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アナタは異世界で何をする?  作者: 鉄 桜
第一章・幼年期から青年期まで。
45/64

第16話

はいだらー!

意味もなく。


 


 


 朝、と言うには少し遅い時間に目が覚めるとそこは自分の部屋で、いつものようにベッドの上に寝ていた。

 寝起きではっきりとしない頭だが、とりあえず上半身を起こして何も考えずにただぼうっとした。


「あれ?そういえば俺ってプリーゼ村で森の水源アクア・フォレスティアを見てたんじゃなかったっけ?んん?――っ、痛ぅぅ」


 森の水源アクア・フォレスティアを見学していたはずなのに今は自分の部屋のベッドで寝ていた。寝巻きにも着替えている。

 しかし、ここへ帰るまでの記憶がなかった。それなのになぜかここで寝ていた。

 最後の記憶は、エーデルが慌てて駆け寄ってくる姿で……、と何があったのか思い出そうとするのに、その途端に軋むような頭痛が襲ってきた。


「いったぁぁ。一体何が……」

「ご自愛ください、マスター」

「っ!? って、なんだエーデルか」


 誰も居ないと思っていただけにいきなり耳元で囁かれると驚いてしまう。しかも吐息が当たると妙にくすぐったくてゾクゾクした。


「脅かせてしまい申し訳ありません。それとお体の調子はどうでしょうか。熱や発汗、眩暈や吐き気など、何か違和感のようなものはありますか?」

「え?え?ええ?」


 額や頬、肩や腕、お腹など触診するエーデルに戸惑うしかない。何があったのか心配してくれているらしい。

 ただ、妙に手付きが柔らかくてねちっこい感じがする。別に気にするほどのものではないけど戸惑うばかりだ。


「えーと、起き抜けでちょっと頭が痛かったけど、それだけかな。うん」

「ふむ。頭が痛んだ、と?今はどうですか?」

「少しね。もうなんともないよ」

「そう、ですか。では次ですがマスターにお話ししたいことがあります。お聞きいただけますか?」

「ん?うん。普段からよく尽くしてくれるエーデルのお願いを無碍になんかしないよ」

「ぁ……その、ありがとうございます」


 なぜに俯くのか。前髪に隠れて表情は見えないし何か気に障るようなことを言ってしまったのか。

 とりあえずそれらは横に置いておくとして、それでどんな話しなのかね。


「はい。その……」


 え、そんなに言い出しにくいことなのか?

 ものすごく気まずそうなエーデルを前にしてどうしていいのかわからない。口を開いたかと思えば閉じてしまい、また口を開いたと思えばまた閉じてしまう。まるでイタズラが見つかって必死に告白しようとする子供のようだ。


「その、えと……」

「ふむ。エーデルちょっとこっちへ」

「あの……え?マスターっ?」


 俯くエーデルの手を取って少し強引に引張って身を寄せた。エーデルの頭を膝の上に乗せて丁寧に髪を梳くように撫でつけた。

 何度もそうしていると最初は戸惑いを見せていたが、今は大人しく撫でられるままになっている。


「よくわからないけど、慌てなくていいからゆっくりね」

「マスター……はい……」


 時折り身動ぎするくらいで、そのまま穏やかな時間が過ぎる。

 急かす事無くエーデルの言葉を根気強く待った。


「マスター……」

「うん。なに?」

「……申し訳ありません」


 長く穏やかな時間が過ぎて漸く口を開いたかと思えば、謝罪の言葉だった。それはとても小さな声で、とても沈痛な思いだったことだけは感じられた。

 それでもやはり謝られることに思い当たる事がないので困惑するしかない。


「えーと、それはなんの謝罪?」

「それは……いえ、単刀直入に申しましょう。私はマスターに罰していただきたいのです」

「うん?あー、えーと、意味がわからないんだけど」


 それ以外にどう言えと?

