第3話【つれづれに・・・】
彼のご両親とは都内の有名なホテルでお会いした。
お昼のコース料理を頂きながらだったが、私は生まれて初めてというくらい緊張して、せっかくのお食事の味なんてわからない状態だった。
ご両親から、何かを問われれば「はい」とか「いいえ」を笑顔で答えるのが精一杯で、その「はい」や「いいえ」に何かを付け加えて話すことはできなかった。
彼のご両親は私にとって未知の世界の年齢の方々だった。簡単いうと私のまわりにはいらっしゃらない年齢の方々だったのだ。私の両親より15歳くらい上で、お祖母様よりはだいぶ下で。
未知の年齢の方だから話しができなかったと思ってきたが、今思えばあちらのご両親の視線が恐かったから話しができなかったのかも知れない。
話を聞いていても、彼と彼の両親にしかわからないような話をしているようにしか思えなかったし、割って入ったらそれこそ失礼になるのえはないかとも思え大変難しい時間であった。
時間がたつにつれて、場に慣れてくるどころか、彼のご両親の言葉も彼の言葉もだんだん私の耳には入らない状態になってきて、早くこの時間が終わらないかなって願うようにさえなってきた。
多分、こんな風に思い始めたからか、私の顔からも笑顔は消えていたかもしれない。
12時にお会いして3時間くらいご一緒の時間をすごし、彼の運転でご両親を都内の彼のお兄様のご家族のところまでお送りした。
彼が両親を連れてお兄様のマンションに入っていったが、なぜか、私は車で待っているよう言われた。
結構長い時間またされたような気がして、だんだん心細くなっていった。
彼が車に戻ってきた。
私の様子も見ることなく、黙って車を運転し出す彼だったが「家まで送るから・・」と一言だけ言った。
なんか、怒ってる?私、何か悪いことしたかしら?
ちょっとドキドキして、一人うつむいて助手席で大人しくしていた。
しばらくして彼がウインカーを出して車を路肩に止めた。
そして私に向かって
「なんで、何も話をしないんだよ。せっかく君に会うのを楽しみに両親が来てくれたのに。なんで君は話をしないんだ?両親が気に入らなかったか?・・すごいがっかりしたよ。いつものように何で明るく話しができなかったんだよ。」
彼は怒りをハンドルにぶつけるように手を拳にしてたたいていた。
頭に石が落ちた。
本当に石が落ちたようだった。
この言葉って本当にこういう経験をした人しかわからないだろうけど、本当に石がおちてくるのだ。
確かに、彼のご両親と楽しくお話ができなかったのは私なのだから怒られても仕方ないのだけど、ご両親はお兄様の所で彼に「あの子はあなたには相応しくないわ・・」と言われたらしい。
それを聞かされ私はさらに落ち込んだ。
彼への恥ずかしさもあって、すぐに車から降りたかったが、自分が今どこにいるのかもわからないく、じっと助手席に身を縮めて座っていた。涙がぽつり・・ぽつり・・と落ちていく。運転してる彼に気づかれないようにと外を見てるふりをする。
いつもはメソメソしたら慰めてくれる彼が、その時は全く慰めてくれるこなく、「泣きたいのはこっちだよ・・」とさらに私を突き落とした。
着物の小紋の柄の上にぽたぽたと涙が落ちて、それがしみとなるように柄の色合いを微妙に変えた。
早く帰りたかった。
自分の家に、そして自分の両親のところに。
その時は、彼の腕の中に安心できる場所はなく、ひたすら自分を守ってくれるであろう両親のところに帰りたかった。
いつもなら家まで送ってくれる彼が、今日はここから一人で帰って・・となんていう駅か分からないが駅でおろした。
「ありがとう。あと・・・今日はごめんなさい。」
彼の車はそのままお兄さんの家へと引き返して行ったようだった。
私は一気に抜け殻の状態になってしまってしばらくはその場にたたずんだままだった。
それからも彼とは何回かデートをした。
でも、前とは違い、二人の間になんか雲がただよっているような感じでのデートだった。それでも私は彼の事が好きで好きでたまらなかった。
いっそ彼の前で死んでしまったら彼は私の亡骸を抱きしめて泣いてくれるだろうか?それとも関わりたくないと川がどこかに捨てるだろうか?
それとも殺して・・って言ったらどうするだろうか?デートの最中にそんなことを考えることもあった。
彼の気持ちが自分から離れて行ってるように思えたから、それを繋ぎ止めようと思って、こんなことを考えていたのかも知れない。
彼もご両親との間でさぞやつらかったことだろうと、今では察することもできるが当時は自分の気持ちをもてあましていてそれどころではなかった。
そんなある日、雨の降る中彼と都内で食事をしてその後、彼の車でいつもの通り私の家に向かって新青梅街道を走っていた。
目の前に大きな交差点があった。
だいぶ先で信号は赤に変わった。
しかし、彼はブレーキをすることなくその交差点に飛び込んで行った。
「止まって!!!!赤!!」と大きな声で怒鳴ってしまった。
彼は急ブレーキを踏みながら私のお腹あたりを押さえて、私が頭からフロントガラスにつっこみそうになるのを必死に止めてくれた。
間一髪で車は事故を免れた。
恐かった・・・。
いったいどうしたんだろう・・と彼を見た。
彼も顔面蒼白だった。
「俺・・君に話しておかなくちゃいけないことがあるんだ・・・」彼が静かに言った。
時間は既に夜の10時を過ぎていたが、とても大事な話であることはわかったので、私はうなずいた。彼は車を静かな場所に止めてハンドルを抱くようにして話し始めた。
「赤とか緑とか色がわからないんだ・・・」
え?何を言ってるの?
「わかるか?俺の見えてる世界には色がないんだよ・・・」と。
今思えば、なぜ彼が運転免許がとれたのかわからないが、頭のよい彼のこと・・・多分問題なかったのだろう。
私は彼が言っていることが分かっていたが、真実だとは受け取り難いものがあった。
だからすごくばからしい質問をした。
「・・この大きな木・・あなたにはどう見えるの?」
彼はふっと寂しそうな笑顔をみせながら
「君にどう見えてるかわからないから俺には答えようがないよ・・・。でも、この葉っぱの部分と幹の部分と同じに見える・・っていうとわかるかな?」
私は頷きながらも実際には想像ができなかった。
幹と葉っぱが同じ色?
彼は続けた。
「俺の両親長崎で被爆してるんだ。多分そのせいではないかと言われてる。だから、両親はこんな俺を育てるのに必死だったよ。特に母親なんて・・クレヨンを出して、これは緑というの・・あなたにはどんな風に見えてるのかわからないけど、これは緑っていうの、わかった・・覚えなさい。これは草の色・・・木の葉っぱの色・・・そして・・・って教えてくれた。」
しばらく沈黙してた。
外の雨はだんだん強くなっていって窓を音をたててたたいていた。
でも二人の気持ちは、というか私の気持ちはその雨の音がだんだんしずめてくれた。
「俺のこと・・俺と一緒にいるとこういうこともある・・・今信号があったことがわからなかった。多分商店街の電気がいっぱいあったから信号を見落としたんだと思う。普段は信号の順番でわかってるだ・・・。恐い思いをさせたね・・。ごめん。」
「ううん・・・大丈夫。」
彼は黙って私を抱きしめて、おでこにkissをしながら「君が無事でよかった・・・」と聞こえるかどうかくらいの声でつぶやいた。
その言葉に彼に私への愛が残っていることがわかりすごくほっとして彼の胸の鼓動をじっと聞いていた。