第7話・周辺諸国その2
はい、その2です。
勢いと趣味で掻いた割りに長引いてしまったとですね。反省です。
では、どうぞ。
二日目の早朝。姉妹達は遠くから響いてきた爆発音によって叩き起こされる事になった。その音が聞こえてきた方向にあるものは姉妹達が非難してきた集落だけだ。遠くで真っ黒な煙が立ち上っていた。
「お姉ちゃん。村が、私達の村がっ……!!」
「大丈夫よ。大丈夫だから、っ……」
泣き崩れる妹を抱き締めた姉は声を震わせながら励ます。
故郷が戦火に包まれている。直接見たわけではないが姉妹には間違いないという妙な確信があった。それは不安に嘆くおじさん達も同様のようだ。ここに居る誰もが故郷が燃える光景が脳裏に過ぎっていた。
「全員急いでこの場からトニスまで避難して下さい!早く!急いで!」
避難誘導のために僅かに同行していた連合軍の兵士が声を張り上げて避難指示を開始した。困惑する大人、不安から泣き叫ぶ子供、必死に祈る老人。避難民の多くが混沌としていた。
「あんた、急ぐよ!ここに居たら危ないからね。ぼうっとしてないで早く動くんだよ!」
「おっ、おうよ!そうだな!ほらお前達も用意しな!お譲ちゃん達もだ!」
「はいっ」
おじさん夫妻の言う通りいつまでもここに居たら危ない。皆が戸惑いつつも一斉に動き出す。昨夜から避難した事で時間もなく大して距離は稼げていない。そのため集落から多少しか離れていないのだ。ここにも戦禍の魔の手が伸びる可能性も大いにある。
「さあ急ぎましょう。いつまでもここに居たら危険よ」
「うん。……ねえお姉ちゃん。私達助かるんだよね?お父さんも大丈夫なんだよね?」
「っ、大丈夫。絶対に助かる。それにあの父さんだって心配ないわ。きっと大丈夫よ。ね?」
「お姉ちゃん……。うん……」
不安に揺れるも励ましながら準備を進めた。姉が慌しく荷物を纏めるとおじさん達も泣きじゃくる子供達を宥めながらも荷物を纏め終えていた。おじさんが姉妹のほうを向く。
「譲ちゃん達も準備終わったか?なら行くぞ!」
「はい!それじゃ行くよ!」
「うんっ、お姉ちゃん!」
姉妹で手を取り合い一路トニスへ向けて駆け出した。その背後では黒煙が立ち上り大きな破壊音が鳴り響いていた。
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時刻は昼前。生憎の雨模様だが朝から逃げ出すように避難する事になっていた。整地された道を数時間ほど歩いているがまだ十数kmしか進めていない。昨夜から移動しているが今日と合わせてもまだ五〇kmも離れていないために誰もが不安から止まる様子がない。
その中にエルフ族の姉妹の姿もあった。
「はあ、はあ……ん」
朝からの強行軍だ。まだ十代前半の少女には過酷で息も上がり疲労が見えた。寄り添い歩く姉が心配げにしている。
「疲れてるよね。でもお願い、もう少しがんばってね」
「う、うん。大丈夫だよお姉ちゃん。まだがんばれるもんっ。はあ」
「……ごめん。ありがとう。がんばろうね」
「うんっ」
健気にもがんばる少女だが疲労は隠せていない。その事に申し訳なく思っているが今はまだ休むわけには行かない。それが更に申し訳なくなる。
「???今の音はなんだ?」
ふと傍を歩いていたおじさんが立ち止まり長い耳を澄ませていた。それをいぶかしんだ姉妹も足を止めた。
「どうしたの、おじさん?」
「いや、なんか変な音が聞こえねえか?」
「変な、音?」
言われて同じように耳を澄ませた姉も聞き取った。重く低い音が一定間隔で規則的に鳴っていて上空から聞こえる気がする。
「な?なんかの鈍い音が聞こえるだろ」
「はい。ゴゥンゴゥンって。まるで魔導機関の稼働音を大きくしたような……」