 いくらなんでも単刀直入に過ぎる。いきなり罰していただきたいのですなどと言われても思い当たるものがない。理由もわからずに叱る事などできるはずもない。

 さて、どうしたものか……。


「罰です。お仕置きです。躾です。寧ろ『この雌犬め!』と罵っていただいても一向に構いません。必要なら鞭や蝋燭などの道具もご用意させていただきます」

「あー、ごめん。やっぱり、意味がわからない」


 ホントどうしようか。ますます意味がわからなくなった。

 おかしい。沈痛な空気は変化しないのになんとなくおかしな方向へ話しが進んでいるような気がした。


「もう少し詳しく話してくれない?そうじゃないと罰も何も叱る事さえできないしさ」

「はい……」


 ベッドの上で正座し膝を詰めて向かい合う。それから罪の告白――と言うと大袈裟だけど――が始まる。エーデルの謝罪はとても真摯なものだった。

 謝罪の理由。切っ掛けはよくわからないが森の水源アクア・フォレスティアを見学している時に“何らかの事故が起きて俺が頭部を負傷したこと”とそれを未然に防げなかったこと、それから急いで家まで運んだことなどを話してくれた。


「そっか。この頭痛はその時の影響だったと?」

「はい。その通りです。あれだけ守ると豪語しておきながら力及ばず、申し訳ありません。」


 猛省するばかりですと項垂れるエーデルが居た。膝詰めているので目の前でどんよりされると、こう、困るものがある。

 そもそも事故とは言え怪我するような事など起きるはずもない。

 というのも最低限の身の安全を図るために防弾チョッキのような皮膜装甲(スキンバリア)を展開する特殊な防御装置を身に付けているからだ。これさえあれば大抵の危険は問題なくなる……はずだったのだけど、あの時は母の用意した服に着替えて装置を起動し忘れていたらしい。

 ホントにマヌケにも程があるよな!

 日頃から安全安全って口をすっぱくして自分に言い聞かせていたつもりだったのに、肝心な時に大ポカやらかすとかさ。もう、どうよ?バカだね。ハハハ……。

 ぶっちゃけ事故なら仕方がないとも言えるしこうして無事なら言う事はない。敢えて言うなら心配してくれてありがとう、か。

 いや、もう本当に自分のミスで心配かけてすみませんでした。


「というわけで、特に叱る理由がないのでこの話しは終わりにしよう。うん、そうしよう」

「はい。……はっ?何がというわけなのでしょう?え?」

「特に叱る理由がないのでこの話しは終わり、以上。さて、着替えて工房(アトリエ)に行こっと」

「おお、おまっ、お待ちください!あれ?鞭でビシバシお仕置きは?泣く子も大泣きする罰は?もっともっとと鳴かされる無限快楽の躾はどうなるのでしょうか!?」

「どれもしないよ!?エーデルは俺をどんな目で見てるのさ!」


 挙げられた選択肢はどれも碌でもないものだった。言葉だけだとちょっとイヤ~ンな感じに取れるけど、そんなアブノーマルな趣味は今のところないので勘弁して欲しい。

 どうせやるならもっとソフトなSMプレイげふんげふんっ、な、なんでもない。


「マスター!それではみなに示しがつきません!」

「俺がいいって言ってんだからいいんだよ。まあ、エーデルの気持ちもあるからどうしてもって言うなら……」

「どうかお願いいたします。このままでは私自身を許せそうにありません」

「そっか。では今後の働きで示してみせろ。より一層励め、エーデル・シュタイン」

「っ!!はっ!我が身、我が心はマスターに捧げます!」

「ほら、エーデル行くよ?」

「ああっ、マスターがいつの間にかお着替えになられていた!?ああ、待ってくださいマスター!」


 部屋を出て振り返る事無くスタスタ歩いて行く。お腹も空いてるから食堂によって軽食でも作ってから工房(アトリエ)に行こう。


「マスター!」

「あははっ」


 後を追ってくるエーデルを背中に笑いが込み上げてきた。いつも無表情で冷静なエーデルが慌てる姿は楽しくて、とてもからかい甲斐があった。

 それと最後に、ホントに余計な心配かけてごめんなさい。これからはもっと気をつける。


 あれ?そういえば父と母はどうした……?


