第5話 後輩 其のニ
ナラビカミ【後輩:其のニ】
小泉ツク、彼女は学校一の美少女だ。
しかし、それは"創られたもの"だ。
笑顔を絶やさず、自分が一番可愛く見える角度を使い、
男のツボを的確に執拗に攻めてくる。
やり過ぎてはウザがられ、足りなければ気づかれない。
その匙加減は一朝一夕で出来るものではないだろう。
彼女のそれは、もはやある種の巧みの技と言ってもいいレベルだ。
俺はそれを否定はしない。
それが彼女の処世術なのだと思うから。
だが、このやり方は"敵"を作りやすい。
俺がこの面倒な手伝いを引き受けたのはそこにある。
彼女は昨日も書類を運ばされていた、そして今日はハードルだ。
連日彼女は何かをやらされている。
偶然だろうか?書類とハードルの片付けがたまたま続いただけ?
そうとも考えられる、普通の女の子が相手なら、な。
「先輩、どうしたんですかぁ~?」
「いや、さっさと終わらそうぜ」
「はぁい」
小泉ツクという女の子を見ていると、俺が危惧するような影は見当たらない。
だが、彼女の演技力は見て分かる通り筋金入りだ。
本当の彼女はどんな顔をしているのだろうか…俺はそれが気になった。
「なぁ、小泉ツク」
「なんですかぁ~?っていうか、
なんでいつもフルネームなんですかぁ、もうっ」
小泉ツクはあざとく頬を膨らませ怒ってるぞとアピールしてくる。
その表情は可愛らしく、本気で怒っていない事がハッキリと分かる。
これが彼女だ、何時如何なる時もこの仮面は脱がない。
「それじゃ、小泉」
「ツクちゃんって呼んでいいんですよ?」
リアルでウィンクを使う奴を俺は初めて見たぞ。
それを自然とやれるのは素直に関心してしまうな。
「小泉、昨日も書類運びやらされてたよな?」
「スルーですか…ま、いいですけど。
だから言ったじゃないですかぁ~、わたしって忙しいんですよぉ~」
「他の奴に頼めないのか?」
「出来るならやってもらってますよぉ~」
「そうか…」
出来るなら…出来ないという事だよな?やはり小泉は…。
下校の放送が鳴る中、体育倉庫でハードルを片付けている最中、
大きなため息を洩らす小泉に俺は聞いてみる事にした。
「なぁ、小泉ってイジメられてるのか?」
「え?」
突然の質問に小泉は目を大きく開き、その声は裏返っていた。
その声で俺は何となくだが察してしまう。
「いきなりどうしたんですか、先輩」
「いや、そう思ったから聞いただけだぞ」
「わたしのどこがイジメられそうなんですかぁ~、やめてくださいよぉ~」
そう言う彼女の額には汗が光っている。
それはハードルを運んできたためのものじゃないのは俺は知っている。
「隠さなくていいんだぞ?何なら相談に乗るぞ」
「やめてくださいよぉ~、そんなの無いですってば~」
「本当だな?」
「しつこいですよ」
この声は聞き覚えがある…海未に向けた声と同じだ。
これは"敵意"だ。
人にはパーソナルスペースというものがある。
これには段階があり、公共距離、社会距離、個体距離、密接距離の4つだ。
俺と小泉は今まで精神的な個体距離を取っていたわけだが、
先程の俺の行動は個体距離を越え、
彼女が入って来てほしくない距離…密接距離に踏み込んだのだ。
踏み込み過ぎたか…と少しばかり反省した時、
キュルキュルキュル…バンッ!!と激しい音を立て、体育倉庫の扉が勢いよく閉まる。
光が遮られ途端に暗くなった事により俺は慌てた。
「な、なんだ?」
「………チッ」
嫌な予感がし、急いで扉へと向かおうとするが、
まだ目がこの暗さに慣れておらず、ハッキリ言って何も見えない。
両手を伸ばし、手探りに進むと…。
「痛っ!せ、せんぱいっ!!」
すぐ傍から小泉の声が聞こえ、かなり驚いたと同時に、
俺が今掴んでいる細く柔らかいものが彼女の肩だと理解した。
しかし、俺は全然強く触ってないはずなんだが…?
「あ、すまん、わざとじゃない」
ぶかぶかの赤ジャージを着ていて分からなかったが、
こいつ思ったより細いな…それに柔らか…いかんいかん!
