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ギレイの旅  作者: 千夜
6章
187/561

並び立つ者

「儀礼の奴、せえ」

薄暗い宿の中、獅子は苛立たしげに腕を組み、靴の裏で床を叩く。

秋の終わり、辺りはもうすっかり暗くなっている。

別に時間を待ち合わせたわけではないので、儀礼が遅れているわけではないのだが、帰ってこない儀礼に、獅子の中の不信感が募っていく。

今朝早く、獅子は戦闘を放棄した儀礼に、逃げられた。

黒い窓に目をやれば、宿の中に逃げ込む儀礼の背中が、やけにはっきりと思い浮かんだ。

「まさかあいつ、まだ戦わされると思って警戒してんのか?」

窓から視線を外し、獅子はあごに手をあて考える。

基本的に戦闘を好まない儀礼。その儀礼が、あまりにも珍しい戦闘スタイルで余裕を見せたので、獅子はついむきになってしまった。

獅子には、戦わないとは言い切れないが、少なくとも儀礼にやる気がなければ意味がないとは思っている。

勝つ気のない相手に勝っても嬉しくも、楽しくもない。


 それともう一つ、獅子には気になることがあった。

ギルドでのことだ。

今日のギルドは明らかにおかしかった。今日一日、獅子はまともな仕事にならなかった。

次から次に人が会いに来ては、握手を求めたり、襲い掛かる勢いで、手合わせを願ってきたりしたのだ。

よくよく聞いてみれば、どうやら変な噂が流されたらしい。

『黒獅子の姿を見れば魔蟲が逃げる』『黒獅子は一睨みで山火事を消す』『黒獅子は空を歩く』等々……。

全くもって意味がわからない。

しかもどういうわけか、その噂を聞いた人たちは、そのありえない噂を信じているのだ。

「確かな情報源から聞いた」と、皆浮かされたように、そう言う。

獅子もぜひ見てみたいものだった、空を歩く人間なんてものを。


 はぁ、と獅子は溜息をつく。それをやりそうな人間に一人心当たりがある。

それが、先程から獅子を苛立たせる原因の儀礼だ。変な噂を広めるどころか、『Sランク』と言われる少年は空だって歩きそうだった。

「Sランク……か」

それは、人には簡単に手の届かない存在。

それを求めて、たくさんの不審者が儀礼の周りには集まる。特に、ここ数日は随分多くなっていたのだが。

「……いない?」

窓を開け、眉根を寄せて獅子は周囲を確認する。静かだった。儀礼を探る不審者の気配がまったくない。

儀礼がここにいないからだろうか、と当たりを付け獅子は宿の外へと向かった。

不審者が皆、儀礼を追っているのだとしたら、一人にしておくことに少し不安があった。

儀礼が危険だからではない、戦いをいとう儀礼が自分に襲い掛かる相手にどこまで対応するかが心配だった。

自分の命が極限まで危険にならない限り、儀礼は相手を傷つけようとはしないだろうと獅子は感じていた。

そこが、武人と文人の決定的な違い。


 宿の中庭に足を踏み出したところで獅子は突然身構えた。

一瞬で抜き放った光の剣に、短い剣が噛み合わされている。

闇に溶けるように気配を消していたのは、明るい髪色に白い胴体。そのシルエットから細身の少年であると思われた。

(儀礼か!?)