 


▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽


 


 エーデルの作った軽食を手に工房(アトリエ)に着いた。アオイは栽培中の天樹ユグドラシルを手入れしながら軽食を片付ける。傍らにはラミィがアオイを気遣うようにないていた。

 食後にエーデルの淹れてくれた緑茶で一息吐く。茶飲み話にエーデルが帝国には航空戦艦なる航空兵器がある事を話題にするとアオイはキラキラと目を輝かせて聞いていた。

 そうして暫く歓談したアオイは『俺だってそれくらい作れる!』と急に意気込むと作業台に駆け寄り設計図を引き始めた。絵図面から艦船の類のようだ。

 エーデルは切れていた茶葉とお茶菓子を補給するために席を立つと部屋を出た。エーデルが部屋を出た後は工房(アトリエ)の中はアオイが走らせるペンの音とラミィが天樹ユグドラシルの葉を叩いてじゃれ合う音しかしていなかった。


 軍用ブーツが廊下を叩く硬質な音がする。進む白い廊下は埃一つないことから掃除が行き届いていることがわかる。

 廊下の角を右へ、左へ、そして真っ直ぐ進む。暫く歩いてもう直ぐ食堂というところで、その入り口の横にネルケがいつも通りの寝惚け眼のまま壁に背を預けて立っていた。

 エーデルは一瞬だけ身を硬くするが、そのまま近付いていく。


「殿様は?」


 開口一番、ネルケの第一声がそれだった。エーデルが一度目を伏せてから考え思い当たる。真っ直ぐに彼女を見据えた。

 その短い言葉に籠められた意味合いも容易に読み取ることができた。彼女はこう言っている、『正しく己が失態を告白したのか。そして罰せられたのか』と。


「もう復調されていて工房(アトリエ)で作業しています。マスターご自身は気絶されてからの記憶はありませんが生命に異常はないと判断できます。ただ、イングバルト様達のご意向もあり帝国の襲撃関係は伏せました。それでも概ねは説明させていただきましたので大きな支障はありません」

「ん、そう。元気ならよかった。これで皆も安心安心」


 うむうむと頷いている。アオイが寝ている間も心配から押しかけようとするレギオンシスターズ達を宥めるのに骨を折っていたネルケだが、これで一安心というものだ。今頃は常時接続ネットワークを通して知った彼女達がアオイの居る工房(アトリエ)へ押しかけていることだろう。


「ええ、その通りです。肝心の、そう肝心の私に対する罰ですが」

「んーん。言わなくていい。何もないんでしょ?ワタシわかるよ」

「……その通り、です」


 どことなく不本意そうな声色だ。そのままネルケの横を通り食堂内へ入り奥の調理場へと進む。ネルケもなんとなく後を追うように着いていく。


「ん?姉者は殿様の決定が気に食わないの?それは余りにも不敬に過ぎるよ」


 クスクスと笑い、半分からかうように言っているが返答次第ではこの場で首を落とすのも辞さないつもりで問い質している。ネルケ本人の気持ちもあるがそれはまた別だ。

 そんな意味合いの問い掛けにエーデルは首を振り否定する。調理場の棚を物色し補充用の茶葉を取り出すと別途に取り出した容器へ移していく。


「そうでは、ありません。マスターがお決めになられたのですから、それに従うのが従者として務めでしょう」


 ですが、とエーデルは口にすべきかどうかで一瞬迷いを見せた。察したネルケが重ねて問う。


「怒りが収まらない?」


 ぐしゃ。容器が握り潰された。毀れた茶葉がそこかしこへ飛び散った。思わずといったようでエーデル本人も驚いていた。そんな彼女を見てネルケは笑みを深める。


「……肯定です。この怒りは、もしかすると帝国をアース大陸から抹消するまで燻り続けるかもしれません。……本当にどうしてくれようか」

「ん。気持ちはわかる。だけど今は仕事があるからダメだよ姉者」

「わかっています。アイゼン達には緊急処置として増員命令を出しましたし、第二第三の浮遊大陸の工事を急がせています。予定では後三年で大崩壊(ラグナロク)が始動するのですから余計な事に感けている時間はありません」


