エピローグ
帰還した『スレイプニル』4番機のパイロット、朔月アカネは、サヤカ達による回収の1時間前にはコックピット内で絶命していた。
彼女がその命と引き換えに持ち帰ったデータによって第三世代TDの課題点が示される。
第三世代TDが思考だけでなく、オペレーターの感情すら読み取ってしまうこと。
それが『自殺事故』と、オペレーターを失いながらも回収ポイントまで歩き続けた4番機の起こした奇跡の原因であったことは、誰の目にも明らかであった。
数十名の少年少女の命と引き換えに、世界は、モリニアという国は、変わった。
戦後に引かれた緩衝地帯と、国境要塞フィオナを破り、国内に傾れ込んできた無数の人々は、砂糖が水に溶けるように散り散りに広がって消えていき、最後には穴の空いた国境だけが残った。
その後の数か月は、モリニアにとって、激動の日々となった。
軍事行動のほとんどを目の敵にしている現議長も、国境が破られたとなれば流石に動かざるをえず、軍事、外交の両面で遅すぎる行動を始め、一か月もたたずに国境はもとの形に戻り、議会は大々的に問題の終結を宣言した。
しかし、動き出しが遅すぎた議会では、元軍人や現職軍人たちからのバッシングを抑えることはできず、議会は解散。
議会の解散と再編を主導した新政府、そして軍事方面で問題解決に貢献したハタエ・ウッズマン大佐は、「事態の再発防止のため」と国民を説得し、対テロ即応部隊の配備を強行。
その第一号たる、特殊部隊『サイレン』が大佐の指揮の元に設立されることになる。
「フラウ大尉、サヤカがどこに行ったのか知らないか?」
『サイレン』の作戦司令室で、ウッズマン大佐は娘の様子を聞いた。
「最近姿を見ませんけど……なにかあったんですか?」
フラウ博士は、たどたどしい敬語で大佐に聞き返した。
「こんなものを残して消えてしまってな……」
ウッズマン大佐は、手にした書類をフラウの元に差し出して、続けた。
「『サイレン』への推薦書だそうだ。名前は……アオイ・モーントシャイン、14歳。フィオナの生き残りの関係なのか?サヤカはどうしてこんな子を……」
ウッズマン大佐の言葉を飲み込みながら、フラウは脳裏にフィオナ要塞の防衛に向かった少年たちの姿を名前を思い描いた。
嫌でも身体に刻み込まれた、8人の少年少女の名前。その中には、モーントシャインという名前はなかった。
しかし、唯一帰還した4番機に残されていた音声データに、その名前があった。
サヤカはおそらく、4番機の少女への贖罪をするつもりなのだ。
そう判断したフラウは、ウッズマン大佐にそれを伝える。
「そうか……」
大佐は、司令室から空を見ていた。
フラウからは、その表情を読み取ることはできなかった。
————
——わたしは、どうしてここに居るのだろう。
アオイ・モーントシャインは、大きな町の小さな橋の下で、膝を抱えてうずくまっていた。
感じるのは胃に穴が空いてしまったのではないかというくらいの空腹感と、それを打ち消し、闇の中に沈めてしまうくらいの絶望感。
——何か、大切なものを忘れてしまった気がする。
何を忘れてしまったのかを思い出そうとして、すぐに辞めた。
頭の中に誰かの影が浮かんだ瞬間、凄まじい頭痛が襲ってきたからだ。
長い軍隊生活で痛みには慣れているつもりであったが、それでも耐えきれないほどの痛みだった。
——何を忘れてしまったんだろう。なんでわたしは軍隊にいるんだろう。どうしてこの町で、ひとりぼっちなんだろう。
アカネは濡れた服の冷たさに、息が抜けるような声を漏らした。
濡れた服を乾かしたい。なんでもいいから何か食べたい。
そんな生物的な欲求に耐え忍びながら、アカネは雨上がりを待っていた時だ。
「あなたが、アオイ・モーントシャイン?」
誰かの声がアオイの背中を叩き、薄れつつある意識を少しだけ呼び覚ました。
首だけ動かして、この主を見つめる。
銀をそのまま鋳溶かしたかのような綺麗な銀の髪の少女だ。
「だれ……?」
いつの間にか、頭痛は消えていた。
「いったい、いつからこんなことになったんだろう……?」
アオイは、無意識のうちに差し出された手を握っていた。
——暖かい……。何か久々に人に触れた気がする……。眠いな……。でも、ここで寝たら、ちょっとまずいかも……。
——お姉ちゃん……。
アオイは、再び深層に潜り込みつつある自分の意識が、ほんの少しだけ揺らめいたのを感じた。
「お姉ちゃんって、だれだっけ……」
「……ぅ」
揺らめいた意識の炎が消える。その向こうに見えたはずの、泣きたいほど懐かしい姿は、伸ばした指先がかき消してしまう。
自分の意識や心ではなく、もっとその中心に近いものが、その姿を思い出すことを拒んでいた。
——もう、どうでもいいや……。
自分の手を握りながら、自らの意識を手放したアカネを見て、銀髪の少女が呟く。
「私は、ハタエ・サヤカ。あのね、あなたと一緒にしたいことがあるの」




