1.御澄叶慧
キーンコーンカーンコーン……
私立花舘高等学校では、今日もきっかり午後四時四十分に、放課のチャイムが鳴る。
この音を合図に校内の生徒たちは、部活動に向かう者、校内で自主勉強に勤しむ者、帰宅をする者の、大きく三つに分かれる。
進学校の括りには入るものの、県内四番目という特段高くもなければ低くもない学力を誇る花舘高校の生徒たちは、大体が部活動か帰宅に二分される。
それを象徴するかのように、校門ではいくつかの帰宅生グループが、通学鞄を片手におしゃべりに花を咲かせていた。
その中でも、校内と校外を画すライン上、そこまで出ているならもうさっさとお帰んなさいと言いたくなるような位置で談笑している女子生徒たちは、一際大人数で、大きな声をあげている。
「だからあ、分かりませんって言ってるのに、清家のやつ全然座らそうとしないの。それどころか、正解するまでずっと立ってろとか言うんだから、マジで頭おかしい」
「数学の先生って、結構当たりはずれが激しいよね。沖島先生だったら優しくて若いのに、なんで三組は数Ⅰが中村で、数Aが矢崎なんだろ。ほんとついてない」
「まあでも、そのかわり現国は当たり引いたじゃない。堀川先生、宿題忘れてもそんなに怒らないし授業中どうでもいい雑談挟んでくれるから、超好き」
「あ、そうだ。堀川先生と言えば! こないだの日曜、二組の子がさ……」
「……君たち、そんな実のない話を続けるだけなら、早く退いてくれないか? 先ほどからずっと通行の迷惑になっているのを、いい加減自覚して欲しいんだが」
弾んだ声で続けられていた話は、乱入者によって突然中断される。
無遠慮に、そして尊大な口調で一方的に口を挟まれた女子生徒たちは、驚きと反感をもって声の主を振り返り、息を呑んだ。
「……御澄さん……」
誰かがぽつりと、そう呟いた。メンバーのうち乱入者の素性を知っていたのは六人中四人のようで、二名は怪訝な顔をする。
御澄と呼ばれた人物は、その秀麗な顔を思いっきり顰めた。
顔を少し傾けた拍子に、一つ括りにされた、艶やかで滑らかな黒髪がさらりと揺れる。
「さっさと退いてくれ。それとも、この程度の申し出が理解できないほど、君たちの知能は低いのか?」
嘲笑うように放たれた言葉に、その場にいた全員が顔を赤くする。
しかし、腕を組んで仁王立ちをする少女の、睥睨するような視線を見ていると、何だか気勢が削がれてしまう。
結局、有無を言わせない空気感に気圧された生徒たちは、不承不承といった様子で道を譲る。
当然のようにそれを眺めた少女は、礼も言わずに、悠然とした足取りで女生徒の間を通り抜けていった。
「……そもそも、最初から回り込めば通れたじゃない」
すれ違いざま、女生徒の一人が腹立たし気に呟く。
耳に入ったのか、少女は女子生徒に目をやり、ふっと鼻で笑った。
「なぜ私がそんなことを?」とでも言いたげな様子に、女子生徒の苛立ちはさらに募る。
「こんなはた迷惑な場所で無駄話を続けるより、君たちもさっさと家に帰ったらどうだ? その方がよほど有益だと思うが」
そう言い捨て、貴族のような足取りで少女が向かった先には、黒光りするセダンが停車していた。扉の傍には、スーツ姿の品のよさそうな初老の男が立っていて、少女が近寄ると恭しく戸を開けた。
乗車した少女は、もう女生徒たちのことなど頭にはないかのように、頬杖をついて前を見る。やがて車はゆっくりと発進し、後には女生徒だけが残された。
「……なっ、何あの感じ悪い人! 先輩⁉」
我に返ったように、少女の存在を知らなかったうちの一人が捲し立てる。
「違うって。同じ一年生だよ。まあ、一組の人だから七組のあんたが知らないのも当然だけどさ」
ため息をはいた女子に、他の数人も同調して頷く。
「御澄叶慧さん。なんか、すっごいお金持ちの家らしいよ。本物のお嬢様ってやつ? 住んでる家も、めちゃくちゃ大きなお屋敷みたいだし」