 そのついでに滅びればいいとは思いますが、という呟きは肩を竦めるだけで聞かないフリをした。なんだかんだで同意する気持ちのほうが強いのだから否定する理由がない。ネルケはそれよりも今は少し気になる単語があった。

 亜空間格納庫から箒と塵取りと取り出してエーデルは散らかった茶葉を片付ける。


「ん?第二第三って?あれを拡張する予定はなかった。ご母堂様と大殿様は知ってるの?」

「否定。ある程度の自由裁量権はあるので私の独断です。変化した世界でマスターの安全を確定させるために、私が必要と判断しました」


 掃除を終えたエーデルは箒と塵取りを格納し、新しい容器を取り出しもう一度茶葉を移し変える。

 その間にネルケは先程の拡張計画を知るために常時接続ネットワークから情報を取得するも一部にアクセス制限があり閲覧できない項目があったことに首を傾げる。


「ねえ、姉者。情報に制限があって見られない。どういうこと?」

「機密の関係上です。私の権限において一部の情報に制限を掛けました」

「ふーん。じゃあ拡張工事の規模も?」

「それも、いえ、構いません。第二第三、それぞれ第一の半分ほどです。森と山を削り取って浮上させます。固有領土の拡張が主目的ですが、防衛施設の設置、変換資源の元となる物質を確保するなどの目的もあります」

「ふーん」


 情報制限は解除されずに口頭での説明だったが、目的は察する事ができた。

 第一浮遊大陸とそれを防衛するために第二第三の浮遊大陸を作り上げて防衛拠点とする。並行してそれらを物質資源として活用することで地上とは隔離してしまう。水資源など手間の掛かるものはあるが第一浮遊大陸にそれなりの規模の湖はあるし、必要なら簡単な装置を使えば付近の雲から確保できる。

 工業や農業の生産施設は資源物質がある限り生成プラント群が半無限に生産可能だ。問題は商業だが、こちらは金銀などの貴金属や宝石が多分にある。最低でも換金すれば何の問題はない。

 地上との関係を制限するのだから商業に関しては皆無または最低限でいい……いや、待て。それではダメではないか、とネルケが考える。

 アオイが眠りについてからはともかくとして、目覚める前くらいは外部の情報を収集するのは十分に必要だ。無人機で偵察するのも手だがより詳しく知るには敵の内部深くに入り込むのが確実だ。

 それならば……、と思考を深くするとエーデルから声を掛けられていたのに気付いた。


「ネルケ。一体どうしたのですか?貴女らしくもない……ことはないですが。いつも眠そうにしていますし」

「んっ。姉者、それはひどい誤解だ。今のは、ちょっと考え事をしていただけで」

「ええ、わかっていますよ。考え事をしていただけですよね」


 ネルケが少しだけムッとする。なにやら生温かく見守るような視線が妙に気に入らなかった。


「んー?なんかムカつくような……」

「では、私はマスターの許へ戻ります。ここでの用も済みましたので」

「あっ、ちょっと待ってよ姉者!ちゃんと話しを」

「イヤです。マスターが待っているので」

「ウソだ!作業中だって言ってた!」

「…………」

「黙って行かないでよ!?」


 どっとはらい。


 


▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽


 


「ふんふんふ~ん。ここをこうして……こっちはこうやって……」


 工房(アトリエ)内にてアオイが鼻歌交じりに図面を引く。作業台に広げられた紙面には複雑な図が描かれている。

 どたばたっどたばたっ!


「ふふ~ん、ん?なんか騒がしい?」


 扉の外、廊下の向こうから複数人の走る音がして騒がしい。作業を中断して椅子ごと扉へ向くと、天寿ユグドラシルの苗木と戯れていたラミィが足元によって来た。


「きゅ?」

「いや、別になんてことないんだけど、なんか外が騒がしくない?」

「きゅー?……きゅ!」

「だよね。騒がしいよな。どうしたんだろ?」


 ドドドドドドドドドドドドッ!!

