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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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21/71

追憶

 ニダベリルの王宮、その謁見の間では、男が一人、玉座で頬杖をつく王の前でこうべを垂れていた。彼ら二人の他に、宰相ヴィトル・ディール、強硬派で知られるイアン・グイ将軍と穏健派のフィアル・ダウ将軍の姿がある。

 このニダベリルの中枢を担う四人の目は、全て一点――部下の失態を報告すべく昼夜徹して馬を飛ばし、つい先頃王宮に到着したばかりの、グイ大隊第二中隊第七歩兵小隊小隊長に注がれていた。


「で、つまるところ、我が国で最も重要な軍事拠点であるヘルドの付近をうろついていた不審人物を、追い詰めながらもまんまと逃げられた、というわけなのだな? 兵一名も失い?」


 静まり返った室内に、宰相ヴィトルの冷ややかな声が響く。そこに叱責する響きは含まれていない。だが、小隊長は、有棘の鞭で打たれたかのようにビクリと身体を震わせた。


「は……申し訳、ございません」


 せめて震えることのないようにと、懸命に抑えながらのその声に覆い被さるようにして、空気を震わせるイアンの怒号が響く。


「まったく、情けない! 我が軍の――我がグイ大隊でのこの不始末! 貴様らは何の為に国の飯をかっ食らって日夜訓練に励んでいるのだ?」

「誠に、将軍のお言葉通りでございます……」

「追従などいらぬ! それで、そ奴らの素性は知れたのか?」

「いえ、その、それが……」

「ええい! あれもならぬ、これもならぬで、では、何があるというのだ!」


 イアンの一喝に、雷の一撃に打たれたように、小隊長が蒼褪めた顔で身を竦ませる。取り成しに入ったのは、同じ将軍職にあるフィアルだ。穏やかな苦笑混じりで、彼は言う。


「まあ、グイ将軍。そのように頭ごなしでは、話せるものも話せなくなってしまいますぞ。小隊長、その者どもの外見はどうだったのだ?」

 微笑みさえも含んだ彼の問いかけに、小隊長は小さく息を吸うと答え出した。


「はい、賊は男と少女、少年の三名でした」

「三名? たった三名、それも子ども混じりの三名に、我がニダベリル軍の兵士五名が後れを取ったと?」

「は……」


 こめかみに青筋を立てたイアンの台詞に、小隊長は縮こまるばかりだ。フィアルは宥めるような微笑みをイアンに向けると、小隊長に重ねて問う。


「で、兵士が一名、戻ってこないのだな?」

「はい。他の四名は打撲のみで大した怪我もないのですが、その一名――ロキスという男だけが戻りません。賊の後を追っている、という可能性もないわけではないですが、それならば何らかの印を残していく筈です。そういった痕跡はまるでなく、恐らく、川に落ちたのではないかと……捜索させておりますが、私があちらを出立する時は、未だ見つかってはおりませんでした」

「その男の家族には、連絡をしたのか?」

 フィアルが目を曇らせて、確認する。そんな彼の気遣いに、小隊長は首を振った。


「ああ、いえ、彼は『転向者』なのです」

「そうか。では、腕はかなり立つ――立っていたのだろうな」

「はい、我が部隊でも一、二を争う腕前で」

「それは、惜しいことをしたな」

 心底そう思っている口調で、フィアルが呟いた。


 ニダベリルでは、征服した国の戦災孤児を連れ帰り、兵士として育て上げる。厳しい訓練を通り抜け、実際に兵士となれた者を、『転向者』と呼ぶのだ。彼らは常に最前線に送られ、必然的に、腕の立つ者だけが生き残っていく。


 多少態度に問題はあったが、ロキスはそんな『転向者』の中でも、特に目立つ働きをする男だった。

『転向者』は国の金で育てられるわけだから、ある意味国の財産でもある。それを失ったのは、彼につぎ込んだ金を失ったのも同然だった。


 小隊長は、最後にもう一つ、おずおずと付け加える。その事実で、少しは上の人々の腹の虫が治まってくれればいいのだが、と願いつつ。


「それと……彼らは『混ざりもの』を連れていたということです」

「『混ざりもの』?」

「はい、これは、ナイの村のものでした。あの村の医師が所有していたもので、翌日に確認しに行ったところ、確かに盗まれたと申しておりました」

「では、それを狙った、単なる盗人だというのか?」


 イアンの言葉に、小隊長が頷く。

「は。村人が申すには、どう見ても軍人や間者ではなかった、ただの旅人だと思った、とのことで」

「ふむ」

「男は黒髪黒目とこの国の者でもおかしくない色をしていましたが、他の二人は、少年は栗色の髪に灰緑色の目、少女に至っては炎のような赤毛に緑玉石りょくぎょくせきのような鮮やかな緑の目で、もしかしたら移民だったのかもしれない、とも――」

