84話 討伐対象『魔王の娘』⑯~血液叫喚。
ヴァンパイア王女の第二形態、巨大なる『血液』の球体。
それが王の間に生まれたときには、ハニは逃走に入っていた。サラをお姫様だっこして、〈スピード・スター〉を発動。
(とにかく、距離を取らないと──)
ハニに抱かれたまま、サラは後方を見て、叫ぶ。
「ハニさん! 追って来ます!」
ハニも、チラッと背後を見た。
球体から『血液』の触手が伸びて来るのだ。その速度は、ハニの〈スピード・スター〉にも匹敵する。
すなわち、途轍もない速さだ。
ハニはサラを抱いたまま、階段を飛び降り、広い通路に出た。
折あしく、数人の衛兵と出くわす。
衛兵が誰何したときには、ハニはすでに走りすぎていた。
後方へと視線を向けているサラが、悲鳴を上げる。
「ああ、そんな!」
ハニは急停止し、サラが見たものを確認した。
『血液』の触手が、衛兵たちを飲み込んだのだ。
すると、どうなかったか。
衛兵たちの姿形が、変化していく。
ついには醜悪な異形と化してしまった。大きさは小動物くらいで、全身に眼球がある。これが衛兵の成れの果てだ。
異形にされながらも、彼らには自我が残っているようだ。絶叫しながら、さ迷いだす。
ハニは戦慄した。
「ルティの『血液』に触れると、異形に変異されるようだ」
「生命に対する冒涜のような存在です」
そう言うサラの声には、怒りがある。
ここでハニは、バルバの助言を無視することにした。バルバは第二形態に遭遇したら、死ぬ気で逃げろ、と言っていたが。
「逃げてばかりじゃ、ダメだよね!」
ハニは、〈ゴッド・フレイム〉を発動。
火炎の柱が、『血液』触手を飲み込み、蒸発しにかかる。
通路での発動のため、王城にも損害が出た。とくに上階は火炎に巻き込まれ、被害は甚大だ。
しかし、いまは手段を選んではいられない。
やがて、〈ゴッド・フレイム〉の発動が終わった。
しかし火炎の柱が消えたとき、『血液』触手は蒸発などしていなかった。
「やっぱり、ただの血液ではない──」
刹那、『血液』が膨張。
その速度は、神速を超えていた。
瞬間、サラは〈ホーリー・シールド〉を発動。
聖なる盾が、膨張した『血液』を防ぐ。
だが、防ぐことができたのも、数秒だ。聖なる盾が溶け出してしまう。
同時に、サラは絶叫した。
ハニが驚いて、サラに声をかける。
「サラ、一体どうし──!」
サラが〈天使の杖〉を握る右手だ。皮膚から複数の眼球が現れ、肘までびっしりと埋め尽くしてしまった。
ハニはゾッとした。
〈ゴッド・フレイム〉で攻撃したら、『血液』は消えるどころか、神速で膨張。
『血液』を〈ホーリー・シールド〉で防いだら、発動したサラの片腕が、異形にされてしまった。
『血液』に攻撃などを加えれば、さらなる災いが起きるようだ。
(……攻略法が見つからない。こんなの勝てっこないよ。とにかく、バルバの助言に戻って、いまは逃げるしかないね)
ハニはサラを抱えたまま、『血液』の触手に背を向け、〈スピード・スター〉で駆けだす。
通路の突き当りで、〈破拳〉を発動し、壁を破壊。勢いそのまま、王城の外へと飛び出す。さらに跳躍して、城壁の天辺まで上った。
ここで振り返ると、絶句した。
「……こんな、ことが」
『血液』の触手は、一本だけではなかったのだ。
複数の『血液』触手が、王城内を駆け巡っていた。
それが分かったのも、いまや王城は『血の城』と化していたからだ。
すべての窓から、城内から溢れ出たルティの『血液』が、噴出している。
王城内にいた人間たちは、全員、異形にされてしまったことだろう。
「……コヒムも巻き込まれていたら、少なくとも一矢報いたことになるけど……」
サラは震える声で言う。
「……ですが、被害は甚大すぎます。不可抗力とはいえ、わたし達にも責任はあります。ルティを倒したことが、引き金となったのですから」
「そこまで、ボクは責任は持てないけどね……サラ、その右腕、治せそう?」
異形と化した右腕のことだ。
サラは左手で〈天使の杖〉を使い、まずは〈エンジェル・ヒーリング〉を使った。右腕に変化はない。
そこで今度は、〈ゴッド・ヒーリング〉を発動する。とたん、右腕の異形がなくなり、回復した。
「〈ゴッド・ヒーリング〉クラスの回復魔法でないと、効果がないわけですね。つまり上級ヒーラーでしか、癒すことができないのです」
「異形にされた人間も戻せそうなの?」
サラは無念そうに答える。
「……いいえ、彼らは不可能でしょう。脳幹まで変異されてしまっているようですから──」
ひとまず、王城から離れることにした。
ハニ達の力では、第二形態のルティは対処できない。
王城に背を向けて、城壁から跳ぶ。
※※※
ゾンビ・マスターとは、ゾンビの上位種だ。さらに正確に言うならば、ゾンビの突然変異体ともいえる。
ゾンビ・マスターに進化することで、ゾンビは知性を得、ほかの生命をゾンビ化するスキルも得る。
さらにはゾンビ・マスターとして長く生きるほど、知性は発達し、スキルも優れていく。
トルテは、随分と長く生きてきたゾンビ・マスターだ。知性は、並みの人間を超えた。
