帰宅
家に帰宅すると、母のアメリアが出迎えてくれた。
「おかえり、ルクス。怪我はなかった?」
優しく微笑む母は、息をのむほどの美人だ。身長は百七十センチほどあり、無駄な肉のない引き締まったスタイル。黒髪のショートカットがよく似合い、どこか凛とした格好良さを漂わせている。実は母も元・現役の冒険者だ。かつてアルスと同じパーティーで活躍していたらしく、アルスからの怒涛の猛アタックの末に結ばれたのだという。
正直、見た目も要領もいい母に、あの少し抜けた父は不釣り合いなのでは……と密かに思っていた時期が俺にもあった。だが以前、好奇心から「お母さん、お父さんのどこが好きなの?」と訊ねてみたところ、
「……ぜ、全部好きよ」
と真っ赤になってしまい、俺はそれ以上何も言えなくなった。
どうやら「強い癖にドジで失敗ばかりするアルスを放っておけない」という、母性本能を極限までくすぐられているらしい。人の惚れる基準というのは、何とも分からないものである。
ちなみに母はA級冒険者だが、純粋なステータス数値だけで言えばアルスの方が上だそうだ。母いわく「あの人は実力的にはS級並みなのに、持ち前のドジでクエストを失敗してランクが落ちているだけ」とのこと。
(……ん? ちょっと待てよ?)
ふと、恐ろしい事実に思い至る。
実質S級の父と、A級の母。そんな超ハイスペック夫婦の間に生まれた子供……それって、転生特典のステータス引き継ぎがなかったとしても、俺自身の血統が最初からチート級だったんじゃないか?
これまで九十九回の人生を繰り返してきたが、なぜか例外なく俺には才能の欠片もなかった。周りの奴らがポンポンレベルを上げていく中、俺だけは亀の歩み以下の遅さだったのだ。今までは「才能の違い」と諦めていたが、今回は血統に恵まれている。
(……もしかしたら、この体なら俺自身のレベルも上がりやすいのか?)
ほんの少しだけ、今回の人生の「成長の可能性」にワクワクしている自分がいた。
「ただいま、お母さん! イノシシ倒せたよー!」
「そうなの! ルクスはすごいのね、偉い偉い」
屈み込んだ母が、よしよしと愛おしそうに俺の頭を撫でてくれる。
その微笑ましい光景を横から見ていたアルスが、案の定かまってちゃんを発動させた。
「あ、あのさアメリア……パパも結構頑張ったんだけどなー?」
「はいはい。パパもがんばりました。偉い偉い」
呆れ顔の母に子供扱いでポンポンと頭を叩かれ、アルスは「へへっ」と満足そうに鼻の下を伸ばしている。……このオヤジ、相変わらずチョロすぎる。
上機嫌になったアルスは、胸を張ってパンッと手を叩いた。
「それじゃあ、ここでパパから最高のお土産がありま~す! 今日の夕食はなんと、イノシシ肉だぁぁっ!」
ドカン!!
リビングのど真ん中に、アイテムボックスから勢いよく吐き出された巨大なイノシシの死体。床に響く重苦しい音とともに、シーンと静まり返るリビング。
「――何やってるのよ。そんなもの、要りません!!」
刹那、氷点下まで冷え切ったアメリアの怒声が響き渡った。
「えっ!? 昔は野宿でよく食べてただろ!?」
「冒険中は食べ物が限られるから我慢してたの! なんで家の中でまで野生の生臭い肉を食べなきゃいけないのよ! 私はジビエなんて苦手なの!!」
「ひぃっ!?」
「っていうか、リビングに動物の死体をそのまま出さないでよ! 汚れたじゃない!! 早く売ってお金に変えてきなさい、このバカアルス!!」
「ごごごごめんなさいいぃぃぃっ!!」
さっきまでの聖母のような微笑みはどこへやら。般若のごとき威圧感を放つ母に平伏し、アルスは半泣きでイノシシを回収すると、脱兎のごとく家を飛び出していった。
……聞いていた俺まで「ヒッ」と身をすくめてしまうほどの恐怖だった。
イノシシや熊などのクセのある肉を好む者もいるだろうが、我が家においては父以外の全員が苦手派である。
(ナイスだ、アメリア母さん! そしてドンマイ、アルス父さん……)
