後編
皆様、お読みくださり、ありがとうございます♪
お楽しみ頂ければ幸いです。
「……──やっぱり、此処だった」
ごろごろと、遠くの空で雷鳴が聞こえる。
時折、風が吹き付けるが、寒くはない。
眼下に広がる城下町の様子と、その向こうに見える深い森。
かつてはあの森を苦心して越えて来たのが、遥か昔のよう。
尤も──その労苦も、偽りだったわけだけど。
ざ、と前方から響いた、砂を踏む音。
風に乗って耳に届いた声は、もう随分久しぶりに聞く気がする。
家族だと──ただ1人の弟だと、思っていた相手。
でも──……。
そうじゃ、なかった。
この世界に来るまで……否、元の世界に居る時から、私は虚像の中に居たんだ。
信じていたのに。
全ては、偽りだった。嘘だった。
足元ががらがらと崩れ去り、立っていられない気分だった。
「……──姉さん」
心配そうに。
気遣うように、呼び掛ける声。
聞き慣れたそれに、私は顔を伏せたまま、くつ、と笑う。
もう、そんなふうに気を遣わなくていいのに。
「…………よく、分かったね……?」
私が、此処に居る、と。
今居る場所は、この城の展望台。屋上に出ると、大パノラマの景色が楽しめる場所。悩み事がある時なんかは、こうやって近所にある高台の公園でぼんやりしてたなぁ……。
緩やかに吹く風が、さらさらと髪をなびかせる。それを軽く押さえながら、呟いた。
自分の方を見ない私に気が付いているだろうに、彼は歩を進める。
「そりゃあ、姉さんのことだからね」
何でも知ってるよ。
そう言いたげだ。
きっと今、にっこり微笑んでいるんだろうな。見る者を虜にするだろう、妖艶な微笑だ。
これで何人の女性が心を奪われ、ラブレターだのプレゼントだの呼び出しの伝言だのを頼まれたことか。
………………もうそれも、2度と無いんだけど。
私はふぅと小さく溜め息を吐いて、ゆるゆる顔を上げた。
「…………──もう、気を遣わなくても、いいのに」
「……何それ」
自嘲気味に吐き出した言葉を漏らさず拾い上げ、巫女だった彼──現魔王様は、訝しげな声を出す。
「姉さん、どういうこと?」
「ねえ、何て呼べばいいの? 貴方のこと」
「何を──」
「だって貴方は『奏』じゃないんでしょ?」
其処まで言って、ゆっくりと顔を上げた。
彼は、私の1メートルぐらい前の位置に立っている。思ってたより近いな。
長く伸びた髪を風に遊ばせ、真紅の目でこっちを見つめている。弟だった面影はあるけれど──……。
(…………やっぱり、別の人みたい…………)
きゅ、と目を細めた私。
それを見て、彼もまた辛そうに顔を歪めた。そんな表情でも、イケメンはイケメンなんですねぇ。
「…………──アス……アスタロトから、聞いたの?」
「……うん。……全部、聞いたよ。だからさ……」
悲しい。
寂しい。
独りは嫌だ。
でも──……。
これ以上、彼に縋っていては、駄目なんだ。
「……──私のことは、放っておいていいんだよ?」
多分、奏は優しいから、私を見捨てておけないんだろう。
ヴァイオレットさんの、言う通りだ。
異世界へ無理矢理連れて来られた私を心配して、こうして保護してくれているんだ。
でも……奏には、奏の──と言うより、魔王としての役目がある。
私になんか、構ってる場合じゃないだろうと思う。
断腸の思いで、弟だった人に告げた。
大丈夫だよ、という意味で、ちょっと笑って見せる。
──すると。
「…………──何を言ってるの?」
──え。
地を這うような、低音。
温度を感じさせない、無機質な声。
聞いたことも無いそれに、私は思わず固まってしまう。
「…………かな、」
「姉さん、それ本気で言ってるの?」
呼び掛けようにも、途中で遮られてしまった。珍しい。弟はそんなこと、しなかったのに。
…………いや、怒ってる時は、してたか。
………………ん?
…………怒って、る?
「何を言われたのか知らないけど、僕は姉さんを手放す気なんか、これっぽっちも無いよ」
言いながら、流れるような動きで歩を進める彼。
ざ、ざ、と砂を踏み締める。そのブーツ、結構ヒールあると思うんだけど。よろけもせずに歩けて凄いね。ていうか歩くだけでもうモデルさんみたいって、本当ずるいなぁ君は。
なんて感想を胸中でつらつら述べていたら、あっという間に目の前までやって来た。
そのまま膝をつき、長い足を折り曲げる。私と視線を合わせる為に、しゃがんでくれたんですねー。座っててすみませんねー。
「姉さん」
真っ赤な瞳が、私を見つめる。視線だけで、私の体は雁字搦めにされている気がする。
次いで手が伸ばされ、顎に指を掛けられた。そのままぐい、と上を……奏の方を向かされる。
「姉さん」
あれ。
これ返事しなきゃいけない感じ?
