王太子が選んだ少女
公開演習の翌週、エリナ・ハーヴェイは王太子アレクシスから呼び出された。
知らせを受けた本人は、その理由をまったく理解できなかったらしい。
教師に連れられて王太子の控室まで来たエリナは、扉の前で何度も制服の襟元を確認していた。公開演習で何か失敗したのではないか、あるいは提出した復旧計画に問題があったのではないかと考えているようで、教師から「叱責ではない」と説明されても緊張は消えなかった。
「エリナ・ハーヴェイです。お呼びと伺いました」
入室を許されても、声には硬さが残っていた。
室内にいたアレクシスは、そんな一年生を必要以上に緊張させないよう、執務机ではなく来客用の席を使っていた。護衛は扉の外におり、学院側から立会人として教師が一人だけ同席している。
「急に呼び出して悪かった。座ってくれ」
「はい。失礼いたします」
エリナは椅子へ腰を下ろしたものの、背筋は不自然なくらい伸びている。
アレクシスは机の上に置いていた一枚の紙を持ち上げた。
「公開演習の記録を読んだ」
その瞬間、エリナの顔にわずかな不安が浮かんだ。
「何か問題がありましたでしょうか?」
「どうして最初に問題があったと思うんだ?」
「王太子殿下から直接呼び出されるような成績ではありませんでしたので……」
あまりにも率直な返答だったため、同席していた教師が小さく咳払いした。
しかしアレクシスは気を悪くせず、むしろ少し笑った。
「確かに、個人評価だけなら上位ではない。教師からも、考える範囲を広げすぎて優先順位が曖昧になる傾向があると指摘されている」
「はい。自分でも、その通りだと思います」
「随分素直に認めるな」
「実際に、班の皆さんに何度か止めてもらいましたから。私は一つ気になると、その先まで考えてしまうみたいです」
アレクシスはそこで、手元の記録へ視線を落とした。
災害後の都市で、何を最初に復旧するのか。
その問いに対し、エリナは特別に斬新な答えを出したわけではない。食料も必要だと考え、街道も直すべきだと考え、避難所も維持すべきだと書いている。
目を引いたのは、その先だった。
「復旧作業へ住民を雇用する一方で、農家や商人まで長期間工事へ動員すれば本来の産業が戻らない、と考えたそうだな」
「はい。でも、それは班で話している途中に気づいたことで、最初から考えていたわけではありません」
「無料の食料支援を段階的に減らし、地元の商店を再開させるという案も?」
「それはフェルド先輩の班にも似た意見がありました。私だけが考えたことではありません」
「税の減免を被害状況によって変えるという案は?」
エリナは少し困ったような顔になった。
「それは私が言いました。ただ、正しいかは分かりません。全員の税をなくした方が住民は助かると思ったんですが、復旧する側にもお金が必要なので……」
「だから被害の大きい者から優先した」
「はい。ただ、実際の税について詳しいわけではありません。数字まで計算しろと言われたら、たぶんできなかったと思います」
自分を良く見せようとしている様子がない。
分からないことは分からないと言い、他人から出た案を自分の成果にもしていない。
アレクシスは資料を机へ戻した。
「ハーヴェイ。お前は自分の長所が何だと思う?」
エリナは完全に困ってしまった。
「長所、ですか?」
「魔法でも学問でも構わない」
「学科は……悪くないと思います。でも、特別良いわけでもありません。魔法も普通ですし、剣は得意ではありません」
「それは長所ではなく成績の説明だな」
「すみません」
思わず謝ったエリナを見て、アレクシスは笑いそうになるのを堪えた。
未来のことを何も知らない彼にとっても、目の前の少女が完成された人物ではないことは明らかだった。
「では質問を変えよう。公開演習で一番気になったものは何だ?」
今度はエリナも少し考えてから答えた。
「復旧計画を立てても、その通りにはならなかったことです」
「途中で街道が使えなくなった追加条件か?」
「それもあります。でも、班の人によって大事だと思うものが全然違いました。私は住民の生活が気になりましたけど、別の人は治安を優先していましたし、食料を最初に考えた人もいました。最初はどれが正しいのか決めようとしていたんですけど、途中から一つだけ正しいわけじゃないんだと思いました」
話しているうちに、先ほどまでの硬さが少しずつ消えていく。
「それで、どうした?」
「全部はできないので、組み合わせられるものを探しました。治安維持のために人を置くなら、物資を配る場所の近くにしてもらうとか。復旧作業で住民を雇うなら、その人が元々していた仕事まで止めないようにするとか……うまくできたかは分かりませんけど」
アレクシスは途中で遮らなかった。
話し終えたエリナは、自分が王太子を相手に随分長く話していたことへようやく気づいたらしい。
「あ……申し訳ありません」
「なぜ謝る?」
「話しすぎました」
「私が質問したんだ。答えを途中でやめられる方が困る」
そう言われても、エリナの緊張は完全には戻らなかった。
アレクシスはもう一度資料を見る。
これだけで将来優れた政治家になると判断することはできない。
知識も経験も足りず、本人も自分の能力を理解していない。既存の一次選抜者と比べれば、明確な強みを説明することすら難しい。
それでも、だからこそ今回の公開演習を実施した意味があった。
