第5話・桜の大樹と今後の指針。
昨日ラミィの案内によりヴァラスキャルヴ城の大部分を把握したがそれはまだ半分ほどで、もう半分は地下の施設群である。その地下施設こそが重要でありアスガルドの心臓部と言える場所だ。
そして翌日の今日、アオイはエーデルだけをお供に地表部の最後の案内として天樹ユグドラシルの前に来ていた。
場所はヴァラスキャルヴ城とウーズ湖の間にある広場、ウーズ湖の左右からは城壁が囲みその表面はユグドラシルの樹木が取り込んでいた。
「おお……大きい。本当に、これがあの天ちゃん、ユグドラシルなの?」
ユグドラシルの傍までやってきたアオイは呆然と聳え立つ大樹を見上げていた。
天樹ユグドラシル。それは都市イザヴェル内の端にある天にも届きそうな巨大な樹木。ウーズ湖に半身を浸したユグドラシルの姿はまるで城壁を肘掛にしている樹木の巨神のようだ。
「肯定。植物にとり十二分に時間も環境もありましたので、このように立派に育ちました。今のユグドラシルはアスガルドの環境調整と維持管理を一手に担っています」
アスガルドは高高度を浮遊している状態である。本来なら大気は薄いし気温も低い、その他にも過酷な環境でありとてもではないが動植物の育つ環境ではない。
それらを可能にしているのが天樹ユグドラシルの環境調整能力だ。アスガルドの地中深くに根を伸ばし天高く枝葉を伸ばす事で周辺環境を把握掌握する。内部で専用に調整された各種ナノマシンを放出して維持管理している。
高高度を浮遊するアスガルドが常春の気候を保っていられるのもユグドラシルの恩恵と言っても過言ではない。
「へえ。自分でそう設計したけど、まさかここまで大きくなるとは思わなかったなぁ」
すごいな天ちゃん。そう言って幹に触れて優しく撫でると、表面をナノマシンの青白い光が複雑な軌跡を描いて駆けた。ふと風が吹くと周囲に同色の燐光が踊るように舞った。
「ユグドラシルも久しぶりにマスターと戯れて喜んでいるようです」
「そっか。なんかそういうのってテレ、る?う、ぅぅ?」
「……え?」
突然の浮遊感。腰回りに締め付けられるような感触があり、何かと思えば植物の蔓が巻き付いていた。
そして蔓に手で触れた瞬間にグイッと持ち上げられる。
「あ、あれぇぇぇ?」
どういうことぉぉぉ……――。
声が遠のいていく中でアオイの身体は逆バンジーのように急激に上昇していく。腰に巻き付いた蔓は振り解こうにも解けることなく固定されていた。
突然アオイが連れ去られたことで珍しく呆然としてしまったエーデルが動き出した時には、既にアオイはユグドラシルの中腹辺りまで上昇していた。
「っ、マスター!? ユグドラシル!貴女何を……!!」
武器こそ手にしていないが返答次第では実力行使も辞さない勢いで声を荒げた。
ユグドラシルの表皮が強弱をつけて一定の規則で発光する。
「――……」
「問題ない、ですって? ならばこれは一体どのような了見ですか!」
「――……」
「邪魔させない? 貴女は何を言っているのかわかっているのですか!」
「――……」
「ずるい?私達が? だからといってマスターの意志も確認せずこのような勝手は許されません!」
「――……」
「わかっている? 理解した上での行動だというのですか!」
当然だというように樹木の表面が強く発光した。こうしている間もアオイはユグドラシルの上層へ消えていく。
自制心が振り切れそうになるも辛うじて最後には踏みとどまった。ユグドラシルがアオイに害なすはずがない。その理由もない。そう確信していても尚、それでも確認せずにはいられないのもまた事実だった。
「確認します。危険はないのですね?」
「――……」
答えは肯定。危険などない。危害を加えると思われる事こそ不快である。
「……その言葉を信じましょう。ですが、この後も予定があります。そう長く時間は取れません。いいですね?」
「――……」
ありがとう。淡く優しく発光を繰り返した。それはとても嬉しそうにエーデルの目には映った。
エーデルは額に手を当てたい衝動に駆られるも耐えた。おそらくだが、この物静かな娘に午前中の時間を取られてしまうのだろうなと確信したのだ。
