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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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十二.シリアル

 あれから三日ほど経った。毎日朝ごはんを食べて、叔母さんが部屋にこもるのを見届けて、ふらふら出かけて、キューちゃんの釣りに付き合って、お昼ご飯をおばあちゃんにいただいたりいただかなかったり、午後は午後でまた釣りに行ったり部屋で宿題をしたり、本当に穏やかな日々だった。定年を迎えた老人が田舎の方に移り住んで隠居生活する話をよく聞くけれど、それも無理はない。この暮らしは穏やかで、ゆったりとしていて、ぴんと張りつめていたゴムがふにゃふにゃと緩むような、そんな落ち着きがある。とがった鉛筆がどんどん使われて、間抜けに丸みを帯びるような、そんな安心感がある。母さんの電話の時にちくちくとささくれて触れもしなかった心も落ち着きを取り戻し、つるん、と丸くなっていた。

「このままではいかん!」

 だけど叔母さんはそうではなかったらしい。六日目の朝ごはんの席でどかんと机をたたき、椅子を蹴って立ち上がった。牛乳に浸されたシリアルがチャプンと揺れた。

「びっくりしたァ。いかんって、何がいけないのよォ」

 コチョウさんは頬をぷくーっと膨らませ、手元のシリアルをぐちゃぐちゃとかき混ぜた。今朝はココアやインスタントコーヒー、ミックスベリーにバニラアイスまで入れていて、意外においしそうだ。

「考えてもみたまえ。我々はこの数日、この家の中でしか互いの顔を見ていない」

「お仕事忙しいですもんね」

「おうとも!売れっ子はつらいぜ畜生!しかしせっかく三人集っているのだから、三人で何か思い出に残ることをすべきなのではないだろうか!」

「とか言っておきながら、ホントは自分が外に行きたいだけだったりしてェ」

「それな!デスクワークつらい!たまには娑婆の空気が吸いたいんだあ!」

 叔母さんはとうとう机に突っ伏しておいおいと泣き始めた。多分大げさに泣き真似をしているのだろうけれど、本当につらそうであることは、パジャマの襟からちらりと見えた湿布薬で察せられた。このままではノイローゼになりかねない。

「あ、あの、この辺に映画館ってあります?」

 ちょっとした思い付きでそう言えば、叔母さんはガバッとこちらに身を乗り出した。取って食われそうな勢いだ。

「ある!あるよ!車の距離だけど!」

「その……気になってたアクション映画が、確か先月公開されまして」

「ワーォ!アタシたちアクション大好き!アメコミ系?」

「はい、怪盗を生業としているヒロインが世界存続の危機に直面するっていう……」

「いいねいいねぇ!女の子がかっこいい映画は大好きだよ」

「ラブロマンスはあるのかなァ、イケメン俳優見たい!」

「ポップコーン!ポップコーンを買おう!」

「ジンジャーエールとホットドッグ!ハンバーガーでもステキ!」

「ヒュー!アガるねえ!早速出かけよう、そうしよう!」

 狂喜乱舞する大人二人。なんだこの人たち、女子校生か。やっぱり子供のようなところがあって掴めない。大人の癖に。いや、大人だからだろうか。

 ぼんやりしているうちに着々と話は進んだようで、叔母さんはパンパンと手を叩いて着席した。

「それでは本日十時――あと二時間だね――この家を出発しよう。楽しくなるぞ、きっと!」

「りょうかーい!ナッちゃん、よかったらこれ代わりに食べといて。アタシ着替えてくる!」

 コチョウさんは茶色いボウルを押し付けて、どたどたと奥の部屋に走って行ってしまった。女の支度は時間がかかるというけれど、コチョウさんの場合二時間でもギリギリらしい。渡されたシリアルをなんとなく一口食べてみて、ジャリ、という砂糖の感触に顔をしかめた。あの人の味覚はどうなっているのだろう。

「ナッちゃん、それはこっちで片付けておくから。準備がいるのなら早くおし」

「そんなにかからないですよ。でもありがとうございます」

 コチョウさんのものを叔母さんのほうに押し出して、急いで自分のシリアルをかきこむ。牛乳だけのシンプルなそれが天からの恵みのようにありがたく思えた。やっぱりごてごてと物をつっこむのは好みではない。それは叔母さんも同じようで、コチョウさんの分を一口食べるとすぐに流しに持って行った。ごめんねえ、本当にごめんねえ、と謝っているのが叔母さんらしかった。

 部屋に戻り、ほぼローテーション化している服のラインナップを並べる。今日はアメコミ映画を見るのだからそれっぽいものが着たい。けれど自分の服のほとんどは黒字に白の英字が印刷されたTシャツばかりで、アメリカらしいものといえば丈の長いデニムのジーンズくらいだった。つくづく彩りが無い。シャツを一つ一つ手に取って考えに考えた挙句、かろうじて「Coke」の単語を見つけられたものを着ることにした。

「ねーェ、どっちがいいと思うゥ?」

 キッチンに戻るとコチョウさんが、二枚の服を持ってそわそわしているのに出くわした。一枚は袖なしの白いブラウスにデニムのパンツ。もう一枚は細かい水玉でホルターネックのワンピース。どちらか決めないとお化粧もできないのか、今は珍しくスッピンだった。なんとなくキューちゃんに似ている。

「うーん……ブラウスかな。ナッちゃんともセットな感じがする」

「え、ナッちゃんと?……ああ確かに!じゃあブラウスにするゥ」

 コチョウさんはスキップしながら奥の部屋に戻った。もうあのシリアルのことは忘れているようだ。叔母さんはというと、いつの間に着替えたのか、グレーのポロシャツに色の濃いジーンズを合わせていて、さらにセット感を強める格好をしていた。

「やっぱりアメリカっていったらジーンズだわな。今日はデニム三兄弟ってことで」

 そう言ってぱちん、とウインクする叔母さんは、アメリカのホームドラマに出てきそうな雰囲気をまとっていた。シンボルや言葉が無くてもそれらしい恰好ができるのだから、顔のいい大人はずるい。やっぱり身長が欲しいや、とキューちゃんをこっそり妬んだ。



コチョウのポイズンクッキングはその場で考えてます。

作者としては糖尿病が心配。


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