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19.小さな事件


 アンリがその光景を目撃したのは、偶然ではなかった。


 エマが使用人として働くことを知り、レオナールにだけはバレてはいけないと思ったアンリは、毎日神経を張り巡らせていた。

 なるべくレオナールの行く先に同行し、死角があれば先にそこを確認する。そのおかげで、つい先ほど掃除中のエマを発見し、上手く隠れてもらうことができたのだ。


 けれど、単純にアンリの負担がエマの出現のせいで倍増している。

 “珍妙ちゃん”などとふざけた名前でウェスの遊びに付き合わされたと知ったその日の夜は、仮面をつけたエマに追い回される夢を見たほどだ。



 アンリの日課には、使用人たちの終業の時間に外を確認し、エマが何事もなく城門を出る姿を窓から見送る―――という項目が追加された。


 そしてまさに今、エマが数人の男に絡まれている光景を目撃してしまった。

 アンリは見間違いであってほしいと強く願ったが、黒髪の少女は間違いなくエマだった。男たちに強引に腕を引かれるようにして、エマが裏庭の方へ連れて行かれる。



「……」



 アンリはスッと目を閉じる。

 このあとの対応は大きく分けて二つだった。

 レオナールに全てを話すか、こっそりと内密に処理するかだ。もちろんアンリは後者を選ぶ。



「―――どうしたアンリ、眠いのか?」



 目を閉じたまま突っ立っていたからか、レオナールにそう問い掛けられた。

 アンリは視線を移し、にこりと微笑んでみせる。



「そんなまさかですよ。俺の目は今日も冴え渡っております」


「……?そうか、ならいいけどな」



 レオナールは首を傾げ、手元の書類へと視線を向けた。比較的今日は大人しく執務をしている。

 それは今この部屋に、ウェスがいないからだろう。ルーベンはいるが、本棚の本を黙々と並び替えている。


 アンリは音を立てずに静かに移動すると、ルーベンの肩を叩いた。



「……ルーベン。俺に話を合わせて、いったん外へ」


「……は?」


「い・い・か・ら」



 眉を寄せたルーベンに凄んでから、アンリは深く息を吸った。



「ああぁ!レオナール殿下、北の書庫に用事があることを思い出しました!すみませんがルーベンをお借りします!」



 ルーベンの腕を掴み、レオナールの返事を聞かずに半ば強引に部屋の外へ出る。

 閉まった扉に背を預けたアンリを、ルーベンが眉を寄せたまま見ていた。



「……どうした?最近おかしいぞ、アンリ」


「分かってる、分かってるけどこれはお前にしか頼めないことなんだ」


「……どういうことだ」



 エマが使用人として働き、“珍妙ちゃん”と騎士の間で噂になっていることはアンリとウェスしか知らない。

 ルーベンに説明する手間を考えたアンリは、取り敢えずエマの存在を伏せることにした。



「今さっき窓の外を見ていたら、城門に向かっていた一人の女性が、数人の男に引きずられるようにして中庭に消えたんだ」


「……何だと?確かにそれは怪しいな」


「だろ?だからウェスは今いないし、ルーベンに様子を見てきて欲しい」


「……分かった。だがその前にまずは殿下に……」


「なんでそうなる!!」



 真面目な顔で部屋に戻ろうとするルーベンを、アンリは必死に止める。



「いいか、こんな不確定要素に殿下の思考を割いている時間はない。何事もなかったかのように解決してきてくれ。頼むから、何事もなかったかのように!」


「……」



 相変わらずルーベンは眉を寄せているが、アンリの気迫に飲まれたのか、こくりと頷いた。



「……分かった。取り敢えず状況を確認してこよう」


「ああ……助かる。ありがとうルーベン」



 駆け出していくルーベンの背中を見送ってから、アンリはようやく安堵の息を吐き出した。

 そしてレオナールにああ言ってしまった以上、北の書庫に向かわなければならない。


 適当に近くまで行って、戻ってこよう。その間にルーベンが解決してくれているだろう――――そう思いながら、アンリはのろのろと足を進めた。






 ***



「……ええと、何のご用でしょうか?」



 裏庭に連れてこられたエマは、にこりと笑ってそう問い掛ける。

 エマを囲むように三人の男が立ち、正面で腕を組んでいるのは今朝の門番の男だ。



「何のご用、じゃねぇんだよ!今朝は俺に恥をかかせやがって!」


「……」


「何のこと?って顔するんじゃねぇ!お前のせいで、アンリさまに叱られたじゃねぇか!給料減らされたらどうしてくれんだ!?」



