第79話
《ツバサ殿、少しモカ殿を貸していただけないか?》
ディノに電話で調査依頼をした翌朝、ツバサがいつも通り洗面付近で拘束されていたダイスを解放してやると、充電満タンの球体がツバサの目線まで浮上し、唐突にそんなことを言い出した。意味が解らず、モカとともに首を傾げる。
「モカを貸すっていうのは?」
《我の部屋まで取りに来てほしいものがあるのだ》
「は!? だってダイスさんの部屋ってWGSの寮のことですよね!?」
ツバサは目を見開き、何を言い出すんだとダイスを凝視する。
《本日の午前中は丁度ここからキャンパス・シップ方面に強い風が吹いておる。その風に乗れば、比較的早くWGSまで辿り着けると思うのだ》
「……帰りはどうするんですか」
《バアル地区行きのバスの上にくっ付いていけば、労せずここに戻って来られるであろう》
「……何をそんなに取りに来てほしいんですか?」
呆れ返りながらツバサが訊ねると、ダイスは円弧を描くように左右に揺れつつ自信満々に言い放った。
《それは秘密である!》
ツバサはダイスを無視し、歯ブラシに歯磨き粉を付けて歯を磨き始めた。しかしダイスはウィンウィンという機械音を響かせながら、ツバサ殿ー、と繰り返してくる。実に鬱陶しい。
口を濯いでタオルを口元に当てると、ツバサは冷え切った瞳でダイスを一瞥。
「何かも分からないものを取りに行く暇なんてありませんよ」
《ツ、ツバサ殿! お願いである! 必ず役に立つものなのだ! 我を信じるのだ!!》
いかにも信じてはいけなさそうな文句である。ツバサが冷たくあしらっても、ダイスはしつこく付いて来て、ツバサ殿ー、と機械の猫なで声を上げる。正直相当面倒臭い。
ツバサは仕方なく振り返り、ダイスを正面に見据えた。溜息交じりに口を開く。
「……分かりました。絶対役に立つものなんですね?」
《無論だ! 我が保障する!!》
ダイスの保障に価値なしと思いながらも、ツバサは言葉を喉の奥へ押しやる。
「……それはモカが持ち運びできるものなんですか?」
《うむ。問題ない!》
ツバサは一度大きく溜息をつき、左肩にいるモカを掴んで正面に据えた。今のやり取りを聞いていたモカは面倒臭そうな顔をしているものの、その瞳には諦観の色が混じっていた。
「モカごめんな。悪いけど行ってくれるか?」
モカは渋々小さくコクリと頷くと、ツバサの手を抜け出して窓の桟に降り立った。
「気を付けて行ってくるんだぞ」
窓を開けてやると、モカは風に乗って颯爽と滑空して行った。