立ち止まる姉妹だがいつの間にか他の避難民達も足を止めていた。不気味な音と戦火が近付いている不安からしきりに周囲を見回して音のしているものを探していた。
「――何だあれは!」
避難民の誰かの叫び声を上げて上空を指差した。皆が空へ目を向けるとそこには雲に隠れているが巨大な何かがあった。まだ遠い、目を凝らせてよく見る。
「あれって……船?」
「はあっ?船って海の上を行くもんだろが!空を飛ぶわけがねえ!」
「でも、あれ見てよ!おじさんも見えるでしょ?」
姉の示す先には雲の中から現れたものは三隻の船。先行する二隻は二又のフォークのような形状の船であり、その奥からもう一隻出てくる。こちらは先の二隻よりも一回り大きな船で三叉槍のような形状をしていた。
「っ!それはそうだが……くそっ!帝国のやつらは何しやがったんだ!」
「今はそんな事いいから逃げよう!なんだか悪い予感がするの!」
「なんだって?……わかった。おいっ!皆行くぞ!急いでここから離れるんだ!」
おじさんの声に唖然としていた避難民達が慌てて逃げ始めた。怪我人を友が背負い、体力のない女子供や老人は馬車に乗せた。
瞬間、眩い閃光と爆音が轟いた。極近距離、姉妹の背後から爆風が吹き荒れる。意図せず地面に叩きつけられ頭を強かに打ち付ける事になった。何が起きたのかわからない。
揺れる視界が同じく倒れた皆を確認して意識が暗転する。そこで少女の意識は途切れた。
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少女が目を覚ました。痛む身体を無理矢理起こして周囲を見回した。森に囲まれた街道が今は見る影もなく滅茶苦茶に荒れ果てていた。木々は倒れて地面には穴が開き所々で小火が起きていた。
「な、にが。なにが起きたの……」
何が起きたのかまったくわからなかった。姉は、皆は無事だろうか。自分の身体は全身を打ち付けたように痛いが目立った怪我はない。多少左足を攣ったように感じられるが動くのには問題ない。動くなら大丈夫だ。
「お姉ちゃん!おじさん!皆どこ!どこにいるの!?」
痛む左足を庇いぎこちなく歩いて回る。周囲には少女以外の姿がまだ見えない。倒れた木の影や地面にできた穴の中、荒れ果てた森の中を探した。
「ぅ、ぅぅ」
声が聞こえた。少女が足を引き摺りながら駆け寄るとおじさんが倒れた木の下敷きになっていた。
「おじさん!?」
「ぉぅ、譲ちゃんか。へへっ、お前の姉ちゃんは無事だぞ」
言われてよく見るとおじさんと地面の間には気を失った姉の姿がある。おじさんが咄嗟に守ってくれたのだ。ともかく木を退けなければならない。
「今助けますからっ。せーのっ、んーっ!」
おじさんに圧し掛かる木を退かせようと力一杯に押した。だが歳若い少女の細腕では少しも動かない。おじさんと姉を助けるためには自力だけでは難しい事はわかりきっていた。それでも少女は諦めない。左足の痛みが増そうが手の皮が擦り剥けようが助ける事を止めようとはしない。
「も、もういい。やめるんだ」
「ダメ!絶対に助けるから!おじさんも諦めちゃダメだよ!」
「いいんだ。それよりもお前の姉ちゃんを先に出してやりな。それくらいならできるだろ」
「それはっ、でも、でも。それじゃおじさんはどうするの!?」
「俺の事は、もういいんだ。譲ちゃんからは見えないだろうが足が挟まれてる。感覚がないんだ」
「そんな……でも、やっぱりダメだよ!一緒に逃げようよ……!う、ううっ」
「もう歩けんさ。わかるんだ。これじゃ足手纏いにしかならん。だからお前達だけでも逃げろ」