 むしろ職務怠慢で積極的に減給してあげてほしいと思いながらも、エマは周囲に視線を走らせた。



「……あとのお二人は、どなたですか?」


「ああん!?俺のツレだよ!関係あるか!?」


「そうですか……それで、私にどうしてほしいんですか?」


「……なぁ、この女だいぶ肝が据わってねぇか?オレらに勝つ算段でもあんのかよ?」



 エマの右後ろにいる男がそう言うと、門番の男が鼻を鳴らす。



「ハッ!こんなひょろい女に何ができるってんだ?」



 そう言いながら、門番の男がエマの腕を強く掴む。

 前世で“レオ”に教わった方法を使えば、門番一人だけならエマは逃げ出すことができていた。けれど三人の相手はさすがに無理だった。

 エマが痛みに顔をしかめると、門番の男は自分が優位に立てたと思ったのかニヤリと笑う。



「さぁて、お楽しみといくか?もっと向こうに人気の無い場所があるんだよなぁ」


「……そうか、ぜひともその場所を教えてくれ。兵の見回り先に追加しよう」


「!?」



 門番の男の背後から突然聞こえてきた声に、全員が目を見張る。それはエマも一緒だった。


(え……ルーベンさま?)


 エマが瞬き一つする間に、門番の男が吹き飛ばされていた。

 残りの二人もそのあとすぐに崩れ落ち、あっという間にルーベンが身柄を拘束している。

 あまりの手際の良さに驚きながらも、側近の実力を目の当たりにしたエマは、少し悔しい気持ちになってしまった。


 レオナールの三人の側近、アンリ、ルーベン、ウェス。

 エマが側近を目指すならば、いずれこの三人と同等以上の実力を示す必要があるのだ。



「……」



 ぐっと拳を握りながらも、エマは黙々と男たちをまとめて拘束しているルーベンを見た。



「あの、ルーベンさま。ありがとうございました」


「……ああ、どこかケガは……」



 そこでようやく、ルーベンの瞳がエマを捉える。言葉を止め、固まってしまったルーベンを見て、エマは気付いた。



「……あ、もしかして私が使用人として働いていること……知りませんでしたか?」


「……そういうことか、アンリ……」



 ルーベンは額に手を当て、大きくため息を吐く。



「……最近、アンリがいつにも増して変な行動をしていると思ったが……君が関係していたのか」


「ええと……どうやら使用人として働く私の存在が、レオナール殿下の執務の妨げになると、アンリさまは判断されたようです」



 エマは自分でそう言いながら、自分の言葉に傷付いていた。

 そんなエマの微妙な表情の違いに気付いたのか、ルーベンが眉を寄せる。



「……本当に邪魔だと思っているなら、アンリは君がこの男たちに連れて行かれたことを黙っていたはずだ」


「……アンリさまが、気付いてくださったのですか?」


「……そうだ。下手くそな言動で殿下を誤魔化して、俺に様子を見に行けと言ってきた」



 下手くそな言動、の部分でエマは思わずくすりと笑ってしまった。そして笑ったおかげで心がフッと軽くなる。



「私、アンリさまには何度も助けていただいています。ルーベンさまも、ありがとうございます」


「……君が使用人になっている理由は知らないが……その髪色なら、今後同じようなことはまた起こるんじゃないか?」



 ルーベンの茶色の瞳が、気絶している三人の男へ向けられる。エマはこくりと頷いた。



「そうですね。一人なら倒せますけど、複数はまだ難しいです」


「……怖くは、ないのか」



 納得のいかないような視線を向けられ、エマは苦笑した。

 全く怖くないわけではない。それでも、それ以上にもっと怖い体験を、大好きな人を失うという体験を、エマは前世で経験したのだ。



「大切な人を目の前で失う以上に、怖いことなんてありません」


「……そうか」



 短くそう言ったルーベンが、険しい顔で両腕を組む。何かを考えるようにじっとエマを見たあと、深く息を吐き出した。



「……すまないが、衛兵を数名呼んできてくれ。俺はここでこの男たちを見張っておく。衛兵を呼んだら君は帰っていい」


「分かりました。……本当に、ありがとうございました」



 エマは頭を下げると、言われた通りにしようと城門の方へ向けて歩き出す。



「……エマ・ウェラー」



 名前を呼ばれ振り返ると、そこには僅かに微笑むルーベンがいた。



「……君の覚悟は、俺には伝わった」



 初めて見たルーベンの柔らかい表情に驚きながらも、エマは深く頭を下げた。

 その覚悟を無駄にしないように頑張ろうと、決意を胸に刻みながら。



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