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無能の逆襲 ~無能は回帰しても無能のままだった~  作者: にゅん


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未来の英雄

 入学式から数日が経ち、シオンは少しずつ王立学院での生活に馴染み始めていた。一度目の人生でも六年間を過ごした場所ではあるが、授業の担当教師や同級生の顔ぶれには記憶と違う部分も多く、昔の経験だけを頼りに歩けるほど同じ学院ではなかった。


 もっとも、入学初日に集めてしまった注目だけは、まだほとんど収まっていない。廊下を歩けば時折こちらを見る生徒がおり、教室でもシオンとセレナが話していると、露骨にならない程度に聞き耳を立てている者がいる。


「やっぱり、まだ見られてるな」


「気にしすぎではありませんか? 誰もシオン様に何か言ってくるわけではありませんし」


「直接聞いてくれた方が楽なんだけどね。俺だって、陛下と知り合った経緯を説明するつもりはないけど」


 隣を歩くセレナは、相変わらず周囲の視線をほとんど気にしていなかった。彼女自身が公爵令嬢として幼い頃から人に見られることへ慣れているせいもあるのだろう。


 シオンも視線そのものが嫌なわけではない。ただ、自分について調べたところで、彼らが納得できる答えはまず見つからないだろうとは思っていた。


 ローデン金鉱を発見したのは、公式には父ガルディスが派遣した調査隊である。美容商品の事業を育てたのは母エレノアとカイルたちであり、レグナード大震災への支援もアルヴェリア侯爵家とベルナード商店の功績として知られている。


 セレナを救った事件についても、街道を巡回していたアルヴェリア家の騎士がヴァレンティア公爵家の一行を救援したことになっている。まして国王が毒殺されかけていたことなど、一般の貴族が調べられる情報ではなかった。


 つまり、公に残っているシオン個人の実績はほとんど何もない。それなのに王家やヴァレンティア家との距離だけは妙に近いのだから、事情を知らない者から見れば不自然なのも当然だった。


「シオン様、次は実技ですよ」


「分かってる。だから少し憂鬱なんだよ」


「まだ始まってもいませんよ?」


「始まる前だから憂鬱なんだ」


 そんな会話をしながら二人が向かったのは、学院の屋外訓練場だった。今日から基礎実技の授業が始まり、新入生の身体能力や武器の扱いについて確認が行われることになっている。


 訓練場にはすでに多くの生徒が集まっていた。木剣や訓練槍などが用意されているものの、初日から本格的な模擬戦をするわけではなく、教師たちが生徒それぞれの経験や適性を確認するのが目的らしい。


「次、シオン・アルヴェリア!」


「はい」


 名前を呼ばれたシオンは木剣を受け取り、指示された通りに構えた。幼い頃から侯爵家の教育として剣術を習っているため、構えそのものが崩れているわけではない。


 だが、そこから先は才能の差が素直に現れた。


 教師が示した基本動作を繰り返しても、剣筋は特別鋭いわけではなく、踏み込みにも目を見張る速さはない。六十年間の経験によってどう動けばいいかは理解できても、十二歳の身体がその理解へ完全についてくるわけではなかった。