ふうと内心で溜息を吐くと、その場でアオイの帰りを待ちながら以降の予定を組み直す。大樹が喜びを表すように燐光が舞っていた。
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突然だが機械人形などの情報生命体や機械生命体は一種の高速言語とでも言うべき機械言語で情報のやり取りをしている。これにはより大容量の情報の高速化と時間の短縮が可能となっていた。
閑話休題。
突然拉致されてしまったアオイは戸惑っていたが慌てもしなければ不安もなかった。それというのも連れ去ったユグドラシルに悪意のようなものが感じられなかったのが大きい。
そこは天樹ユグドラシルの上層部、天井は青々とした枝葉が覆っており木漏れ日が天然のシャンデリアとなって陽光が降り注いでいた。足元は樹木の枝が複雑に絡み合った床となりその上を柔らかな草や苔が天然の絨毯のようになっている。
辺り一帯には多くの燐光が蛍火のように舞い踊ってアオイの目を楽しませた。
緑の世界。ここから見えるアスガルドの景色は絶景以外に言葉がない。
そんな場所にアオイはただ一人立ち尽くしていた。
「なんで俺はこんなところに居るのかね?」
「――……」
それでも呟いてしまうのは止められないわけで、疑問だけは口にしてしまう。
ユグドラシルもそれに答えようと燐光が舞って発光している。
「あー……ごめん。機械言語はちょっと。できれば単一言語か大陸共通語にしてもらいたいんだけど」
もしくは日本語で……、などと冗談半分で口にする。記憶の通りならエーデルと同様にアオイの記憶の一部を抽出して言語として記録されているはずだからだ。
「――……」
「ちょっ!?」
そう考えていたのにユグドラシルの燐光が弱弱しくなっていた。まるで捨てられた子犬のように落ち込んでいるようだった。
「そんなに落ち込まなくても、ね?だいじょーぶ。大丈夫だから元気出せー」
「――……」
「そうそう。元気元気、元気があれば大抵は何とかなるもんだって」
おかしい。言葉は通じてないはずなのになぜか会話が成立している。
それというのも周囲を舞う燐光が蛍のように発光して喜怒哀楽を表現しているのだ。明確に言葉が通じなくとも簡単な意思疎通はこれだけでも可能だったようだ。
しかし、これでは意思疎通が難しい。ユグドラシルは即座に言語領域の一部を再構築しなおして記憶情報を元に組み上げた。
「……はろー」
は?
「…………」
音の波紋のように、女の子の幼い声が聞こえた気がした。
言葉もなくアオイは眉間を揉んで耳の穴を指でほじった。ほうと吐息を一つしてから肩に手をやり疲れを揉み解した。
予想外に幼い声と挨拶に状況が理解できず……いや、したくなかったのかもしれない。
「……違った?」
「気のせいじゃなかったか……」
声だけで判断するが二万年もの歳月を経ているはずなのに構築されている人格が幼い少女のものだった事に少なからず戸惑った。レギオンシスターズの全員が外見年齢二十歳前後まで成長していたので、ユグドラシルも同様だと思っていたので余計に驚いたのかもしれない。
割とどうでもいい事で悩んでいるとユグドラシルの燐光がアオイの前を飛んでいた。
「無視はダメです」
「あ、ごめん。えーと、天ちゃんでいいんだよね?」
「はい。だけど、ユグドラシルと呼んでほしい」
流石に天ちゃんは恥ずかしいのかとアオイは頭を捻る。
基本人格は幼い女の子かと考えたが、今の反応だ。思いのほか年頃なのかと思うとなんとも温かい視線でユグドラシルを見てしまう。
何はともあれ可愛い我が子の願いだ。聞き入れるのが親の義務だろう。
「了解任せろ。それでユグドラシルはなんで俺をここに連れてきたわけ?」
「はい。これは父様が目覚めたお祝いです」
「ぉぅ……」
父様と呼ばれて微妙な気持ちになった。そう慕われて嬉しくないわけではないのだが、まだ彼女すらできたこともないのに何足跳びで子供ができた事実をどう受け止めたらいいのか。
