水精の巫女
春です。
花粉です。
黄砂です。
目がしょぼしょぼして活字中毒にはPCの画面が辛い季節が来ましたが皆様お変わりないでしょうか(苦!)
初めての水の神殿に足を運んだ日はひたすら所作の訓練に明け暮れた。
そう、それは軍行にも近い訓練だった。
頭を下げる角度、歩幅、手を上げるスピード、そして高さ。
振り向く動作、指先一つとっても決められた動きがあり、それを体が記憶するまで繰り返し繰り返し、休みなく自然に動くくらいのレベルにまで昇華させなくてはならなかった。
とはいっても、ミストもシャトルーズ家の行儀作法は嫌と言うくらい教え込まれているので所々同じ場所もあり大して苦はせずにいたが、それでも呼吸が独特なのだ。
貴族の上位性を見せる為のもったいぶった優雅さを見せる為の動きとは違い、巫女の動きは滑るように、滑らかにそよぐ様にという品性を求められるのだ。
ミストの動きはどれをとっても呼吸の半分ほど早く、それを修正するのに手こずっていたのだ。
「ミスト様の所作は既に完成されていますものね」
「この修正はひたすら覚えるまでやるしかありませんね」
「私の場合はそこまで教育が行き届いてなかったからすぐにマスターできたけど……」
「エクル様はそれこそちゃんと教育されて下さいね」
ミストの訓練の隣で見本となって同じ動作をするエクルは既に会話をするくらいの余裕があるが、今回は逆に注意を受ける事になった。
汗を流しながら今まで意識して使わなかった筋肉に腕はプルプルと震えだしたミストにようやく10分の休憩が入った。
「ミスト様、お茶をお飲みください。
そして甘い物と口当たりのいい果物をご用意しましたのでお座りになりましょう」
「ありがとうございます」
肘をゆるく曲げてへその上で両手をそろえ、少し卵を包むような柔らかな弧を描くようにふくらみを持たせ指先をそろえて背筋はぴんと伸ばしたまま、腰からまげて視線は相手の手の位置に……
休憩時間とは言えその会話と連なる動作も訓練の一環で教えてもらった動作でこなすのだった。
全然休憩になってない。
エクルはそう思うも、ミストはすんなりとその行為を受け入れ実践するのだった。
初めての時は休憩のときにテーブルに着いた所で果物が乾燥して紅茶が冷めて行くのを行儀がなってないと怒られながら眺めていたのだった。
なのにミストは神殿長や補佐の方々と楽しくお話をしながらすんなりと休憩に入っていた。
カップのとってみたいなところに指は通さず軽やかに持ち上げてお茶を飲んでは汚した飲み口をさりげない動作で拭い、淡く施された化粧が崩れないように一口よりも小さくナイフで切り取られた果物を口へと運び、食器の音は全くしない淑女の所作としては当たり前の行為をこなしていただけだった。
休憩と言う言葉に惑わされずにその間も淑女として、格式高い家の令嬢として、女性の見本となるべき巫女としての姿を体現していた。
「ミスト様、お聞きしたいのですが今は休憩のお時間です。
もう少しごゆるりとされてもいかがです?」
初めてなんだしと遠まわしに言うもミストは首を横に振り
「神殿長や補佐の方々もとても丁寧にもてなしてくださってますのに私だけが足を延ばさせていただくなんてできませんわ」
目上を敬う言葉遣いにここはひとつの社交の場だと考えているミストの答えが正解なのだ。
巫女見習いはまだただのお客様なのだ。
およそにお呼ばれされて学校の休み時間のような振る舞いが出来るわけないのだ。
「ふふふ、さすがシャトルーズ家の長姫ですね。
貴族の令嬢の見本としても遜色なく思います」
「ありがとうございます」
結い上げられた髪が崩れないようにゆっくりと頭を下げての優雅な動きはまだぎこちなさが残るも貴族のスピードではない巫女のスピード。
及第点と言う所なのかお叱りを受ける事もなくこの休憩時間と言う茶会は穏やかに進んでいく。
それから休憩時間も終わり夜まで学を共に学ぶ。
遅れているミストの座学と為に開かれた勉強会だが私も一緒に復習ではないが学ばせてもらう事にした。
魔力だけなら問題ないだろう私だけど、一つ年上の方に私と同じぐらいの魔力の保持者が居るのだ。
やはり一念年上だけあって座学はあちらの方が上なので、主席の座を得るには努力しかないのだ。
座学となると覚えの悪い私には勝てる要素が厳しいので本当にただひたすら努力しかないのだ。
だけどミストはここでも才女ぶりを発揮して教えられていく知識を次々と吸収していく。
