番外編~~ばれんたいんでぇ~~
今回は本当に番外的扱いです。
本編とは絡みません。
アオイの工房にていつものように開発作業に従事していた時の事だ。アオイとエーデルが和風スペースの炬燵に入って一息入れていた。ラミィを膝に抱き、部屋の隅で育つ植物がナノマシンの発光に似た輝きを放っている。
「マスター。明日のご予定はいかがなさいますか?」
「え?随分いきなりだね。そうだな……ふむ、また皆の装備開発でもしようかな。ちょっと改良したいものもあるし」
そう言ってから緑茶を一口飲む。この瞬間がホッとする。ここ最近は精力的に装備開発に力を入れていた。既存の装備類の改良も進めてもいた。
「然様ですか。では明日は一日中工房で作業されるのですね?他へ赴く予定はない、と」
重ねて確認してくる事にアオイが少し怪訝な顔をした。
「たぶんそうなるだろうけど、なんか変に確認するね。明日ってなんかあるの?」
「……いえ、そのような事はありません。マスターのご予定を把握するのも従者たる私の役目ですので他意はないと思われますよ?」
いつも通りのエーデル、いつも通りの変化に乏しい表情、いつも通りの対応……ではなかった。流石にこうなると怪しさが目立って気にもなる。
「なんで持って回ったような言い方?なんで疑問系?なんで間があった?」
「あっ、この後少々用事がありますので私はここで失礼致します」
「え?あっ……行っちゃった。なんだったんだ、あれは」
しかし、話しを聞こうとしたらエーデルは即座に撤退と言わんばかりに風のように部屋から出て行ってしまった。用事があると言っていたがあれは半ばこじ付けだと思う。
それでもアオイは敢えて追う事はせずにそのまま炬燵に入ったままで居た。ラミィがきゅーと可愛らしく一声鳴いた。
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二月十三日――PM09:00
工房から逃げるように出てきたエーデルは目的もなく白い廊下を進んでいた。……訂正。目的はある、調理室だ。明日のために今から用意するつもりだった。すると廊下の向こうからレギオンシスターズのクイーンであるマグノリエが顔を出した。
「お姉様。少しよろしいかしら?」
「……何用ですか?マグノリエ」
このまま通り過ぎようとしたが失敗した。マグノリエの事は嫌いではないが、今はなんとなく独りになりたかったのに呼び止められてしまった。何が言いたいかと言えば早くチョコを作りたいのだ。愛情タップリの手作りチョコを。
「いえ、なにやらお姉様の足取りが軽やかでしたので何かいい事でもあったのか気になりましたの。――我が君と何かありまして?」
ドキッとした。主動力炉の賢者の井戸のエネルギー供給が一瞬だけ跳ね上がった。だから苦手なのだ。良くも悪くもこのマグノリエは広い視野と思慮深いので、さり気なくこちらの意図を察してくるのだ。
「何か、と言われましても思い当たるものは何もありません。マグノリエの勘違いでは?」
「……バレンタイン(ボソッ)」
「――っ」
なんとなく正直に話すのも悔しいので誤魔化そうとしたがまったくの無駄だった。
「あまりわたくし達をお嘗めにならないで下さるかしら。明日二月十四日は日頃お世話になっている方々へお菓子を贈り感謝する日だという事は知っているのですよ、お姉様?」
「それは――」
合っている。本来のバレンタインとは男女関係なく日頃からお世話になっている人達へ感謝の気持ちをクッキーやキャンデーなどのお菓子を渡して伝える日だ。アオイが言ったのだから間違いない。だがエーデルはもう一つの意味を重視していた。それは“日本ではチョコレート会社の陰謀で女子が意中の男性にチョコレートを贈る日となっている”というものだ。穿ったものの見方だが大事なのは“女子が意中の男性に贈る”という部分だ。今の発言からマグノリエもこの意味までは知らないだろうとエーデルは心の内で邪笑するとそのまま肯定する事にした。
「――ええ、その通りです。ですから貴女達もマスターへクッキーでも贈られたらよろしいでしょうね。お菓子作りならペルレが得意としていると記憶しています」