「赤毛?」


 突然、割って入った、声。


 皆、咄嗟には、それが誰のものなのか判らなかった。互いに顔を見合わせ、そして、その声の持ち主を悟る。


「今、赤毛と言ったか? 鮮やかな、炎のような?」

「お、王……はい、そうです。まだ十五、六の少女で、燃え盛る炎のような、と皆、口を揃えて申しておりました」


 アウストルは頬杖を止め、心持ち、身を乗り出している。


 将軍たちは常に泰然としている王のらしくない様に、怪訝な眼差しを彼に向けるしかない。その中で、ヴィダルだけが冷静な目でアウストルを見つめていた。


「王、どうかなされましたかな?」


 まるで空模様でも訊いているかのような宰相の声に、アウストルはゆっくりと瞬きを一つし、いつもの自若たる顔付きに戻るとゆったりと玉座にもたれかかる。


「いや……赤毛、な。ただの赤毛なら世に腐るほどおるだろうが、『炎のような』と称されるほどのものは、どうだろうな?」


 薄く笑みながらの王の言葉に、将軍たちはまだ訝しげな顔をしていたが、やがて、イアンがふと気づいたように声をあげた。


「もしや、王。かの国の――グランゲルドの女将軍のことを仰っておられるのでしょうか?」

 アウストルは答えない。だが、その目を見れば、彼の考えを察することができた。


「しかし……あれは、死んだと……」

「まあな、確かに死んでいる。グランゲルドに忍ばせている間者が言うには、国中が、それはそれは悲嘆にくれていたらしい」


 その訃報が届いたのは、ニダベリルが宣戦布告を行ってからひと月もしないうちだった。それは、かの国ではこの上ない悲報だったかもしれないが、この国ではまたとない朗報だったのだ。


「では……」

「だがな、果たして偶然だと思うか?」


 イアンの台詞に被せるように、アウストルが問いを投げかける。どこか興がる色をその深緑の目に浮かべて。


 イアンもフィアルも、十六年前の戦いのことを覚えている。

 あれは、このニダベリルが敗北を喫した、最初で、そして最後の戦いだった。娘と言ってもいいほどの年頃の少女に、彼らは翻弄され、唯一の負けを見たのだ。


 あの女将軍が夫を取ったという話は、ニダベリルには届いていない。つまり、彼女が子を産んだという情報もまた、無いのである。


「どうだろうな。彼女の後継者なのだとすれば――」

 言いかけて、アウストルはふと口を噤む。


「王?」


 ヴィトルが訝しむ――いや、何かを見透かそうとしているような色を浮かべて、主君を見つめる。


「ああ……何でもない。まあ、逃げた輩のことをいつまでもどうこう言っていても仕方あるまい。お前は持ち場に戻れ」

 言いながら小隊長に向けて手を振ったアウストルに、イアンが色めき立つ。


「王! このまま何も罰することなく帰されるのですか!」

「構わん。余計なことに時間をかけるよりも、さっさと帰して本来の仕事をさせた方がよほど実りがある」

「しかし――」

「俺は無駄なことは嫌いだ。そして、くどいのもな。お前たちも下がれ。とっとと兵どもをしごいてこい」

「……承知いたしました」


 まだ何か言いたそうではあったが、それ以上は口を閉ざし、一礼したイアンはフィアル、小隊長と共に謁見室を出て行った。


 後に残ったのは、アウストルとヴィトルの二人だけである。


 しばらくは、沈黙がその場を支配した。アウストルは己自身の奥深くに沈むようにして考え込んでおり、ヴィトルはそんな彼をジッと見つめている。


 短くはない時が過ぎた頃、動きのない主に見切りをつけたのか、それとも、充分に観察を済ませた為か、ヴィトルが口を開いた。


「貴方は、あの戦の時、夜になるとよく姿を消しておられましたな」

 彼はあの戦いに参謀として同行し、常に皇太子の傍近くにいた――夜の間以外は。


「何だ?」

「いえ……いずこに行っておられたのかと」

「勘繰るか?」


 十六年前、間近にいた皇太子と敵国の女将軍。

 そして現れた、緑の目を持つ少女。

 符号は、合う。


 薄く笑いながらのアウストルの問いに、ヴィトルはゆっくりと答える。


「さて。その答えをご存じなのは、ごく限られた方々のみでしょうからな」

 曖昧な台詞に、アウストルは苦笑する。


「お前は、くだんの三人のこと、どう思う?」

「我が国は他国からの流入が激しいですからな。髪や目の色だけでは、何とも」


 話題を変え、問いを返してきた王にヴィダルはわずかに目を細めたが、それ以上追及することなく頷いた。


「あの時、我が国のエルフィアの殆どがグランゲルドへと亡命してしまいましたからな。あれ以来、エルフィアの姿を見かけることはなく、『混ざりもの』も減りこそすれ、増やす手段がありませぬ。いずれ、絶え果てましょうぞ」