俺は我に返り、慌てて手を放す。
「べ、別にいいですけど…」
今まで聞いた事ないトーンの小泉の声が聞こえてくる。
これがこの子の素の声なのかもな、そう思うと顔がニヤけてしまう。
だが、このままニヤけている訳にもいかない。
急がねば閉めた人が行ってしまい、俺達は閉じ込められてしまう。
『おーい!まだ中に人がいるんだけどー!』
俺は叫びながら扉に向かった。
次第に目が慣れてゆき、朧気だが体育倉庫内が見えてくる。
扉に手をかけて開こうとするがやはり鍵が閉められていた。
『くっそ…おーい!!まだいるんだけどー!』
何度も扉を叩きながら叫んでいると、
いつの間にかすぐ後ろにいた小泉がぼそっと呟くように言った。
「無駄ですよ、わざとですから」
その声には感情というものが感じられない。
まるで他人事のように、何もかも諦めてしまったかのような声だった。
「……やっぱイジメられてるんだな?」
「………」
小泉はそれ以上は何も言わなかった。
俺は外に向かって数分叫んでいたが反応はなく、
扉の前に座り、定期的に拳で扉を叩いている。
どこへ向ければいいのか分からない苛立ちをぶつけながら、
気づく人が現れる事を願って…。
「……巻き込んでしまって、ごめんなさい」
ずっと黙っていた小泉が口を開いた。
その声は弱々しく、本当の彼女の声だと思えた。
「それは構わない、俺はそんな事よりも、
イジメっていうクソみたいな行為をする奴等が許せない」
定期的に扉を叩く拳に思わず力が入ってしまい、痛みが返ってくる。
「自業自得ですから、彼女達は悪くないですよ」
「んな訳あるか」
俺の即答に小泉は顔を上げてこちらを見てくる。
「イジメって言い方が悪いな、これは完全に犯罪行為なんだよ」
「犯罪…?」
「監禁罪だろうな、今回以外にも色々されたんだろ?
そっちは、傷害罪、強要罪、脅迫罪、侮辱罪、恐喝罪辺りか?」
俺は本やテレビで得た知識を並べ、一気に捲し立てる。
「俺は曲がった事が嫌いなんだよ。
ルールは守られるためにあるんだ。
破るためにあるとか言う奴がいるがあれは嘘だ。
自分を正当化したいだけの違反者の戯言だ!
大事なのは守る事だ、そのためにルール…法律はあるんだよ」
「………」
「だから小泉は悪くない、悪いのはあいつ等だ!
いいか小泉、イジメられる側に罪なんて無いんだよ」
一気に吐き出した言葉の数々に嘘はない、これは俺の本心だ。
その言葉が彼女にどう伝わったのかは分からない。
分からないが、少なくとも彼女は笑っていた。
「ふふ…あはは、なんですかそれ?
いきなり真面目に語っちゃって…カッコ悪い」
「最高にカッコイイの間違いだろ?」
「いいえ…最悪です」
小泉は袖口で目元をこすり、微笑みながらそう言った。
目が慣れたとはいえ、薄暗い体育倉庫の中ではその笑顔は見えなかったが、
俺は小泉が微笑んでいると思ったからそれでいいんだ。
しばらくして部活帰りの男子生徒が扉を殴る音に気づき、
俺達は無事、体育倉庫から脱出する事が出来た。
「やっと出られたな」
「わたしはあのまま先輩と二人きりも良かったですけど」
ウィンクをしながら上目遣いを使い、彼女は言う。
先程までの小泉はもういない。
再び仮面を被り、彼女は武装する。
「あまり年上をからかうな、勘違いする奴もいるぞ」
「勘違い…してもいいですよ?ふふ」
彼女は冗談っぽく舌を出しておどけてみせる。
それが彼女の本心なのか、冗談なのかは、俺には分からなかった。
だがこれだけは言いたい…。
マジ勘弁してください、ガチの勘違いしてしまいます。
健全な男の子で遊ぶなよ!世の女性は覚えておこうな!!
・・・・・
・・・
・
あの一件以降、俺達の距離は少し近づいた気がする。
海未が舞の練習で一緒に帰れない日は小泉を探すようにすらなっていた。
決まって彼女は何かを押し付けられている。
それを手伝うのが新しい日課になりつつあった。
「いつもすみませ~ん、せ~んぱいっ」
と可愛く言いながら小泉は全ての書類を俺に手渡してくる。
「いや、お前も持てよ」
俺は3分の1を小泉に返し、さっさと歩き出す。
「わたしって忙しいじゃないですかぁ~」
「知らねぇよ」
「もぉ…なんで先輩には効かないかなぁ…」
不貞腐れているようでどこか嬉しそうな小泉に、
俺の胸はドキッと跳ねる…が、極力その事は考えないようにしている。
二人で並んで職員室のある2階までの階段を上っていると、
書類で足元が見えなかったせいか、小泉が階段で躓き、
派手に書類をぶちまける。
「あ~~~…はぁ」
ため息を洩らし書類を拾い始める小泉に駆け寄り、
俺の持つ書類を脇に置いて彼女の両肩を掴んだ。
「おい、大丈夫か?どこか打ってないか?」
「痛っ………放して」
俺の手は小泉の手で弾かれ、二人の間に何とも言えない"間"が訪れる。
「…すまん」
俺は全く力は込めていなかった…あの痛がり方は普通じゃない。
階段で打ったのか?それともイジメで痛めたのか?
「なぁ、小泉…」
「早く行きましょ」
小泉は書類をまとめ、早足で階段を上ってゆく。
その後姿に俺は違和感を感じていた…その答えが何か分からないまま。
・・・・・
・・・
・
5月28日。
この日、俺は知る。
小泉ツクという美少女の仮面の下にいる本当の彼女を…。