「あら、それは素敵ですわ。……ですが、わたくし達は別のものを贈ろうと思いますの。この意味がわからないお姉様ではありませんわよね?」
「…………」
エーデルはものすごくイヤな予感がした。眉間にも皺が寄っている事から相当の悪意を察知したと見て間違いない。
「二月十四日に女性が思いを籠めたチョコレートを愛しの殿方に贈る事に特別な意味がある事を」
案の定だ。マグノリエはバレンタインのもう一つの意味を知っていた。内心で激しく舌打ちをしたエーデルはあらん限りの罵倒を吐き出した。
「意地が悪いのですねマグノリエは」
「黙して教えようとしないお姉様ほどではありませんわ。それにしても驚きですわ。わたくし達の知識はお姉様から継承している事をお忘れだったのかしら」
忘れていたわけではない。ただ、彼女達が明日のために“何か”するとは思っていなかっただけの事だ。大体だ、アオイにチョコを挙げるのは自分だけで間に合っているのだ、とエーデルは思う。他はいらないだろとも。
「ええ、私とした事が失念していました。それで貴女達は何を求めるのですか?」
「特に何も。お互いに邪魔する事はせずに正々堂々と我が君へお渡しましょうというだけですわ」
「それを、信じても?」
「まあっ!我が君をお慕いする者ではないですか!そのような無粋なマネ、わたくしは致しませんわ!」
「…………」
そう言われても信じられない。今までの会話全てが疑わしいのだ。よくよく考えてみればマグノリエや他のレギオンシスターズもアオイに歪んだ愛情を向けているものが大半だ。マシなのはイリスかリーリエくらいのものだろう。
「そんなにお疑いなら一緒に作りませんか?それならついでに監視もできますわよ?」
続けて言われた事にだが待て、とも思う。この申し出を受けるならこちらも向こうを監視もとい、見張る事ができるのだ。その時に何か疚しい行ないを発見したなら罰すればいい。ああ、なら簡単ではないか。
「わかりました。では、そのように」
「ええ。歓迎しますわ、お姉様」
エーデルの承諾を得たマグノリエは満面の笑みを浮かべた。それはまるで何もかもが上手く行ったという成功者の顔だった。
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二月十四日――AM01:00
どうせ作るなら人目のない時間に、とマグノリエに提案されたエーデルは指定された時間に調理室を訪れていた。
「御機嫌よう、お姉様。ようこそお出で下さいました」
調理室には既にレギオンシスターズの皆が来ていた。エーデルは最後に到着したようだ。
「それは構いませんが、このような時間に集まる必要があるのでしょうか?」
「お姉様、明日は我が君の仰っておられたバレンタインなのですよ?どうせなら隠れて作って驚かせてあげたらよろしいとは思いません?」
「なるほど、一理あります。それで材料はどこに?見た限り調理器具はあるようですが」
「ふふふ。抜かりはありませんわ。今他の者が材料の確保に動いておりますの。チョコレートはカカオ豆から手作りしますのよ。これこそまさに手作りチョコレートではなくて?おほほほ!」
「ちょ っ と 待 ち な さ い」
エーデルが普段ではありえないほどに動揺、狼狽した。流石に今の発言はおかしいと気が付いたようだ。
「はい?どうかなさいましたの、お姉様?」
「聞き間違いかもしれませんが今貴女はカカオ豆からチョコレートを作ると言いましたか?」
「ええ、そう申しましたわ。わたくし達は愛情を籠めた手作りチョコを一から作りますわ」
「……マグノリエ。一応聞きますが何時間かけて作るつもりですか?」
「ふふふ。可能なら幾らでも。何か問題がありまして?」
答えを聞いたエーデルは皺の寄った眉間を揉み解してからもう一度マグノリエを見た。
「それでは渡す頃には深夜になる可能性もある事をわかって言っていますか?」
「それが何か?要は明日中にお渡しできれば何の問題はありませんわ」
信じられない言だった。いつものマグノリエなら一刻も早く、そう『朝一番に渡しますわ!』くらいは言いそうなものだったが、それは勘違いだったのだろうか。やはり何かを企んでいるのか。まずは様子見かとエーデルは考えた。
