームは口の端を上げた。

「片せって、人を物の様に」

呆れたようにクリームに言われ、儀礼は頬を膨らませる。

「女湯覗きの常習犯、警備兵に引き渡しちゃってください。」

儀礼が言えば、クリームは苦笑する。

「覗きか。」

こくこくと儀礼は頷く。さすがに、腕が女性の重さを感じてきた。

力尽きる前に、儀礼は眠る女性を抱えて、病院を目指した。



 病院に着き、巻き込んでしまったことを謝ろうと、女性が起きるのを待つことにした儀礼。

医師に頼み、中和薬を点滴してもらう。

しばらくすれば、うっすらと女性は目を開いた。

「よかった。ごめんなさい、巻き込んでしまって」

申し訳なさそうに女性に謝る儀礼。

「あの、何があって……ここは?」

戸惑ったように見慣れぬ病室を見回す女性。

「病院です。僕の使った薬であなたは眠ってしまって。申し訳ないですが、運ばせてもらいました」

すみません。と儀礼はもう一度女性に頭を下げる。

肩までの黒い髪、緑がかった青い瞳。フェードではよくある色合いだが、女性の容姿は整っていて、その色をより鮮やかに美しく見せていた。


 儀礼はその女性を知っていた。隣同士で食事したのも1度や2度ではない。

儀礼が研究室から出るタイミングで女性が廊下を歩いてくることも多かった。

本当に、偶然によく出会った。

「それじゃあ、あなたが私を抱いて……」

恥ずかしそうに女性が顔を赤らめる。

そう言えば、女性は体重なんかを、気にするものだったと儀礼は思い出す。

それに抱き上げて運ぶためには当然、体に、触れた。

儀礼は慌てたように視線をうつむける。


「あ、すみません。誰かに頼むのも心配で。なにもしてないので安心して――」

安心してください、と儀礼は言おうとした。

言おうとして目線を上げ、女性がうっとりとした様子で儀礼を見ているのに気付いた。

両手を胸の前に組み、「ああ神様、ついに願いが叶いました」などと言いだす。

「ずっと、見てたの。あなたが管理局に来た日から。あなたも、私のことを見てるって、すぐに気付いたわ」

熱に浮かされたような潤んだ瞳と、鮮やかに染まった朱色の頬で、ベッドに横になったまま、女性は儀礼を見上げる。


「これで私達、恋人どうしなのね」

嬉しそうに、女性は微笑んだ。最高の幸せの中にいると言う表情かおで。

「あの、僕何もしてな――」

「わかってるわ。あなたはまだ若いもの。式は来年ね」

儀礼の言葉を遮って、女性は意味不明な言葉を発する。


 儀礼はこの女性を知っていた。

3日前に来たこの町の管理局でよく見かける女性。

それ以外に何も知らない。

「あの! 本当に僕らの間には何もないので!」

信じてもらおうと、思わず儀礼は女性の肩に手をかけていた。

「まあ、また?」

恥ずかしそうに顔中を赤くして、女性が視線を逸らせた。

一体、何がまたなのか。


 儀礼は恐れるように女性から手を離した。

この女性は別言語を話している。100を超える種類の言語を知る儀礼が、そう解釈した。

つまり、この女性に儀礼の言葉は通じない。

「失礼します」

深く頭を下げ、それだけ言って、儀礼はその病室を後にした。

全力でもって、己の気配を消して、儀礼は病院から走り去った。

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