というか、巫女を輩出した家だけあって知識は既にあるようだった。
教える側もストレスなく次々にページをめくり本を読むようにミストと読み合わせをしていく。
「では本日はここまでに致しましょう」
「ありがとうございます」
これも巫女のスピードで、座ったまま背もたれに背を預けず、まっすぐ伸ばしたままの背中と少し引いた顎のまま優雅に髪が崩れないように相手の胸元まで視線を下げる。
「よろしい」
その一言でようやくミストから空気が抜けたと言う様にふっと表情が丸くなったような気がした。
さすがに座学を教えてくれる補佐の方々も苦笑を零してしまうももうおとがめはない。
「失礼を承知でお尋ねします。
魔盲であってもシャトルーズ家では巫女として学ぶのでしょうか?」
座学が終わって連絡が行ったのかすぐ隣の部屋の神殿長達もやって来た。
「はい、と言うと笑われましょうか。
ですが前回シャトルーズ家は代々参加していた水精の巫女につく事がなく、そんな叔母の苦しみを見て来た父は何としてもと私達姉妹のどちらかを巫女にしようと惜しみなく環境を整えてくれました。
ですが魔盲として生まれ育った私に母は随分と自分を追いつめていました。
シャトルーズ家の子供が魔盲であってはならない、ひょっとしたら一過性のものかもしれない。
そんな言葉をずっと聞かされながら令嬢として一分の隙もなくそしていずれ巫女として相応しくあるべく為に書庫から古い文献を読み漁っては私を巫女になるべく育ててきました」
そんな、と零れ落ちる悲痛な溜息に私もミストに同情してしまうも
「ですが、当時は理解できなくても今は感謝しております。
母の執念が実ったのは正直言えば私にとっては何の心動かす事はありませんが、泣きながら、歯を食いしばって学び続けた事は一つも無駄になってはいません。
そこは感謝しております」
少し困ったような顔で笑うミストにまだ言葉とは裏腹に心の中では納得していないのだろう。
「そうですね。
何時までも恨み辛みしかない人生よりもそうやって顔を上げて見つめ直す事が出来るようになったのです。
これからの幸せのためお試練だと思えばミストローゼの未来は今まで得る事の出来なかった幸せが待っていましょう」
言いながら神殿長はミストの頭を抱きしめていた。
「慌てる事はありません。
ゆっくりで構いません。
今まで心が疲れてしまうくらい辛い思いをしました。
それを乗り越えた今、これからはそれらに報われる時が来たのです。
ここまで来たのは貴方の努力なのです。
周囲に惑わされる事無く人として正しくあった貴方の人柄が幸運を呼び込んで貴方は幸せを掴んだにすぎません。
これからは今までの出来事を理不尽と思わずこれからも精進なさいませ」
老いて小さくなりだした身体にミストは顔を埋めて泣き始めてしまった。
認められた。
自分の今までの人生は今まで何だったのだろうかと思っていたふしのあるミストは容赦なく喜びに震える様に子供のように泣いていた。
欲しかった言葉を、そして間違ってなかった事を諭されようやく自分を認める事が出来たのだろう。
そんな暖かな光景に周囲の補佐達も涙ぐみ、あるいは神殿長の下に駆け寄って一緒にミストを抱きしめていた。
「水の神殿は温かいな」
思わず羨ましいとぽつりとつぶやいてしまえば、すぐ隣に立っていた補佐の方が私の肩を抱いてくれる。
「貴方にも感謝をいたします。
ミストローゼと言う素晴らしい巫女をよくぞここまで導いてくれました」
補佐の方の潤む瞳に私もうるうるとした視線で見上げ、押された背中に迷わずミストにしがみつきに行く。
わあわあと泣く私達に補佐の一人が「明日も朝から訓練をするのでそろそろお部屋に参りましょう」と促すので、私達はそのまま手を取り合い、二人一部屋の寄宿舎のベットの一つで今日の感動が止まらないと言う様に体を寄せ合って瞼を閉じるのだった。
それでも試練はやってくる。
次の日は他の水精の巫女候補達とついに対面する事になったのだ。
「何でミストがここにいるのよ!」
悲鳴にも似た叫び声と共に他の候補達も怪訝な顔をしてミストを見ていた。
それだけにミストの魔盲と言う症状は有名な話で知らない方が珍しい話なのだ。
「最近お父様とやたら一緒にいるけどどうやってたらしこんで潜り込んだのよ!」
淑女らしからぬ同じ血を分けた姉妹とは思えない暴言の数々に補佐の方も巫女達も顔をしからめていた。
「それに風精の巫女候補のエクルーラ様も何で水の神殿にいるのです?!
