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無能の逆襲 ~無能は回帰しても無能のままだった~  作者: にゅん


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11/53

十一歳、死ぬはずの国王

 王都から届いた新聞を手に父の執務室へ向かいながら、シオンは一周目でアルベルト王が亡くなった時のことを思い出そうとしていた。しかし、レグナード大震災以上に自分と直接の関係が薄かった出来事だけに、十一歳当時の記憶から得られる情報はほとんどなかった。


 当時のシオンにとって、国王の崩御は王国中が喪に服した大きな出来事ではあっても、身近な人間の死ではなかった。アルヴェリア侯爵家は王家との結び付きが強いためガルディスたちは慌ただしく動いていたはずだが、母を失ってから家族との距離を広げていた一周目のシオンは、その事情へ積極的に関わろうともしなかった。


 アルベルト王が急病によって崩御したという公式発表を、そのまま信じていた。


 それが毒殺だった可能性を初めて聞いたのは、四十年以上も後のことである。


 五十代になったシオンが営んでいた雑貨店には、薬草や保存食を買いに来る常連客が何人もいた。その中に若い頃は薬師として王都の有力者へ薬を納めていた老人がおり、ある晩、閉店後に酒を飲みながら昔話をしているうちに、アルベルト王の死について奇妙な話を漏らした。


 老人自身が王宮で毒を発見したわけではない。かつて親しくしていた王宮関係の薬師から、ずっと後になって聞いたという又聞きに近い話だった。それでも、単なる酒場の噂として忘れるには内容が具体的だった。


 アルベルト王は病死ではなかった可能性が高いこと。


 急死する直前だけ毒を盛られたのではなく、ある程度の期間にわたって少量ずつ摂取していたと考えられること。


 そして食事や酒ではなく、国王が体調管理のため毎日口にしていた滋養薬が疑われていたこと。


 シオンが覚えているのは、その程度だった。


 毒の正式な名称についても聞いた気はするが、四十年以上前の酒席で一度聞いただけの言葉を正確には思い出せない。症状についても発熱、倦怠感、食欲低下、腹部の痛みといった曖昧な記憶しかなく、それだけなら多くの病気と区別できなかった。


 そして最も重要な犯人について、シオンは何も知らない。


 誰が毒を用意したのか。


 誰が滋養薬へ混ぜたのか。


 誰が国王の死を望んだのか。


 一周目でさえ公には解決されなかった事件である以上、二周目の十一歳のシオンが突然答えを持っているはずもなかった。


 執務室へ入ると、ガルディスはレグナード大震災の救援費用について最終的な報告を確認しているところだった。シオンが持っている新聞に気付いた父は、息子の表情を見ただけで雑談ではないと察したらしく、書類を閉じてから周囲の人間を退出させた。


「また未来の夢か?」


「うん。今度は父上にも近い人のことだと思う」


 シオンは机の前へ座り、折り畳んでいた新聞を開いた。春の王宮行事について書かれた記事の中からアルベルト王の名前を指すと、ガルディスの表情が目に見えて険しくなる。


「陛下に何か起きるのか?」


「俺が十一歳の年に亡くなる。公式には病気だった。でも、ずっと後になって、本当は毒だったって話を聞いた……夢で見たんだと思う」


 回帰を隠すため最後だけ言い換えたが、ガルディスはそこへ触れなかった。レグナードの件以降、息子が未来を語る時に時折不自然な言葉を使うことには気付いているはずだが、今は内容の方が遥かに重大だった。


「確実なのか?」


「陛下が今年亡くなったことはかなり自信がある。でも毒殺だったって部分は、母上の治療法みたいに自分で確かめた記憶じゃない。未来で誰かから聞いた話だから、間違ってる可能性もある」


「その人物は信用できる者だったのか?」


「嘘をついて得するような話じゃなかったと思う。でも、その人自身が直接調べたわけでもない。だから俺も、本当だったとは言い切れない」


 ガルディスはすぐに結論を出さず、紙を一枚取り出して質問を始めた。息子の記憶が曖昧であることを前提に、確実に覚えている情報と後世の噂に近い部分を分けるためだった。


「陛下が亡くなる時期は分かるか?」


「十一歳の年なのは覚えてるけど、正確な月は自信がない。春より後だった気がする。ただ、夏だったか秋だったかまで聞かれると分からない」


「症状は?」


「最初は体が重いとか食欲がないとか、病気と区別しにくかったと思う。その後に熱が出て、かなり弱ってから亡くなった。でも俺が当時見たわけじゃないから、これも新聞や後の話が混ざってるかもしれない」