「色々と言いたい事はありますが、それはもうよろしいでしょう。今から準備するとはこういう事情を鑑みてなのですね……」
「……まあ、そうですわね」
マグノリエが妙だった。カカオ豆、一からチョコレートを作るのだから時間も掛かる。こうして深夜から調理に入るのも無理矢理にだが納得していたのだが、今の返答がややぎこちなかった。
「では、皆が戻ったら迅速に調理に移ります。いいですね?」
「よろしくてよ。最高のチョコレートを作ってご覧にいれますわ」
そうして彼女達はバレンタインに向けて初めてのチョコレート作りを始めたのだった。
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二月十四日――AM06:21
「さて、材料を探すのに手間取りましたが在庫がありましたから助かりました。これでチョコレート作りに移れますね」
「そ、そうですわね。おほほほ」
調理室には調理器具は豊富に揃っていたのだが材料となるカカオ豆だけはなかった。エーデルが在庫はないかと情報検索してみれば食料庫に時間凍結された在庫があると出た。こうしてカカオ豆に砂糖などの用意が整った。
(くぅぅ、失敗ですわ。予定ではお姉様をさり気なく邪魔して最大限時間稼ぎをするつもりでしたのに、在庫があるなんて聞いていませんわ!碌にできませんでしたわ!)
予想外だったのがマグノリエだ。本来ならカカオ豆が見つからずに最悪でも“外”へ捜しに行かせて最大限に時間を稼いで、その内に自分達がアオイへチョコレートを私に行くはずだったのに失敗した。たった五時間しか時間が稼げなかった。仮に届けるチョコレートができていたとしてもこんな早朝では意味もない。
「……リエ。マグノリエ?」
「っ、何かしら?お姉様」
「いえ、貴女の目が虚ろになっていたのが気になりました。それに他の皆はなぜ表情を引き攣らせて乾いた笑いをしているのですか?」
ドクドク、ザワザワと生体ナノマシンが震えた。ヒトのように心臓も、エーデルのように賢者の井戸のように固定器官もない身だ。生体ナノマシンの一つ一つがヒトの細胞の役割を果たしている。それらが繋がり合い動力炉にも骨格にも脳にもなっている。
「いえいえいえっ!お姉様ったら変な事を言わないで下さいな!なんでもありませんわ!ねえ皆さんっ!?」
「そうですそうです!姉上の気のせいですとも!」
「そうッス!エーデル姉ぇは気にしすぎッスよ!」
「はわっ、はわわっ、なのですっ!どきどきなのですよ!」
「エーデルお姉様は始めてのバレンタインを前に少々過敏になっておられるだけでございますよ!どうかお気になさらないで下さいな!」
誤魔化すにも総動員だった。今ここで決定的に疑われたらマズイ。せめてチョコレートを完成させて更に後十二時間は時間を稼いでおきたかった。
「そう、なのですか?何かおかしくありませんか?」
「な、ななな何を仰るのかしらこのウサギさんは。おほほほ……」
「ウサギ、さん?……あやしい。マグノリエ、貴女やはり何か隠しているのではないですか?」
挙動不審になったマグノリエにエーデルは目を細めると鋭く睨み付けた。威圧され見えない圧力押し潰されそうになりながらマグノリエの心臓はばくんばくんと激しく脈動した。緊張から背に大量の冷や汗が流れるのが止まらない。
「それよりもっ!」
「っ!?」
故に、マグノリエは勢いに任せてこの場を乗り切る事にした。ずいっとエーデルに詰め寄った。顔と顔が触れ合いそうになるほどに。
「それよりも早速チョコレートを作りましょう!早くしないと我が君へお渡しする事ができませんわ」
「釈然としませんが、まあ今はいいでしょう」
「おほほほほ……」
強引にでも押し切れてよかったと安堵した。チョコレート作りはまだまだ続く。
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二月十四日――AM08:17
「先程マスターは工房へ篭られました。おそらくですがお昼までは出てくる事はないでしょう。その間にこのまま一気に作り上げてしまいたいところです」
二時間前に材料を集め終わったのはいいもののアオイの起床時間が迫っていたのでエーデル達は一時的に抜けていた。起床のお手伝いと朝食の用意などをしていて二時間ほどが経っていた。エーデルは少しでも遅れを取り戻そうと意気込みを見せていた。