「基礎は覚えているな。ただ、身体の使い方が少し固い。無理に速く振ろうとせず、まず正確さを優先しろ」


「はい。ありがとうございます」


 シオンは素直に木剣を戻した。周囲から失望したような空気が漂わないのは、最初から《無能》だと知られているためだろう。


 むしろ何人かは、本当に普通なのかと確認するような目を向けている。その反応が少し面白くて、シオンは表情に出さないまま自分の列へ戻った。


「もっと悔しがるかと思っていた」


 横から突然声を掛けられ、シオンは振り向いた。そこには短く切った茶色の髪をした少年が立っており、手には訓練用の槍が握られている。


「どうして?」


「アルヴェリア侯爵家だろ? 兄貴は《剣将》だって聞いてる。比較されるの、嫌じゃないのか?」


 悪意というより純粋な疑問らしい。シオンは少し考えてから肩をすくめた。


「昔は嫌だったよ。でも兄上が剣を使えるからって、俺まで使えるようになるわけじゃないし。悔しがるだけで上手くなるなら、いくらでも悔しがるけどね」


「……変な奴だな」


「初対面でそれ言う?」


「悪い。俺、思ったこと結構そのまま言うんだ」


 少年は申し訳なさそうにしながらも、どこか楽しそうに笑った。貴族の子供にしては随分と気安い態度だが、シオンとしても堅苦しい挨拶を続けるよりありがたい。


「俺はディラン。ディラン・クロフォードだ。クロフォード伯爵家の三男」


「シオン・アルヴェリア。そっちは知ってるみたいだけど、一応ね」


 差し出された手を握ろうとして、シオンの動きがほんのわずかに止まった。


 ディラン・クロフォード。


 その名前には覚えがあった。


 ただし、学院時代の同級生としてではない。一度目の人生でシオンがその名を知った頃、ディラン・クロフォードはすでに王国でも有数の騎士として知られていた。


 槍一本を手に幾度も魔物の群れを退け、国境地域の防衛でも大きな功績を残した人物。いつしか人々から《王国の槍》と呼ばれるようになり、冒険者だった頃のシオンでさえ、その名前を何度も耳にしたほどだった。


「どうした?」


「いや、槍を選んでるんだなと思って」


「俺、《槍術》持ちだからな。剣も一応習ったけど、こっちの方がしっくりくるんだ」


 ディランはそう言って訓練槍を軽く持ち上げた。シオンは未来の記憶について一切口にせず、改めて差し出された手を握る。


 目の前にいる少年と、記憶の中にある《王国の槍》は簡単には重ならなかった。シオンが知っているディランは肖像画や記事、冒険者たちの噂に登場する英雄であり、十二歳だった頃の姿など知らなかったからだ。


「次、ディラン・クロフォード!」


「お、俺だ。ちょっと行ってくる」


 名前を呼ばれたディランは槍を持って訓練場へ出ていった。教師の指示に従って構えを取った瞬間、先ほどまで気軽に話していた少年の雰囲気が変わる。


 踏み込みはまだ十二歳らしく荒削りだったが、槍の穂先は素直に狙った場所へ伸びていく。身体の使い方にも迷いが少なく、教師から修正を受ければ次の動作ですぐに取り入れていた。


 未来を知らなくても、才能があることくらいはシオンにも分かった。


「上手ですね」


 いつの間にか隣へ来ていたセレナが、ディランの動きを見ながら呟いた。シオンも頷いたが、そこで未来の姿と結びつけて評価することはしなかった。


「うん。でも、まだ十二歳だよ」


「シオン様も十二歳でしょう?」


「そうだった」


 思わず苦笑したシオンの前で、ディランの確認が終わった。教師からいくつか課題を指摘された本人は満足そうではなく、自分の動きを確かめるように何度も手首を動かしている。


 英雄と呼ばれる人物にも、当然ながら英雄ではなかった時代がある。生まれた瞬間から《王国の槍》だったわけではなく、十二歳の少年がこれから何年も努力した先に、シオンの知るディランがいるのだろう。


「どうだった?」


 戻ってきたディランに尋ねると、少年は露骨に顔をしかめた。


「最後の突き、踏み込みが浅かった。先生にも言われた」


「十分上手だったと思うけど」


「もっと上手い奴はいるだろ。だったら練習するしかない」


 その言葉を聞いて、シオンは少しだけ納得した。才能だけで未来の名声を得た人間ではないらしい。むしろ十二歳の時点ですでに、自分の失敗した部分ばかり気にしている。


「お前、槍を見る目はあるのか?」


「いや、普通だよ」


「さっき俺の動き、ずっと見てただろ」


「上手いなと思ってただけ。俺に同じことをやれって言われても無理だから、期待しないでくれ」


 未来の知識を持っているからといって、目の前の少年について知ったふりをする必要はない。シオンが知っているのは、何十年も後に《王国の槍》と呼ばれたディラン・クロフォードだけなのだから。