「毒について覚えていることは?」


「一度に殺す毒じゃない。少しずつ入れて、病気みたいに弱らせるものだったと思う。それと、毎日飲んでた滋養薬に混ぜられてたって話を覚えてる」


 ガルディスの指が止まった。


「滋養薬か」


「父上、何か知ってる?」


「陛下は昔から激務が続く時期に滋養用の薬湯を飲まれる。私も王宮へ長く出入りしているから、それくらいは知っている。だが何を配合しているかまでは知らんし、今も毎日飲まれているかは確認しなければ分からない」


 シオンはそこで初めて、自分の記憶と現在の情報が一つ繋がった感覚を覚えた。後世の噂に出てきた滋養薬そのものが、少なくとも現時点で実在する習慣だと分かったからである。


「父上、陛下に会える?」


「会うこと自体は可能だ。我が家と王家の関係なら、私が私的な面会を願い出ても不自然ではない。ただし、陛下へ毒殺される未来を伝えるとなれば話は別だ」


「やっぱり俺のことも話すことになるよね」


「ああ。陛下が毎日口にする物を検査させるには、それだけの理由が必要だ。単なる噂を聞いたという説明では、王宮内部を混乱させるだけになる」


 ガルディスは腕を組み、椅子へ深く腰掛けた。未来の夢について知る者は、アルヴェリア家の家族とヴァレンティア公爵家の夫妻、そしてセレナに限られている。秘密を知る人間を増やせば、それだけシオンの存在が外へ漏れる危険も高くなる。


 しかし今回は国王本人の命が懸かっている。


「陛下だけに話すことはできる?」


「王妃陛下まで完全に外すのは難しいだろう。お二人は互いに隠し事をするような関係ではないし、陛下の身辺を調べれば王妃陛下にも異変が伝わる。だが最初から王宮の役人や医師全員へ、お前の秘密を説明する必要はない」


「じゃあ、父上から陛下に?」


「まず私が私的な面会を申し込む。その場で陛下へ事情を話し、お前の情報をどこまで誰へ伝えるかは陛下自身に決めていただく。それが最も安全だろう」


 ガルディスが決断してからの動きは早かった。


 アルヴェリア侯爵家当主が国王へ非公式の面会を求めること自体は珍しいことではない。ローデン金鉱の開発状況やレグナード大震災後の国境情勢など、王へ直接報告できる話題はいくつもあるため、表向きの理由を作る必要さえなかった。


 ただし今回、ガルディスは通常の謁見ではなく、極めて私的な相談があると伝えた。


 返事は二日後に届いた。


 王宮の奥にある小規模な応接室で、ガルディス一人だけが国王と面会することになった。


 シオンは同行しなかった。


 未来の情報源である本人を最初から王宮へ連れていけば目立つうえ、アルベルト王が話を信じるかどうかも分からない。まず長年の信頼関係があるガルディスから説明し、その後に必要と判断された場合だけシオンが呼ばれることになった。


 面会当日の夕方、侯爵邸へ戻ってきた父は、家族だけが集まる居間へシオンを呼んだ。エレノア、レオン、リシアも同席していたが、使用人は全員退出させてある。


「陛下はどうだった?」


「最初は、私が疲れているのではないかと心配された」


 ガルディスが苦い顔をすると、エレノアが僅かに笑った。


「当然でしょうね。あなたが突然、息子が未来を見る可能性があると言い出したのですから」


「私も逆の立場なら同じ反応をする」


 それでもガルディスは、エレノアの病気から順番に説明したという。五歳だったシオンが当時知られていなかった《魔晶蓄積症》の原因と治療法を示し、専門家が検証した結果としてエレノアが回復したこと。六歳ではローデン山地の景色と金を採掘する未来を語り、調査によって大規模な金鉱が発見されたことまで伝えた。