血色の悪い顔のおじさんが少女のほうへ目を向けるがその方向は少しずれていた。まるで音は聞こえても目が見えていないかのようで、そこまで考えて涙を我慢していた少女は気がついた。おじさんの目に生気が薄れている事に。
「おじさん。もしかして目が?」
「……ああ、霞んで碌に見えねえ。そうだ。できればでいい、無事ならあいつと子供らを頼みてえんだ。俺にはもう見えねえが無事でそこに居るんだろ?なあ?」
「え?そ――っっ!!!」
周囲を見回しておじさんの支える木の向こう側でそれを見つけてしまった。力なく地面に横たわる三つの塊、おじさんの家族だった。血と泥に汚れて服はどこかに引っ掛けたのか破れている。流れ出た血が地面を赤黒く脚色されていく。
先程まで檄を飛ばしていたおばさん。戦場が近付いて不安な中でも声を殺して我慢していた二人の心が強い子供達。遠目から見ても誰も彼もピクリとも動かない。息もしていない。
少女は歯を鳴らして恐怖に震えていた。呼吸も乱れている。
「ぁ、ぇ、ぁぁ……」
「譲ちゃん?」
「っ!!ぶ、無事、だよ。皆、大丈、夫だか、らっ。だからっ!う、うぐっ」
不安と恐怖から意識が暗転しそうになった時に苦しそうに呼ぶおじさんの声で一瞬だけ正気を取り戻した。だけど家族の災難を伝える事だけはどうしてもできなかった。咄嗟だったがおじさんの目が見えない事をいい事に嘘さえ吐いてしまった。
ごめん、ごめんと漏れ出そうになる嗚咽を押し止めて少女は心の中で何度も何度も繰り返し謝罪した。本人も何に対して謝っているのかわかっていない。
「……そうかい。なら安心だ。ほら姉ちゃんを引っ張り出してやんな」
「う、ううっ。うぐっ」
必死に事実を隠した少女だがそれでもおじさんは何かを察したように呟くとまだ無事な姉を助け出すように言った。そこが少女の限界だった。押し止めていた涙や声、悲しみの感情が一気に出てきてしまった。
「べそべそ泣いてんじゃねえ!!」
「ひぅっ!?」
突然の怒鳴り声に少女は小さく声を漏らすとガタガタと震えていた。そして謝罪するのだ。ごめんなさい。ごめんなさい。助けられなくてごめんなさい。嘘吐いてごめんなさい。
「うるせえっ!!」
「――っっ!?」
今度こそ声も無く押し黙った。それほどまでに今のおじさんからは鬼気迫った覚悟のようなものが感じられたかもしれない。
「お前の姉ちゃんだろうが!!助けんだろうが!!大事な家族なんだろ!?迷ってんじゃねえぞ!!」
「お、おじさん……」
震えながら少女は一言一句逃さずにおじさんの思いを聞いた。怒鳴り散らしたおじさんの声に怒気はなかった。ただ親しい者へ語りかける優しさに満ち溢れていたから。それが嬉しくて、申し訳なくて、悲しいほど優しくて言葉にならなかった。
「はあはあ。怒鳴って、悪かった。だが、もう俺も持ちそうにねえ。頼む。最期にこの子だけでも助けさせてくれ。頼むよ譲ちゃん」
「うん、うんっ。わ、わかった、から。今お姉ちゃん、も助ける、からっ。だからおじさんもっ」
姉を引っ張り出しながら鳴き声交じりに懇願する少女におじさんは『それは無理だ』と男らしく苦しそうに笑った。血の気の失せた顔からは素人目に見ても死相すら見て取れた。
背中に冷や汗が流れる。姉を引っ張り出した瞬間にとても嫌な予感に少女は取り付かれた。おじさんの顔を見る。
「……あ」
おじさんは笑顔だった。苦しさなんて忘れたような、パン屋で出迎えた時の男勝りないい笑顔だった。それでも少女は嫌な予感が襲ってくるのを止められない。違う。おじさんを、今のおじさんを止めないとダメ。ダメなんだ。そうじゃないと――。
「じゃあな――」
「おじ、さん?」
「――達者で暮らせ」
「ダメエエエエエエエエッ!!!!」
