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隋紀八 大業13(617)年(79)
驍果(近衛)の兵で煬帝に従って江都にいた者の多くが逃走し始めたので、煬帝はこれを憂慮し、この事で裴矩に意見を求めると彼は答えた。
「人の感情は配偶者がいないという状況であれば、故郷から離れた所に長い間置かれるのは耐えがたいものでありますから、驍果の兵にここで結婚するご許可をいただきますようお願い申し上げます」と。
煬帝はそれに応じて彼の意見を聞き入れた。
そして九月、江都郡内の未亡人や未婚の女性を全て宮殿の下に召集して,将兵に好き放題選び取らせ、あるいは以前にこの地の既婚女性と関係を持っていた者は自首すれば、すぐにその女性をその者に与えて結婚させた。
※驍果(近衛)の兵。
驍果(近衛)の兵は関中(隋の都の長安(現・陝西省西安市)一帯)出身の者が多く、彼らは当時煬帝に従って南方の江都(現・江蘇省揚州市)にいたため、関中に帰りたいという彼らの不満が高まっていた。