 しかも騒音はこちらに近付いてくる様子だ。なんだと思う間もなく工房(アトリエ)の扉が開けられた。その途端に五つの影が飛び込んできた。


「我が君!」

「閣下!」

「陛下!」

「王さま!」

「親方!」


 アオイは五体のレギオンシスターズに襲撃された。かっこわらい。

 わんわんきゃあきゃあ。ヨイデハナイカヨイデハナイカ。にゃあにゃあにゃあ。

 大丈夫なのか!具合は悪くないのか!痛いところはないのか!熱は、吐き気はないのか!生きているのか!直接触ればわかるんじゃ!?そ れ だ!!

 もう何がなにやら。心配してくれている事だけはわかったけど意味がわからない。


「うおっ!!ちょ!?まっ、今ドサクサに紛れて変なところ揉んだの誰!?」

「きゅーっ!?」


 オマケに五体に飛び掛られてもみくちゃにされている。服も乱れて一部なんか剥ぎ取られてしまいそうになっていた。ラミィが傍で鳴きながら助け出そうとするが如何せん体格が、力が他にも色々と未熟に過ぎて無理そうだ。


「一体なんなのさ!?」


 脱がされそうなズボンを必死に押さえて絶叫した。抵抗しても五対一では圧倒的に不利だった。


「これは医療行為、これは医療行為っ、これは医療行為ッ!ですからッ大丈夫です閣下!」

「イリスがいつもと違う!?なんかハアハア言ってるんだけど!」

「あらあら、まあまあ。大変でございますね」

「そう言ってるペルレはいい加減に服から手を放してくれないかな!後方任務向けだろ?なんでこんなに力強いんだよ!」

「ああっ、我が君!あのようなことがあったのですから我が君が心配なのですわ!さあっ、安心してわたくしに身を任せてくださいまし!そして、そしてっ……くふ、ぐへへへ。いやーん、ですわ!」

「気持ちは嬉しいけどマグノリエ、今のお前はダメだ!百歩譲って脱がされるのは、よくないけど、いいとしよう。だけどなんでそっちも脱ぐのさ!?女の子がそんなはしたないことはやめなさい!」

「ほほう?脱がされるのはいいッスね?いいこと聞いたッスよ。なははは。ほーれ、こうッスか?それともこうッスか?」

「あうっ!?ど、どどどどこを触ってるか!!アイゼン!お前は何かを激しく間違ってるから!そのODAIKANスマイルをやめろ!俺は帯なぞしてない!」

「……うわーっ、なのですなのです。……へうっ、なのですなのです」

「リーリエは恥かしいならやるなよ。な?」


 そうこうしている間に最後の砦(パンツ)を残すのみとなっていた。五体の――主にマグノリエとイリスの――息が荒い。ハアハアしている。見たとおり崖っぷちだ。これ以上はマズイ。色々とマズイ。これでは男として大事な何かが失われてしまいかねない。貞操的な意味で。


「誰か助けてーっ!」


 ドガンッ。扉が蹴破られた。驚くよりも先にそこには救い主が居た。メイド服を着た彼女が。

 助けを求める声を聞きここまで急いで駆けつけてくれただろうに服装どころか息さえ乱さないとは流石だ。


「マスター!」

「あっ、エーデル!助けて!」

「え゛っ!?」


 五体が揃って驚愕してサァァと顔色を青ざめさせた。作り上げた本人が言うのもなんだけど、こいつら本当に機械人形(アンドロイド)なのだろうか。今更ながら疑問が湧いてきた。


「何を、何を、なにを……!!」


 さて、助けを求められたエーデルからは尋常ではない重圧感が襲ってくる。無表情なのに壊れた表情を見せる今の彼女から放たれている威圧感は冷気を通り越して、もはや凍気だ。

 いつも以上に氷点下の目をしたエーデルが修羅と化して近付いてくる。

 対して彼女達は恐怖に震えて凍り付いたように固まっている。意図せずに抱きついていることから触れている身体から微かに震えているのが伝わってくる。

 それらを見てしまったエーデルはついに自分の中の何かの糸がぷつりと切れた。


「何をやっているか貴様らああああッッ!!!!」


 ほぼ初めてといっていいかもしれないエーデルの咆哮だった。今なら視線だけで殺せる目をしている。

 そんな中で後から駆けつけてきたネルケだが、今は正座して説教される五体の彼女達を見ていた。

 がみがみがみがみ!ひーんっ、もう許してーっ!ダメです!えーんっ!


