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隋紀ハ 大業13 (617)年(70)-七里井の戦い 下-

そして竇建徳(とうけんとく)軍が駐屯している場所は薛世雄(せつせいゆう)の陣営から距離にして※百四十里あったため、竇建德は決死の兵二百八十人を率いて先行することにし、残り兵士達はそれに続けて出発させることとし、そして竇建德は自軍の兵士達に対し約束した。


「夜の内に薛世雄の陣営に至ればその場合は彼の陣営を攻撃し、もし薛世雄の陣営に至った時夜が明けていればその場合は彼に投降する」と。


 そして薛世雄せつせいゆうの陣営まで至らないこと一里ばかりの所で,空が明るくなろうとしていたので、竇建徳(とうけんとく)が不安になって皆に投降することを提案していたところ、たまたま大気中に広く霧が立ち込めて、人をごく近くでも互いに識別しにくくさせたため、竇建徳は喜んで叫んだ。


「天は我を助くるなり!」(この霧は我が軍の動きを薛世雄軍から隠す天の助けである)と。


 これを受けてつい竇建徳(とうけんとく)軍は、薛世雄(せつせいゆう)軍の陣営に突入して彼らを襲撃したため、薛世雄軍の兵士達は大いに混乱し、皆陣営の(さく)を乗り越えて逃走した。


 そしてこれを薛世雄は制止することができず、側近数十騎と(根拠地の)涿郡(たくぐん)に逃げ帰ったが、竇建徳に敗北したことを恥じて憤り(それが原因となって)発病し死去した。


 さらにこのような状況に乗じて竇建徳はすぐに河間(かかん)城を包囲した。


※隋唐の1里は531m

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