こうして俺は、初討伐の夜に血抜きもされていないイノシシ肉を解体して食べるという絶望的なイベントを見事に回避したのだった。
◇
――そして、あの初クエストから半年が経過した。
俺の冒険者ランクはD級へと昇格していた。
この半年間、俺たちは様々なクエストをこなしてきた。
野良の狼や熊を狩りまくる討伐依頼から、薬草の採取依頼まで多種多様だ。時には山中でアルスが野草や毒キノコの知識をレクチャーしてくれたりもした。前世の膨大な知識ですでに知っていることばかりだったが、そこは父親の面目を保つため、
「すごーい! 物知りだね!」
「さすがお父さん!」
と、目を輝かせて持ち上げておいた。そのたびにアルスは「ふふん、だろ~?」と露骨にドヤ顔を決めていた。本当にチョロい男である。
やがて「動物相手じゃルクスの練習にならん!」と言い出したアルスにより、俺は本格的な『魔物討伐』へと足を踏み入れることになった。
最近こなしているのは、D級依頼の定番であるゴブリンやスライムの討伐だ。
「一般的な魔物」などと評される彼らだが、普通の人間にしてみれば十分すぎるほど脅威である。ゴブリンの怪力パンチは野生の熊を一撃で撲殺する威力を秘めているし、スライムにまとわりつかれれば全身を酸で溶かされて捕食されるまで逃れられない。魔物とは本来、恐ろしい存在なのだ。
……まあ、俺からしてみれば本気を出せばデコピン一発で蒸発する相手なのだが。
後ろでアルスが保護者目線で見張っているため、俺は細心の注意を払って「ギリギリの死闘」を演じ続けた。
ゴブリンの拳を紙一重でかわし、小さな剣で反撃を入れる。手加減しすぎて一撃で倒してしまわないよう、相手の耐久値に合わせて絶妙に威力を調整する作業は、ある意味で本当の戦闘より神経を使う。
たまに「初心者っぽさ」を演出するためにわざと攻撃を掠らせてみたりもしたが、その後のアルスの「ルクス大丈夫か!? 痛むか!?」という過保護な騒ぎようがあまりにウザ……ゴホン、鬱陶しかったので、最近はやめることにした。
そして今日。
俺はいつも通り、ギルドの立ち飲みスペースのテーブルでジュースを啜りながら、アルスが受領してくるクエストを待っていた。
依頼のチョイスは毎回アルスに任せている。俺の偽装された成長速度に見合った、安全かつ実りあるクエストを選んでくれているはずだ。
だが――今日はいつもより戻ってくるのが遅い。
「ん……?」
不思議に思ってカウンターの方を覗き込むと、アルスとシャルルちゃんが何やら激しく押し問答を繰り広げていた。
「アルスさん! いくらなんでも、このクエストはまだ早すぎます! あなた一人ならともかく、ルクスちゃんも一緒なんですよ!? 万が一のことがあったら……!」
「いや、ルクスなら絶対にこのクエストをやり遂げられる! 毎日隣で見ている俺には分かるんだ。あの子は天才だ……俺の十二歳の頃なんて比べものにならない。俺以上の才能があるんだよ! だから大丈夫だ。いざとなったら、俺が命に代えてもルクスを守る。だから頼む、信じてくれ!」
いつものおちゃらけた雰囲気を一切消し去り、アルスは真剣そのものの眼差しでシャルルちゃんを見つめていた。
その本気の気迫に押されたのか、シャルルちゃんは「……はぁ」と大きなため息をつき、説得を諦めたように渋々受領のスタンプを押した。
「……わかりました。でも、絶対に無理はしないでくださいね!」
「ありがとう、シャルルちゃん!」
目的のクエストシートを手にした瞬間、アルスはいつものへらへらした親父に戻っていた。
「~っ! だから『ちゃん』付けはやめてくださいって言ってるのに!」
頬を真っ赤にしてぷんぷん怒るシャルルちゃん。
怒ってはいるが、それだけ俺たちの身を本気で心配してくれているのだ。受付嬢として、そして一人の友人として、本当にありがたい話である。
手続きを終えたアルスがくるりと振り返り、後ろで待っていた俺とバチッと目が合った。
父親は一瞬だけ力強くニヤリと笑うと、いつもの陽気な声を張り上げた。
「ルクス、狩りにいくぞー!」