「ん。みんなバカだね、殿様」

「え?あー、まあ、いい意味でも悪い意味でも、かな」


 なんとも曖昧な言だったが、それを耳にしたネルケは目を細めておかしそうに笑った。

 ともかく今は服を着よう。まずはそれからだ。うん。


 


▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽


 


 混沌とした現場を一瞬で鎮圧したエーデルと、お説教されて心身ともにボロボロのレギオンシスターズ、そしてそれらをにやにやと笑ってみていたネルケ、最後に呆然としたアオイとラミィ。

 とりあえず拳という名のお説教でボロボロになったレギオンシスターズはアオイに慰められて忠誠心を更に高めた。まるで飴と鞭の関係だ。

 そしてやっと落ち着いて話しができるようになり、なぜあのようなことをしたのか詳しく話しを聞いてみると状況はよくわかった。

 簡単に言うなら、俺が事故に遭ってそのまま一日中意識が戻らない間が続き、とても不安で仕方なかったということだ。そこへ意識が戻ったと聞いてあんなことをしてしまったというだけのこと。

 話しを聞いてみれば別に怒ることでもなかった。逆に余計な心配を掛けてしまい申し訳ないくらいだ。

 いきなり脱がされたことだけは断固として抗議するけどな!

 そうして皆で散らかった部屋を掃除したりエーデルの蹴破った扉を修繕したりした。


「まったく、ヒドイ目に遭った」


 そんなこんながあり炬燵に突っ伏した。

 今は工房(アトリエ)の隅にある癒しスペースで寛いでいた。ここに居るのはだらけたアオイとお饅頭を齧るネルケ、給仕に精を出すエーデル。他は天樹ユグドラシルの苗木と戯れるラミィくらいだ。レギオンシスターズの皆はそれぞれの仕事に向かった。

 ……あれ?皆の今の仕事って何ぞや?母や父の手伝いかね?


「ん。殿様、お疲れ」

「うぼぁー」

「ん、がんば」


 よしよしと頭を撫でてくるのはネルケだ。その手付きはとても柔らかなもので心地よくあるのだが、その寝惚け眼は楽しそうに笑っているのが読み取れる。

 なんだかな、と思っているとぺしりという叩く音がした。


「んー。いたいよ、姉者」

「そう思うならネルケからもよく言って聞かせなさい。あの娘達は年々狡猾になっているのですから、本当に油断なりません」


 飲み終わった湯呑みに緑茶を淹れているエーデルが苦いものを口にしたように言ったが、それでもネルケはそうだね、とお饅頭を齧りはじめた。

 新しく淹れてもらった湯呑みを手に取りずずずっと啜った。


「む?いつもよりも美味しい?この香り高く渋みも程よい緑茶は……」

「お気付きになりましたか、流石です。それは大陸西部にあります小国、テグリス国の最高級茶葉です。茶葉の産地として有名なのですが今では帝国に武力制圧されたことで一般に流通しない貴重なものです」


 手に入れるなら現地まで赴かわなくてはなりません、と最後に言った。

 アオイから見て炬燵の左側にネルケが寛いでおり右側にはたった今エーデルが入ってきた。


「そんな貴重なお茶をいいのかな」

「問題ないかと。元々これは前にマスターのためにイングバルド様とクロード様が現地のお土産としてお持ちになられたものですので」

「へえ。でもなんでそんな茶葉を今使ったのさ?」

「あの娘達がご迷惑をお掛けしましたので少しでもお元気になられたらと思いまして。このようなことしかできないのは大変心苦しいのですが、私にできることはそう多くはありませんので」


