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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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22/71

帰還

 ひと月に及んだニダベリル潜入から戻ったフリージアを一番熱烈に迎えてくれたのは、サーガだった。


「やっと、帰ってきてくれたのね?」


 フリージアが謁見室に入るなり、王妃はその空色の瞳を輝かせて立ち上がる。今にも駆け寄ってきそうだったが、さすがにそれは堪えたようだ。フリージアは両手を胸の前できつく組んで立ち尽くしている彼女にペコリと頭を下げた。


「ただ今戻りました。心配かけちゃって、すみません」

 顔を上げたフリージアに、続けて穏やかな声。


「怪我などはないのだな?」

「はい、王様。全然」

 そう言って笑ってみせると、フレイの顔がふっと緩む。

「なら、よい」


 ポツリと呟かれたその一言は、不思議なほどに深々と、フリージアの心の中に染み入った。短いのに、彼がどれほど彼女のことを案じていたのかが伝わってくる。


「バイダル、オルディン、ウル、そなたたちも無事だな? よくぞロウグ将軍を何事もなく連れ帰ってくれた」


 フレイの労いの言葉にバイダルとウルは一礼したが、オルディンは特に何も反応を見せずに泰然と立つだけだ。そんな彼の態度にも皆慣れたもので、今更咎める者もいない。


「何事もなくお帰りで、本当に、胸を撫で下ろしましたわ」


 ほくほくとした笑顔でビグヴィルがそう言い、取り敢えず一行の無事の確認が済むと、早速ミミルがフリージアたちの後ろにいる二人に目を留めた。


「で、行く前よりも人数が増えているようだが……?」


 彼のその鋭い眼差しは、フリージアの腕にしがみついている白い子どもと、オルディンの隣で何食わぬ顔で立っている黒い男とに交互に注がれている。


「あ、えぇっと、ニダベリルで会ったんだ。こっちはエルフィアのエイル、こっちはニダベリル軍の兵士だったロキスって言って――」

「ニダベリル軍?」


 思わずといった風情で声をあげたのは、ビグヴィルだ。目を丸くして、黒髪赤目の青年を凝視している。他の者の眼差しも、彼とそう大差はないものばかりだ。


「オルのことを気に入っちゃったんだってさ。付いてきて、途中で何度も帰るようには言ったんだけど離れないんだ」

「ちょっと待て、誤解を招くような言い方をするな」

 フリージアの台詞に、オルディンが眉間に皺を刻んで抗議する。

「ホントの事だし」

「こいつは俺と戦いたいだけだろ」

「でも、ぞっこんって感じだよ?」

「やめろ」

 澄ましたフリージアと渋面のオルディンとの掛け合いに割って入るのは、やはりミミルだ。


「エルフィアは構わないとして、動機はともかく、これから交戦するかもしれない国の兵士をすんなりといさせるわけにはまいりません。その男はしばらくはこちらで預かりましょう。それなりの尋問を経て、無害と判ればお返しします」

 淡々とした宰相の台詞に、フリージアはロキスを振り返った。


「しょうがないよね、ロキス」

「まあな」

「返すなよ」

 肩を竦めるロキスの隣でオルディンがぼそりと呟いたが、誰も気にも留めない。


「じゃ、オレはどこに行けばいいわけ?」

「こちらへ。では、王、私は席を外します故。いずれにせよ、ロウグ将軍は戻られたばかり、少し休息が必要でしょう。色々話し合うのはまた後日、ということでよろしいでしょうかな?」

 ミミルの提案に、フレイもゆるりと頷いた。

「そうだな。ロウグ将軍、今日は休みなさい」

「あ、はい。ありがとうございます」


 旅に慣れたフリージアには、この程度の馬上暮らしは別に大したことではなかったが、エイルの事は気になった。弱音を吐くことはなかったものの、彼女の腕に終始しがみ付きっ放しのエイルは、やっぱり、少し顔色が悪いように見える。


「じゃあ、今日は帰ります」

 そう言ってフリージアは一堂に頭を下げると、エイルに笑いかけた。

「エイル、あたしの家に行こう?」


 エイルは、コクリと頭を上下する。このエルフィアは、滅多に言葉を話さない。言語能力はあるし、決してそれは低くないようなのだが、エイルの口から言葉らしい言葉が出ることは、殆どなかった。それが話す相手がいなかった為か、それとも話すことを禁じられていた為かは、判らない。もしかしたらその両方なのかもしれないが。