 さらに七歳でセレナが襲われる場所と時期を事前に知らせ、実際にその街道で《幻影豹》がヴァレンティア公爵令嬢を襲ったことも説明した。ただし、これらの情報が公にならないよう関係者を極端に絞ってきたことも同時に話している。


「陛下はローデンについては当然ご存じだ。だが、調査を始めた理由がお前だったとは知らなかった。セレナ嬢の件についても、私が偶然近くを巡回していて救援したという公式の説明しか聞いておられなかった」


「信じてくれた?」


「完全に信じたとは仰らなかった。それでいいと私から申し上げた。重要なのは、お前の能力が本物かどうかを議論することではなく、陛下が毒を盛られている可能性を現在の証拠から調べることだからな」


 シオンは父の答えに安堵した。


 未来の夢を信じてもらうこと自体が目的になれば、話がおかしくなる。必要なのは国王の身体と、毎日口にしているものを調べる理由を作ることだった。


「それで、陛下はどうするって?」


「まず王妃陛下へだけ事情を明かす。その上で、王家が個人的に信頼している医師二名と薬師一名へ、毒物混入の疑いがあることだけを伝えて調査させる。お前の未来の夢については話さない」


「それなら秘密を知る人は増えないね」


「ああ。ただし、検査で何か見つかれば状況は変わる。その場合でも情報源がお前だという部分は、できる限り伏せていただくようお願いした」


 翌日から王宮内部で、極めて小規模な調査が始まった。


 表向きは国王の定期的な健康診断である。


 アルベルト自身も普段通り政務を続け、食事や会議の予定を変えなかった。もし本当に誰かが毒を盛っているのであれば、突然すべての薬や食事を止めれば警戒させる可能性があるため、王宮側は意図的に日常を崩さなかった。


 最初に調べられたのは国王の身体だった。


 血液。


 尿。


 魔力循環。


 肝臓や腎臓を中心とした臓器の状態。


 通常の健康診断より細かな検査が行われたものの、最初の結果だけでは明確な毒物反応は確認されなかった。


 その報告をガルディスから聞いたシオンは、胸の奥に小さな不安を覚えた。


「やっぱり俺が聞いた話が間違ってたのかな」


「まだ一日目だ。毒の種類が分からない以上、最初から見つかる方が珍しいと医師も言っている」


「でも、もし本当にただの病気だったら?」


「それならそれでいい。陛下の健康状態を詳しく調べただけで終わる」


 レグナードの地震を待っていた時と同じだった。


 未来が外れることを恐れる必要はない。


 毒殺されないのであれば、その方がいい。


 シオンはそう考え直し、結果を待った。


 王宮では身体の検査と並行して、アルベルトが日常的に口へ入れるものが調べられた。水、酒、食事、茶、薬。それぞれについて普段どこで作られ、誰が触れ、どのような経路で国王の前へ運ばれるのかが、本人へ気付かせない形で確認されていく。


 そこで、シオンの記憶にあった滋養薬が実際に見つかった。


 アルベルトは長年、朝の政務前に少量の薬湯を飲んでいた。疲労を和らげ、胃腸の働きを整える目的で複数の薬草を煎じたものであり、王宮付きの薬師が定期的に調合した乾燥薬を、朝ごとに侍従が煎じている。


 薬そのものは十年以上前から使われていた。


 配合も珍しいものではない。


 問題が見つかったのは、現在使用している乾燥薬の一袋だった。


 調査を始めて三日目の夜、ガルディスは予定より遅い時間にシオンの部屋を訪れた。父が自分から子供部屋へ来ることは珍しく、その表情を見た瞬間にシオンは何かあったと察した。


「見つかったの?」


「まだ毒だと断定はされていない。だが、滋養薬から処方に存在しない成分が検出された」


 シオンは寝台から起き上がり、上着を羽織った。


「どんなもの?」


「乾燥させた薬草の粉に紛れる形で、別の植物由来と思われる粉末が混ざっていたそうだ。量は極めて少ない。通常の確認では見落とす程度らしい」


「陛下はもう飲んでる?」


「現在使っている袋は、二週間ほど前から開けている。毎朝飲んでいた」


 シオンの喉が乾いた。


 まだ発症していないから間に合ったのではない。


 すでに始まっていた。


「身体は大丈夫なの?」


「改めて対象を絞って検査したところ、血液と尿からごく僅かな異常反応が出た。医師によれば、現時点では臓器に深刻な損傷はない。摂取を止めれば回復できる可能性が高いそうだ」