少女の声にフッと唇を歪ませて人生で会心の笑顔を言わんばかりにおじさんが笑った。そのまま力尽きて今まで支えていた木が轟音とともにおじさんを押し潰す。少女はただただ見ている事しかできなかった。もうおじさんの姿は木に隠れて見えない。押し潰した木の隙間から地面を伝って生々しいくらいの赤い血が流れ出ていた。
「ぁぁ……ああっ!!あああああああっああああああああっ!!!」
少女は泣いた。声が掠れるまで泣いた。涙が枯れるまで泣いた。天に届けというように少女は声を上げて泣き続けた。
この日連合軍は西方の国境線を大きく後退する事になる。
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目を覚ましたエルフ族の少女が最初に目にしたのは何の変哲もない天井だった。
「ここ、は……っ」
ベッドから鈍い痛みに苛まれる身体を起こして見ると極端に物の少ない質素な作りの部屋だった。窓から太陽が見える。なぜか頭に霧がかかったようにハッキリしない。
「…………」
ベッドの上で半身を起こしたまま暫くは何も考えずにボーっとしていた。窓から差し込む光から考えてお昼を過ぎたあたりだろうか。自分はなぜここに居るのか。あの後自分はどうしたのだろうか。あの後?“あの後”ってなに――。
「ぁ……」
思い、出した。おじさん。おばさん。二人の子供達。集落の皆。皆あの時に居なくなった。生き残りはあの時の状況を考えると絶望的だった。そうとしか思えない。
少女の目から涙が零れた。
「ぅ、ぅぅ。ぁぁ……!」
一度思い出してしまうと涙が止まらなくなった。あれだけ泣いたのにまだ涙が出るなんて、おぼろげにだが覚えていた。それなのに今は皆の事や集落での思い出が次々に思い浮かんでしまい、少女は声を出す事もできずに泣き出していた。
少女が嗚咽する部屋の扉が開いた。
「ちょっと、どうしたのっ?まだどこか痛いの?お医者様は、異常はないって言ってたのに」
入ってきたのは少女の姉だった。そしてギョッとした。少女の眠っていたはずの部屋に入って最初に目にしたのは泣いている妹の姿だったのだから慌てようというものだ。
少女の傍へ駆け寄って抱き締めた。泣いた妹を慰めるのは姉の役目だ。
「おねえ、ちゃん……わた、し、わたしっ、ぅぅ」
「そう。怖かったのね。うん、思いっきり泣いてスッキリしよっか。もう大丈夫だからね」
「うぅ、うわああぁぁ!おねえちゃんっ。おねえ、ちゃんっ。うええぇぇ……!
「うん……うん。私はここに居るよ。ここに居るから」
「ぅぁ、ぁぁぁ……」
泣きじゃくる少女を姉が抱き寄せて優しく撫でた。あんなに怖い思いをしたし悲しい事も多かったのだから今は、今だけはただ泣いて悲しみを吐き出させてあげたかった。
そうして一時間近く泣いた少女は姉の胸から離れて俯いていた。いろんな思いを吐き出して精神的に落ち着いたようだ。今は醜態を曝した事を思い出し羞恥に震えている。それでも姉の手を放さないのはまだ不安が抜けていないからだ。
「もう落ち着いた?」
「うっ……うん」
ありがとうという言葉はごにょごにょと声になる事はなかった。
それから少女が意識を失ってからの事を姉は話して聞かせた。あの後少女は泣き疲れて寝てしまったようで、次に少女が目を覚ました時にはトニスに作られた仮説住居の一室、つまりこの部屋に寝かされていた。なぜ少女がトニスに居るのか。それは姉妹や生き残った避難民が撤退中の連合軍に拾われていたからだ。連合軍の敗走し大きく後退する事を強いられた事や、その中に父親の姿もあり無事だった事、帝国軍が国境線を押し上げて集落に一時停滞している事など本来なら一般人の知る由のない事まで。
少女はなぜ姉はこうも簡単にポンポンと情報を出してくるのか話しを聞きながら真剣に悩んだものだ。全部聞き終えた少女が姉の手を放して向き合った。その目には真剣な色が宿っている。