「考えそのものには賛成なのですが、いけませんわ。上質で柔らかい舌触りのチョコレートを作るなら時間を掛けて丁寧に作り上げませんと」
「むっ。そうなのですか?」
調理に戻って早速取り掛かろうとしたところへマグノリエの言だったが、なぜか心揺れるものがあった。知識だけは数々の調理法を習得しているエーデルだが全てを実践したわけではない。しかも事はアオイに贈る大事なチョコレートなのだから耳を傾ける価値は十分にあった。
「ええ。最初の工程を雑にしてしまいますとどうしても全体的に荒くなってしまうのですわ。お姉様も我が君にそのような粗末なものをお出ししてしまうのは不本意ではなくて?」
「……確かに。マグノリエの言う事にも一理あります」
やはりお渡しするならいい物を用意したい。こうしてマグノリエの口車に乗ってカカオ豆から作るという無謀な事までしてしまっているのだから、最大限に手間隙かけて最高のチョコレートを作りたい。
「わかりました。急ぎはしません」
「おおっ。ではゆっくりと――」
「ですが、お昼までには完成させます。絶対に」
「――作りま、は?い、今なんと言いましたか?」
聞き間違いか勘違いかもしれない。想定外にも程がある。マグノリエはもう一度確認したかった。
「今日のお昼までに完成させます。食後にお出しするなら丁度よろしいでしょう」
「それは、そうなのですが、えーと……」
現実は非常だった。今日は日を跨ぐまでエーデルを止める予定だったのだから困惑した。元から実現不可能に近かっただけに、こうも予定外が続くと気も滅入る。必死に頭を働かせているマグノリエをエーデルが怪訝な顔で見ていた。
「何か、異論がありますか?」
「っ!い、いいえ」
エーデルの鋭く細められた目の奥には不審と危険な色が見て取れた。今までも怪しまれていたが流石にこれ以上押し止めるのは限界だった。
「よろしい。迅速に調理に移りなさい。時間は待ってはくれないのですから。では――やりなさい」
「はっ、姉上っ!」
「了解なのですっ!」
「はい。承りましたわ」
「やるッスよ!」
「ううっ。わかりましたわ……」
マグノリエ、否レギオンシスターズはこの時になって、ある覚悟を決めた。実現は極めて困難だが不退転の決意を持って挑むのだった。
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二月十四日――AM11:50
「おかしい……」
チョコレート作りもいよいよ終盤となってエーデルが呟いた。
「あらお姉様、何がおかしいのかしら?チョコレート作りは極めて順調でしてよ」
「そうなのですが、少し気になる事があります」
何が気になるのか。今やチョコレートは手の平大のハート型に固められ残りはデコレーションを残すのみとなっている。言った通りに極めて順調ではないか。もしやこちらの思惑がバレたのか。それなら由々しき事態だとマグノリエは戦々恐々した。
「ま、まあ気になる事ですか?」
「マグノリエ。今私達は協力して特別なチョコレートを作っていますね?」
「え?ええ。その通りですわ」
思惑もあるが表面上はこうして協力している。お陰でチョコレートも完成間近ではないか。疑うなら、せめて完成してからにしては貰えないだろうか。
「ですが私の行動情報を見直すと、なぜか故意に誘導されているような履歴が検出されたのです」
「え゛っ?」
「なぜ、でしょうね?マグノリエ……」
エーデルの目が妖しく輝いていた。兎にも角にもマグノリエは惚ける所から始めた。
「おほ、おほほほ。えーと、わたくしには何の事だか……」
「吐きなさい。何を隠しているのか」
「ヒィッ!」
開始早々に失敗した。一瞬の早業で喉下にエーデルご愛用の握り部分にトゲトゲがあるごっついナイフが当たっていた。誰も反応ができなくて唖然とするしかなかった。
「吐きなさい」
「あ、あのっ――」
「チョコレートができたのですよーっ!」
「っ!?」
問答をしていた二体が怯んだ。剣呑な二度目の問いの中、独りで黙々と作業していたリーリエが雄叫びもかくやと言わんばかりに完成を叫んだのだ。出来上がったばかりのチョコレートは真赤なハート型の箱に綺麗に包装もされていた。エーデルが彼女へ声を荒げる。