 シオンは大きく息を吐いた。


 間に合った。


 少なくとも、国王が死ぬ未来については。


 しかしガルディスの表情は緩まなかった。


「問題はここからだ。混入していた粉末について薬師が動物を使って調べたところ、少量では目立った症状が出ない。だが一定期間繰り返し与えると、食欲低下、発熱、倦怠、内臓機能の悪化が確認された」


「一周目と同じだ」


「ああ。陛下も、お前の話を偶然とは考えておられない」


 王宮はその夜から、調査の性質を変えた。


 健康診断ではない。


 国王暗殺未遂事件である。


 それでも大規模な捜査は始めなかった。


 犯人が王宮内部にいる可能性が高い以上、毒が発見されたことを広く知らせれば証拠を消される。そこでアルベルトは、表向きには何も起きていない状態を維持することを選んだ。


 毒入りの滋養薬は密かに回収された。


 代わりに同じ見た目の安全な薬が用意され、国王は翌朝も普段通り薬湯を飲んだように見せた。


 そして、薬が国王の手元へ届くまでの経路が調べられ始めた。


 乾燥薬を調合する王宮薬師。


 材料を保管する倉庫の管理者。


 薬を運ぶ下働き。


 朝に煎じる侍従。


 薬草そのものを納入する商人。


 関係者は少なくない。


 シオンはその捜査には関わらなかった。


 父から状況を聞くことはあっても、自分から犯人を推理しようとはしない。


 未来の自分が犯人を知らない以上、ここから先は現在の証拠を持つ人々の仕事だった。


 それから五日ほど経った夜、シオンはガルディスに連れられ、初めて王宮の奥へ向かった。


 表向きの理由は、アルヴェリア侯爵が息子を伴って王家へレグナード救援の報告を行うためである。実際には国王アルベルト本人が、未来の情報を伝えたシオンと直接話すことを望んだためだった。