お父様と一緒に何をたくらんでいるのよ!!」
すがすがしいほどの暴言っぷりに私は周囲へと視線を彷徨わせば既に怒りの表情すら浮かべる巫女もいる。
さすがにどちらの分が悪いか他の候補の方々は空気を呼んで澄ました顔を作って沈黙を守っているが、冷や汗は隠せないようだ。
「モリー、貴女はまだお父様から私の魔障が治った話はお聞きでないの?」
淑女の直立の時の基本姿勢を守ったまま語らう姿に私も慌てて同じ基本姿勢を取ればそれを見た周囲の候補達も姿勢を正す。
ただしモリーを除いて。
モリーはここを家の中と同じような態度で腰に手を上げ上から目線で口元を歪めながらミストを睨みつけていた。
本当に同じ姉妹とは思えないと逆に感心してしまうくらいの姿についに神殿長が現れた。
「水の神殿でこのような騒ぎ、何事です!」
凛とした声にさすがにモリーは失態を悟ったが
「神殿長様、何で、どうして姉が、ミストローゼがこのような所においでなのでしょうか?!
私達と同じ巫女の服を纏ってこのような場所にいるのでしょうか!!」
どこまでも姉を嫌悪する視線と歪める顔にミストが家の中でどんな扱いを受けて来たかそれだけでわかってしまう。
モリーを見れば昨夜の涙がいかに重い物だったか理解した私と神殿の方々はそんなモリーに汚物を見るような目を向けて
「ミストローゼの魔力値が巫女候補生として相応しい値を示しました。
本人の申請と家族からの許可もあります。
何の不備もないのにここにいる事に何故問題があるのでしょう?」
愕然とした顔のモリーに神殿長はこの場にいる者を神殿奥の広場へと案内して並ぶように命じた。
そして私達の顔をみて
「紹介しましょう、新しく巫女候補として招集されましたミストローゼ・シャトルーズです。
彼女にはこの水精の巫女筆頭として、そしてこの度の精霊の巫女の筆頭とする事になりました」
ざわつく中モリーが
「ウソよ!でたらめよ!
何でミストなんかがっ!!!」
悲鳴のような叫び声に神殿長は顔を歪め
「昨日他の神殿長や関係者の方をお呼びしてミストローゼの歌を見ていただきました。
ミストローゼ、説明するよりも見た方が彼女達も理解が早いと思います。
そのまま出かまいませんので祈りの場で歌を捧げてください」
「……はい」
返事はしたも今ここで?昨日他の神殿長も見ていた?と戸惑いの隠せない顔のまま美しい巫女の所作で、そして本番さながらの丁寧な歩き方、そして位置の付き方、祈りを捧げる基本の姿勢を取る。
その一つ一つの美しい動きに隣にいた候補の方達から感嘆のため息の声が聞こえた。
そして始まる朗々とした歌声。
意味を失った言葉が織りなす旋律。
喉を震わせ高く低くそしてしなやなにのびやかな歌声は神殿中を神聖さに満たす力となり、歌い終わりと同時に出現した神殿に誰もが言葉を失っていた。
本番までに確実に出現をさせなくてはいけない神殿の出現率はいまだ半分にも満たない確率。
それをたった一人で作り出す魔力と既にマスターしていると言っても良い所作に水精の巫女達は焦るのは当然だろう。
だけどそれを黙らせるくらいの圧倒的な魔力と美しさを持ってミストは初めてギャラリーの居る中で完璧に披露して見せたのだ。
モリーも愕然として膝を落して座り込んでしまうくらいの圧倒的な美に誰もが認めざるを得ない光景だった。
「ウソよ、ウソよ、ミストのくせに……
ウソ……
ウソだ……」
目の前の光景を受け入られないというようなモリーの呟きはだんだん剣呑としいた色を含んでいく。
ぎょっとするように候補生の方が一歩離れたと思ったとたんモリーはまっすぐミストに向かって駆け出して
「ミストのくせに!
ずるしてまでそんなに巫女になりたかったのかよぉぉぉっ!!!」
祈りの場に駆け寄って拳を上げて殴ろうとするポーズをとるまで誰も恐怖に、そしてまさかそんな暴挙に出るとは思わず遅れて止めに駆け寄るもすでに遅かった。
だけど目の前に広がる光景は……
光の神殿を前にミストは防御壁を張り、物理的なモリーの拳を防いでいた。
さらに鳥籠のような光の檻を出現させてその中にモリーを閉じ込める。
二重に三重に魔法を展開してモリーの攻撃を防いだミストの魔法の扱いの上手さに再度誰もが言葉を失う。
「モリーはなんで私をそんな目で見るの?」
ミストの悲痛な声にモリーは当然と言う様に獣のような声をうならせて
「要らない人間のくせに!
それなのに私より少し早く生まれたばかりに頭を下げ続けてきたあたしのプライドが理解できる?!
生まれてこなければいいのに!邪魔なくせに!政略でしか使いようのない魔盲の女のくせに何で私があんたに頭を下げなくちゃいけないのよ!!!