ぐぬぬと声に出さずに苦悩する。
「父様?」
「ああ、ごめんごめん。それでお祝いって言うけど具体的には何をすればいいの?」
「何も。父様はこれから起きる事をご覧になってくれればいいです」
「ふーん」
よくわからないがユグドラシルが何かをして楽しませてくれるようだと納得した。
そのまま佇んでいるとユグドラシルが『ではお楽しみを』と言い、場を静けさが支配した。
「おお……」
数多の燐光が舞って渦となる。風に揺れて枝が鳴り、葉が擦れて音が鳴る。千変万化の木漏れ日がアオイを照らした。
それは例えるなら緑と光の箱庭か。キラキラと輝く光景はエメラルドや翡翠、孔雀石などの緑色を基調とした宝石や鉱石の密集した鉱山ようだ。
濃く淡く、幾万もの変化を繰り返す。それは万華鏡の世界。一度として同じ顔を見せないユグドラシルはその瞬間と瞬間がとても尊いものに思えた。
その変化は都市イザヴェルだけではなくアスガルドのどこからでも見えており、隣接するヴァナヘイムとアルフヘイムからも緑色の発光が遠くとも見て取れた。
ユグドラシルの表皮をナノマシンの青白い光が強く激しく複雑に駆けていくと、同色の燐光が蛍火となって今まで以上に舞い踊る。
誰もが見惚れる中でそれは起こる。
――ドクン!
ユグドラシルが一度だけ強く鼓動した。寄り集まった燐光が臨界を迎えると閃光となって爆発した。瞬間、突風が吹き抜けアオイは目を開けていられなくなった。
「ぐっ!」
閃光と突風。爆音こそないがこの異常な現象を遠くから見ていたイザヴェルの皆が恐れ戦いた。今までになかった事態に機械人形達は何事かと共有ネットワークを改良したラタトスクにアクセスして調べたりもした。
変化はすぐに収まった。突風も収まり閃光に焼かれた視界も時間とともにすぐに回復する。数度瞬きをして目を開けたそこには……。
「……おお!」
一面桃色の花が咲き乱れていた。五枚の花弁と淡い香り、風が吹くと吹雪のように散った花弁が燐光と一緒に舞い踊る。
それは桜と呼ばれる花だった。緑の世界だったユグドラシルは今だけ巨大な桜の木に変貌して一心不乱に咲き誇っていた。
「ああ、すごい!なんて、なんて綺麗な!わああっ」
年甲斐もなくくるりくるりとその場で回った。絶景という言葉すら物足りない光景を前に考えるのをやめたアオイは心の感じるままに楽しんだ。
こんな素晴らしい景色、地球ならまずお目に掛かれない。これを目にできただけでも異世界転生という意味不明現象に巻き込まれた甲斐があったと思えた。
「喜んでもらえて嬉しいです。父様は桜が好きだって言っていたから頑張りました」
「ありがとう!こんな素晴らしい光景が見られて言葉もないよ!本当に嬉しい!」
異世界に転生して幾星霜、元日本人としての感性など摩耗して久しい。気が付くと必要なら殺し殺される世界も甘受している自分が居る。過去、ミロス帝国の軍人を名乗る人間族の男性を幾人か手に掛けた事は今も記憶にこびりついて離れないが、割り切る事も出来ていた。
それでも忘れられない思いというものはあるものでこの心の故郷たる日本の風景や習慣は未だに根付いている。
春は庭に御座敷いて徳利片手に花見と洒落込み、夏は蚊取り線香焚いた縁側で西瓜を食べる。秋には月を見ながら団子を食べ、冬は炬燵に入って蜜柑を頬張る。
春夏秋冬。季節の風物詩なんかはアオイが思い描く習慣だ。
そんな中でアオイが一番好きなもの、それは桜だ。一気に咲き誇り散る時は潔く一斉に散っていく。咲いている時の姿は力強くもなぜか見る者の心のどこかに儚さを印象付ける桜は大のお気に入りだ。過去まだ苗木だった頃に戯れで話して聞かされた中にあったそれを覚えていたユグドラシルが今日この日、アオイの目覚めを祝うためだけに用意した席だった。
桜の世界。都市イザヴェルの一同を初め、桜の大樹となった光景を目にした者達は、ユグドラシルのあまりの美しさに声もなく絶句して誰もが目に焼き付けた。
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天樹ユグドラシルの変貌から暫く、ざわついていたイザヴェルの皆が落ち着きを取り戻した頃。上層部からするすると伸びてきた蔓のブランコに乗ってアオイは降りてきた。