 ここ十年ほど、国内でエルフィアの姿は確認されていない。『混ざりもの』は何体か残っているが、あれらでは繁殖は望めないのだ。

 ヴィダルが肩を竦めて続けた。


「数がなければ一体一体の価値が上がるのは必定。裏の市場では、法外な値で取引されているとか。噂を聞きつけて盗みに来る――というのは、充分に有り得ることではありますな」


 だから、盗みが目的であったとしても、何の不思議もない。そういう含みがある台詞だったが、彼のその目を見ていると、ヴィダル自身がそう信じているとは思えなかった。


 アウストルは、嗤う。

「やはり、あの国には早いところ返すものを返してもらわねばならんな」

「は。十六年前にはかの将軍に後れを取りましたが、今の我が国はあの頃とは違います。必ずや、勝利を手に入れましょうぞ」

「当然だ」


 傲然と言い放ち、アウストルは重く頷く。


 ニダベリルは勝つ。


 それは、驕りではなかった。『勝ちたい』と希望でも、『勝とう』という励ましでもない。この国は常に勝ち続けなければならないのだ。


 比類なき強さを持つニダベリル。その強さが民を支えている。

 何者にも負けぬ、他国を容赦なく屈服させていく強さを誇る国の民なのだという矜持が、この国の要だった。それがあるからこそ、彼らは過酷な生活にも耐えていられる。


 その国の王であるアウストル自身もまた、強くあらねばならなかった。


『強さ』。


 アウストルは、ふと、その言葉を胸中で呟く。

 それと共に脳裏によみがえったのは、華やかな、炎のような赤。


 ――あの方は、強い方なんだ。


 思慕と憧憬の色を溢れさせて彼を見返してきた、晴れ渡った空のような青。


 ――その肩には耐えきれないような重荷を背負わされて潰されそうになっても、とうてい護りきれないようなものを包み込もうとしてその腕が千切れそうになっても、どんなに迷って苦しんでも、決して逃げ出しはしないんだ。


 彼の中で決して色褪せぬ華やかな笑顔と共に、彼女は言った。


 ――私や君は、迷わない。迷うということができる強さを持っていないんだ。私たちの見ているものは、一つだけだから。一つだけしか見ようとせず、一つだけ見ていることを赦されているから。でも、あの方は幾つものものを見てしまう。だから、迷うんだ。迷って、足掻いて、苦しんで、でも、それでも立とうとするあの方の支えに、私はなりたいと思う。


 そう言いながら、剣を抜き放った彼女。


 ――私の剣は、あの方に降りかかる火の粉を払う為にある。あの方を、そして、この国を護る為に。


 彼女とは三晩剣を交わし、その三回とも勝てなかった。


 腕は、互角だった筈だ。では、いったい何がその差をもたらしたのだろう。


 アウストルは時折あの時のことを思い返しては考えてみるが、未だに答えは見つかっていない。

 そうして彼は当時の王だった父に停戦を言い渡されて国に戻り、それ以降は彼女と会うことがなかった。


 彼女の言う『強さ』がアウストルには強さだとは思えなかった。彼にとって強さとは、迷わぬことだ。己の信じる道を迷いなく突き進むことだ。

 だが、こうやって、ふとした拍子に彼女のことが胸の中によみがえった時、いつもアウストルの中には一つの考えがよぎっていく。


 彼女ともう一度言葉を交わすことができたなら、彼には見えない何かが見えるのかもしれない――そんな考えが。


 それは『迷い』なのだろうか。


 いいや。


 アウストルはかぶりを振ってその軟弱な思考を振り払う。

 この強国ニダベリルの王の中に、そんな文字は存在しない。


「王?」

 ヴィダルがアウストルに呼びかける。全てを見通そうとしているかのような、眼差しで。


「何でもない。気にするな」

 片手を振ってそう返した彼は、「そう言えば」という風情で宰相に目を向けた。


「奴らは相変わらず書簡を送ってきているのか?」

「は、また届いております。内容は、これまでと同じで」

「懲りない奴らだな」


 半月と空けずに届くのは、グランゲルド国王フレイからの親書だ。三通目までは目を通したが、どれも男とは思えぬ優美な手で、和平を促していた。

 だが、アウストルの中に『迷い』という文字がないのと同様に、このニダベリルという国には『妥協する』という文字はなかった。ニダベリルが望んだなら、相手は自らそれを差し出すか、あるいは、力づくで奪われるか、なのだ。


「無駄なことを」

 その一言で切って捨てたアウストルは、肘掛けに両手を突いて立ち上がる。


「決定は覆らぬ。この冬の雪が溶ければ、出撃だ」


 そうして、背を真っ直ぐに伸ばして扉に向かう。彼は、振り返ることはしなかった。


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