「リーリエ!」
「な、なんなのです?エーデルお姉ちゃん、ちょっと怖いのですよ?」
「いいですから!それを大人しくこちらに渡しなさい!」
「作戦変更!至急演習区画へ篭城!死守するのですわ!急ぎなさい!!」
「了解なのですよ!!」
ここで黙っていられないのがマグノリエだ。完成したならもう遠慮は不要とばかりにエーデルを振り解き各部隊に声と通信で通達を開始した。リーリエは命令に従い調理室を出て当初の予定通りに演習場の一角に篭城するために動き出した。エーデルが悔しそうに呻いた。
「クッ!貴女達を信じた私が愚かでした!待ちなさい!リーリエっ!!」
「行かせませんわ!!お姉様はここで足止めさせていただきます!!」
エーデルの前に立ちはだかるのはマグノリエ、イリス、ペルレ、アイゼンの四体だ。しかし、数の上では有利なのに勝てる気がしないのはなんという理不尽なのか。
「できると思うのですか?」
「できるできないではありませんわ。やるのです!」
「大変良い覚悟です。このような場でなければ惜しみない賞賛を挙げていたでしょう。残念です」
「いいえ、お姉様!わたくし達にとっては今こそが戦う時なのですわ!総員戦闘準備!相手はお姉様です!奮励努力なさい!!」
「応っ!姉上、お覚悟を!!」
「エーデルお姉様、どうか大人しくしていて下さいませ!」
「ううっ、なんでこんな事になってんスか!」
やる気のある者あれば現状を嘆く者もある。それでも戦う意志だけは共通しているのだから不思議だった。エーデルの視線に剣呑な光が宿った。
「来なさい!私の道を阻む愚かしさをとくと教えてあげましょう!」
「攻撃開始ですわ!」
戦いのゴングが鳴る。今ここにバレンタイン紛争(笑)が幕を開けた。
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二月十四日――PM06:28
エーデルは調理室の戦闘を終えてチョコレートを取り戻すために演習場へ急行した。そこで待っていたのは軍団規模にまで増殖したレギオンシスターズの軍隊と篭城用に急遽建設された砦だった。エーデルは固定砲台からの砲撃も軍団による濁流もものともせずに正面から挑み勝利した。
「もうこんな時間に……マスター、申し訳ありません」
結果がこれだ。六時間近くも戦闘が続いてしまった。戦闘の混乱でチョコレートの在り処もわからなくなった。ほんの少し前まではちゃんと追跡できていたのに、いきなりセンサーが妨害された。その一瞬の隙を付かれたらしい。
というわけで今エーデルは生き残りのイリスを絶賛尋問中なのだった。
「あ、ぐ……」
「さあチョコレートをどこに隠したのですか?素直に話すなら楽にしてあげましょう」
「それは、ぎ、ぁぁ……!」
答える気のないイリスの四肢を斬り落とした。元から潰されていたので役にも立たないのだからなくなってもいいだろう。アオイの前では絶対にしない行ないだ。達磨になったイリスを見下ろすエーデルの影が覆った。
「イリス。貴女の覚悟は見上げたものです。できればその熱意を他で示して欲しいものでしたが、そうも言っていられません。どこに隠しましたか?」
「ぐあああっ!……っ、はあはあ!」
今度は腹部へナイフを刺してぐりっと捻った。筋繊維を構築している生体ナノマシンがブチブチと生々しい音と共に千切れていた。途方もない激痛に襲われるだろうが機械人形のイリスは痛覚を遮断して耐えた。
「痛覚を遮断しましたか。ですがその身体の損傷具合では大して意味はありませんよ?素直になってはいかがですか?」
「…………ぃ」
「なんですか?よく聞こえませんでした」
「……けない」
「もう一度。ハッキリと」
「閣下を想う気持ちは負けせません!」
「抉り込むように蹴るべし!!」
「あぼんっ!?」
サッカーボールのように豪快に蹴り飛ばした。壁と床をバウンドして元の位置、エーデルの前まで戻ってきた。まったく、チョコレートの在り処を問い質していたのに、なぜにアオイへの愛の告白染みた事を聞かねばならないのか。こっちも負けてない!寧ろ勝っている!物理的に!