「ほぉ……」
地面に降り立ち熱を帯びた吐息が一つ漏れた。先の光景を思い出して未だに興奮が冷めやらないようだ。
「マスター。よくお戻りになられました」
着地点では一礼したアオイの従者が当然のように出迎えた。声を掛けられて恍惚としていた意識を取り戻したアオイは、そこで漸くエーデルが目の前に居る事に気が付く。
「うん、ただいま。いやあ、すごかった。ユグドラシルもいい仕事してくれたね。年甲斐もなくはしゃいじゃった。ははは」
一瞬にして咲き乱れる桜の苑。緑の世界から桃色の世界への変貌劇は圧巻の一言だった。舞い踊るユグドラシルの青白い燐光もまた綺麗で、全てが幻想的に魅了されてしまった。
少し申し訳なさそうに『機会があれば次はエーデルも一緒に』と笑みを交えて言った。そう楽しそうに語るアオイの話を聞いていたエーデルは我が事のように喜んだ。
「それはようございました。こちらでも上の状況を把握しておりましたが、マスターがお喜びのようで私も嬉しく思います」
「大げさだって。ははは。それよりも午後の予定が大変だ。楽しんじゃった分少し急がないと」
まだ目覚めて日の浅いアオイはアスガルドの勝手がわからない。その日その日の予定はエーデルが調整してアオイの不足する知識を深めるために動いていた。
「マスター。ご安心を。今日の予定は組み直しました。お急ぎいただかなくとも問題ありません」
「いや、それはマズいんじゃない?皆に迷惑が、さ」
ユグドラシルもアオイを喜ばそうとしただけなのだが、そのせいで毎日予定を組み尽くしてくれるエーデルに迷惑をかけるのは気が引けた。
だというのに当のエーデルはその程度どうという事もないというように平然としている。
「構いません。待たせてしまえばよろしいのです。寧ろマスターをお待ちする事が出来る喜びに身を震わせるくらいの忠誠心を示してこそ真の忠臣でしょう」
「いやいや、やっぱマズイって。俺なら平気だしさ。ね?」
「問題ありません。それよりもお時間も頃合いです。城に昼食をご用意しましたので参りましょう。本日も料理長が腕によりをかけております」
「え、あ……えー?」
さあさあさあ、と背中を押すエーデルに『いいのかなー』と言葉にならず流されるアオイだった。
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アオイが目を覚ましてから三日目、この頃になると大まかにだが色々と把握できていた。都市イザヴェルではアオイのよく知るエーデルやネルケ、レギオンシスターズの機械人形達の他にも多種多様なアンドロイドが稼働していた。
殆どがアイゼンの手により作られた汎用型、またはネルケにより事故死した者の人格情報を抽出しそれを利用して作られた工作員型アンドロイドだ。
これらアンドロイドはアオイの手掛ける不可思議現象とは違い、アイゼンが手掛けた事で男性型も作られていた。何よりも最初にこの事実を聞いたアオイは心底落ち込んだものだが、今は置いておく。
ヴァラスキャルヴ城の私室で夜に寝て朝起きる。朝起きては昼に学ぶ。午後は散策して皆と交流を図る。少なくとも今しばらくはこの繰り返しになるはずだ。
座学ではエーデルからは手始めにアスガルドの事、隣接する竜族の管理するヴァナヘイムと精霊の管理するアルフヘイムの事も合わせて説明を受けた。
なぜ他種族が居るのかと疑問に思ったものだが、まさか今は居ない両親から密約を引き継いでいたとは思いもしなかったアオイだった。
浮遊島には竜族と精霊を始めとして妖精や他上位種たる力ある者達が数多く居る。現代の地上では絶滅したと言われている種族もアスガルドには当然のように居るのだ。
彼らは管理する浮遊島で独自の生活環境を築いており、都市イザヴェルを中心に盛んに交流している。雑貨や食料品、衣料品や医薬品などの品物も揃っているし、娯楽施設も完備しているので多くのヒトが賑わっている。
