第6話 後輩 其の三
ナラビカミ【後輩:其の三】
5月28日。
今朝は海未を起こす事なく家を出た。
日課だったものが無くなるだけで何とも言えない違和感がある。
不安…と言えばいいのだろうか、いや、違う気がする。
やはり"何とも言えない"ものだ。
毎朝の日課になっていた海未を起こし、
一緒に登校するという流れは今日久々に途切れた。
その理由は、海未がお隣の大多良家にいないからだ。
昨日から彼女は泊まりで舞の練習をしている。
しばらく学校もそっちから通うらしい。
そんなに大変なものなのか?と疑問にも思うが、
海未自身がやる気を出しているのだ、俺に止める理由も無いだろう。
「なんだかな…」
独り言をごちりながら学校までの道のりを歩く。
いつもなら隣を歩く少女の姿はなく、梅雨になるというのに肌寒く感じた。
海未を待つ必要が無かったためか、俺はいつもより早く家を出ている。
大型のホームセンターで買った安物の腕時計を見ると、
時刻は7時を過ぎたところだった。
「こんな早く行ってどうするんだよな」
いつもなら海未を起こす時間くらいだ。
何でかは知らんがいつもより早く目が覚めてしまったのだ。
今朝は調子もよく、久々にシャワーを浴びずに朝食を済ませた。
寝起き特有の身体のダルさというか、あれが無かったんだ。
そこまで考え、俺は1つの事に気づく。
「今朝は…寒くなかったな」
少し不思議に思いながらも目的地が見えたため、その考察は終了させる。
こんな時間だ、朝練の生徒くらいしかいないだろう。
そのためか学校は異様なほど静まり返っていた。
間違えて日曜日に登校してしまったかのような気分だ。
誰もいないであろう教室に行く気になれず、
校内をぶらぶらしようと歩き始め、俺の足は校舎裏の方へと吸い込まれてゆく。
特に目的も無く、散歩してるようなものだ。
朝練中の生徒と会うのも気まずいし、
無意識に人気の無い方へと向かったのかもしれない。
だが、そこには俺の予想に反し、1人の少女がいた。
小泉ツク、だ。
あの独特な癖っ毛と明るい髪色は見間違いようもない。
こんな早朝に何をしてるんだ?という疑問もあったが、
それよりも彼女が校舎の壁に寄り掛かったまま俯いてるのが気になった。
小泉ツクはイジメを受けている。
その事実が俺の心をざわつかせる。
自然と足取りも早くなり、俺は彼女の元へと急いだ。
彼女の横にはスクールバッグがあり、
隙間から1冊のノートが顔を覗かせている。
ノートは開かれており、その隅には【2+1+°=+】と書かれている。
その意味が理解出来ず一瞬考えたが、今は小泉に声をかける事を優先した。
「おい、小泉」
俺の呼びかけに反応はなく、彼女は俯いたままだ。
しゃがみ込み、彼女の肩を揺すろうと手を伸ばすが…、
先日の痛がり方を思い出し、その手を止めてしまう。
「おい、小泉、どうした?」
再び声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げる。
「ん……ふぇ…?」
口の端からよだれを垂らし、目ヤニのすごい目は半開きだ。
彼女は寝起き丸出しの見事なまでに不細工な顔で俺を見ていた。
まだ意識がハッキリとしないのだろう、自身の醜態にまだ気づいていない。
「おはよう」
「は…?なんで先輩がいるんですか?」
「お前こそなんでこんな場所で寝てるんだよ」
俺は質問に質問で返し、彼女の答えを待つ。
徐々に状況を理解したらしい小泉は慌ててよだれを拭き、
制服の袖で目をごしごしと擦り、髪をいじりだした。
「ちょっと居眠りしてただけですよぉ~」
「へぇ…こんな早朝に校舎裏で、か?」
「そ、そうですよ…何か悪いんですか?」
痛いとこを突かれたのか、小泉は吃りながらも開き直る。
「そりゃちょっと無理があるんじゃないかね、小泉君」
「……ですよね~、ははは」
眉を八の字にし、頬を掻きながら小泉ははにかむ。
「先輩には敵わないなぁ…」
両膝を抱え、体育座り状態の彼女は前後に身体を揺らしながら目を閉じる。
「で、お前なんでこんなとこで寝てたんだよ」
「べ、別にいいじゃないですか、プライバシーってやつですよぉ」
「そ…っか、すまん、しつこかったな」
何となく小泉は聞いてほしくないんだろうと察し、
俺は素直に引く事にした。
「え、急に謝られると逆に私が困るんですけど、やめてくださいウザいです」
最近、コイツ素が出始めてるよな。
それは喜ばしい事なんだろうが、なかなかの黒さだ。
「っていうかぁ、先輩なんでこんな時間にいるんですか~」
一瞬でいつもの甘ったるい媚び全開に戻った小泉は聞いてくる。
「ん、今朝は暇でな、何となく早く来ちゃったんだよ」
「ふーん」
自分で聞いておいてすっげぇ興味無さそうだな!おい!