「はあ⁉ なんでそんな人が、こんな普通の高校通ってんのよ!」
「知らないよ、そんなこと。でも一か月前の入学式の時から、一部でずっと噂になってたみたい。家のこともあるけど、何よりあの見た目でしょ?」
「それは、まあ……」
それまで烈火のごとく怒り狂っていた女生徒は、ここにきて初めて言いよどんだ。
認めたくはないが、御澄叶慧という人物は、文句なしの美少女だったからだ。それこそ、暴言を吐く姿も様になっていたほどに。
きっと大和撫子とは、ああいう人物を言うのだろう。もっとも、口を閉じていればの話だ。
「……それにしたって、あの言い方はなんなの⁉ 親が金持ちだからって、あの人自身がすごいわけじゃないのに。何で私たちがあんな言われ方しなきゃいけないのよ!」
「そりゃまあ、皆もそう思っているけど。実際、クラスでも孤立してるし」
「でもあれは、自分から独りになりたがってるようにも見えるけどね……」
気性の激しい女生徒以外は、消極的な発言をする。同意を得られないことに不満を感じながら、少女は頬を紅潮させる。
「とにかく! いくら裕福だからって、あんな風に人を見下すような人が誰かの上に立てるわけないのよ! いつか絶対、どこかでしっぺ返しをくらうんだから!」
むしろそうなれ、と言いたげな様子で、女生徒は言い捨てた。
彼女の気質を知っている他の生徒たちは、やれやれといった様子で顔を見合わせる。
何だか、場が白けてしまった。
それに校門のすぐ近くで群れていたら迷惑になるのは事実だったので、この日のおしゃべりはここで終わり、各々帰路につくことになった。
ちょうど、その頃。御澄叶慧をのせた車は随分前に発進したはずなのに、校門からさほど離れていない場所で停車していた。
運転手は涼しい顔で指示を待ち、叶慧は後部座席で息を殺して校門の様子を見ている。
「! 来た……」
叶慧は声をあげ、思わず身を乗り出した。
視線の先には、自転車に乗ったままで携帯電話を操作し、その上、耳にはイヤホンを装着した、危なっかしさてんこ盛りの青年の姿があった。
何に夢中なのか、目は液晶画面に縫い留められ、周囲の様子などまるで頭に入っていない。
前方不注意に加えて猛スピードを出す自転車は、花舘高校の手前にさしかかっても速度を緩めず、丁度女生徒たちが立ち話をしていた場所を、そのままの勢いで通り過ぎていった。
もしもあのまま、あの位置に女生徒たちがいたなら、自転車と接触事故を起こしていたかもしれない。そうなれば、彼女たちは軽傷ではすまなかっただろう。
全ては偶然の連続で回避されたことのはずだった……が、一部始終を見守っていた叶慧は驚く様子も見せず、ただ安堵したように息を吐いた。
ややあって、落ち着きはらって口を開く。
「須藤、もういい。出してくれ」
「はい、叶慧様」
安堵の表情はたちまち消えうせ、叶慧は再び、すまし顔に戻る。
その様子をミラー越しに見て、「須藤」と呼ばれた運転手は柔和な笑みを浮かべた。
「叶慧様。また見えたのですね?」
「ああ。今回は不意打ちだった。とっさのことでどう対処したものかと思ったが、うまくやれた方だろう。……それにしてもあの坂道はやはり危険だな。第一、校門がカーブの先にあるせいで、死角になっているのが悪い。ただでさえ急斜面が多いところに建っているのだから、看板を立てるとか柵を設置するとか何らかの対策を講じねば、本当に事故が起こる可能性も……」
ぶつぶつと呟く叶慧に、須藤は相好を崩した。
「相変わらず叶慧様の前では、全ては必然になってしまうようでございますね。いつもながら、お見事でございます」
「世辞はいらない。かつてのお祖母様に比べれば、まだまだといったところだろう」
そう言って小さく息を吐くと、叶慧は座席のシートにもたれかかり、目を閉じた。
それが合図であるかのように、須藤はピタリと話すのを止め、静かに滑らかに、車を走らせた。