「……──織音」
「……ハイッ?」
おっと。
思わず声が裏返った。
いや、普通に返事しようと思ったらさ、何だか切ない声で、急に呼ばれ方が変わったから。つい、ね。
て言うか奏ってば。
一応私の方が姉で歳上なんだから、呼び捨ては──。
(──ッ!!?)
びくりと、体が強張る。背筋が急に、真っ直ぐになった感じだ。
さっきまで考えてたことが、一気に霧散したよ。
だって!
だって、奏、今!
指で、私の、くく、唇を触ったよ!
「…………ねぇ、何を考えてるの?」
ひんやりした声が、落ちる。
え。と目だけを動かして奏を見れば、怖いぐらいの無表情。感情の色が、全然感じられない。
イケメンの無表情、半端なく怖い!
「姉さんは──織音は、僕だけを見ていれば、いいんだよ」
「僕だけを見て」
「僕だけに触れて」
「僕の言葉だけを聞いて」
「僕のことだけ、考えていればいいんだよ」
諭すように言う彼は、尚も私の唇に親指の腹で触れている。何かを確かめるように、何度も往復させて、なぞっている。…………いつまで触ってるんだろ……。
私は腕を持ち上げて、奏の手首を掴む。うわ、ほっそ……。
いや、違った。
掴んだ手を、私の顔から離す。途端、不満げな顔になる奏。
「……何で離すの」
「だって喋りづらいじゃない」
「…………」
あれ。
何ですかその怪訝な面持ち。
…………まあいっか、それよりも、と。
「あのさ、奏。自分が何を言ってるのか、ちゃんと分かってるの?」
「分かってるよ。僕は、織音を絶対に放したりしないって言ってるんだよ」
そうか。
余計たち悪いな。
「──奏。そんなの無理に決まってるでしょ」
「…………何で?」
不思議そうに……いや、不機嫌そうに形のいい眉をひそめるイケメン。絵になるねー。
私は一息吐いてから、ゆっくり言い聞かせるように話した。
「あのねぇ、そんなの当たり前でしょ。奏のことだけをずーっと考えるなんて、無理に決まってるじゃない。こう見えて、私だって色々考えてるのよ? さっき、あぁ言っちゃったのだって……奏の負担になりたくないから、なんだよ?」
「…………負担……?」
「そう。だって奏、魔王様なんでしょ? 王様ってことでしょ? お仕事だって沢山あるだろうし……、それなのに、私が居るせいで、余計な気も回さなくちゃいけないなんて申し訳ないし」
「──ん? ちょ、おと……姉さん、ちょっと待って」
慌てて手で制する奏は、先程とはまた違った表情でこっちを見ている。何て言うか……「は?」って顔だ。……姉ちゃん、そんなに混乱させること言ったのかい?
「ちょっと待って、姉さん……一体、誰に、何を言われたの? アスタロトだけじゃないの?」
「えっ? 違うよ? えーと……ヴァイオレットさんっていう女の人。知ってる? その人にね、私が奏の……魔王様のお妃様?だなんて、相応しくない……みたいに言われて……」
「──あのアマ……」
「…………ん? 何て?」
「何でもないよ、姉さん」
よく聞こえなかったから訊き返したんだけど、にっこり笑顔で即答された。
何でもヴァイオレットさんは、筆頭貴族であるのと同時に、次期魔王妃としての最有力候補の人なんだって。そりゃあ、ぽっと出の私なんて、気に入らないよねー……。
でも奏自身はそれを肯定した覚えも無いし、彼女が言ったことは気にしなくていいって。
……じゃあいっか。
「…………──とにかく」
「うん……?」
「僕はね。さっきから何度も言ってるけど、姉さんと離れる気なんて、さらさら無いよ」
まるで、当たり前のことみたいに。
奏がさらりと言い切った。
私は何度か目を瞬き──。
「…………どう、して…………?」
そう、溢すように、呟く。
だって、信じられない。
こっちの世界に来る前も、来てからも、奏は格好よくてスマートで。
皆から憧れられたり、好かれたり。
ましてや、此処では彼は魔王様だ。
そういう存在なのに。
なのに……。
(…………──私なんて、相応しくない……)
今まで傍に居られたのは、姉弟だから。
家族だから。
学校でも他の女子達に嫉妬や嫌悪の目で見られなかったのは、そういう理由があったから。
でも──…………。
その理由が、無くなった。
(…………──私は、傍に居られない……)
だって、釣り合わないんだもの──。
「……──姉さんが何を考えてるのか、大体想像できるけど」
奏が、優しい声で話し掛ける。
さっきまでの硬質な声じゃない。
まるで、弟だと思ってた頃と同じだ。
何だか懐かしい気分になって、彼を見た。……まあ、外見はやっぱ違うけど。
