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隋紀八 大業13(617)年(91)-于志寧、顔師古、長孫無忌、長春宮に於いて李淵に謁見し登用さる-
(武陽郡に属する)冠氏県の県長である于志寧、(襄陽郡に属する)安養県の県尉である顏師古及び李世民の妻の兄である長孫無忌は長春宮に於いて李淵に謁見した。
ところで顔師古の名は籀だが,名の籀よりも字の師古で知られる。
そして于志寧は于宣敏の兄の子で、顔師古は※顔之推の孫であり、彼らは皆文学によって名を知られていて、長孫無忌はそれに加えて才略(才知に富んだはかりごと)があった。
そこで李淵は彼らに礼を尽くしてこれを登用し、于志寧を記室、顔師古を朝散大夫、長孫無忌を渭北行軍典籤とした。
※顔之推
顔之推は自身が仕えた南朝・梁が西魏によって都の江陵を陥落させられると西魏に連行された。
その後妻子と共に黄河を下って北斉に亡命するが、西魏の後継王朝である北周に北斉が滅ぼされると、顔之推は(西魏、北周の根拠地である)関中に移され、北周とその後継王朝である隋に仕えた。
著者に『顔氏家訓』(がんしかくん)がある。