「暇だったから散歩してたらお前を見つけてな」
「ふーん」
少しはキャッチボールしましょう?小泉さん。
「にしても、寝起きのお前ブッサイクなのな」
「は?先輩でもぶっ飛ばしますよ」
聞いてるんじゃん…そこだけは反応するのね。
ってか、女の子がぶっ飛ばすとか言うんじゃありません。
それとその顔やめて、マジで殴られそうで怖いから。
「冗談だよ、冗談」
「ならいいですけど」
全然よくなさそうな小泉はプイッと横を向いてしまった。
そして、さり気なく手鏡を取り出し自分の顔を確認していた。
そのまま前髪をいじりだし、しばらくその光景を黙って見ていた。
「痛っ」
「ん?どうした?」
髪をいじっていた小泉が突然痛がり俺は少し驚いた。
指に髪が絡まったのか?と思ったが、俺の予想は今日は尽くハズレるらしい。
「い、いえ、別に…」
明らかに声のトーンといい、雰囲気が変わったのが分かった。
その変化が気になり、俺は小泉の正面へと移動し、
彼女の顔を両手で掴み、じっと見つめる。
「やめてくださいよ~、強引なのは好きじゃないんですよぉ~」
必死に抵抗しているが、大した力じゃない。
さっきいじっていたのは前髪の上辺りか…?
俺が彼女の前髪に手をかけ、その額をさらけ出す。
「おい、小泉」
「………はい」
「なんだ、これは」
「…………」
「なんだ、と聞いてる」
「…………どこかで打っただけですよ」
「違うだろう?」
そう、違う、これは打った痕なんかじゃない。
「…………」
これはまるで……髪を引っ張られ、無理矢理抜かれたような痕だ。
それもかなりの量を、だ。
「イジメ、か?」
「違いますよ」
あれ?おかしいな、今の違いますは嘘と思えない。
じゃあ何でこんな傷が出来てるんだ?
「これ…髪を引っ張られたのか?」
「もういいじゃないですか、いい加減離してくれませんか」
「頼む、小泉…教えてくれ」
「…………」
弱々しい力で俺の手を払った小泉は、
縮こまるように顔を両膝に埋めてしまった。
これ以上踏み込んではマズいか、そう思った時だった。
彼女の隣にあるスクールバッグが倒れ、
中に入っていた開かれたノートが飛び出す。
そこには【2+1+°=+】以外にも【awdlay】と隅に書かれていた。
なんだ?オードリー?じゃないな、読めんな。
俺はその謎の言葉が気になり、ノートを手に取る。
なんだろうな、これは。
ん?待てよ…これってもしかして…。
手に持つノートを上下逆さまに持ち直し、俺の予想はこの日初めて当たった。
読みにくいがそこには【たすけて】と【helpme】と書かれていた。
彼女はこれをどんな思いで書いたのだろうか…。
わざわざ読みにくいように、気づかれないように、
でも気づいてほしくて書いてしまったのだろうか。
そう考えるだけで俺の胸にはギュッと痛みが走る。
「なぁ、小泉、俺を頼ってもいいんだぞ…?」
「…なんでですか、なんで先輩はいつもそうやって私を構うんですか」
顔を埋めたままのくぐもった声で言う。
俺は一瞬考えたが…。
「……バカなんですか、あんな面倒事ばかり押し付けられて、
嫌な顔一つしないで、私の本性も知ってて、なんで構うんですか」
答えは単純明快だった。
「もしかして付き合えるかもとか思ってるんですか?
ヤレればいいとか考えてるんですか?
期待してたならごめんなさい、私そんな人間じゃないんで。
先輩みたいなの相手にする訳ないじゃないですか、諦めてください」
彼女の言葉はいつも嘘ばかりだ。
だから俺は言うんだ、俺の本当の気持ちを。
「だいたい先輩は…っ!」
顔を上げた小泉の頬は涙で濡れていた。
「お前を助けたいだけだよ」
これが俺の本心だ。
「先輩は……」
「俺はお前を助けたい、そこに一切の下心が無いと言えば嘘だ。
俺はお前に喜んでほしい、本当の意味で笑ってほしい、
それを望んでいないなんて言わない、それは俺の下心だ」
「…………」
「な、小泉。
俺じゃ力不足かもしれないけどさ、頼ってみろよ。
俺は全力でお前を助けるぞ、それこそ下心全開でな!」
「バカなんですか」
「おう!」
「そこ、胸張って言うのおかしいですから」
小泉は止まらない涙を拭いながら笑う。
そんな彼女が愛おしいとさえ思った。
それは恋愛感情ではない、純粋に彼女を守りたいと思った。
1人の人間として、1人の友人として、力になりたかった。
そして、俺はついに小泉ツクという女の子の真実を、闇を知った。
彼女はイジメについては本当に苦しんではいなかった。
確かに嫌な事ではあるのだが、
そんな事がどうでもよくなるほどの闇を彼女は抱えていたのだ。
彼女の闇……それは家庭の事情にある。
両親は小泉が中学に上がった頃に離婚し、母親に引き取られたらしい。
それからしばらく母と弟と暮らしていたらしいが、
ある日、母が男を連れてきたらしい。
その男と母はすぐに結婚し、男と一緒に4人で暮らす事となった。
それはまだ良かったのだ。
新しい父親はとても優しく、気遣いもしっかり出来ていた。
本当に父親と思えるくらいに仲良くなっていったそうだ。
離婚した本当の父親は酒癖が悪く、女癖も悪かった。
母はいつも泣いていて、小泉や弟は怯えて暮らしていたらしい。
それが、新しい父親になってからは嘘のように幸せだったらしい。
本当の幸せを彼女は中学時代に感じていたのだ。
そんな幸せな家族が何故壊れてしまったのか…。
理由は小泉にも判らないらしい。
ただ、"去年の国生み祭の日に父親が激変した"と彼女は言った。
激変…俺には想像出来ないが、人間がそんな急に変わるものなのか?
