第2話 飴
ナラビカミ【序章:飴】
眠そうな目をこすりながら少女は目を覚ます。
何故自分が保健室に寝ているのかすら分からず、
何故目の前に俺がいるのかも分からずに目を覚ます。
「空ちゃん…?」
「起きたか、大丈夫か?」
「え?…うん、ちょっと寒いけど」
海未はぶるっと身震いをして毛布に包まる。
そして、ゴロンっと寝転がり、二度寝の体勢へと入った。
「待て」
海未の顔を両手で挟み込み、むにむにと変形させる。
やはり彼女の顔は、体温は恐ろしく低い…。
「あわぁ、な~に~す~る~の~」
むにむにとされるがままの海未が抵抗と呼ぶには弱々しい抵抗をするが、
そんな抵抗では俺に通じる訳がない。
口では言わないが、俺は彼女の顔を揉みながら温めようとしていた。
「しれっと二度寝に入るな」
「だってぇ~」
「だってじゃありません」
そう言いながらも俺は手を休めない。
俺は知ってるからだ、この寒さを…。
海未が起きるまでの間、養護教諭の速見先生と話をした。
彼女は授業中にいきなり頭を机に打ちつけ、そのまま寝ていたようだ。
それだけでも異常事態だが、体温が急速に低下していったらしい。
それに慌てた担任の教師が保健室まで担ぎ込んだという訳だ。
海未の状態を見た速見先生は真っ先に俺の話を思い出したらしい。
異常な低体温、まるで死人のような冷たさにまでなるそれは、
普通の人からしたら恐怖でしかないだろう。
だが、速見先生は違っていた。
俺のカルテを見た事ある速見先生は、この特異体質について調べていた。
そして、海未の体温が俺と同じように下がっていくのを見て、
これはもしや同じ症状なのでは?と思ったのだ。
そこで俺が呼ばれたのである。
同じ特異体質の彼なら何か対処法を知っているのではないか、
そう考えて俺を連れてきたらしい。
しかし、俺自身は自分が寝ている時など知るはずもない。
対処法など聞かれても答えられるはずがないのだ。
「なぁ、海未」
「な~に~?」
むにむにする手を休めぬまま、俺は聞く。
「お前、寝起きはいつもこうなのか?」
「?…どういう意味?」
海未の顔から手を離し、彼女の腕を掴む。
「ほら、これだよ…いつもこんなに体温が下がるのか?」
「あれ?なんでこんなに冷たいんだろう?」
聞きたいのはこっちなんだが…。
「じゃあ、いつもは違うんだな?」
「うん、今朝も普通だったよ?」
「そっか…」
今朝を思い返してみる…確かに海未はいつも通りだった。
強いて言うと、いつもより寝癖が凄かったくらいか。
「寝癖…」
「またその話?もうっ!」
海未が頬を膨らましてぷいっと横を向く。
その仕草が見た目も相まってひどく幼く見えた。
「先生、ちょっと聞いていいですか」
俺は先程感じた違和感の答えを得るため、速見先生に声をかける。
「なんだね、尾野空くん」
先生は机に寄り掛かりながら腕組をして言う。
「寝癖って寝汗が原因で出来るんですよね?」
「それは少し違うな、正確には水素結合によるものだよ」
水素結合…水分が乾く時に固まるっていうあれか。
「という事は髪が濡れてる状態で寝たら寝癖は出来るって事ですか?」
「そうなるね、もちろん寝汗で出来る事も考えられるがね」
なるほど、となれば本人に聞くしかないか。
海未の方を見るとまだフグのように頬を膨らませたままの彼女がいた。
「海未、いつまで怒ってるんだよ」
「空ちゃんなんて知らない」
こうなった海未はなかなかに厄介だ。
「ごめんって」
俺は謝りながら右手をポケットに突っ込み、
奥から1つの重要アイテムを取り出す。
「これやるから勘弁してくれ」
そう言い、海未に手渡したのは飴だ。
だが、これがただの飴と思ってはいけないぞ?