 話せるのなら、いつかは話して、笑ってくれるようになるだろうと、フリージアは楽観的に構えていた。


「よし、オル、帰ろ! バイダルとウルもお疲れ様。あたしのわがままに付き合ってくれて、ありがとね」

「いいえ、僕の方こそ、助けていただいて、本当にありがとうございました」

「もう、それはいいから。ウルもゆっくり休んでね。じゃ、バイダルもまた明日!」

 二人にヒラヒラ手を振ると、フリージアはオルディンとエイルと共に家へと向かった。


   *


「お嬢様、お帰りなさいませ!」


 ロウグ家に着くと、真っ先にフリージアたちを出迎えてくれたのは家令のグンナだ。そしてその声を聞き付けて、侍女頭のフリンや他の使用人たちも飛び出してくる。


「ただいま、みんな。元気だった?」

「元気だった? じゃ、ありませんよ。もう、心配で心配で気が気じゃありませんでした」

「ごめんね、フリン。でも、ほら、全然何ともないから」

「まったく……ゲルダ様だって、こんな無茶なことは考えませんでしたよ?」

「あはは、ごめんって」


 ひとしきり文句を口にしていたフリンだったが、フリージアの後ろに目を留めて、おや、と眉を上げる。


「フリージア様……その子は?」

「あ、エイル? ニダベリルから連れてきた、エルフィアなんだ。しばらく家で預かるから」

「まあ……それは構いませんが、随分くたびれた感じですこと。フリージア様もオルディンも埃だらけですわ。お風呂を用意させますから、ゆっくり浸かってくださいな」

「ありがと。行こう、エイル、オル」


 言い置いて、フリージアはエイルの手を引いて自室へ向かう。道中、そう言えば、とエイルに振り返った。


「エイルってさ、男の子? 女の子? 可愛いから、どっちにも見えるんだよね」


 彼女の問いかけに、エイルは首をかしげている。自分でどちらなのか、判断できないのだろうか。容姿だけ見たら少女のようだが、薄い貫頭衣から見て取れる体型はやせぎすで、性別を判断する材料にならない。フリージアはオルディンを見上げて確認する。


「エルフィアにも性別ってあるんだよね?」

「ああ、ある筈だ」

「うぅん……どうしよう。取り敢えず、あたしと入ろうか?」

「おい、男だったらどうするんだよ?」

 眉を吊り上げたオルディンに、フリージアは肩を竦める。

「別に、いいじゃん。エイルはまだ子どもでしょ?」

「見てくれだけで、中身はお前よりも遥かに年食ってるさ。それくらいなら、俺が連れて入る」

「ええ? 女の子だったらどうすんのさ。エイルが可哀相だろ」

 ぞんざいなオルディンに、フリージアは口を尖らせる。そうして、再びエイルに視線を戻した。


「困ったな……お風呂、一人で入れる?」

 彼女の問いに、エイルは少し考える素振りを見せて、コクリと頷く。

「あ、そうなんだ。良かった」


 フリージアはホッと胸を撫で下ろした。きっと、言葉があまり出てこないというだけで、彼女が考えている以上に、エイルは自分で色々できるのだろう。


「色んなことは、おいおいね。取り敢えず、お風呂に入ってご飯を食べて、ゆっくり休もう」


 そう言って、フリージアはエイルに笑顔を向ける。十日間を間近で過ごして、エイルについていくつかは判ったことがある。その一つが、笑いかけると嬉しそうになる、ということだ。別に表情が変わるわけではないのだけれど、何となく、雰囲気が変わる。


「久しぶりのお風呂は気持ちいいよ、絶対」


 断言しながら、フリージアは手を伸ばしてエイルの頭を撫でる。いつもオルディンがフリージアに対してしているように、グシャグシャと髪を掻き回して。


 幼い頃から、フリージアはオルディンに慈しまれてきた。そんな言い方をすると彼は眉をしかめるかもしれないが、フリージアは、彼に大事にされていた自分を知っている。

 そして、また、幼い頃には母親のゲルダも、フリージアを愛おしんでくれたのだろう。顔も声も忘れてしまった相手だけれど、この屋敷に来て最初にゲルダの居室に通された時、ふわりと鼻孔をくすぐった香りが無性にフリージアの胸を締め付けた。それと共に湧き上がった、思慕の念。こんなふうな気持ちにさせる相手が、自分の事を何とも想っていなかったとは、フリージアには思えなかった。


 きっと、母は自分を愛していていた。


 根拠はないが、確かにそう思える。

 そうやって大事にされるということは――大事にされていると感じることは、そのまま彼女の強さになった。その強さ故に、フリージアは怯むことなく歩いていくことができるのだ。


 今、エイルは殻に閉じ込められている。それを割るのは、エイル自身にしかできない。けれど、その為の勇気を付ける手助けは、フリージアにもできる筈だと、彼女は思う。


「ジア、脚が止まってるぞ」


 オルディンの声で、フリージアは我に返る。見れば、エイルの視線も彼女にジッと据えられていた。


「ああ、何でもないよ。行こう」


 答えて、フリージアはもう一度エイルに笑いかけた。


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