ただ腐った身体だけは、どうしようもないが。
とはいえ、そこらの動く死体よりは、見た目にも気を使っている。遠目からは、生きた人間と見分けがつかないはずだ。
それに動く死体であることも、時にはプラスになる。
たとえば、第二形態と化したルティの『血液』の中を移動するとき、などだ。
この『血液』の特性は、生きたものを異形にすること。
よって死んでいるトルテには、なんら影響はない。
ちなみに、この『トルテ』という名は、アデリナが与えてくれたものだ。
ようやくトルテは、王の間へと辿り着いた。身体に異変は起きないとはいえ、大量の『血液』の中を歩くのは骨だった。
第二形態の『血液』に限りはなく、いまや腰まで浸かるほどだ。
王の間の中央には、巨大なる『血液』球体が浮かんでいる。
第二形態ルティの本体だ。
トルテは声を張り上げた。
かつて、ベル墓地でレイと遭遇したとき、トルテは片言だった。
だが、いまや流暢に話せる。
「ルティ。アデリナ様がお帰りになるぞ!」
実際は、まだアデリナは帰還しない。
しかし、ルティを正気に戻すためには、アデリナの名を出すしかない。
ルティは、自分がアデリナと対等のつもりでいる。少なくとも、表向きは。
しかし、内心では、アデリナを恐れている。そのことを、トルテは知っている。もちろん、アデリナも承知しているだろう。
『血液』球体の脈動が激しくなった。
刹那、王城内に満ち溢れていた『血液』が、一斉に戻ってくる。河が流れるのを逆再生するように。
すべての『血液』は、球体のさらに内部、ある一点へと収縮していく。
そこではヒトの形が形成されていた。
やがて『血液』が無くなったとき、裸身のルティが降り立った。
ルティは伸びをしてから、何かを探すように視線を動かす。やがて探しものが見つかったらしく、歩いていった。
オリハルコン製の刀を取り上げる。
トルテは、ルティの生命力に呆れていた。
死ねば、第二形態と化す。それが解ければ、もとの状態(第一形態)へと戻る。
とはいえ、ルティは不死ではない。アデリナならば、ルティを殺すことも可能だろう。逆に言えば、アデリナ以外では、ルティを殺すことはできない。
トルテは、重要なことを尋ねた。
「コヒム王子は、無事なのだろうな?」
ルティが焦りを見せる。
「……それが、わからんのじゃ。第二形態のとき、自我は失われるからのう」
トルテは呻いた。
万が一、コヒムが『血液』によって、異形と化していたら──。
(アデリナ様が、お怒りになる。そのとき八つ裂きにされるのが、ルティだけとは限らんぞ)
それからコヒムの捜索が始まった。城内に蔓延る異形どもを狩るのも、同時進行で行いつつ。
※※※
リウ国には、『卑怯者ほど運が良い』という格言がある。
コヒムは、それを体現してみせた。
ルティが第二形態と化したとき、コヒムは王城にはいなかった。
なぜか。
ルティがハニとサラの追跡に出た直後、部下から、ある報告を受けたためだ。
聖騎士ダッドソンの死体が、王都の外で発見された、という報告を。
これは2つの意味で、最悪の知らせだった。
1つは、第一王女メアリを逃してしまったことだ。すなわち、王位継承のライバルは、いまだ生きている。
メアリが、コヒムの敵であるボール侯爵と合流することは、確実だ。
またメアリが生きているため、コヒムは王城を制圧しながらも、正式に王位に就くことはできない。
2人に王位継承の権利がある場合、片方が権利を放棄せねばならない。そうしないと、もう片方は王位に就けないのだ。
もちろん、メアリが死んでくれれば、権利放棄の手続きはいらないわけだが。
そして、メアリの件よりも、悪いことがある。
ダッドソンは、アデリナの部下だった。それを失ってしまった。
もちろん、ダッドソンを殺したのは、コヒムではない。メアリに忠実な護衛官のサトだろう。サト如きが、聖騎士ダッドソンに勝てたのは驚きだが──。
ただ誰が殺したのかは、このさい問題ではない。
重要なのは、コヒムがメアリ抹殺を、ダッドソンに指示したことだ。それが原因で、ダッドソンは死んだ。
アデリナは、コヒムに責任がある、と考えるかもしれない。そうなれば、コヒムは無事では済まないだろう。
たとえ罰せられなくとも、アデリナに嫌悪されるだけで、コヒムは死にたくなる。
そこで、せめてもの償いとして、コヒム自ら、ダッドソンの死体を回収に向かったのだ。
かくして、ルティが第二形態と化したとき、コヒムは王城にいなかった。
コヒムが王城に戻り、無事な姿を見せると、ルティとトルテはホッとした。
2人とも、コヒムのことは単なる駒としか見ていない。
しかし、まだ利用価値のある駒だ。
何よりも、アデリナの駒なのだ。
アデリナが不要と判断するまでは、コヒムという駒には生きていてもらわねばならない。
対してコヒムもまた、ルティとトルテのことを嫌悪していた。
忌まわしい、吸血鬼とゾンビである。
それでもルティ達は、一致団結しているのだ。
アデリナへの忠義によって。
彼らにとって、アデリナこそが、真の王なのだから。