一瞬、獅子の瞳にはよく知る少年の姿が見えた気がした。

だが、そこにいたのは儀礼ではない。見知った人間であることに、違いはなかったが。


 明るい茶髪と、闇に浮き立つ白いマント。きらめく二本の短剣。

闇の中、宿の中庭に立った獅子に、気配を消して襲い掛かってきたのは、元暗殺者ゼラードだった。

有無を言わせず、ゼラードは獅子に攻撃を仕掛ける。火花を散らす、激しい戦闘になった。

力では獅子が勝っているが、技術と速さはゼラードが上。

暗い闇の中に浮き上がる白い『光の剣』と、黄金に輝く『砂神の剣』。

両者の力は拮抗する。


「弱いっ」

ゼラードが低く、怒りを込めた声で言う。

「弱すぎんだよ! お前も、あたしも!」

剣を交えた状態で、叫ぶようにゼラードが言った。

ぶつかり合った古代遺産の剣同士が軋む。

それは、ゼラードの叫びと共に、獅子の耳には悲痛な泣き言のように聞こえた。


「なんでお前はまだその程度なんだ。さっさと俺に差をつけて、あいつを……守ってやってくれよ」

苦しそうな表情で、ゼラードが咬みあう剣を離す。

ゼラードはそう言うが、獅子もゼラードも前回会った時よりもずっと腕を上げている。

獅子から見ればゼラードの成長は驚異的で、ゼラードに取っては獅子の成長が予想通り並外れたものだった。

「あたしの想像なんか超えて、ずっと強くなってたっていいんだ。なんで、なんであいつに追いつけない」

ぎりっ、と歯を噛み締めてゼラードが言う。


「あいつって、儀礼か??」

首をかしげて、今さらのことを獅子は聞く。

「お前はっ! 他に誰がいるって言うんだよ! あいつ、つったらギレイだ。バカの振りして人を振り回して、強いくせに弱くて泣き虫で中味ガキのくせに人のこと見透かしてみる綺麗でもろくて睨めばへこたれるのに頑固で極悪非道の美人の変人だ!」

早口で、溜まっていたものでも吐き出すようにゼラードは言った。

その半分もまともに聞き取れなかったというのに、そのどれもが儀礼を指しているのだと獅子は納得してしまった。ほぼ悪口だった気もするが。


「勝てねぇよ。なんだよあいつ。なんであんな……っ」

そこで言葉を止め、悔しそうに顔を歪めたかと思うと、すぐにゼラードの顔に朱が昇る。

苛立ち、羞恥、照れ、そのどれとでも取れそうな表情に獅子は首を傾げる。儀礼は一体ゼラードに何をしたのだろうか?

「俺じゃあだめだ。俺一人じゃだめなんだ。お前も強くなれ。あいつを超える程、すぐにだ!」

剣を鞘に収め、獅子の胸ぐらを掴むようにしてゼラードが獅子に詰め寄る。

強い闘争心、気配を消す静けさ、苛立ちと焦り。

様々な物がゼラードの瞳に映る。


「儀礼は強いか?」

疑う、のではなく確かめるように獅子は問う。

よぇーよ。あたしにでも一瞬で倒せるさ。ちょっと睨んで一突きすりゃ終いだ」

言いながらも、ゼラードの瞳は獅子の問いの方を肯定している。敵対するなら強い、と。

しかし。

「弱いんだよ。だから……心配なんだ。」

ゼラードは獅子の服から手を放し、力の抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。

ゼラードの言いたい事はなんとなく獅子にもわかった。獅子もついさっきまで同じようなことを考えていた。


「お前、今まで何人倒した? 実力ある奴でも、ザコでも構わねぇ、でもそれは、万を超えるか?」

屈んだ先でゼラードが拳を握り締める。

「あたしですらかなわない……」

話し続けるゼラードに対し、どうでもいいが、と獅子は思う。人の足先で殺気を放つのはやめてもらいたい。思わず蹴り飛ばしたくなるものだ、と。


 はぁ、と息を吐いてから獅子は口を開く。

「あいつな、最近逃げんだよな。俺から」

がりがりと頭をかいて獅子は言う。

「正直、あいつの実力がわからねぇ。一番近くにいると思ってんのになっさけねぇ」

ヒュンと剣を一振りして、獅子も刀身を鞘に収める。

「あいつが人、倒した数? 知らねぇよ。あいつは倒すより助ける方が多いんだぞ。俺が殺そうとする奴まであいつは生かす。だから、って、卑怯だと思わねぇか? ボタンプチッ、でシューって煙が出て人が全部倒れんだぞ、それ全部数えられるかっ」

わざわざ儀礼を真似て、その動作をして見せる獅子。

大きな体が大きな動作でそれを言えば、喜劇のようにしか見えない。

獅子を見上げていたゼラードが立ち上がった。

「気にしても仕方ないってことか」

納得したようにゼラードは呟く。


 ゼラードの言う通りならば、強くならなければならないのだ。獅子もゼラードも今よりもっと。

『蜃気楼』と称される、その少年に並び立つために。

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