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隋紀八 大業13(617)年(86)

 ところで李淵りえん陣営の将官と補佐官はさらに李淵を領太尉(りょうたいい)推戴(すいたい)して、官吏の増員を進言したので李淵はこれに従った。


 時に河東(かとう)城は未だ攻略できなかったが,三輔(さんぽ)(ずい)の都である長安(ちょうあん)周辺)の豪傑ごうけつ)で李淵のもとに至って、彼を頼みとする者は毎日千人に及んだ。


 そこで李淵は河東城の包囲を続けるよりも軍を率いて西の長安に向かうことを考えたが、ためらって未だ決断できなかった。


 それに対して裴寂はいせき)は言った。


屈突通(くつとつつう)は大軍を擁し堅城(けんじょう)(河東城)に()っていますので、我らが屈突通を放置したまま去り、もし長安に進攻して攻略できなければ、後退することになってそこに河東城からの隋軍ずいぐんがやってきて攻撃され、腹背(ふくはい)(前後)に敵の攻撃を受けることになり、これは危険な計略であります。


 それゆえ先に河東かとう城を攻略する他なく、その後西に進むべきです。


 なぜなら長安ちょうあんは屈突通の援軍を頼みにしていますので、屈突通が敗れれば、長安は必ず攻め落とせるからです」と。


 しかしそれに対して李世民りせいみんは異議を唱えた。


「そうではございません。なぜなら※兵は神速を(たっと)ぶものであり、我らが連勝の勢いに乗り,帰順する者たちを慰め、太鼓を打ち鳴らして西に進めば,長安の人々は形勢を見て驚愕(きょうがく)し、智は状況に応じて計略をめぐらすことができず、勇は決断するに至らないため、これを奪取することは木から枯葉を振るい落とすのと同じくらい簡単です。


 けれども我らがもし攻略に時間をかけて堅城(けんじょう)河東(かとう)城)のもとで疲弊すれば、彼らには計略を定める時間の余裕が生まれ、守りを固めて我らと向かい合うことができますので、我らは何もできないまま時間を浪費し、皆の心がそれに気落ちしてバラバラとなり、そうなれば大事(だいじ)(天下統一)の成就は(つい)え去ります。


 さらに関中かんちゅう蜂起ほうきした将たちは,未だどこにも所属していないため、早く彼らを帰順させなければなりません。


 加えて屈突通(くつとつつう)は城を敵から守るだけの輩に過ぎないので考慮する必要はありません」と。


 そこで李淵(りえん)は双方の意見を取り入れ、諸将を留めて河東城を包囲させたまま、自身は軍を率いて西に進んだ。


※兵は神速を(たっと)


戦いでは何事も迅速に処理することが大切であるという意味。


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