 そんなことはないとアオイは声を大にして言いたい気持ちに溢れた。それでもここで下手な慰めなど不要とも思い、ただエーデルの手を取るとぎゅっと握った。


「ありがとう、エーデル。いつも気遣ってもらえて嬉しいよ。本当にありがとう」

「っ、も、勿体無きお言葉です、マスター。ただ、一つ申し上げるなら私などに感謝は無用に願います。私どもはマスターお一人のためだけに存在するのですから」


 握られた手から伝わるアオイの体温を感じて冷徹なエーデルが乙女なエーデルにクラスチェンジしていた。顔と言わず全身が真赤になって照れている。先のベッドの上で膝枕してもらった時よりも反応が大袈裟なのは、あの失敗の罪の意識から解放されている事が大きいのかもしれない。

 そんなことは終ぞ気付かないアオイは『迷惑、だったかな?』と困ったように笑い言った。それに対して慌てたのはエーデルだ。


「ぁ、いえ、そのようなことはありません!寧ろ、温かな想いが溢れて嬉しいです。頭でも撫でられたら天にも昇る心地ですし。で、ですが、その、主と従者、王と臣下の間には一線というものがありまして。そうでなければ皆に示しがつかないのではと愚考する次第でありまして」


 つまりはそういうことだ。最近漸く明確化してきたアオイと自分達の主従の関係がここに来てまた変わろうとしている。やっと“同盟条約”も定まってアオイ争奪戦にも落ち着いてきたのにまた激化するのかという考えもある。

 そんな暗闘が繰り広げられているとは知らないアオイは安易に踏み込みあっさり斬り込んだ。

 無知とは時に無敵なのだなとエーデルは心の中で滂沱の涙を流して理解した。


「じゃあ、その一線とやらはなくそう。俺もエーデル達と仲良くしたいしね」

「仲良く!?」


 しかし涙を流したのも一瞬だ。頭の中では桃色のお花畑が一気に広がった。

 悲しみ?不安?怒り?なにそれ美味しいの?幸せですがなにか?


「うん。まあ、何だかんだ言っても皆の事が好きだしね。そんな理由で態度が変わったら寂しいじゃないか」

「な、仲良くとはあれでしょうか?所謂“そういう関係”になってもいいと?え?男女の仲?つまり、ベッドの中で抱き合うマスターと私。やがて二人は一つに……グッ、いけません。漲る想いが溢れそうになりました」


 アオイが照れながら言っていたが、この時のエーデルは思考が別世界へ旅立っていて聞いていなかった。それどころか恐ろしいまでの演算能力を発揮する頭脳がやばすぎる。想像力が逞しすぎて●●●な光景をリアルにシミュレートしてしまい鼻から愛が零れそうになっていた。

 まるでマグノリエみたいだ、とは言ってやるな。本人もそれとなく気にしているはずだ。


「じとー……」

「っ!!」


 なぜか近くからじっとりした視線を感じた。素早く手を放したエーデルがなにやらわたおたして慌てていたが、誤魔化すように堰を数度すると急いで体裁を整えていた。

 それを微笑ましく見ていたら今度はアオイに対して視線が左から送られてきており、そのじっとりと責めるような視線の正体がネルケだった。ただし、その視線の意味だけがわかっていない。


「じとじとー……」

「えーと、ネルケどうしたのさ?」

「ん、別に。でも一つだけ言わせてもらえるなら、ワタシのこと忘れてない?」

「は?」

「だってワタシも居るのに目の前で堂々と二人の世界みたいになってた。ワタシも居るのに」


 寝惚け眼はそのままにムスッと頬を膨らませていた。

 要は自分だけ忘れられたように感じたらしい。アオイにそのつもりがなくとも当人にしてみれば無視されたようなもので、それで拗ねてしまったということだ。


「あー、そっか。そんなつもりはなかったんだけど、ごめんね」

「ん。お饅頭美味しかったし許すよ。それに素直に謝れるのはとてもいいこと。でもね?」

「でも……なにかな?なんかイヤな予感しかしないんだけど」


 あとお饅頭は関係なくない、とは言わない。緑茶と同様に一緒に出されたお茶菓子は確かに美味しかったから否定し辛い。更に言うなら出されたお饅頭の八割がいつの間にかなくなっていた。