「すみません。よく聞こえませんでした。いえ、そんな事はよろしいのです。答えなさい。“私の”チョコレートはどこに隠したのですか?」
「うぐ、うぐぐぐ。人の事蹴り飛ばしておいてアッサリと本題に戻るのですねっ」
見た目はものすごくスプラッタなのにイリスはシクシクと泣いていた。機械人形ゆえの余裕の表れとも取れるが、これは“個”ではなく“群”として定義付けられているレギオンシスターズだからこそと言えた。イリス一体が機能停止してもそれは爪を切ったようなもの、文字通り痛くも痒くもないのだ。
「流石に痛覚を切っただけありますね。スラスラと喋られるではありませんか。――これが最期です。どこに隠しました?」
「ふ、ふふんっ!もう手遅れです姉上!もう間もなく閣下に私達が手渡す頃です!残念でしたね!はははははっ!」
エーデルはイラッとした。イリスの高笑いを聞いてとてもイラッとした。とりあえず聞きたい事は聞けたのでサッサと後処理をしようと一歩踏み出した。
「…………」
「ははは、は?なぜ無言で足を私の頭に乗せるのですか?――っ!?」
「…………」
「ちょ!?このまま踏み潰される!?痛覚切ってるから痛くないけど怖いです!!」
「…………」
「せめて何か言って下さいっ!?アーッ!!」
プチッと踏み潰された。彼女は何度頭を踏み潰されれば満足するのだろうか。
「急がなければ。待っていて下さい、マスター!!」
目指すはマスター、アオイの許だ。その途中の廊下に目的のチョコレートはある。
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二月十四日――PM06:30
マグノリエ、イリス、ペルレ、アイゼン、リーリエの五体がアオイの許を目指して廊下を走っていたが突然リーリエが足を止めて後ろを警戒し始めた。あと、なぜかイリスがシクシクと泣いていた。
「――……」
「リーリエ、どうしましたの?」
偵察型装備を着装していたリーリエが情報をキャッチしたようだ。その表情は苦りきって渋面を作っている。
「マグノリエ!たった今演習区画で足止めしていた部隊から連絡が途絶したのです!」
「落ち着いて!相手はお姉様です。寧ろ半日もよく抑える事ができたと誇るべきですわ」
「あう。ごめんなさいなのです」
そうだ、たったあれだけの戦力で半日もエーデルを足止めできた事は賞賛に値する。しかしその犠牲も自分達がエーデルの監視の目を逃れるためのものだった。結果として成功しているがそれも僅かな有利を引き出したに過ぎない。彼女達の知る中でイングバルドを除けばクロードやエーデルこそが御伽噺に出てくる魔王と言っても過言ではないのだ。
「かまいませんわ。それよりもお姉様は今どちらに?」
「ええと……あわわわっ!こっちに急速接近中なのです!このままだと接触まで五分も掛からないのですよ!?」
「なんですって!?それなら予測通路の隔壁を緊急展開なさい!少しでも時間を稼ぐのです!必要なら防衛機構も立ち上げなさい!」
「了解なのです!」
ここまで来たらもう慌てず騒がず走るしかない。そうして移動を再開してもやはり皆の顔色は優れない。
「あの、マグノリエ?いくらなんでも施設の防衛機構まで使用するのはやりすぎではございませんか?」
「何を言うのかしらペルレ、これは侵入者を想定した演習なのですわ。この日のために用意してきたではありませんか。当然この事態も想定済み、問題なんてありませんわ」
「それはそうなのですが……」
