第29話
話の間も手を休めることなく皿洗いをしていた優秀なリリアは、水切り籠に整列された皿を前にまだ手を動かしているツバサを置いて、ダイニングの右奥にある修道女たちの部屋へ戻ってしまった。
その場に一人ぽつんとツバサだけが残される。
皿を拭き終っても食器棚のどこに戻すか教えてもらっていない。恐らく、皿のないスペースとか、同じ皿の型を探したりとかすれば分かるだろうが。
そんなことを考えながら手だけ動かしていると、礼拝堂の方からマザーが入って来た。彼女も掃除か礼拝か何かでもしていたのだろう。
「あら、ツバサさん……だったかしら? リリアは?」
マザーが穏やかな口調でツバサに微笑む。
「先に皿洗いが終わって部屋に戻りました」
「そう……。ごめんなさいね、折角手伝って下さっているツバサさんを置いて部屋に戻ってしまうなんて」
丁度全ての皿を拭き終わり、重ねられた七枚の白い皿をマザーに教えてもらった場所に戻す。シチューのものとパンのもの、あとはバターナイフやスプーンなど使用したものを片付け、ふーっと一息つく。
すると食器棚の前に立っていたツバサの横で、マザーが丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございました。お礼に紅茶でも淹れますから、そこに座ってらして」
ツバサはご厚意に預かり、紅茶をいただくことにした。食器棚からくるりと反転し、目の前の椅子に腰かける。
マザーは食器棚から透明なティーポットとティーカップ二つを取り出して、テーブルの上に乗せた。次いで食器棚下の引出から四角い缶を取り出し、中を開ける。すると心を癒すような紅茶の香りが鼻腔を刺激した。用意してくれているのは、リラックス効果のあるものかもしれない。
ティーポットに茶葉をスプーンで数杯掬って入れ、そこにお湯を注ぐ。三分ほど蒸らした後、色の出た液体をティーカップに注ぎ込む。
琥珀色に透き通った紅茶。マザーはそれを差し出すと、どうぞ、と促した。ツバサは、いただきます、と言ってから、やけどをしないようにゆっくりと口に含む。芯が温まり、ホッとする。
「ツバサさんたちは世界でもご活躍されている護衛を専門に扱う方々なんですよね?」
マザーはツバサの正面の席に腰かけながら、唐突に質問を投げかける。ツバサは思わず紅茶を吹き出しそうになるのを押さえて、ゴクンと喉の奥へ飲み下した。
一体リリアはカノン班のことをどんな風に説明しているのか……。
「……はい」
一先ず話を合わせるツバサ。
「世界は広いのでしょう? 様々な地を巡り歩いて、どうですか?」
戸惑いながらも、マザーに対して丁寧な回答をしようとツバサの脳は言葉選びを始める。
「そうですね……、色々な地を見ることができるのは凄く楽しいですし、勉強にもなります。自然などの景色や見たことのない動物たちは勿論、人々も本当に多様ですし、その土地その土地にも歴史というか……物語があるんです。そういうものに触れる度に、世の中は神秘に溢れていて、毎度毎度感動させられるんです。……すみません、何か上手く伝えられなくて」
苦笑するツバサに、マザーは微笑を浮かべながら首を横に振った。
「いいえ、ツバサさんのお気持ちはよく伝わりましたよ。そして思いました。――やはり、リリアにはここに留まるのではなく、世界を見てきてほしいと」