「お姉ちゃん。私、連合軍に入る」
「……え゛っ!?駄目よ!そんな事っ、危ない目に遭ったばかりじゃない!」
「それでも!それでも私は連合軍に入りたいの!皆の敵を討ちたいの!!」
「でも、そんな。そんな事は皆だって望んではいないはずよ……」
連合軍に入りたいという妹の気持ちが理解できないわけではない。あの時の姉は気絶していたから詳しくは知らないが亡くなった集落の仲間達の仇を討ちたい、とい事だろう。だがそれは逆に言えば帝国軍に殺される可能性があるのだ。
「ね?お姉ちゃんの言う事聞いて、お願いだから」
「ダメ。私は帝国が許せないの。集落を、おじさんを、皆を踏み躙った帝国のヤツらを絶対に私の手で倒すの!」
姉が悲しそうに懇願したが案の定だった。少女は帝国への復讐を誓い、決意を固めていた。今の少女には何を言っても耳には入らない。説得するのは至難の業だと理解しても姉は諦め切れなかった。
「本気、なのね。私が頼んでも考えを変える気はないの?」
「うん。魔法はちょっと自信ないけどエルフ族だから魔力は多いし、射撃武器は得意だもん。今から入学すればなんとかなるよ」
今、から!?これには流石に驚いた。避難してきてまだ間もないのに。
「ちょっ!今なの!?あなたまだ十二歳なのよ!?軍になんか入れるわけがないじゃない!」
「そんな事わかってるもん!だけど、軍学校は十歳から受け入れてるってお父さんが前に言ってたし、大丈夫だよ!」
「な゛――っ!?」
衝撃の事実に声も出なかった。握った拳をわなわなと震わせる姉に少女がビクッと震えて怯えた。刹那の沈黙が流れると姉の目がギラッと光った。
「父さんの馬鹿あああああっ!!なんて事を教えてんのよっ!!」
天を貫く雷鳴の如き咆哮だった。姉の綺麗な金髪が怒りで逆立ちゆらゆらと不気味に揺れている。怒声によって生じた衝撃で窓ガラスに罅が入ったのは何かの間違いだと思いたい。恐怖に震えた少女がちょっと涙目だった。
混沌とした部屋の扉が突如として轟音を上げて吹き飛んだ。入り口から入ってきた者は細身のエルフ族では珍しい筋骨隆々とした大男だった。部屋に入った大男が大声で叫んだ。
「呼んだか娘よ!!」
「呼んでないわよ!!どこから湧いたの!?」
大男の言う娘事姉も叫んだ。怒鳴り声のように叫んだのだがなぜかその背中には哀愁が見て取れる。少女は大男事父親のいきなりの登場に唖然呆然としていた。若干頬が引き攣っている。
「父親に向かって馬鹿とは何事か!!」
「今!?ここで蒸し返すの!?お願いだから話しを聞いて!少しでいいから私の話しを聞いてよ父さん!」
「パパ参上!!それより娘よ!!いい加減に俺の事はパパと呼んではくれまいか!!そのほうが……嬉しい!!」
「すごくどうでもいい事だった!?いい大人の男が頬を染めてとか心底どうでもいい!しかも参上とか今更過ぎる!順番がおかしいわ!最初に言ってよ!」
「この娘は何を怒っているのだ!!意味がわからない!!はっ!?まさか、これが……世に言う反抗期と言うものなのかっ!!!」
「ち が う わ よおおおおおっ!!!」
慟哭するように、憤ったように絶叫した。帝国との戦線が活発化してからは前線に勤務する事になった父親とは数ヶ月ほど離れて暮らしていたが少しも変わっていない。この親子、打てば響くような掛け合いだった。
それらのやり取りを見ていた少女が変に冷静になってしまっていた。
「どうでもいいけどお父さん」
「なんだ!?愛する娘二号よ!!」
娘、二号。相変わらずの呼び方に少しだけ思う所がないわけではないが、もう慣れたものだ。叫んで息を切らせていた姉も呆れた顔をしている。
