12 知らない方が見える事もある #クリス
マリーの姿が見えなくなったところで、クリスは大きく息をついた。
(ケント。彼女はいったい……)
マリーの最後の発言は取引だった。
『あなただって本当は彼の罪がなかったことになるのなら、そのほうがいいでしょう?』と暗に彼女は言ったのだ。
ケントが監査員で、クリスとつながりがあることを察して。
(役人を嫌い、相手の弱みを見抜いて自分に有利な交渉をする…いかにも流民らしい行動ですが…なぜでしょう? らしくないと感じるのは)
「彼女が自由じゃないから…」
そうつぶやいて、クリスは納得した。
(そうだ。マリーさんは自由じゃない。なにかに強く囚われている…拘束の魔法すら大した問題じゃないと言ってしまえるほど)
それは、大きな不幸にほかならない。
最初、マリーの話を聞いたときは、美人な容姿も手伝って、ケントの一目惚れからの暴走だと単純に考えた。
しかし。
マリーと話をして彼女の稀有な人物像に触れれば、見方は変わる。
(ケントはマリーさんの事情を知っているんでしょうか? だから、一生懸命かばってくれた? あんな例え話までして…)
マリーの例え話が教えてくれたのは、拘束以外の被害はなく、彼女がケントに助けられているということ。
クリスとしてもケントが彼女に無体を働いたとは思っていない。
それでも、いくらケントがマリーを助けていると言ったところで加害者側の言い分は採用できないし、普通の女性は魔法による拘束自体に恐怖する。
だからマリーが例外的な女性で、彼女の口からケントの擁護が聞けたことはクリスにとって大きい。
(それにしてもマリーさんはどうしてあんなに満身創痍なんでしょうか。あれだけ如才ない方なら裏社会だろうとどこだろうと、それなりに生きていけるはず)
その昔、国を相手に不定住の暮らしを認めさせた、自由な流民の矜持があればなおのこと。
嫌なことは忘れ、明日は明日の風が吹くと笑って生きていくのが流民だと聞いたことがある。
(戸籍を正す意思もないというのは…)
魔法使いを管理する必要上、国の戸籍管理は厳しい。
クリスだって、ケントの非がなければ、権力の乱用にあたる戸籍操作をみずから申し出るなど絶対にしない。
ところが、クリスの信念を曲げた申し出をマリーは一顧だにしなかった。
それはつまり。
(裏も表も、この先を生きていく意思がない…ということになりませんか…?)
そして。
もし、そうなら。
拘束の魔法が彼女の命をつないでいる可能性が浮上する。
クリスに約束したとおりマリーがケントを説得し、自由になったら。
(申し訳ありません、マリーさん。自由にして差し上げるのは難しそうです)
ジャックを救おうを奔走したり、魔法で拘束した相手をかばったり。
他人のために一生懸命になれる彼女が死地に向かう可能性を見過ごすのは、後味が悪い。
(自由になった彼女が向かうのは、十中八九魔法使いのところ…監査局の出番もあるでしょう)
彼女ほどの人が満身創痍なのは、魔法使いを相手に戦ってきたから。
そう考えるとすっきりするのだ。
ケント以前に魔法の呪いをかけられていた可能性もある。
(マリーさんは、魔法事件に慣れすぎているんです)
粉問屋でもケントの魔法返しを察知して入り口を見ていた。
村人たちが突然倒れた魔法使いの老人を呆然とながめ、視る能力で魔法返しを感じとったジャックがキョロキョロする中。
彼女だけが、店の外にいる魔法使いの仕業だと確信していた。
(あの魔法返しは……ジャックは単純に経験不足ですが、経験値のある能力者ならもっと焦ったはず)
ケントが力加減を誤ったから。
至近距離からの強すぎる魔法は畏怖を呼ぶ。その力の強さへの理解があることで余計に。
(マリーさんのあの反応は、視る能力を持たずに魔法で苦労してきたからこそ)
クリスはマリーが去っていった方に目をやった。
(…ですよね? マリーさんが視るという可能性は考えたくないのですが)
ケントは、マリーはケントを魔法使いだと知らないと言った。
魔法使い嫌いの彼女に自分が魔法使いだと知られたくないと、わざわざクリスを巻き込んだ点からもその弁に嘘はないだろう。
そうすると。
マリーが視る場合、どちらかが恣意的に嘘をついていることになってしまう。
嘘をついているのがマリーなら監査局のブラウン・イーグルを罠にはめるつもりだということになるし、嘘をついているのがケントなら。
ケントが魔力のオーラを消して彼女に近づいたことになる。
視る者は魔力のオーラの有無で魔法使いかどうかを判断する。自分の視覚情報が絶対なのだ。
魔法使いがオーラを消して偽った場合、只人の方がまだ真実に気付きやすいだろう。
だから、もしマリーが視る者なら。
オーラを消して近づく行為はもう悪意だ。
(自分で魔法をかけておきながら、魔力のオーラを消して只人のふりをするなんて意図的な悪行、さすがにしませんよね……?)
ごめん、クリス