 通常の謁見室には向かわない。


 案内されたのは王族の私的な居住区に近い、小さな応接室だった。


 室内にいたのは四人だけである。


 国王アルベルト・アストレア。


 王妃マリアンヌ・アストレア。


 ガルディス。


 そしてシオン。


 シオンがアルベルト王と会うのは初めてではない。侯爵家の子供として式典で遠くから見たこともあり、幼い頃に家族と共に挨拶したこともある。


 しかしこれほど近い距離で、秘密を共有するために向かい合うのは初めてだった。


 アルベルトは三十代後半の男性で、ガルディスより少し年上に見える。まだ毒による明確な衰弱はなく、少なくとも外見だけなら一周目で数か月後に死ぬ人間には見えなかった。


「シオン・アルヴェリアだな」


「はい。陛下」


「そこまで緊張しなくていい。私も、十一歳の子供から自分が死ぬ未来を聞くことになるとは思っていなかった」


 アルベルトが僅かに笑う。


 冗談に近い言葉だったが、シオンはどう返せばいいのか分からなかった。


「申し訳ありません」


「なぜ謝る?」


「もっと詳しく分かっていれば、犯人まで伝えられたかもしれないからです」


 アルベルトは少し意外そうな顔をした。


「ガルディスから聞いた通りだな」


「何をですか?」


「お前は、自分が知らないことを随分気にするらしい」


 シオンは返事に困り、隣の父を見る。


 ガルディスは助けてくれなかった。


「陛下。シオンは未来の夢について、自分がすべてを知っているかのように扱われることを嫌っております」


「それは良いことだ。私としても、未来をすべて知っている子供が王国内にいると言われるより安心できる」


 アルベルトは冗談を収めると、姿勢を僅かに正した。


「シオン。まず礼を言わせてくれ。お前の話がなければ、私は今も同じ薬を毎朝飲んでいただろう」


「でも、見つけたのはお医者様と薬師です」


「そうだな。調べたのは彼らだ。だが調べる理由を与えたのはお前だ。それぞれ別の働きであり、どちらかを無かったことにする必要はない」


 レグナード大震災の時に父から言われたことと似ている。


 シオンは少しだけ肩の力を抜いた。


「陛下は、もう大丈夫なんですか?」


「医師はそう言っている。毒を摂取していた期間が短かったことが幸いしたらしい。しばらく検査は続けるが、今のところ政務を休む必要もないそうだ」


 王妃マリアンヌがそこで初めて口を開いた。


「本人はそう言っておりますが、私は少しくらい休ませるつもりです。毒がなくても、この方は働きすぎですから」


「マリアンヌ、その話は今しなくてもいいだろう」


「こういう時でなければ聞きませんもの」


 王と王妃のやり取りを見て、シオンは妙な感覚を覚えた。


 一周目では、アルベルト王は十一歳の年に亡くなった。


 その後の王妃がどう暮らしたのか、シオンはほとんど知らない。


 目の前にいる二人がこうして普通の夫婦として会話する時間も、本来ならあと僅かしか残されていなかったはずだ。


 それが今、変わった。


 アルベルトは再びシオンへ視線を向けた。


「一つ聞きたいことがある」


「はい」


「誰が私を殺そうとした?」


 シオンはすぐに首を横へ振った。


「分かりません」


「本当に何も見ていないのか?」


「はい。俺が知っていた未来では、陛下は病気で亡くなったことになっていました。毒だったという話を知ったのも、ずっと後です。でも、その人も犯人までは知らなかったと思います」