「そんなことない。とっても気持ちいいことだよ?」


 にっこり微笑んでいるが、寝惚け眼の中に怪しくも楽しげな色が見えた。

 なんとなく警戒心を高めてしまったのは言うまでもない。


「そう、なの?それで何さ?」

「ん。一晩だけ閨を一緒にしたい。それで本当に許してあげる」

「……なんですと?」

「んふふー。殿様が望むならサービスするよ?」


 徐に握られた手に指を絡ませてくる。その動き方が妙に艶かしくて色っぽいために男心をくすぐる仕草だった。もっと言うなら炬燵の中で足を絡めてツンツンしてくるのがヤヴァイ。イケナイ妄想をしてしまいそうだ。


「ネルケ!!」


 それらを見て我慢できないものも当然ながら居る。エーデルは怒髪天の如く静止の意味で叫ぶとアオイとネルケの手をやや強引に引き離した。炬燵の中の足もさり気なく蹴り出している。


「むむ……なに、姉者?今大事なところ」

「なに、じゃありません!なんですか、その破廉恥な条件は!?」

「ん?破廉恥じゃない。それに姉者も昔やったってご母堂様から聞いた。殿様のベッドにスケスケのネグリジェで突入したって」

「そ、それは、まだ常識に疎かっただけです。い、今はそのような破廉恥な行いは……」


 横で聞いていて『え?そこで言葉に詰まるの?』とは言えないヘタレなアオイだった。夜な夜な自分の知らないうちにナニをしているのか気にならなくもないが、ここで口にしたら最後、後には引けないような予感がした。


「ともかく姉者は黙ってて。今は殿様とワタシが話してる。ねえ、殿様?」

「え?」

「ネルケ!そのような条件はダメです!認めません!例えマスターが認めても私が認めません!」

「んー。姉者、それは我が侭だ」

「我が侭!?……いえ、我が侭でも構いません。とにかく、それ以上やるつもりなら戦争です!徹底抗戦です!殲滅です!」

「んな!?それは横暴だ姉者!」


 力ずくで言う事を聞かせようとするエーデルに溜まらずネルケも抗議するように声を荒げた。それでもエーデルはそれがどうしたと言わんばかりに口にした言葉を覆す事はしない。それどころか口元を少しだけ歪めて不適に笑ってすらいる。


「横暴?ふっ、違いますね。これはイングバルド様の教えを忠実に守っているだけです。交渉時に相手が愚図るようなら実力でもって黙らせろ、と私はそのように教わりました」

「なにそれこわい……」


 これには流石のネルケも呆れて呟いてしまった。アオイは腕を組みエーデルの言った事について思い出そうとしていた。


「あー……あったね、そんなのが。最後は力こそが正義、いや最後はパワーだっけ?」

「なにそれこわすぎる……」


 つまり、最初に言葉は交わすが最後の最後で決裂した場合は力で捻じ伏せると言っていることにネルケは寒気にも似た恐怖を感じた。意見が分かれた時にエーデルが即座に手を出すのはイングバルドの影響と薫陶を受けていたからだったのだ。


「ホントにこわすぎるよ姉者……」

「なんでしょう。なぜか理不尽に怖がられている気がします」


 そんなじゃれ合う二体を、アオイは緑茶を飲みながら微笑ましく見ていた。





















 おまけ。


「あっ、そうそう。航空戦艦の設計が殆ど終わったよ」

「え?」「え?」

「やっぱり空飛ぶ船はロマンがあるよね」

「は?」「は?」


 ちゃんちゃん。おっわーれ。







エーデルはアオイの前だと感情表現が豊かです。面には出にくいですが。

ネルケの願いはエーデルの宣戦布告(笑)によって見事粉砕されました。

アオイ達は今日もゆるだら(=ゆるくて、だらだら)な空気でお送りしました。

最後に、アオイも飛空挺というロマンには勝てなかったようですね。

ではでは。


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