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隋紀八 大業13(617)年(85)
隋の将軍の屈突通は虎牙郎将の桑顕和を河東城から派遣し、桑顕和は※驍果の兵数千人を率いて李淵の部将である王長諧等の陣営に夜襲をかけ,王長諧等は抗戦の甲斐もなく形勢が不利となったが、孫華、史大奈が遊撃騎兵を率いて後ろより桑顕和軍を攻撃しこれを大破した。
それにより桑顕和は戦場から逃走して河東城に戻り、加えて自ら蒲津橋(退路)を断ち切った。
9月8日、馮翊大守の蕭造が李淵に投降した。
蕭造は南朝・梁の皇族である蕭脩(蕭循ともよばれる)の子である。
9月10日、李淵が各軍を率いて河東城を包囲したが、屈突通は城壁を高く・堀を深くしそれを一周させていて、その上警戒を厳重にさせていた。
※驍果
この時代の近衛兵のこと。