この日のためにわざわざ施設内の演習を捻じ込んできたのだ。後片付けは大変だろうがここで活用しないでいつするというのか。
「ああっ!?」
「なんですの!?何が起こりましたの!?」
リーリエの悲痛な叫び声にペルレに混乱が感染した。今のエーデルは言葉通りの魔王なのだから恐怖も一塩だ。マグノリエが見かねて指示を飛ばす。
「リーリエ、報告は明確になさい!」
「エーデルお姉ちゃんが隔壁を次々に強行突破してるのです!防衛機構も作動してるのに進行速度は衰えるどころか増してるのですよ!?」
「なんですって!?」
「あ、ああ……もうそこの角まで来てるのです!!」
たった数分なのにもう絶望的な状況だった。アイゼンとイリスが暗い空気の中で空元気を出して微笑んでいた。痛々しい微笑だ。
「ここが死に場所ッスかね……」
「うむ……」
「そこの二体!イヤな事を言わないで下さいな!」
「ですが妙に達観したいのは理解できるのでございます……」
「ペルレまで!?」
「やあああっ!来たのですっっ!?!?」
リーリエの声に皆が立ち止まると一斉に後方を睨み付けた。来るな、来るなっ、来るなッ!だが願いも空しく廊下の角からゆらりと姿を現した。その何かの目がギラギラと怪しく光っていた。
「……見ぃつぅけぇまぁしぃたぁぁ!!」
ニタリと嗤った。いつも通りの声色なのに半ば狂戦士化している今だけはものすごく怖気の走る声だった。聞いた者は得体の知れない恐怖から足が震えた。
「ヒッ!?エ、エーデル、おねえ、ちゃん……?」
「お、おい、アイゼン。なんとかしろっ!」
「無理ッスよ!あんなんになったエーデル姉ぇをどうやって止めるッスか!?」
「できる!お前の馬鹿力と大槌なら!私はそう信じたい!というか頼むから!」
「イリスがものすごく弱気ッス!?」
「さっき演習場に居た私が頭を少しずつ踏み潰されたんだ!あれはすっごく怖いんだぞ!?」
「聞きたくなかった真実だったッス!!だから泣いてたんスね!!」
「貴女達っ、落ち着きなさい!今はどのようにしてこの場を脱するかだけを考えなさい!」
漫才のようだが本人達はいたって本気だ。誰だって少しずつ圧力を加えられて頭を踏み潰されたい者は居ない。他にも焼き殺されたり、斬り殺されたり、銃撃で蜂の巣にされたり、高出力のレーザーで消滅させられたり、空間操作で圧殺されたりとイロイロされた経験から恐怖しか湧いてこなかった。
「かぁぁぁえぇぇぇせぇぇぇ!!」
エーデルは身体の周りの空間を歪ませるほどのエネルギーを放射して突撃を観光した。ナイフと素手の格闘戦に出た。
「防御陣形ですわ!!」
「こうなったら仕方ない!アイゼン、合わせろ!!」
「ああもう!どうなっても知らないッスよ!!」
「リーリエ!イリスとアイゼンを援護します!!」
「了解なのですよ!!ペルレはイリスを頼むのです!!」
「承りましたわ!!」
マグノリエの声を切っ掛けに防御陣形を取った。前衛にイリスとアイゼンが位置取り、その背後にペルレとリーリエが援護する形で位置取る。マグノリエは大事そうにチョコレートを胸に抱いて一番後ろに位置した。
「邪魔をぉぉするなっっ!!」
「あがっ!?なんと言う力だ!!」
「うぐっ!抑えきれないッスよ!?」
第一の衝突にイリスとアイゼンが呻いた。二対一なのに押されている。すかさずそこへ援護射撃が入る。
「ダメなのです!全部空間障壁で防がれてるのですよ!」
「出力が違いすぎでございますわ!マグノリエ!貴女はお逃げになって陛下にチョコレートをお渡しするのです!!」
「わ、わかりましたわ!皆さんご武運を!」