成績表だけでは拾えないものを見るための機会だったのだから。
「ハーヴェイ。一つ提案がある」
「はい」
「今回の追加側近候補の選考に参加してみないか?」
エリナは返事をしなかった。
正確には、できなかった。
目を見開いたままアレクシスを見つめ、数秒経ってからようやく自分が何か答えなければならないことに気づいたようだった。
「……私が、ですか?」
「ここには他にハーヴェイはいないな」
「でも、私は一次選抜に入っていません」
「だから公開演習をやった。最初の選抜から漏れた者に、別の形で能力を見せる機会を作ったんだ。そこで気になる者がいたなら、確認するのが私の仕事だろう」
「ですが、私より成績の良い方はたくさんいます」
「いるだろうな」
即答され、エリナはさらに困惑した。
「魔法が強い者も、剣が得意な者も、私より成績が良い者もすでに候補にいる。だから同じ人間を増やす必要はない」
アレクシスは少しだけ声を柔らかくした。
「それに、側近候補へ加えると言っても、明日から私の側近になるわけじゃない。今後の課題や学業を見ながら、本当に向いているかを確かめるための候補だ。お前自身が違うと思えば、途中で別の道を選ぶこともできる」
「別の道を……選んでもいいんですか?」
「当然だ。私の近くで働く人間を探しているのであって、嫌がる人間を縛りたいわけではない」
エリナは膝の上で手を組み、しばらく俯いた。
教師もアレクシスも急かさない。
やがて彼女は顔を上げた。
「私でよろしければ、参加してみたいです」
「決まりだな」
「ただ、本当に役に立てるかは分かりません」
「それを調べるための候補期間だ。最初から分かっていたら選考など必要ない」
アレクシスが笑うと、ようやくエリナも小さく笑った。
その日の午後、追加側近候補の選考参加者へ一つの連絡が届いた。
公開演習の結果を受け、新たに一名を候補者へ加えるという内容だった。
名前はエリナ・ハーヴェイ。
教室で知らせを聞いたシオンは、驚かなかった。
だが、思っていた以上に嬉しかった。
「知ってたの?」
隣からセレナに小声で尋ねられ、シオンは首を横に振った。
「今日決まるとは知らなかったよ」
「では、その顔は?」
「殿下が自分で決めたんだなと思って」
セレナは少しだけ目を細めたが、それ以上は尋ねなかった。
ディランは新しく加わる一年生がどんな人物なのか周囲へ聞き、ノアは公開演習で同じような商業回復案を出していた少女だと思い出している。ヴァルターは騒がず、公開演習の評価を見て追加したのなら理由はあるのだろうと受け止めていた。
その反応を眺めながら、シオンは以前の自分ならどうしただろうと考えた。
未来で名宰相になる。
その事実を知った瞬間、アレクシスへ名前を伝えていたかもしれない。
そうすればもっと早かった。
エリナを探し、公開演習を提案し、本人の能力を確かめる必要もなかった。
けれど、それでは今回の選択は未来の再現にしかならなかった。
今回、シオンがアレクシスへ教えたのは、未来で彼を支える人物がどこかにいるということだけだった。
名前は伝えていない。
公開演習でもエリナへ声を掛けず、同じ班へ入るよう働きかけてもいない。
その中で彼女自身が参加し、自分の考えを示した。
教師がそれを記録し、その記録を読んだアレクシスが本人を呼び、自分で話を聞いた。
そして、現在のエリナ・ハーヴェイを見て候補へ加えた。
未来で偉人になるから選ばれたのではない。
十三歳の今にも、選ばれるだけのものがあったのだ。
放課後、シオンが教室を出ると、廊下の先に見覚えのある少女が立っていた。
エリナだった。
こちらを見つけると、少し緊張した様子で近づいてくる。
「アルヴェリア先輩」
「候補入り、おめでとう」
「ありがとうございます。でも、まだ実感がなくて……」
彼女は困ったように笑った。
「今日の朝まで、卒業したら事務の仕事を探そうと思っていたんです。それが昼には王太子殿下の側近候補になっていました」
「人生って分からないね」
「先輩がそれを言いますか?」
「俺だから言うんだよ」
意味が分からなかったのか、エリナは首を傾げた。
シオンは笑うだけに留める。
「無理に未来のことまで決めなくていいと思う。候補になっただけなんだから、合わなかったら別の道を考えればいい」
「殿下にも同じことを言われました」
「じゃあ、なおさら大丈夫だ」
「……はい。まずはやってみます」
まだ自信に満ちた返事ではなかった。
それでも、最初に会った時よりほんの少しだけ前を向いているように見えた。
シオンが知る未来では、エリナ・ハーヴェイは王国でも名の知られた人物になる。
しかし、同じ未来になるかどうかはもう分からない。
アレクシスが国王になる時期さえ、シオンの知る歴史とは変わっている。エリナが同じ役職に就く保証もなければ、同じ政策を行う保証もない。
それでも今日、未来とは関係なく一つの道が始まった。
シオンが未来から持ち帰った名前は、扉を開くきっかけになっただけだった。
その扉を通ったのはエリナ自身であり、彼女を選んだのはアレクシスだった。
それなら、この先まで一周目と同じである必要はない。
未来で名宰相になる少女ではなく、まだ自分の長所さえ上手く説明できないエリナ・ハーヴェイが、王太子の新たな側近候補として最初の一歩を踏み出した。