アオイ自身もまだ城内に限ってだが、城で働く竜族や妖精時々ふらりと現れる精霊と時間を見てお喋りもした。
話しかけると極端に萎縮されるので最初は難儀したものだが、話してみた感想として普通の女の子や男性と変わらないというものだった。
竜族というからには誇り高くて尊大な者が多いと思っていたアオイは思いのほか生真面目で義理堅い者だっただけに拍子抜けしたし、悪戯好きな者が多いと聞いていた妖精は真面目なお手伝い妖精だった。後で知ったがそういう者も居るには居るが警備上の観点から城には出入りさせていないらしい。
ただし、あながち間違いでもないらしく、そういう者も居るらしく。アスガルド内に限定してだが交流も盛んに行なわれているために時代と共に思想も変化していったようだ。そのように行儀見習いで来ていた竜族の娘が教えてくれた。
会うヒトは、メイド服を着たとても可愛らしい娘だった。他にも庭師の男性、お手伝い妖精、遊びに来た精霊も居て退屈しなかった。
『え!?あなたが偉大にして貴き白の君だったの!?』
『うわーっ!うわーっ!うわーっ!』
『ヒトは見掛けによらないとはこの事か……』
失礼な竜族の娘さんと慌てん坊のお手伝い妖精、なぜかダンディーな庭師さん。それぞれと話して別れる時の言葉だ。必ず誰かしら上位者がアオイに付き従っているから不思議に思っていたらしい。特に鉄の女王と呼ばれているエーデルが無条件に従っている姿は驚愕を通り越して震える思いがしたとの事だ。
普段エーデルがどのように思われているのか不安になり心配したアオイだった。
そうして次に学んだことは浮遊島の外、現代の地上についてだ。これは対外作戦班、所謂工作員として地上で活動する機会の多いネルケから説明を受けた。
『ん。これが今の地上』
『は?だって、これって……えー?』
これが最初の講義で世界地図を見た時の事だ。
今の大陸は大きく分けて三つに分断されていた。それぞれ、エーリヴァーガル大陸、イアールンヴィズ大陸、ウートガルズ大陸と呼ばれており中央はヨトゥンヘイム大海が広がっている。この大海の上空にアスガルドは浮いているようだ。
そしてまたも驚いたことに大陸の配置が地球のそれに酷似していた。ただしアフリカ大陸と他一部の大陸が切り取られたように無くなっているのだが、このことについてエーデル達は怖気の走る冷笑を浮かべるだけで頑として口を閉ざしていた。
何があったかはもう聞くまい!!
それにしてもと、目覚めた時にエーデルからおおよその説明は聞いていたし植えつけられた知識もあったが、実際に目にするとやはり驚いてしまったアオイだった。
話しを聞いただけでまだ感覚的なものだが、時代背景や国政は王政が主で大体十六世紀から十八世紀以降の近世ヨーロッパに近似していると思われた。
それでも人々の生活基準は魔導機械技術により底上げされていて十九世紀後半の様相を成している。服装もそうだし冷蔵庫や掃除機のようなものがあるというのだから馬鹿にできない。
技術発展も目を見張るものがあり、特に魔力波を用いた通信技術が発達しているのは大きい。遠隔地と情報のやり取りが可能になり物流は勿論のことあらゆる流れが加速した。そうして加速した物流は飛空艦による運輸を発展させ輸送航路が世界中を結んだ。
これらは全て過去の遺物たる魔導機械技術の恩恵によるものだ。失われたミロス帝国の遺産ともいうべき魔導機械技術は古代の民間・軍事シェルターが遺跡として地中に埋まっていて、それらを掘り起こす事で基礎技術を獲得、以降は独自に発展させていた。
現代は落ち着きを見せているがより優れた技術を独占するために幾度も戦争を繰り返した歴史もあるようだ。それでも技術競争は今も激しいものがある。噂では人型魔導兵器が開発されたとか、多目的多脚戦車が配備されたなど色々あるくらいだ。
そして今日もお勉強の時間だ。
「高高度に浮遊するアスガルドは完全独立型の居住環境を確立しております。ですが情報収集や地上環境の調整、調律のために地上には複数の拠点が点在しており、これらは表向きに民間警備会社、貿易会社、銀行などに扮して社会に潜伏しております。他にも――」