ペルレはこのままでは押し切られると判断しマグノリエへ退避するように進言した。しかしそれを許すほど今のエーデルは甘くなかった。大きく跳躍すると天井を走り四体の頭上を駆け抜けたのだ。
「逃がさない!!」
「あっ!マグノリエ危ないのです!!」
「え!?あ――!!」
咄嗟にエーデルの前に掲げたチョコレート。瞬間に砕ける音と蛙を轢き殺したようなマグノリエの悲鳴が響いた。マグノリエの持っていたチョコレートが砕かれた瞬間だった。半ば意識の飛んでいたエーデルが暫しの間を呆然としていた。
あれ?チョコは?誰ともなく疑問を口にしていた。
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二月十四日――PM07:02
アオイが食堂で遅めの夕飯を食べていた時にエーデルが姿を現した。
「……マスター」
「んむっ、ん?あむあむ……エーデルどうしたの?なんか落ち込んでるみたいだけど」
どうしたのだろう。いつもの冷静沈着なエーデルと違い、今はなんとなく影があり落ち込んでいるように見えた。
「その、申し訳ありません。実は――」
「ああっ、そうだ!エーデル聞いてよ!今日ってとある世界ではバレンタインだって話した事があったじゃない?」
「え?はい。私もそのように認識しております。それでその事なのですがご用意できなく――」
「そう!俺初めてチョコ貰っちゃったんだ!」
「――て申し訳、は?貰った?チョコレートをですか?」
無邪気に喜ぶアオイにエーデルの思考が一瞬だけ止まった。いやアオイが喜ぶのはいい、それは従者であるエーデルも喜ぶべき事だ。だが今アオイはなんと言ったのか。チョコを貰ったと言わなかったか。
「そうなんだよ!チョコを貰ったの。しかも手作りだった!こういうのは義理でも嬉しいものだよね。美味しいから尚更だ」
「え?チョコ貰った?え?」
自分達以外にもアオイにチョコレートを渡した者が居る。おかしい。知っているのはアオイ本人を除けば自分達だけではなかったのか。アオイの言を信じるなら義理チョコらしいが、渡す事もできなかった自分達よりは上等ではないか。なぜだろう。とても悲しくなってきた。
「あっ、もうこんな時間だ。それじゃ俺はお風呂入ってくるね」
「え?あ、はい。ごゆっくりどうぞ。……あれ?」
いつの間にか夕飯を食べ終えていたアオイはそのまま食堂を後にした。エーデルは見送るように暫くの間を誰も居ない食堂で呆然としていた。
ブワッと膨大なエネルギーが発露する。悲しき怒りがエーデルの心を支配した。
「誰が、誰がマスターに渡したのですか……誰がっ」
嘆きの内容は途方もなく幼稚だが彼女には死活問題だった。
後日。誰にも知られる事の無い場所にて。
「アオイ坊ちゃまの趣味趣向は把握しております。それに私はお菓子作りが得意なのですよ?ふふふ」
イングバルドの専属機械人形アーフが暗躍(笑)していたのだった。
甘甘な展開だと思いましたか?
残念。当作品は血と狂気と一滴の愛でできています。(えっ!?)
せっかくのバレンタインデーという事で記念企画を実行しました。
ストックは減ってきましたが本編が行き詰ったというわけではありませんのでご安心を。
書く事が多くて選別と登場の順番に迷っているだけですからね。
それでも興が乗れば記念企画はスラスラと書ける不思議。
一時間くらいですか。寝る前にちょちょいっと。
ではでは。
PS.
最近は寒暖差が激しいですね。雪降ったと思えば次の日にはもう溶けてます。