積み上げられてきた性格というものは早々変わるとは思えないのだが…。
だが、彼女は言った。
あの人はまるで別人のようになってしまった、と。
小泉の新しい父親、名前は俊夫さんと言うらしい。
去年の国生み祭があった日の深夜に俊夫さんは急に叫び出し、
母を、小泉を、弟を殴ったらしい。
だが、それは一瞬で収まり、俊夫さんは泣いて謝ったんだそうだ。
それからもたまに俊夫さんが暴れる事があり、
その頻度は徐々に加速していて、最近では連日になっているらしい。
「…本当に怖くて、怖くて…」
彼女の小さい肩は震えていた。
俺は手を伸ばすが、触れた時の痛がりようを思い出し、手を止める。
そうか、あれは俊夫さんにやられて痛めてたんだな…。
「…でも、耐えられてたんですよ。
お父さんは普段は優しいし、心の病気なんだって自分に言い聞かせて、
お母さんも弟も我慢してきたんですよ、一緒に頑張ろうって」
そこまで言い、小泉は少し黙った。
はぁ…、とため息を洩らし、彼女は制服のスカートをたくし上げてゆく。
露わになった太股は白く、何とも言えぬ魅力があった…が、
そこに似つかわしくないアザがあった。
手形、だ。
サイズ的に大人の男だろうか。
そして、俺は気づいた…。
「それ…」
「はい、お父さんの手です」
「でもそこって…」
「大丈夫ですよ、犯されてはいません」
「"犯されては"って、何をされたんだ」
「…寸前まではされました」
「……それで昨夜は逃げてきた、って事か」
「…はい」
小泉は父親から逃げるため、母や弟を助けるため、金を貯めていたらしい。
それは沢山の男達からの貢ぎ物を売ったり、
バイトを掛け持ちして稼いだり、必死に貯めていたそうだ。
父親はああなってしまってから仕事を辞め、
治療に専念していたらしい。
そのため、母のパートで稼いだお金は生活費に消え、
皆を助けるには自分がなんとかするしかないと考えたらしい。
そこで始めたのが男達を手玉に取り、貢がせる事だ。
褒められた事じゃないが、生きるためならば俺には責めれなかった。
だが、それでは到底足りず、バイトを増やし、
身体的にはかなり無茶をして稼いでいたようだ。
そこに来て学校でのイジメだ。
異性に媚びを売る奴を嫌う同性は多い。
格好の標的となってしまった彼女は、
疲れ切った身体に精神的な苦痛も追加された訳だ。
学校だけが彼女の心休まる場だったろうに…。
「なぁ、小泉」
「はい?」
「そう言えば、昨夜はお前は逃げてきたのは分かったんだが」
「はい」
「弟とお母さんはどうしたんだ?」
「…判りません」
「は?」
「犯されそうになって、怖くて逃げましたから…」
「もしもだ、まだ親父さんが暴れてたらヤバいんじゃないのか?」
「…っ!」
小泉の目は大きく開かれ、ワナワナと震え出す。
俺は立ち上がり、手を差し出した。
「立て、お前ん家行くぞ」
「え?」
「案内しろ、俺はお前の家を知らねぇからな」
「いや、流石にそこまでは…」
そう言う小泉の手を無理矢理掴み、ぐいっと引っ張り上げる。
「ちょ、痛いですってば」
「悪いな、でも時間が無いんだ、早く案内しろ」
「でも今更行っても遅いかもですし…」
「バカかお前、だから急ぐんだろ」
俺は小泉の尻を叩く。
「走れ!小泉!」
「ちょ…もう、お尻触った事は後で怒りますからねっ!」
「そこなの?!」
俺達は全力で走った、小泉ツクの家へと…。




