第33話
カノン班が借りた部屋に戻ったツバサは、瞬時に口元を引きつらせ、脱力した。視界に映ったのは、まるで血の海に生えた一束の巨大エノキ。
既にシャワーを浴び終わったラックが、真っ赤なパジャマを身に纏い、お気に入りと思われるエノキの抱き枕を抱え、気持ち良さそうに眠っていたのだ。
カノン班で数日に亘る任務を与えられたのは今回が初めてで、メンバーの色々な面が見えてくる。別に誰がどんな抱き枕を持っていようが構わないが、エノキが細部までリアルに描かれた抱き枕をラックがきつく抱き締めている姿を見ると、なぜだか複雑な気持ちになる。
それに、もう寝てんのかよ! というツッコミも入れたくなる。
奥の扉から今し方シャワーを浴び終えたカノンがタオルで髪を拭きながら入って来た。大きな星が沢山描かれたピンク色のパジャマを着ている。ダイスは大人しく充電されているのだろう。
「バッサー、シャワーいいよー」
髪をドライヤーで乾かす気がないらしいカノンが、ベッドに勢いよくダイブする。
「ありがとうございます」
ツバサは着替えを持って奥の扉に入る。正面に洗面、そこのプラグから延びたコードに繋がるダイスが右側の小スペースに待機、左側には脱衣籠が木造の台の上に乗っている。人一人が着替えることができるくらいのスペースしかない、非常に狭い空間だ。ダイスには上からタオルがかけられ、タオルの裾はガムテープで洗面台に固定されている。着替え時の覗き封じだ。全く信用されていない証である。
ツバサはモカと一緒にシャワールームに入る。まずシャワーをモカにかけてやり、両手で石鹸を擦って立てた泡で優しくモカの体や頭を洗ってやる。その後再びシャワーをかけてやり、モカがきれいになったところで、ツバサは自分の汗を流し始める。いつものことだ。最初にモカを洗わないと、ガブリと噛みついてくるのだ。躾がなっていないと言われても返す言葉が無い。
シャワーを浴び終わり部屋に入ると、電気は既に消され、カノンも眠ってしまっていた。この班のメンバーはどうやら睡眠時間を沢山取らないと活動できないらしい。
「…………」
ツバサは内心で溜息を漏らしつつ、起こさないように気を付けてカノンとラックのベッドの間を通る。シャワールームから見て左奥がツバサのベッドである。そこへ腰を下ろし、ベッドの上に置いていた新聞紙を手に取った。
ベッドライトをつけて、半分に折ってあった灰色の紙を静かに開く。〝人魚の涙〟に関する記事は一面に掲載されていた。写真は〝人魚の涙〟が発見された民家の地下室のものだった。石造りで薄暗く、左側に映る棚には様々な分厚さの本がぎっしりと詰まっており、右側に映るデスクには研究に使用すると思われる工具が乱雑に置かれていた。見るからに研究者の地下室といった具合だ。
紙面にはティーナが教えてくれたこと以外に、〝人魚の涙〟についてもう少し詳細に書かれていた。
〝人魚の涙〟は、クロードが生前に残した最後の傑作にして、唯一の科学無関係の代物。原石はどこで入手できるかも分かっておらず、発明家である彼が一体何のために宝石などという嗜好品を作り上げたのかも分かっていない。全てが謎に包まれた作品のようだ。解明には何人もの研究者たちが手を焼いているらしい。
ツバサは一通り記事を読み終え、新聞を折り畳んだ。それを床に置き、ベッドライトを消灯して横になり、瞳を閉じた。