隋紀ハ 大業13 (617)年(73)-霍邑の戦い 下-
やがて後続部隊が李淵のもとに至り、そして李淵は兵士にまず食事をさせてから戦いたいと思ったが、それに対して李世民は言った。
「戦うタイミングを逃すべきではありません」と。
李淵はそこで李建成と共に霍邑城の東に布陣し、李世民は霍邑城の南に布陣した。
そして李淵と李建成は宋老生軍と戦ってやや後退したけれども、李世民が軍頭で(北海郡)臨淄の人・段志玄と共に南原から軍を率い駆け下って、宋老生軍の陣に突進し、そしてその背後に出て襲い掛かり、李世民は自らの手で敵兵数十人を殺し、両手に握った刀は全て欠損し、飛び散った敵兵の血が衣の袖いっぱいに付着したが、衣の袖に付いた血を振り撒いて再び戦った。
その内李淵軍は再び勢いが盛んになったため、兵士たちがそれに乗じて叫んだ。
「既に宋老生は捕らえたぞ!」と。
それにより動揺が走った宋老生軍は大敗し、李淵軍は宋老生軍より先に霍邑の城門に駆けつけたため、慌ただしくその城門は閉じられ、行き場を失った宋老生は馬から下りて城の堀に飛び込んだので、劉弘基は宋老生に近づき斬り殺したが、それに加え将兵たちの遺体が数里に渡って広がった。
そして日は既に暮れていたため、李淵は速やかに将兵へ霍邑の城壁を登るよう命令したけれども、その時李淵軍に攻城兵器(遠距離から敵の城を攻撃できる装置など)は無かったので、李淵軍の将兵たちは刀などの接近戦用の武器を握って城壁を登り、遂に霍邑城を攻略した。
※隋唐の1里は531m。