「外国か、国内か。それも?」


「分かりません」


「私が死んだ後、誰が最も得をした?」


 その質問には、シオンも簡単には答えなかった。


 一周目では国王の死後、政治情勢が変化した。


 だが「その後に得をした者」と「殺した者」は同じとは限らない。


「それを理由に犯人を決めるのは危ないと思います。俺が覚えている未来も、もう同じになるとは限りません」


 アルベルトはしばらく黙っていた。


 ガルディスも何も言わない。


「十一歳に諭されるとはな」


「申し訳ありません」


「また謝った」


 アルベルトは小さく笑った。


「だが正しい。未来の結果から犯人を作るべきではない。現在の証拠から探そう」


 シオンはその言葉に頷いた。


 そこから先は王家の仕事だった。


 薬の経路を調べた結果、最初に疑われたのは王宮付きの薬師だった。


 滋養薬を最終的に調合し、袋詰めする立場にいた人物である。


 しかし調査を進めると、単純な暗殺者とは考えにくい事情が出てきた。


 男は十年以上王宮へ勤めていた。


 過去に問題を起こした記録もなく、金銭的にも突然裕福になった形跡はない。


 それにもかかわらず、数か月前から行動に変化があった。


 休日に一人で王都南部へ出掛けることが増え、帰宅時間も不規則になっていた。


 さらに家族について調べたところ、地方都市で暮らしていた弟一家が半年前に突然住居を移している。


 行き先は分からない。


 そこで王宮側は、薬師をすぐ捕らえず監視することを選んだ。


 数日後、男が王都南部の安宿へ入ったところを追跡し、そこで一人の仲介人と接触していることが確認された。


 仲介人は王都の人間ではなかった。


 商人を名乗っていたが、扱っている商品はほとんどなく、複数の偽名を使っている。


 その男を密かに拘束して調べると、外国由来の金貨と暗号化された短い文書が見つかった。


 ただし、それだけで背後の国まで特定することはできなかった。


 金貨は複数国で流通している。


 文書にも依頼主の名前はない。


 王宮側はそこで初めて薬師本人を拘束した。


 尋問の結果、男は毒を混ぜたことを認めた。


 だが理由は金ではなかった。


 地方で暮らしていた弟夫婦と、その幼い娘を人質に取られていた。


 指示通り薬へ粉末を混ぜ続ければ家族は無事に帰す。


 王宮へ相談すれば殺す。


 そう脅されていた。


 アルベルトの暗殺を望んだ本人ではなく、実行を強制された末端だった。


 その報告を聞いたシオンは、単純に怒ることができなかった。


「薬師はどうなるの?」


「陛下が判断される。罪がなくなるわけではない。だが事情を考慮する余地はあるだろう」


「家族は?」


「捜索中だ。まだ見つかっていない」


 ガルディスは机に広げた報告書を閉じた。


「仲介人も、依頼主の正体までは知らないと主張している。命令はさらに別の人間から受けていたらしい。嘘の可能性もあるから調査は続くが、ここから先は長くなるだろう」


「外国が関わってる?」


「可能性はある。だが外国の金貨を持っていたから外国政府の仕業だと決めつけることはできん。国内の人間がそう見せかけるために用意した可能性もある」


 シオンは頷いた。


 ここで巨大な陰謀の全貌が一気に明らかになるわけではない。


 国王を殺そうとした者は確かに存在する。


 しかし、その奥に誰がいるのかは分からない。


 それでも最も重要なことは達成できた。


 アルベルト王は生きている。


 春が過ぎ、夏を迎えても、国王が病に倒れたという知らせは届かなかった。


 王宮は表向き何事もなかったかのように動き続けている。暗殺未遂について知っている者は王家と捜査に直接関わるごく一部に限られ、シオンの未来の夢について知る者はさらに少ない。


 国王アルベルト。


 王妃マリアンヌ。


 そして後になって事情を共有された王太子アレクシスを含む、王家のごく近しい者たちだけだった。


 医師や薬師、捜査を担当した騎士たちは、アルベルト自身が何らかの理由で毒物混入を疑ったため調査を始めたと聞かされている。


 シオンの名前は出ていない。


 それでも王家の中では、シオン・アルヴェリアという少年の意味が大きく変わった。


 夏の終わり頃、シオンは再び父と共に王宮へ呼ばれた。


 今度はアルベルトだけではなく、王妃マリアンヌと王太子アレクシスも同席していた。


 アレクシスはシオンより二歳ほど年上で、すでに王太子として公の場へ出る機会も増えている。シオンも式典で顔を見たことはあったが、個人的に話した経験はほとんどなかった。


