第20話
バスが石か何かの上を通ったのか、ガタンという振動でツバサは目を覚ました。幾つかの地区を経由し、既にバアル地区に入っているようだ。正面のガラスに目をやると、バスと同じ色のバス停が眼前に控えていた。
「降りるわよ」
終点一つ手前のバアル地区中心地で下車し、ツバサは思わず両腕を擦る。空はまだ明るいとはいえ、薄らと茜色を帯びている時間だ。入国した場所より更に北に位置していることと、陽の傾く時間ということで、先ほどより寒く感じる。
街は静かだった。建物は全て石造りで、デザインは精緻で風情がある。窓ガラスは大きく、ゴシック調のものが多い。人はちらほらと歩いている程度で、正直活気というものは見られない。水の流れる音が清涼感を与え、余計寒さを感じてしまう。
「行くわよ」
さっさと歩いて行ってしまうリリアを三人と一機は小走りで追いかける。
「どんだけ我儘なお嬢様だよ、ったく!」
ラックが不機嫌そうに小声で吐き捨てる横で、ツバサは苦笑を浮かべた。
正面はT字路になっていて、そこを右に曲がる。すると、ゴーンゴーンという重い鐘の音が突如響き亘った。
それがどこから聞こえてきたのかは、すぐに分かった。前方左側に鈍い金色の鐘を携えた教会が見えたからだ。だが、それよりもツバサの目を引いたのは、教会の一つ手前にある時計塔。
自己主張をしているかのように一際高く直立する一本の塔。天辺は城のように尖った黒いダークグレーの屋根。本体は赤レンガでできている。下の方は煤に塗れたように黒い。上に向かうにつれて徐々に色が薄くなり、本来の色に戻っている。側面は損傷しているようで、積み重なるレンガの端は欠けているものが多くある。
塔の上部に嵌った時計の針が指し示す時刻は、十二時十五分。そこでツバサは慌てて自分の腕時計に目をやった。十七時。秒針が動いていることを確認して、安堵の溜息を漏らす。
「ねえ、セレティスさん!」
さっさと前を行くリリアをツバサが呼び止める。彼女はピタリと止まったかと思うと、半身だけ翻した。
「何かしら」
「あの時計、時間おかしいよね?」
リリアはツバサの指差した時計塔に目を向け、ふと切なそうな表情を浮かべた。口元を一度引き結び、瞳を細める。
「十二時十五分。それはセルバーンの民であれば誰でも知っている……。業火に見舞われ、人々の泣き叫ぶ声すらどこかへ掻き消えた。〝ブラッディ・サンセット〟。セルバーンが永遠に止まった時間よ」
なぜだかリリアの声が重々しくツバサの心に沈下する。塔の黒さは戦争の凄惨さを、止まった時刻は人々の心の傷を、それぞれ視覚化したもの。
セルバーン、特にこのバアル地区は、〝ブラッディ・サンセット〟の直接的被害を受けた場所であり、植民地化したノエールへの恨みがまだ消えない場所。
「だからこの地区には過激派が多いの。ノエールに復讐するためなら手段を厭わないって人たちが集ってる、セルバーンの中で最も治安が悪い地区よ。――あなたたちも気を付けることね」
忠告を付け加え、リリアは再びスタスタと歩いて行ってしまう。
《敗戦の歴史といっても、まだ十五年前のことであるからな。痛みが薄れていくにはまだ時が足りぬのであろうな》
ダイスの濁声が静謐な街に溶け込む。陽が傾き、一層眩い橙を放つ光がバアル地区を照らしていた。




