98話 豊穣楽土④
空港内のレストラン街にたむろするサラリーマンたちを横目で眺めて、エレベータで出発フロアへ向かう。
搭乗券を受け取るためにチェックインカウンターに並んでいるエコノミー利用の団体客の奇声に眉をひそめ別のカウンターに目を転じた時、織田信長は、ドキリと身体を強張らせた。
パンパンに張ったLサイズのスーツケースが三つ四つ載ったカートを重そうに押し、ワイシャツの襟首の汗を気にしている若い女性がふたりと、ハアハア肩で息をしながらパスポートの準備をしている痩せた初老の男がひとりが、ある肥え太った中年のまわりでアタフタと動き回っていた。
中年男は忙しそうに動く彼らの手伝いもせず、悠々とベンチに座り新聞を読んでいたが、信長が送る視線に気配を感じたのか、まだ心のざわつきが収まらぬままの彼をあおぎ見た。
まともに目が合った。
一瞬男は、半開きの間抜けた口元を晒し意表をつかれたようになったが、すぐに爬虫類を思わせる目付きをして立ち上がり、ニヤニヤと近づいて来た。
「よぉ。天下の織田信長君。今日はお独りで? もしかしてお忍びなのかい?」
「師匠こそ、従者付きで大層なご身分だこと。――おっと、それ以上近付くなよ。臭い息がうつるだろ?」
「ウリスク大量に噛んでやるよ。このあとも船で女どもとイチャコラせなならんからな」
うえ。と信長は吐くマネをした。
「……それでテメエ、どこ行くんだ?」
「決まってんだろ、地球だよ」
「なんだと?! 師匠アンタ、まだ懲りねぇのか? ほとぼりはまだ冷めてねぇと思うがな?」
師匠と呼ばれた男、スケルトンカセットは以前、セクハラをして地球人の女に刺された。それがマスコミに報道され、イカスルメルの女性団体に大バッシングを受けたのだ。
信長はスケルトンカセット師匠が甲斐の武田信玄に続いて今度は上杉謙信に成りすましているということは、すでに織田家の諜報網から聞き知っていた。
だが現実的に行動するのは不可能だろうと高をくくっていたのである。
「バッシング? そんなの屁でもねぇ。それよりオレは織田君、お前に泣きっ面をかかせてやりたくてしょうがねえのよ」
「なんだと?」
「それと愛しのお市ちゃんな。あの子を我が物にして、お前の目の前で存分に可愛がってあげたいんだよな、でへへ」
信長の形相が変わった。
振り上げたコブシをブルブル震わせる。
「てんめえ……」
「さあ、殴っちゃえよ? いまここで傷害事件起こしてくれたら、織田君はしばらく地球に戻れないよな? その間にオレは織田軍勢力を駆逐して岐阜城のお市ちゃんを奪取しておくとしよう。ささ、殴ってくれ」
荒い息を発したまま手を引っ込めた信長は、
「お前が越後の上杉になってようが西国の毛利になってようが、関係ない。もはや日ノ本は織田家の天下で幕が下りる方向で進んでいる。無駄な抵抗だ。もう止めとけ」
「前にゲームで対戦した時も同じようなセリフ吐いてたよな? ところがどーだ? お前、さんざん負けてたよな?」
ゲームで織田家は、スケカセ師匠の【包囲網作戦】で大崩壊を起こし滅ぼされていた。
「でも、今の織田家は孤軍じゃねぇよ」
スケカセ師匠の後ろに山のような大男が立っていた。
「うおっ!?」
ひっくり返りそうになりつつ、同行の女性らの後ろに隠れた。
「お、おまえは……」
「死にぞこないの武田信玄どの、お久しぶりだな」
「浅井……長政」
「地球人に刺された腹はまだ痛むのか?」
「なにい?」
長政は自分の腹をさすりながら、
「オレも信長の息子が指揮する兵に撃たれたところがまだ痛くてな」
「し、知るか」
「鉄砲玉もなかなか痛いものだぞ? タノシミにしとけよ?」
「ひっ」
スケカセ師匠一行はアタフタとフロア奥へと消えた。
「……長政よォ」
「なんだ?」
「あいつらもチャーター便利用なんだぜ? またカオ合わせるじゃねーか」
「だったら時間ずらせよ」
そういうわけにもイカンだろ。と信長はスーツケースを押し始めた。
「じゃいっそ、追い掛け回してやろうぜ?」
「いいな、それ」
男ふたりはケタケタイジワル気な笑いを乗せ、フロアを速足で抜けていった。