魔王たる彼は、私を深紅の瞳で見つめ、ふんわりと微笑んだ。
「僕は、姉さんが好きだよ」
──刹那。
他の音の一切が、消えた。
私の耳に、入って来なくなった。
奏は淡い微笑を浮かべたまま、両手を伸ばす。そのまま、私の頬をそっと包み込んだ。
(…………──あたたかい…………)
かつて知っていた掌より、大きくなったけど。
ごつごつした、骨ばったものになってるけど。
でも。
この温もりは、変わらない。
私の知ってる、奏だ。
「……──姉さん」
「誰に何と言われようと、これだけは信じて」
「僕が好きなのは、姉さんなんだよ」
「姉さんが、僕の大切な人なんだ」
「愛してるよ──……」
…………──嗚呼…………。
……胸一杯に、思いが込み上げてきた。
私が覚えたのは、安堵。安心。
……──嗚呼……。
良かった──…………。
(……奏……)
彼は、変わってなんかいない。
奏だ。
私の知ってる、弟だ。
そして、何処にも行っていない。
私から離れて行ってなんか、いない。
(……良かった──……)
ほっと安心して、私はするりと奏の腕の間を抜け出し、そのまま寄り掛かった。
広くなった胸に頬を寄せ、その温もりを実感する。
何だか奏の体が小さく跳ねた気がするけど……ごめんね、今だけちょっと、こうさせて。頼りないお姉ちゃんで、ごめんね。
「…………──奏」
「な、にッ……?」
あれ。
何でそんなに声が上擦ってるの?
内心で疑問を浮かべながらも、まぁいいかとすぐに忘れ去る。今はこうして、くっついていたい。
「……あのね。私も……奏のこと、大好きだよ」
「──ッ」
ふふ。
嬉しいな。
何だか、ふわふわする。
奏とくっついて、自分が嫌われていないって分かって、凄く嬉しい。
ぽかぽか、あたたかい。
幸せって、こういうことを言うのかな……?
「姉さん、それ、本当……ッ?」
ん?
そんなに驚くこと?
あと、ちょっと苦しいよ。もうちょい腕の力、緩めてくんないかな? 結構な力で抱き締めてるよ?
「……うん、本当だよ……?」
「姉さ……織音……ッ!」
「だって……」
「──たった2人きりの、姉弟じゃない」
良かった。
大切な弟を……家族を、私は失ってなんか、いなかったんだ。
嗚呼……良かった──…………。
「……………………」
腕の中で、すやすや眠る少女。
ほっとして、気が抜けたのだろう。
その顔は安心しきっており、安らかな寝顔そのもの。
いつもなら、それを愛おしく見つめる奏だが──。
「……………………」
今は、脱力感で一杯だった。
(…………そっち……?)
恨めしい気持ちで、姉を──最愛の少女を、見下ろす。
彼女が口にした「好き」は、親愛のそれだ。
弟として。
家族として。
「大好き」と言ったに過ぎない。
奏の心を占める、狂おしい程の感情とはまるで異なっている。
(……本当、鈍いよなぁ……)
前に居た世界でも、こちらに来てからも、割とアピールしてきたつもりなのだが。
特に魔王として覚醒してからは、以前よりも直接的な言葉で気持ちを伝えたり、魔王妃として臣下に発表したり。
本人自身にも、その外堀からも、攻めていたつもりだったのだが。
織音には、全っっっ然伝わっていなかったようだ。
がっくりと肩を落とし、次いで天を仰いだ。
(…………──どうしてくれようか…………)
なかなかに、手強い。
元勇者たる少女を抱き締めながら、魔王様は1つ溜め息を溢す。
「…………まったく…………」
艶やかな、漆黒の髪。
それを指で遊ぶように梳いてやれば、織音はくすぐったそうに笑んで、緩く首を振った。
起こしてしまったかと慌てて顔を覗き込んだが、すやすや眠ったままだ。知らず、安堵の息を吐く。
平和その物の寝顔で、幸せそうに寝ている彼女。
可愛くて、愛おしくて。
「…………そんな可愛い顔して。……僕以外の奴に、見せちゃ駄目だよ?」
でなければ、見た者をただではおかないだろう。
物騒なことを考えているその横顔は、蠱惑的で。したたる毒のような、見る者をぞくりとさせながらも魅了するであろう、艶っぽい笑顔だ。
「…………──覚悟、しててね? 僕は、欲しいものは必ず手に入れるから」
織音をしっかりと抱き締めたまま、艶然と微笑する様は、もはや巫女たる面影も無い。
そっと唇を寄せて、宣言した。
そんな弟の姿を、光の勇者は知らない──。
奏くん、報われてませんねー(^-^;)
微ヤンデレを目指しているのですが、難しいですね……。
これにて完結です。お読みくださり、ありがとうございました♪