今アオイはヴァラスキャルヴ城にある私室にてエーデルとネルケの合同講義を受けていた。
何十畳もある広いリビングの一つ、足の短いテーブルの上には湯気立つ紅茶とお茶菓子のクッキーが乗った銀皿。テーブルを大きなソファーがくの字型に囲んでいる。
ソファーに座っているのはアオイ、その膝元にはネルケが頭を預けて横になっていた。二名の正面には空間ウインドウが大きく展開されておりメイド服姿のエーデルが立ち女教師を意識してか細渕眼鏡をつけて講義していた。
「――と、ここまでが現在の状況になります。……なりますが、それよりもネルケ、いい加減にマスターから離れなさい。今、すぐに。捩じ切りますよ?」
「拒否する。んん、殿様あったかい。気持ちいい」
「ちょっ、そんなとこで頭ぐりぐりしないで!顔の位置的にちょっとマズイから!」
「…………」
「待て待てエーデルも待て!無言でごっついナイフを取り出さない!その角度だと俺にも刺さるから!」
極自然に挑発する寝惚け眼のネルケと無言で眼鏡を握り潰して殺意を露わにしたエーデル、巻き込まれたアオイは色々と必死だ。主に生きるために魔法で対物理障壁も密かに張ったりもした。
さて、先ほどの講義とは別だが現代における魔法について思い出す。
この世界では魔導機械技術が発展しており、神秘の担い手たる魔法師の数は極少数で、今も減少しているようだ。現代ではエルフ族のように大きな魔力を持つ種族か、突然変異のように稀に現れる大きな魔力を持った者くらいのものらしい。
それというのも大部分のマナはアスガルドが掌握しており、魔導機械技術のほうがより安易に行使できるからだ。
魔法師の行使する魔法は自然環境すら操作する強力なものから空気中から水を作り出すなどの万能性に富むものまで様々だが、これらは弛まぬ修練と凄まじい集中力を必要とする。
対して魔導機械技術は魔銃を例にした場合、魔法ほど劇的な威力ではないが誰もが一定の効力を発揮できる。操作も魔力を込めた術式弾を使うこと以外は通常の銃火器と同様に、目標に照準して引き金を引けば効果を発揮する。一般的な魔導電子レンジもスイッチ一つだ。
どちらにも一長一短はあるので片方が優れているとは言えないが、一魔法師でもあるアオイは廃れていく魔法技術を思って寂しく感じた。
そうした感情もあった中で漸くネルケを膝の上から退けて、エーデルを落ち着かせたアオイは一仕事終えて脱力していた。
「なんかどっと疲れた……」
「申し訳ありません……」
「ん。とっても満足」
「…………」
「はいはい。押さえて押さえてー」
「む、むぅぅ……」
なんか一人だけ違う。心なしか肌も艶々している気がした。エーデルの殺意が瞬間的に倍加したが、アオイに肩を押さえられて鎮火する。
エーデルは一見して冷静沈着に見えてその実ある一点において頭に血が上りやすい。アオイ自身に関連する事柄だと歯止めがきかない事があり、知らぬ間に二万年が経った今は更にそれが顕著になっているように思えて溜息が出た。これも時間の経過と経験によるものかと無理矢理に納得もした。
渋々、本当に渋々振り上げた拳を下したエーデルは静かに息を吐き出して仕切り直した。眼鏡の残骸は亜空間に捨てていた。
「ともかく、マスター。現時刻をもって大まかな状況説明も終わりました。あとは実際に触れて徐々に慣れていただくしかないと思われます」
「ああ、うん。わかりやすい説明だった。ありがとね。お蔭で何とかないそうだ」
「勿体ないお言葉。しかし、まことに不躾ながらお聞きしたい事があります」
「ん。ワタシも聞きたい事がある」
アオイとの触れ合いに満足していたネルケが寝惚け眼はそのままにピシッと挙手した。アオイとエーデルが微妙な空気を纏った。……すぐに晴れたが。
「まあ、答えられる事ならいいけど。何さ?」
聞きたい事と言われても思いつくものは特にない。敢えて挙げるなら前に不発に終わった歓迎の宴だが、あれとていつでもできる上に重要かと言われるとそれほどでもない。それに先走ったユグドラシルの事もある。
