一話 異世界転移
――その日、彼は無意味に死ぬことになる。
「ありゃっしたぁー」
――繁華街近くのコンビニ。一人の青年が気だるげに客を見送る。自動ドアが開くと騒がしい街の音が鼓膜を叩く。流れ込んだ肌寒い空気に、彼は小さく身震いした。さっさと閉まれ、と彼は心のなかで毒づく。
「あっ、ごめん佐藤くん。休憩行ってきていいよ」
店長と思わしき中年の男性が申し訳なさそうにレジへと入ってくる。
「うっす」
佐藤は頭を軽く下げ、レジ裏のバックヤードのパイプ椅子に腰を下ろした。ギシッ……と軋む音が響く。彼はぼーっと天井を見ながらつぶやく。
「今日は二十分遅れ。空気扱い記録更新と」
カシュッ……机の缶コーヒーを引き寄せ、プルタブを引き抜く。そっと口をつけると、冷たい缶の感触の後、苦い液体が喉を滑り落ちた。
「にがっ」
反射的な感想の後、缶コーヒーのラベルに目を移す。無糖。彼は深い溜息を漏らして背もたれに体重を預けた。指で目頭を押さえて目を閉じる。
「ツイてねー……また忘れられたし。休憩がいつも通りの時間に来たのなんていつだったかも覚えてねぇ」
瞼を開いたあと、視線は床へと落ちた。理不尽なクレームが今日は二件。休みたくても店長はバックヤードから出てこない。いつものように存在が空気になっているからだろう。
「はぁ……このまま終わるのか。高卒フリーター、彼女なし。学生の時はそれなりに友達はいたけど」
スマホの電源を入れる。通知はゼロ。
「あだ名がモブなだけあるな。みんな俺のことなんて忘れちまってら」
――休憩終わり、さらにクレーマーに遭遇しメンタルは限界。よろよろになりながら制服を脱いで、コンビニ袋を片手に夜の街へと足を踏み入れた。時間は深夜。けれど繁華街だけあって、まだ騒がしさが残る。
すれ違う誰もが彼に視線を向けない。
「誰かに見向きされる外見でもなけりゃ見向きされるような人生でもない……か」
一瞬嫌な選択肢が浮かんだ。それを、本心で嫌だと思わなかったことが心臓を強く締め付ける。ピタッ……と自然に足が止まる。考え事をしていても、信号の前では足が止まるのだから不思議だ。
交差点の反対側、一人の青年が数人の女を侍らせている。ベロベロに酔いながら女達に腕を回す。女たちが彼に向ける視線も、あからさまに熱を帯びて甘ったるい。
「イケメンかよ。そんで体もゴツい。世の中不公平だぜ。こっちはモブ扱いだってのに」
信号が青になる。羨ましさなんてない。けれどどこか、自分と違う世界が眩しく見えた。佐藤はできるだけ目を合わせないように視線を逸らした。
――視線の先、トラックが近づいてくる。彼はトラックが速度を落とすと思った。それなのに。
佐藤は目を見開く、全身から汗が吹き出ていた。そして気づけば佐藤は走っていた。トラックのブザー音が、交差点に響き渡る。その一瞬だけは、騒がしかった街が音を無くした。
彼らがヘビにでも睨まれたかのように固まっている。佐藤はトラックが迫る中、とりあえず女性たちだけをがむしゃらに突き飛ばした。彼女たちは歩道へと押し飛ばされる。肩にトラックの冷たく硬い鉄塊が触れた瞬間、もう一人の男を助ける余裕はなかったのだとと悟る。
――まぁでも、これでモブにはならねーかな。
少なくとも、自分が想像したような最後よりは、断然マシだった。
――パッと佐藤は目を開けた。まばゆい光。視界がまだうまく処理できない。白い床、広がる青空。
「おぉ……俺は死んだのか。ここが天国。あったのか」
彼が次に見たのは一人の女神。輝きを持った美しい女性。古代ローマの彫刻のような衣服。零れ落ちそうな大きな胸。女神と呼ぶにふさわしい整った造形。
「神様……?」
佐藤は恐る恐る口を開いた。女神は佐藤を見ると、怪訝そうな表情をした。
「チッ……」
「えっ? 今舌打ちした? ねぇ。ついさっきトラックに轢かれて死んだ人間に舌打ちした?」
「はぁ……余計なのが混ざっちゃったわねぇー」
「余計……?」
当然困惑する佐藤。死んだばかりで意味のわからん状況だと言うのに、出会った女神から舌打ちされるなど想像すらしなかったからだ。女神はダルそうに口を開いた。
「間違っちゃったもんは仕方ないわ。ルールだからざっくり説明するわね」
「おいちょっと待て。今間違えたつったか?」
彼の指摘に女神は怪訝そうな表情で睨みつける。
「うっさい黙ってなさい。あんたはこれから異世界に転移する。転生はめんどくさいからパス」
「おぉー! 転移! つまり異世界で俺もついにモブではない最高の日々を……っていまめんどくさいって聞こえたんだが」
「口を閉じなさい。天界を汚すな」
「こいつマジで」
佐藤はイラッとしながらも口を閉じる。実際のところ、彼はこの状況をほとんど理解できていない。目の前の女神が唯一の手がかり。そして彼女が権限を持つことは明白。楯突くよりは大人しくしておいた方がいいと考えた。
「あらいい子じゃない。ま、異世界転移をしてそこで適当に暮らしてて」
が、口を閉じるにも限界がある。
「って、おおおおい!! ざっくりしすぎだろ! どこのだれだその適当なルール作ったのは! こんなん説明じゃな」
――パカッ。
足元が丸く開く。唐突な浮遊感。女神は見下ろしながら言い残した。
「私」
「この、クソ女神みぃぃぃぃ!!」
あぁぁぁと、佐藤の声が遠くなっていく。シュッと開いていた穴が閉じる。
――佐藤は空から凄まじい速度で自由落下しながらも、落ち着くように空中であぐらをかいた。バタバタと衣服が激しく暴れる。異世界の広大な絶景を見下ろす情緒など微塵もないが、彼の頭脳は驚くほど冷静だった。
「んー……チート能力とか、チート武器も持たずに落ちている。つまり、俺は今――普通に自由落下しているただの人間。スーッ……」
空を見上げた。あの憎き女神を睨みつけるように叫ぶ。
「――結局死ぬじゃねぇかぁぁぁああ!!」