「うん、相変わらず愛しているのかお座成りなのかよくわからないけど、まあいいよ」
「何を言うか!!勿論愛しているとも!!はち切れんばかりに愛しているぞ!!娘のためなら父の愛は無限大だ!!」
「え!?え、と……その、ありがとう。それでお父さんはいつ来たの?お仕事は大丈夫なの?忙しいはずだよね?」
この父親はまったく、と少女はおろおろと慌てた。過剰とも言える愛情表現を恥かしげもなく、しかも大声で言うのだから。まあ恥かしくもあるのだが少しくらいは嬉しいと思っている、のかな。
「うむ!!ここに来たのはついさっきだ!!前線が後退して大変なので仕事はあるが娘二号が心配で全部投げ出してきた!!後でやる!!たぶん一週間後くらいに!!」
「投げ出しちゃダメだよ!?妙に具体的な予定が怖いよ!周りに迷惑でしょ!」
父親にも負けないほど大きな声で言い聞かせた。今頃は父親がここに居る事で向こうは大騒ぎになっているかもしれないと考えると少女は気が気じゃなかった。父親は微塵も気にしていないようだ。今も胸を張っている。
「心配無用!!俺の道(娘への愛)を邪魔するものは全て――殴って(ボソッ)――眠らせてから来た!!何も、問題は、ないっ!!」
「聞こえたからね!今ボソってところ聞こえたからね!?ダメだよ!そんな事したら!お父さんは将官さんでしょ!責任があるんでしょ!?」
「そのような肩書きなど娘の前では紙切れにも等しい!!邪魔するなら要らんな!!いっそ辞めるか!?」
「アッサリ捨て去る気満々!?う、嬉しいけど……やっぱりダメだって!今は連合も大変な時なんだから!ちゃんとしてよ!」
「お前も俺の道(娘への愛)を邪魔するのか!!」
ピシリと時間が止まった。今の父親の言葉はない。流石の姉もこれには処置なしと匙を投げた。額に青筋立てた少女が大きく息を吸い込んだ。
「私がその娘だって!む す め!わかった!?お父さん!」
「むっ!?そう言われてみれば、確かにそうだった!!わっはっはっはっはっ!!」
「笑って誤魔化したよ!この駄目お父さんは!わーんっ!」
怒っていいやら泣いていいやら。少女は複雑な思いに苛まれた。
喜怒哀楽。泣いていた少女も今は感情を面に出していた。まだ心には悲しみは消えていないがそれでも胸を貸してくれた姉と変わらない父親のお陰で少しは立ち直れた。父親がフッと笑うと少女を優しい目で見ていた。それを少女が若干警戒していた。
「ふむ……少しは吹っ切れたようだな」
「うう、え?お、お父、さん……?」
娘達が無事で安堵した事、無二の親友であったおじさんやその家族ともう会えないという凄寥。今の父親の表情には様々な感情が綯い交ぜになっていた。
父親も親友のおじさんを亡くしたのだから寂しくないはずがないではないか。それでもいつも通りの父親として少女の傍に居て方法は滅茶苦茶ではあったが慰めて励ましてくれたのだ。少女の心に何か言葉にならない感情が込み上げて泣きそうになる。しかし今度は嬉しくて流す涙だと確信し父親に一言。
「お父さん。あり――」
「まあ!!これも父の娘に対する愛の賜物だな!!いい子に育った!!これならいつ嫁に出しても、って誰だ!?俺の目の黒い内は娘を嫁にはやらんぞ!!悪い虫は即惨殺だ!!」
「が……あー、うん。そうだよね。お父さんだもんね」
「そうね。父さんだもんね」
感謝の言葉は形になる事無く飲み込まれた。だがそれは暗に言葉は不要と言われたようで、少女も普段通りの親子関係に戻る事を決めたのだ。傍に居る姉も同じである様子だった。視線が合った姉妹が困ったようにタメ息を同時に吐いた。
豪快におちゃらける父親を前に少女は頭を抱えた。それでも事実として少女の心は幾分か軽くなっていた。姉が二人を『しょうがないな、もう』と言いながら笑った。ここで少女がハッとして軍学校について思い出した。