何で私があんたの下にならなくちゃいけないのよ!!!」
吐き出す呪いに誰もが恐怖に震えながら耳を疑う。
シャトルーズ家のモリエールと言えば次期家を継ぐ女侯爵を約束されていたはずだ。
その暴挙にミストは涙を流して視線を遠くへと外す。
つられるように視線を向ければそこにはミストの父親と母親がそろって立っていた。
ゆっくりと振り返って感情のない父親の瞳を見て愕然としたモリーはそのまま両手をついて泣き出せば
「水の神殿長、申し訳ありませんがモリエールを候補から外してください」
父親のシャトルーズ侯が頭を下げれば母親が光の檻にしがみついてモリーに手を伸ばす。
「認めましょう。
神聖な祈りの場でのこのような失態、今後モリエール嬢には足を入れる事はないでしょう」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
娘には今後領地にて療養をさせようと思います」
「その方がよろしいかと」
「では……」
「あなた!そんなっ!!」
母親の悲痛な訴えに父親は黙って首を横に振り
「モリエールがした事は国への反逆行為ととっても仕方がない行動なのだよ。
モリエールも自分がした事が理解できても二度と王都の土を踏む事は許さない。
お前はそれだけの事をしでかし、神殿長のご厚意で領地で療養を許されたのだよ」
では許されなければどうなるのだろうか?
黙って思考を巡らせていれば
「ミストローゼ、この魔法を解除できるかな?」
「はい、お父様」
神殿の女衛兵に囲まれる中鳥籠は光となって消え去って行く。
阻む者が無くなれば母親はモリーを抱きしめてただただ泣いていて……
「衛兵、モリエール嬢を部屋までご案内して。
ご家族の方もモリエールの荷物をお持ちください」
神殿長の退去命令に小さな返事だけでシャトルーズ家の悲劇は幕を下ろした・……
去って行くシャトルーズ親娘の姿を見送りながら神殿長は溜息を吐き
「折角訓練にいらして下さった皆様には申し訳ありませんが、今日はこのような状態ではまともに訓練は出来ないでしょう。
なので座学と所作の訓練のみとします。
そしてエクルーラ」
「はい」
「大変ご迷惑をおかけしますがミストローゼの為に暫く共に訓練に参加していただけないでしょうか?
もちろん風の神殿長には私の方からお話をさせていただきます」
そう言う神殿長にミストを優遇し過ぎではないかと思い隣にいる候補達の顔を見るも
「ミストローゼのこの偉業、先も言った通り他の神殿長も納得の事なのです。
貴女には本番まで穏やかに筆頭巫女として過ごしてもらわなくてはいけません」
このような事で出来なくなったと言う分けにはならないと力強い言葉にもう私達がなにか言うタイミングは過ぎた事は理解した。
「ミストローゼも他の候補達もこの時期からの参加に戸惑いは我々も承知してます。
ですが、我々は17年に一度のこの祭りを成功させなくてはなりません。
その為の選択ならどんな犠牲も払わない、その覚悟で挑んでおります。
この試練を乗り越えて必ず成功させましょう」
その言葉を残して去って行った神殿長達を見送り、わたし達は昨日の繰り返しで所作の訓練となった。
美しい動きのミストの呼吸は昨日より良くはなれどまだ早く、最初は話しかけ辛そうだった水の候補の方も呼吸はともかく誰よりも美しい動きをとるミストを認めだし、そして点滴樽勉強の時間。
ミストの圧倒的たる知識は私達でも追いつける事の出来ない巫女を輩出し続けた家系ならではの物。
寧ろ私達が教えてもらう方となり、休憩時間はミストの刺繍講座へと変貌するなぞの流れからの親睦を深める事になった。
単にミストの刺繍のファンが一人いて、その話が盛り上がった所に補佐の方が腕前を見る為に持ち出した刺繍箱に会ったハンカチを使って作った簡単な刺繍が皆様の心を射止めたという……
予定の時間になってもいつまでもやってこない私達が褒め称えたハンカチは没収されてしまったのは仕方ないけど、瞬く間に神殿中にミストの腕前が広まって……
「ミストローゼの刺繍がこのような美しい技術を持っていたとは初めて知りました。
ふふふ、これが休みの合間に作った作品となると時間をかけた物はどうなるのか想像すると楽しみですわ」
帰り際に返してもらったハンカチを補佐の方に返せば見送りに来た神殿長の何と言うか遠回しのおねだりの言葉に
「ええと、はい。
学際に向けていくつか作ったのものがあるので今度見て頂けましょうか?」
遠回しの言葉に遠回しの言葉。
いくつか作ってプレゼントする事を約束させられたミストはその日から授業の合間を縫って刺繍する姿が見られるようになったとか……