無理矢理握らされた飴をチラっと横目で見た海未の目が大きく開かれる。
「空ちゃん!?これっ!」
そう、この飴は特別なのだ。
まさにレア中のレアなのである。
「お味噌汁味!!すごい!」
な、レアだろ?……普通は食べたいとは思えないけどな。
こんな事もあろうかと、わざわざ用意しておいたのだ。
「いいの?」
「おう、だから許してくれ」
「うんっ!」
海未のなんと単純な事か…。
こいつは変わった味の飴が大好物なのだ。
そのため、俺は変わった味の飴を見つけると買い置きしておく癖がついている。
ちなみに、この飴は実は美味い。
白味噌のまろやかさ、大豆本来の甘み、そして酒精の風味もある。
味噌という強烈なパンチが和らぎ、見事に調和しているのだ。
見かけたら是非手に取ってもらいたい一品だ。
「なぁ、海未」
「な~に~♪」
満足そうに新感覚の飴を頬張る彼女に俺は聞く。
「お前、昨日の夜はちゃんと髪乾かして寝たか?」
「ん~…うん、昨日は早めにお風呂入ったから、ちゃんと乾いてたはずだよ」
「そっか、じゃあやっぱり…」
これで答えは出た。
海未は今日、さっき、例の低体温が初めて発症したのだ。
この症状が出てから俺は必ず寝起きは低体温になっている。
だから、海未はさっきなった事になる。
俺が速見先生の方へと顔を向けると、彼女は黙って1度頷いた。
どうやら俺と同じ答えに辿り着いたようだ。
再び海未の腕を掴むと、すでに体温は戻って来ており、
その急速な体温の変化もまた俺と同じものだった。
・・・・・
・・・
・
別状は無いとは言え、大事をとって海未は早退させる事となった。
速水先生が自宅まで送ってくれると言うので俺は教室に戻り、
退屈な午後の授業を終え、急ぎ足で下校しようとしていた。
「ちょっとちょっと、尾野君~!」
「なんですか?」
俺を呼び止めた彼女の名は【雨城 美嘉】。
1つ上の先輩に当たる放送部の女性だ。
休み時間などに流れる彼女の放送は人気が高く、
流す曲のチョイスも悪くない優秀な放送部員だ。
だが、俺が彼女に呼び止められる理由が思い当たらず首を傾げる。
「君、確か大多良さんのお隣よね?」
「えぇ、そうですけど」
「良かった、彼女の家まで案内してくれない?」
「……」
明らかに嫌そうな顔をしてみた。
理由はないぞ?出来心だ。
「そんな嫌そうな顔しないでよ…ちょっと傷つくじゃない」
「すみません。それで、何故海未の家に?」
「あぁ、そこから説明しなきゃね、ごめんなさい」
雨城先輩はまるで舞うような仕草をしてから俺にウインクをしてみせる。
なんだ?俺を誘ってるのか?
「…ちょっと、何か反応しなさいよ、恥ずかしいじゃない」
「そう言われましても…」
この人は何がしたいんだ?
そう思っていたら彼女が答えてくれた。
「私は去年の舞姫だったのよ、だから今年は大多良さんに教えてるの」
「なるほど」
雨城先輩の奇怪な行動に合点がいった。
さっきの舞は自分が舞姫だったというアピールだったのか。
「でも海未は早退したんですよ?今日くらい休んでも…」
「今日中に衣装の採寸をしないといけないのよ
私が忘れてたのが悪いのだけど、今日計らないと本番に間に合わないの」
「なるほど、理解しました」
「ありがと、助かるわ」
「それじゃ俺はこれで」
『はぁっ!?』
思ったよりデカい声だった。
何となくこの人を見ているとからかいたくなってしまう衝動に駆られる。
「今のは連れてく流れでしょ?馬鹿なの?」
「つい」
「ついってなによ!」
うむ、俺の勘が告げている、彼女をからかうと面白い。
「じゃあ行きましょうか」
「最初からそう言ってほしかったな」
彼女は大きなため息をついて肩をすくめる。
こうして雨城先輩を連れて俺は自宅の隣である海未の家へと向かった。
・・・・・
・・・
・
『おーい、起きてるかー?』
家の前まで来た俺はいつも通り大声で海未を呼ぶ。
少しすると窓が開き、パジャマ姿の海未が顔を出す。
関心関心、ちゃんと寝ていたようだな。
「どうしたの~?」
「お前にお客さんだ」
そう言って横に立っている雨城先輩を指差す。
「あ、美嘉さんだ」
「元気~?大多良ちゃん」
「元気ですよ~」
海未が袖を捲り、まるで力こぶを作っているかのようなポーズをする。
1ミリも膨らんだ様子は無いがな…いや、1ミリくらいは変動したかもしれん。
人間的にその程度は筋力が無いと生きていけないだろうしな。
「上がっていい?」
「どうぞどうぞ、今行きますね~」
そう言い、海未は室内へと消えてゆく。
残された俺達は海未が降りてくるのをただ待つしか出来なかった。
しばらくして玄関から海未が顔を出し、もじもじとしている。
「どうした?」
「空ちゃんも来るの?」
「え?あ、どう…します?」
俺は横にいる雨城先輩の顔を見る。
彼女は大きなため息を洩らし、首を横に振った。
「採寸するのよ?」
「ですよね」
「分かったら、Go Home」
俺はボロ家へと向かい、雨城先輩は海未の家へと消えて行く。
夕焼けが空を赤く染め始めていた。
翌日、俺達の日常は突然崩れ落ちた。