「それでね、お父さん。軍学校についてなんだけど」
「そうよ、それ!父さん!この子にあんな事を教えてどういうつもりだったの!?」
お姉ちゃん。話しに割り込まれた少女が不機嫌そうに姉を見て呟いていたが、割り込んだ当の本人は気にしている余裕はない。姉が軍学校について話した事を父親に問い詰めた。
「なに、娘との話題に詰まって苦し紛れに出した!!だがあの時は受けが悪かったがな!!あの時は話しがツマらないと言われて本気で首を吊ろうか一晩真剣に悩んだものだ……」
「知らない内に追い詰めて父さんの命の危機だった!?……あなた、やるわね」
「変な感心しないでよ、お姉ちゃん!そんなつもりなかったもん!」
豪放磊落を絵に描いたような父親が珍しくも影を背負って全体的に暗くなっていた。姉による勘違いが思わぬところで少女を追い詰める。
「それで娘二号よ!!軍学校だったか!?入学したいのだったか!!」
「えっ?あ、うん、そう。お父さんもおねえちゃんと同じでダメって言う?」
「娘二号が何を考えて軍学校に入りたいのかはおおよそ想像できるが……」
そう言う父親が少女をよく見ようと目を細めた。
「…………」
「ほう……!!」
簡単の息が出た。親子関係にあるとは言えまだ幼い少女が強面の大男相手を前に騒がずに目を逸らさず見返していたのだ。この時ばかりは他人を観察する目で見ていた父親を、だ。
「了承!!俺が推薦状を書いてやろう!!存分に学んでこい!!」
「ありがとう!もう、お父さん大好き!」
「わっはっはっはっはっはっ!!」
この大笑いする父親、実に上機嫌だ。もしやとは思うが少女の『お父さん大好き』という言葉が聞きたかっただけの親バカではなかろうか。
「父さん!!」
「なんだ!?娘よ!!」
ここでアッサリと少女の入学が認められた事で呆然としていた姉がハッと意識を取り戻した。姉の剣幕に父親は声色や声量とは別に冷や汗を酷く掻いて腰が引けている。姉の剣幕は止まらない。
「一体なにを考えてるの!この子はまだ十二歳なのよ?軍学校なんて無謀じゃない!」
「お姉ちゃん!!」
「あなたは黙ってなさい!私は父さんに聞いてるの!」
「私の事でしょう!お父さんは関係ないじゃない!」
困惑し慌てる少女が姉を遮るが意味を成さない。ここトニスまで避難する道程で危機に曝されたのを思い出し、少々感情的になっているようだ。そんな二人を横から見ていた父親は自分の顎を撫でるとニヤリと笑った。
「娘よ!!」
「何よ!?」
父親の大声に姉も負けない大声で返した。額の青筋が二つ追加されている事が彼女の怒りの度合いを表していた。
「お前は勘違いしている!!勿論中等部から入学させるに決まっているだろう!!最低でも連合大学の軍学部に入り卒業してもらう!!」
「連合大学を卒業?中等部からだから大体十年以上に、なる?」
姉は考えた。中等部で三年、高等部で三年、大学部で四年。大学部については学院課程にも進むなら更に数年の時間は必要になる。連合では特別進級の制度もあるから早まる可能性もなきしもあらずだが稀な事例だ。血の上った頭を冷やすにも学ぶだけでも十分な時間があるはずだ。
「えっ、十年も!?お父さん!!」
だがそれに不満を持った少女は叫ぶと父親へ抗議の目を向けた。少女は一刻でも早く戦場に立ちたいのだ。それが叶うのが十年以上も後になると聞いて黙っていられるはずもなかった。父親がカッと目を見開いた。
「異ぃ論はぁ!!認めぬぁぁいっ!!!!」
「ひゃうっ。耳が、耳がキーンってするよぉぉ……」
「う、う。久しぶりだから油断した。頭がくらくらするわね……」