では何かと顔を向けるとエーデルが前に出ていた。
「では私が。現状説明が終わった今、マスターは現代の世界で何をしますか?」
「は……?」
「突然のこと申し訳ありません。今すぐとは申しませんが、何かお決めになられているなら先に把握したく思います。これはおそらくですがネルケも同様でしょう」
「ん。殿様、何するの?」
「何するって……」
言葉に詰まる。眠って起きたら未来という現状に適応するのが今する事と言えばそうだが、彼女達の言いたい事はそういうのとは別の事だ。
「マスター。あなたはこの世界で何をしますか?」
「…………」
エーデルがより深くより端的に再度疑問を投げかけた。
どうしたいのか悩むアオイ。その隣に寄り添うネルケは『殿様のしたいようにすればいい』と好意的に容認してくれる。
顔を俯かせて視線は床に向けられる。毛足の長い赤絨毯とソファーは彼らを柔らかく受け止めていた。
『あなたはこの世界で何をしますか?』
そう聞かれてもアオイにすぐ答えられるものは何もなかった。この世界に転生して二十二年と数か月、おまけに知らないうちに眠らされて二万年もの時間が流れていた。御年二万飛んで二十二歳だ。前世も含めたら十数年足されるが。
旧アース大陸が分かたれた影響か共通通貨さえ様変わりして言語も含めて多様化している。国や文化、環境も過去の影響を残すのみで今まで学んだ事の大半が当てにならない。こうして大まかに説明を受けた今でも、エーデル達の問う今後の指針となる大戦略を打ち立てるには難しいものがあった。
それでも両親の教えからか考えるのは止まらない。
例えば、世界征服? いいや。可能不可能は別として現実的ではない。
例えば、国を作る? いいや。領土の決まっている現代では難しい。
例えば、会社作り? いいや。現代常識すら危ういのに無茶だ。
例えば、例えば、例えば……。思いつく端から案を上げてみては取り下げる。大目標も規模の大きなものから徐々に小さくしていき現実と今の自分ができる事を擦り合せていった。
「……あ」
悩んで、考えて、思いついては横に払いのける。そうしていって思いついたものがあった。それは。眠らされる前の自分の在り方とあまり変わりがなかった。初めて外へ出て様々な事を体験したあの日から。
「何か思いつかれましたか?」
「ん。気になる」
淡々とした口調のエーデルと寝惚け眼なのに口調ははっきりしているネルケが口にするかどうか迷っているアオイに問うた。
変化に気付いたーデルといつの間にかネルケも今はエーデルの側にてアオイを正面にして立っていた。
「まあちょっと、まだただの思い付きだけど」
目的、まして大目標というには弱い。それでもやりたい事を聞かれて思いつくのはやはりこんな簡単なものだ。いや、そのくらい簡単な動機のほうがいいのかもしれない。
「構いません。どうか思う通りになさいませ。マスターに助力する事こそ私達の本懐ですので」
「エーデル……」
抑揚のない声色もどこか優しいエーデルに言葉がない。そのまま自然と二名は見つめ合い……。
「ん。それで殿様なにするの?」
ネルケが声を発した事でふわふわしていた空気が払われた。
これといってエーデルに変わりはないがアオイのほうはびくりと身体を揺らして動揺していた。一度、二度と咳払いと深呼吸をしてからネルケに向き合う。
「あれ、あれだよあれ。旅だ」
「……旅?」
「そ。もしくは旅行だ」
訝しげなネルケを前に、悪戯を思いついたような笑顔でそう言った。
窓から見えるイザヴェルを眺めやり思った。まずはアスガルドの現状把握から始めるから、早ければ一年以内には旅立ちたいものだ。
その背後でお手本のように一礼したエーデルは静かに準備に取り掛かる。
おかしい。ユグドラシルはお爺さんキャラのはずだったのに、なぜか幼女キャラになっていた。
声だけで姿なき幼女ってなんだろうね。蛍のような燐光ですよ?
なんでだろうなー。なんでグラマラスな女性と可愛らしい幼女ばかり優先してしまうのか。
無意識に。無意識に!
はあ。それではまた次回で!
ではではー。