「君がシオンか」


「はい、殿下」


「父上を助けたって聞いた」


「俺一人で助けたわけではありません」


「父上も同じことを言っていた。でも、君が言わなかったら調べなかったんだろう?」


 シオンは少し困った。


「たぶん、そうだと思います」


「だったら礼くらい言わせてくれ。ありがとう」


 真っ直ぐに言われ、シオンはさらに困った。


「……どういたしまして」


 アレクシスはそこで笑った。


「普通に話せるじゃないか。もっと変な奴かと思っていた」


「殿下、初対面でそれは失礼じゃないですか?」


「未来を見るかもしれない《無能》の侯爵令息だぞ。変わった奴だと思うだろう」


 シオンは返す言葉を失った。


 隣ではアルベルトが笑いを堪えている。


「アレクシス。シオンの前では構わんが、その言い方を外でするな。未来の夢については王家の秘密として扱う」


「分かっています、父上」


 王太子はすぐに表情を改めた。


 シオンもそこで、この少年が単に軽い性格なのではないと理解した。


「シオン。君が《無能》だってことは、外では普通に知られてるんだよな?」


「はい。才能鑑定の結果は隠してませんから」


「未来の夢だけ秘密?」


「そうなります」


「大変そうだな」


 意外な言葉だった。


「何がですか?」


「周りからは何もできないって思われるのに、本当は知ってることがあるんだろう。でも、それを言えないんだよな?」


 シオンは少し考えた。


「別に、何もできないと思われるのは慣れてます」


「気にならない?」


「前は気にしてました。でも今は、必要な人が知ってればいいかなって」


 アレクシスはその答えをしばらく考えてから頷いた。


「じゃあ僕は、必要な人に入ったわけだ」


「殿下がそう思うなら」


「思うよ。父上の命に関わったんだから」


 その日を境に、王太子アレクシスとの距離も少しずつ変わっていった。


 頻繁に会うわけではない。


 シオンは侯爵令息とはいえ次男であり、王太子の側近として王宮へ出仕しているわけでもない。


 それでもガルディスと共に王宮へ行けば声を掛けられ、レグナードの復興状況やローデンについて尋ねられることが増えた。


 未来の話をすることはほとんどなかった。


 むしろ剣術の訓練や勉強、王都の店について話すことの方が多い。


 それでよかった。


 シオンにとっても、王家との関係を「未来を教える相手」だけにしたくはなかった。


 十一歳の一年が終わりに近づく頃、シオンは自室でこれまで変えた出来事を整理していた。


 母エレノアは生きている。


 ローデン金鉱は本来より十年以上早く発見され、すでに採掘が進んでいる。


 セレナは七歳で死なず、今も魔法を学び続けている。


 美容商品は未来より遥かに早く生まれ、カイル・ベルナードは潰れかけていた店を立て直し始めた。


 レグナード大震災では犠牲者をゼロにはできなかったものの、事前の備蓄によって救援は一周目より早く届いた。


 そして今度は、アルベルト王まで生き残った。


 ここまで来れば、もはや一周目の歴史と同じ未来が続くと考える方がおかしい。


 特に国王の生存は影響が大きかった。


 一周目ではアルベルトの急死後、王太子を中心に王家の体制が大きく変わった。シオンは政治の中心にいたわけではないため詳しい事情までは知らないが、王の死を境に宮廷の人事や外交方針が変化し、その影響が何年も続いたことくらいは覚えている。


 二周目では、その起点そのものが消えた。


 これから王宮で誰が昇進するのか。


 どの貴族が力を持つのか。


 どの国との関係が深まるのか。


 シオンが知っている政治の未来は、今まで以上に信用できなくなった。


 不思議なことに、その事実を恐ろしいとは思わなかった。


 一周目と同じ未来を再現するために戻ってきたわけではない。


 母を救いたかった。


 家族ともう一度話したかった。


 後悔したことを、少しでもやり直したかった。


 その結果として知らない未来が増えるのであれば、それは失敗ではなかった。


 シオンは机の端に置かれた一通の手紙へ目を向けた。


 差出人はセレナだった。


 来年、十二歳になれば王立学院への入学が待っている。セレナも同じ年に入学する予定であり、手紙には学院で受ける魔法教育を楽しみにしていることや、シオンと同じ学年になることが嬉しいという内容が書かれていた。


 兄レオンはすでに学院で高い評価を受けている。


 姉リシアも魔法科で優秀な成績を収めている。


 セレナは入学前から天才として知られ始めている。


 王太子アレクシスも、すでに学院で学んでいる。


 そして、その中へ翌年からシオンも入る。


 アルヴェリア侯爵家の次男。


 名門に生まれながら、才能鑑定は《無能》。


 剣も魔法も特別ではない。


 母の病気を治すきっかけを作ったことも、ローデン金鉱を見つけるきっかけになったことも、セレナを救ったことも、レグナード大震災の備蓄を提案したことも、国王暗殺を防いだことも、学院の人間は誰も知らない。


 外から調べても、出てくるのは名門侯爵家に生まれた《無能》の少年という記録だけである。


 シオンはそれで困らなかった。


 むしろ学院では、未来の事件を追いかけるだけではなく、普通に学んでみたいという気持ちが少しずつ生まれていた。


 一周目の学院生活は、自分より優れた人間を見るたびに傷つき、家名と才能への劣等感を深めた六年間だった。兄と比較され、姉と比較され、同年代の才能ある子供と比較されるたび、自分から周囲との距離を広げていった。


 二周目では、兄も姉も変わっていない。


 優秀なままだ。


 セレナまで加わった分だけ、周囲との差は一周目より大きいかもしれない。


 それでもシオン自身が違う。


 十二歳になっても《無能》なら、それでいい。


 学院で剣を学び、魔法を学び、できないことはできないまま少しずつ覚える。気の合う相手がいれば話し、嫌われるなら無理に好かれようとはしない。


 未来を知っているから特別扱いしてもらう必要もなかった。


 少なくとも、シオン本人はそう思っていた。


 ただし、一つだけ大きな問題を見落としていた。


 セレナ・ヴァレンティアは、自分を七歳で救ったシオンを《無能》だからと遠ざける理由がない。


 王太子アレクシスも、父王の命を救うきっかけを作った少年を、学院で他人のように扱うつもりはなかった。


 レオンとリシアに至っては、一周目と違って弟との関係が良好なままである。


 そしてアルベルト王自身も、命を救われた借りを忘れてはいなかった。


 シオンだけがまだ知らなかった。


 翌年の王立学院入学式で、周囲の学生たちから見ればただの《無能》である自分へ、王国でも特に目立つ人間たちが次々と声を掛けてくることになるなど、この時点では想像すらしていなかったのである。

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