 授業が終わる頃には、ディランはすっかりシオンの近くに居座っていた。セレナとも簡単に挨拶を交わし、三人で校舎へ戻ることになる。


「クロフォード領って北の方だったよな?」


「ああ。山ばっかりで寒いところだよ。王都みたいに何でもある場所じゃないけどな」


 ディランはそう言いながら、故郷について簡単に話してくれた。山岳地帯が多く、冬は雪が深いこと。放牧や林業が盛んである一方、農業には向かない土地も多く、食料の一部を他領から買っていること。


 シオンはその話を聞きながら、記憶の奥に小さな引っ掛かりを覚えていた。クロフォードという名前には、《王国の槍》とは別に何か聞き覚えがある。


 だが、曖昧な記憶だけで話を進めることはしなかった。六十年間に見聞きした情報は膨大であり、似た地名や商品名を取り違えている可能性だってある。


「寒いと育つ作物も限られそうだな。小麦は作ってるの?」


「作ってるけど、場所によるな。山に近い村だとまともに育たないところもあるぞ。そういうところは家畜向けの雑穀とか、寒さに強いものを作ってる」


「へえ。どんなの?」


 それは未来を知っているから出た質問ではなく、ディランの話を聞けば自然に浮かぶ程度のものだった。シオン自身、商人として各地の農産物を扱った経験があるため、寒冷地で何が育つのかには純粋な興味もある。


「いくつかあるけど……雪麦とかかな。見た目は麦っぽいけど硬いし苦いから、人間はあんまり食べない。家畜の餌にすることが多いんだ」


 その名前を聞いた瞬間、シオンの記憶がようやく繋がった。


 雪麦。


 一度目の人生ではクロフォード領を代表する農産物として知られ、寒冷地でも育つ保存食として王国各地へ流通していた穀物。その原料を商人時代のシオン自身も何度か扱ったことがある。


 しかし、目の前のディランが語った現在の雪麦は、人間が好んで食べるものですらないらしい。


「保存は利くの?」


「かなり利くぞ。家畜用だから、冬を越すために倉庫へ積んでる村もある。なんでそんなこと聞くんだ?」


 シオンはすぐには答えず、これまでディランから聞いた情報を頭の中で整理した。未来の完成品や加工法を知っているわけではない以上、ここで答えを教えることなどできない。


 だからこそ、現在分かっている情報だけから出せる疑問を口にする。


「寒い場所でも育って、長く保存できるんだろ? だったら、人間が食べやすく加工できれば使い道が増えるんじゃないかと思っただけだよ」


「雪麦を?」


「できるかどうかは知らない。でも、食料を他領から買ってる村があるなら、領内で育つものを食べられるようにする価値はあるだろ?」


 ディランはすぐに答えず、少し驚いたようにシオンを見た。その横ではセレナも興味を持ったらしく、二人の話を聞いている。


「……考えたことなかったな。ずっと家畜の餌だと思ってた」


「俺だって方法までは分からないよ。気になるなら、今度少し持ってきてくれない?」


「それくらいならできる。実家に頼めば送ってもらえると思うぞ」


 ディランが頷くのを見ながら、シオンは記憶の中にある未来の雪麦を思い浮かべた。いつ、誰が食用化したのかまでは覚えていないし、加工方法について専門的な知識を持っているわけでもない。


 それでも、未来では確かに人間が食べていた。


 ならば答えを知っている誰かを探すのではなく、今ここにいる人間たちで答えを見つければいい。そのためには、穀物を見る目や商売の感覚を持った人間がいた方がいいだろう。


 そしてシオンの記憶には、ちょうど同じ学年にいるはずの、もう一人の名前が浮かび始めていた。


 後にベルナード大商会最大の競争相手となり、自らの商会を王国有数の規模まで育てる男。


 ノア・フェルド。


 未来では大商人として知っていたその人物も、今はまだ十二歳の新入生として、この学院のどこかにいるはずだった。

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