夏風は秘密を運ぶ
エイデンは、ジェスミンが何を言おうとしているのか、いまひとつ理解できなかった。
だが、そのときノーマンから昔教わった言葉を思い出す。
――よく聞け、エイデン。お前も俺も、自分より賢い女性を好きになるタイプだ。
――だから覚えておけ。彼女たちに意見を求められるまでは、お前は可愛い子犬だ。ただ素直にうなずいて、「そうだね」と言っていればいい。
――はい、お父さん。わかりました。
よし。
今この瞬間の自分は、可愛い子犬でいよう。
そう決めたエイデンは、ジェスミンの言葉に一つひとつ素直にうなずいた。
「年齢は一致。」
「うん。」
「白金色の髪と青い瞳も一致。」
「うん。」
「ティム殿下とは幼なじみ。」
「うん。」
「それから、ノーマンさんが『虐げられた奴隷少女は、孤独な大公に溺愛される』を恋愛の教科書にしていること。」
「うん。」
「あなたはヘクトール伯爵夫人の長男でしょう。」
「うん……え? どうしてそうなるの?」
エイデンは本気で驚いた。
「いろいろな証拠を全部つなぎ合わせた結果よ。決め手になったのは、あなたが話してくれた『虐げられた奴隷少女は、孤独な大公に溺愛される』だったわ。」
「エリカ王妃にこの地方へ行くよう勧められたとき、隣接するヘクトール伯爵家について調べておこうと思ったの。特に現伯爵とディマン王国の側妃との恋愛騒動は、いくつもの国で有名だったから。」
「ある晩餐会で、第二側妃は伯爵によく似た顔立ちの少年奴隷を連れてきて、二人を辱めたそうよ。その少年は伯爵に引き渡され、伯爵は醜聞を隠すために彼をリタール王国へ送った。それ以降、その少年の行方は誰も知らない。」
エイデンは口をぽかんと開けたまま、ジェスミンの推理を聞き続ける。
「噂では、その事件のあと伯爵はディマン王国へ戻り、一年間ずっと使節館に閉じこもっていたそうよ。そして領地へ帰ったときには、子どもはすでに病死していた。それ以来、伯爵は一度も領地を離れなくなった。」
「でも、『虐げられた奴隷少女は、孤独な大公に溺愛される』を前提に考えると辻褄が合うの。伯爵は少年奴隷――つまりノーマンさんをヘクトール領へ連れ帰り、伯爵夫人とノーマンさんの間にあなたが生まれた。そして伯爵が戻るという噂を聞いたノーマンさんは、慌ててあなたを連れて逃げた。……それ以来、あなたたちはずっとここで暮らしている。」
「わあ……!」
エイデンは思わず拍手した。
「ほとんど全部当たってます!」
「ありがとうございます?」
ジェスミンは冗談めかして軽くお辞儀をしてみせた。
「それって、今この場で全部考えたんですか?」
「実は前から少し疑っていたの。片親の冒険者に育てられた子にしては、あなたの話し方や知識が不自然なくらい洗練されていたから。」
「えっ、その頃から僕に貴族のお母さんがいるって思ってたんですか?」
「巡礼の旅で初めて会った頃は、王家か公爵家が送り込んだ密偵なんじゃないかって疑っていたわ。私とセリーナの居場所を探るための。」
「そんなふうに思われてたんですね。」
「でも後になって、あなたには諜報員の才能はなさそうだって気づいた。」
「確かにありません……。もし僕がスパイだったら、一日目で捕まってたと思います。」
「私もそう思う。」
ジェスミンはくすりと笑った。
「それから翡翠魔法学院で再会したとき、あなたはティム王太子と昔からの親友みたいに接していたでしょう? だから、ノーマンさんと、エリカ王妃に近しい貴族の女性との間に生まれた子なんじゃないかって考えるようになったの。」
「ただ、ヘクトール伯爵夫人は夫を深く愛していることで有名だったから、まさかその人だとは思わなかった。」
エイデンは両手で顔を覆った。
「なんだろう……全部見抜かれると、すごく恥ずかしいです。」
「そんなに気にしなくてもいいわ。」
ジェスミンは年上らしい落ち着いた口調で慰めながら、自然な仕草で彼の頭を撫でた。
「貴族社会では、こういう話はあなたが思っているよりずっと多いもの。」
頭を撫でられるのは、思っていた以上に気持ちよかった。
……もう少しだけ、可哀想なふりをしてみようかな。
そう考えたエイデンは、さらに顔を深く両手へ埋め、泣き真似を続ける。
ジェスミンに優しく頭を撫でられながら、彼の胸の中はさまざまな思いでいっぱいだった。
自分の出生を知った今でも、彼女は自分のそばにいてくれるのだろうか。
それはずっと、エイデンが一番恐れていたことだった。
「僕の秘密を知っても……その……僕と結婚したいって思ってくれますか?」
「え?」
ジェスミンは思わず聞き返した。
――私たち、付き合ってまだ二日目よね?
心の中でそう呟く。
そういえば昔、貴族として受けた教育では、男女が好意を抱いたら、できるだけ早く両家で話し合い、問題がなければ婚約を進めるのが当然だった。
この二年間、平民のような生活を送っていたせいで、その感覚をすっかり忘れていたらしい。
「身分のことなら、この二年で家族も私の結婚相手に期待しなくなったと思うわ。少なくとも第三王子じゃなければ、誰でも受け入れてくれるはず。」
「生活費なら、王家から受け取った補償金もあるし、王立学院で教えるお給料もある。それにあなたの冒険者としての収入もあるから、暮らしには困らないと思う。」
「い、いや……そういうことじゃなくて。」
エイデンは困ったように顔を上げた。
「母さんは今でも『エイデン・ヘクトール』っていう身分を残してくれてるんです。だから将来は、少しだけ土地とか財産を相続することになると思います。」
「あら。」
ジェスミンは小さく首をかしげ、柔らかく微笑んだ。
「それは予想していなかったわ。」
二人は川辺に腰を下ろし、夏の風を受けながら穏やかな時間を過ごした。
恋人になったばかりの二人は寄り添い、お互いのことだけを思い、これから共に歩んでいく未来を思い描く。
――けれど、お互いにまだ伝えていない「最後の秘密」だけは、静かに胸の奥へしまわれたままだった。