最早一種の音響兵器のような大声に曝された姉妹は耳を押さえて頭を抱えていた。耳が大声に麻痺させられて脳が揺れたらしい。
「娘二号よ、それが嫌なら諦めろ!!戦場に素人、ましてや少し戦える程度などが居ても邪魔にしかならん!!ただの害悪だ!!」
「ッ、それはっ!……ん、わかった。それでいい、です」
戦場に立つなら事前知識くらいは身に付けてからにしろという父親の言に少女は承諾するしかなかった。ここに少女が軍人への道を踏み出す事は決定的になった。
「私も行くわ!」
「お姉ちゃん!?」
こうなると黙っていられないのが少女の姉だ。少女がバタバタと手を振って困惑した。そんな事しなくても大丈夫だ、と説得するが姉は聞く耳を持たず逆に疑わしげな目で見てくる。
「だってあなただけで軍学校に行くなんて心配なんだもの。それなら私も行くしかないじゃない」
「そ、そんな事ないもんっ。ひ、独りでも?ちゃんとがんばれるよ?うん。だから心配しなくても大丈夫っ……だと思うっ」
なんとも不安しか感じられない。それに年齢相応に身体も心も未熟だ。だからこそ姉はハッキリと伝える事にした。
「私よりも弱いのに?」
「グサッときた!今のグサッときたよ!」
「料理は?洗濯は?日常生活はどうするの?」
軍学校は学び舎と言えども軍事施設なのだから機密の関係上、全生徒が寮で暮らす事になる。当然だが炊事洗濯は持ち回りか自分でやらなければならない。少女も決して家事が下手なわけではないのだが姉に比べると一歩劣る。中でも料理関係は、言わずもがなだ。一つ言わせてもらうなら墨は食べ物ではない。
「う、ううっ。だ、大丈夫、だもん。これから練習するし上手くなる、よ?」
「疑問系じゃない。それと口調が乱れてるわよ?」
「む、むーっ」
「ね?意地張らないで一緒にがんばろう?」
「……うん」
渋々ながら承諾した少女に姉は苦笑した。いつもは素直な妹なのに、たまに頑固になる事があるのだから。話しがひと段落したのを見ていた父親が大きく頷いた。
「話しは纏まったな!!ではお前達の入学手続きや他諸々はしておいてやる!!来年の二月に試験がある!!準備だけは怠らないように!!」
「え゛っ!?二月!?もう半年もない!?どうしよう、お姉ちゃん!!」
「だから言ったのに。今更慌てても仕方ないでしょう?ほら明日からビシビシと勉強するからね。――覚悟しなさいよ?」
「ヒ、ヒィィ……!」
たった二歳上の姉に少女は怯えた。微妙に影のある微笑が怖かったらしい。
今はまだ若く微笑ましい姉妹だ。だが十年後には連合空軍において対艦攻撃機を駆り“雷光の双竜”の二つ名で呼ばれるほどの輝かしい戦果を上げる事になる。
「なんで怯えるのよ。ねえ、なんで?」
「お、おお、怯えてなんかないって!」
……しかし、それも今は未だ来ぬ先の話しだ。
敢えて具体的に人物名は出さずに少女やおじさん、父親、姉などで表現してみました。
名称を出せないとか何気に難しいです。本当に、ええ。
アオイの知らないアース大陸の戦争と日常を少しでも表せていたなら成功。
でも少女の復讐とか戦争の被害についてとかのダークな感じが甘いかなと反省中です。
血と狂気、迷いや人間関係を表現できないと”リアルな”戦場は書きつくせませんしね。
言い忘れていましたが第一章の時代設定は”魔法のある近世ヨーロッパに現代よりもちょっと優れた機械技術がある世界”という感じを想像していただけると助かります。はい。
さて、そろそろ本編を書かないとストックがなくなってしまいそうです。
少し書き溜めてからもう一つ”周辺諸国”を書こうと思います。
ではでは。
PS.
今回反響があればエルフ族の姉妹さんをまた登場させるかもしれません。
その時は名前付きで。たぶん。きっと。おそらくは。




