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隋紀ハ 大業13 (617)年(67)
一方薛挙は秦帝を自称して、その妻である鞠氏を立てて皇后とし、子の薛仁果を皇太子とした。
さらに薛仁果を派遣し兵を率いて天水を包囲してこれを攻め落とさせると、薛挙は金城から天水に都を移した。
また薛仁果は力が強く、その上騎射が巧みで、軍中では彼を万人敵(一人で一万人に匹敵する武勇を持つ者)と呼んだが、けれどもその性質は貪欲で残虐なことを好んだ。
例えばかつて※庾信の子である庾立を捕えると、彼が降伏しなかったことに怒り、火であぶって磔にし、少しずつ彼の肉を切り取って兵士に喰らわせた。
そして天水を攻め落とすに及び、その全ての富裕な者を呼びつけて、彼らを逆さにつるして酢を鼻に注ぎ込み、その財産を差し出すよう要求した。
そのような振る舞いに対し薛挙は常に薛仁果を戒めて言った。
「汝の才知は事を成し遂げるには充分だが、けれどもその性質は思いやりがなく残酷であり、人に手を差し伸べることが無いため、それでは結局我が国家を覆すことになるだろう」と。
訳者注
※ 庾信
中国・南北朝時代の王朝である南朝の梁、北朝の西魏・北周に仕えた人物。